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ニュージーランド旅行記2016 [旅行]

まえがき
筆者はバリ島旅行を終え、ヴァージンオーストラリア航空夜行便でブリスベーン経由でニュージランドに向かっていた。
バリ島での旅行記は下記を参照
バリ島旅行記2016

この旅行の動機については下記参照
バリ島ニュージランド旅行~序章篇~


1.まずはブリスベンへ
5月1日(日)
 午前3時頃起こされた。背もたれがほとんど傾かないので、通勤電車で居眠りしているのと同じであり、首が痛くなって起きる。ほとんど眠れなかった。
 バリ島時間で午前3時とはいえ、オーストラリアはバリとは+2時間の時差があるのでもう5時なのだ。
 5時30分、オーストラリアブリスベン空港に着陸。外は雨である。
 乗り換えは厳重な保安検査はあったが、入国カードの提出はなかった。ポケットのものは全部出し、さらにシャワールームのようなカプセルの中で両手をあげてスキャンされる。2回受けた。左肩と右腿に異常反応があるらしい。最終的には手動で検査。
 エスカレータを上がると、出発エリアだ。設備は一通り揃っている。Wifiも使えるので、自宅にメール連絡。木製の大きな椅子は外人向きか。脚のせのあるソファーが人気がある。ここで3時間ほど待つことになる。免税店をざっと見て、食事をどうするか迷う。さっきのフライトで食事が出たのでそれほど腹は減っていない。今食べてしまうと、機内食を食べられなくなるかもしれない。行ったり来たり右往左往して結局食べず、出発する73Aゲートの近くで居眠りした。
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↑ブリスベン空港出発待ちエリア
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↑出発ゲート
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↑雨のブリスベン
 このヴァージンオーストラリア航空ではデルタ航空のマイルが付くはずだ。元に戻って同航空の乗り換え窓口にやってきたものの、先客が2名おり、搭乗時刻の8時45分を過ぎ、時計は9時を指していたので、ここで手続きするのは諦めて、出発ゲートに戻る。
 機内に乗り込み、席に座ると、前には韓国人のグループがいる。今回の席はこの旅行で唯一の窓際席である。
 飛行機は9時33分にB737-800は離陸した。雨で窓が濡れているので動画は上手く撮れなかった。
 ニュージーランドの入国カードを書き、とりあえず大まかなドライブルートを確定した。ふと座席のポケットを見ると「MENU」とあるではないか。どうやらこのフライトの機内食は有料らしい。これを知っていればブリスベンで何か食べていただろう。クライストチャーチに着いたら、食事、デルタ航空マイルの付加、携帯電話の購入とデータSIMの購入。それらが終わってからレンタカー営業所に行かねばならない。クルマを走らせられるのは16時30分になるかもしれない。そうするとホテル到着は21時頃になるかもしれない。ホテルのチェックインが22時以降の場合は連絡が必要なのでいずれにせよ携帯電話の契約は必要だ。
 ニュージーランド時間13時15分、機内でようやく水にありついた。コーヒーも無料のようだが、すき腹に飲むのは悪いのでやめた。
 隣の男性は機内食を頼んでいた。パンを残している。そのパンをもらおうかとも思ったがここは辛抱だ。
 14時15分、これまでひたすら海の上を飛んできたが、下界には陸地が見えた。ニュージーランド島である。自然のままの山容でその美しさに息をのむ。
 まもなく、下界は農地に変わった。円形に区画されたところや、競馬場のダートコースのようなところも点在している。
 14時35分、クライスチャーチ空港に着陸。5分後に31番スポットに接岸した。
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↑ひたすら海の上を飛ぶ
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↑やがて南島の山岳部へ
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↑まもなくクライストチャーチ
2.クライストチャーチからレンタカーに乗る
 入国審査ではかなり並んでいて、時間がかかり、手荷物受け取り場で、私の荷物はがっらすきのコンベアをグルグル回っていてすぐに取り出せる状態だった。時すでに15時20分。検疫は係官が少なく時間がかかった。ニュージーランドは農業国なので植物食品の持ち込みに神経をとがらせている。
 税関は何も申告はないが、手荷物の機械検査に時間がかかった。
 まずはニュージーランドでスマホを使うためのSIMを入手する。しかし日本から持ってきた自分のスマホSH01Fにニュージランドの電話会社のSIMを入れても電波をとらえることができなかった。もしかすると日本の電話会社のスマホはSIMフリーを謳っていても、海外のSIMは受け付けないのかもしれなかった。昨年フィリピンに行ったときは世界標準機のNexus5だったので問題なかったのだ。はじめはヴォーダフォンに持ち込んでだめで、となりのSPARKでもだめだった。後から考えればローミングの設定を変えればいけたのかもしれないが、その時はそんなことを考える余裕はなかった。
 バリ島で道に迷った経験から、スマートホンは必須だと思ったし、ホテルその他への連絡手段としても電話が必要だ。私は現地でのスマホ購入に踏み切ることにした。どうせなら以前から注目していたファーウエイ製のいいのが欲しかったが、ヴォーダホンのカウンターにはサムスンしかなく、その中でも2番目に安いのを選んだ。トラベラー用のデータ3GBを含むSIMが49ドル。それを含めての支払いが298ドルであった。
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↑購入したSAMSUNG GALAXY J2
 レンタカーを借りる前に腹ごしらえ。アメリカでレンタカーで走った経験から、外国では沿道にレストランがそれほどあるわけではないことを知っていた。空港で食べることにする。ベーコンと目玉焼きのサンドイッチにカフェラテ。これで遅い昼食、いや朝食は完了だ。
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↑朝食兼昼食
 買ったサムスンのGALAXY J2はシステムの言語を日本語に設定できない。すなわち技術適合がなされていないので本来日本で使えないことになる。パソコンにつなぐことで日本語化ができるようだが、それができなければWifi専用機となりそうだ。後日わかったことだが、このGALAXY J2は安っぽい造りでカメラの性能も劣るものの、動作は日本のスマホに比べて安定していた。韓国製を見下していた自分であったが、これは大きく蒙を啓かせた。
 とりあえず栄養補給はできたので、すぐ近くにあるAVISレンタカーのブースに向かった。日本で発行された予約確認書を見ることなく、パスポートとクレジットカードだけで手続きが進んだ。保険はフルカバーにした。これがあとで役に立つことになる。
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↑クライストチャーチ空港ビル
 ブースでキーを渡され、歩いてレンタカーの駐車場に向かう。17時00分、クルマとご対面。今回のクルマは茶色だった。予約時にはカムリを指定していたはずだが、カローラであった。しかしあまりに後部座席の足下が広かったので、これはカムリだと思っていた。ここまでの走行距離は12483km。鍵はスマートキーで、ポケットにキーを入れたままで、クルマのインパネにあるボタンを押すだけでエンジンが始動する。ドアロックもポケットにキーを入れたままでドアノブを引くだけで解除される。変速機はもちろんオートマチック。Dレンジを右に倒せば、1速から5速まで任意に選択できる。
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↑レンタカーとご対面
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↑足元が広い後席
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↑速度計
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↑ラジオ(タッチパネル)
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↑バックモニターも付いている
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↑カーナビは日本語対応
 借りたGPSはフロントガラスに吸盤で張り付けるタイプで日本語に設定できる。音声案内も日本語。ただしグーグルで翻訳したように変な感じの日本語である。
 17時15分、クルマを走らせる。ニュージーランドは日本と同じ左側通行。ワイパーと方向指示機のスイッチの位置も日本と同じである。中国人のためか「KEEP LEFT」というシールが速度計の下に貼られているし、シフトレバーにもその表記がある。
 空港を出てすぐにラウンドアバウトすなわち環状交差点がある。とにかく右側に環状部を走るクルマがあれば譲る。ルールはこれだけである。あと信号が赤でも左折可とか、対向の場合、日本と逆に左折より右折車が優先というのもあるが、その場面に出くわさなかった。
 ニュージーランドでは日本のような高架立体交差の高速道路はほとんどなく、一般国道をハイウェイと称している。平面交差のある街は70キロ制限となるが、道路の両脇にある100キロの制限標識を過ぎると、高速道路となる。実際は120キロで流れているようだ。もちろん交差する道路は皆無ではないし、自転車で走っている人や、歩いている人が全くいないわけではないけど、広い路側帯と防風林が両脇にあるおかげで、全く危険を感じない。日本とほぼ同じ面積でありながら人口300万人のニュージーランドならではである。
 走るほどに黄昏から暗闇に変わっていった。ニュージーランドの案内標識は小さいのが道路脇にあるだけで視認性が悪い。ただし、日本のように広告看板が全くないので、非常に景観がいい。環境に敏感なニュージーランドらしくていいので不満としないことにする。
 国道1号線をひたすら南下する。道路は基本的に対面交通片側1車線だが、適度に追い越し車線があるので、あまり問題ではない。
 クルマの加速は十分で追い越しでも遅れをとることはない。ただし自分はまだこの国の運転に慣れていないので、基本的に左車線を走り追い越しはしなかった。私は目的地に到着するまでこのクルマをカムリだと思っていたので、やはり中型車は違うなどと納得していたのである。
 筆者は日本でもレンタカーでカローラを利用することが多い。外装、内装はそれほど優れてはいないが、実に運転しやすいクルマだ。世界のベストセラーだけのことはある。エンジンは1800CCでクルマのサイズは大きいので、もしかすると日本では3ナンバーになるかもしれない。
 内装は速度計、回転計、水温計、燃料計と配置された真ん中に液晶表示があり、ここにシフトポジションや距離計ABと通算、外気温が表示される。わからないのは「CRUSING RANGE 553km」という表示。これは最後まで意味がわからなかった。シガーライターの他に、USBポートとAUX端子がある。
 ナビこそ付いていないが、ラジオ等はタッチパネルで操作する。もっぱらFMを聴いた。FM TEXTに対応していて演奏している曲名が表示される。さすが英語圏のニュージーランド、聴いていて楽しくなるような選曲だ。
 まもなくGPSナビが電池がなくなったと表示。クルマを停めてシガーライターから電源をとる。どうやら内部の電池が消耗し充電できなくなっているようだ。
 18時25分、沿道にケンタッキーフライドチキンを見つけ反射的に入る。これがどのあたりか知らないが、外国ではレストランを見つけたときに入っておかないと食事にありつけないのはアメリカで経験済みだ。
 客は意外に多く、どちらかというと柄が悪そうだ。インディビジュアルメニューの3ピースを選んだ。飲み物は紙コップを渡されて、レジの前で自分で注ぐ。世界どこにでもあるケンタッキーフライドチキンだが、どうも日本のに比べて味が落ちるような気がする。ニュージーランドでは鶏肉の需要は低いのか。そう思ったりした。付け合わせの量が多く、ポテトとパンは残して鞄に詰め込んだ。
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↑世界各地にあるケンタッキーフライドチキン
 1号線をひた走っていたクルマはまもなく79号線への分岐を迎えた。それはうまく行ったが、その後間違って未舗装の道路に入ってしまった。日本と違って滑りやすく、ハンドルが取られそうになった。ナビが示した代替ルートはこのまま直進だったが、身の危険を感じたので、スイッチターンして元の場所に戻った。
 79号線は丘陵地を走る。街頭も民家もほとんどなく暗闇の中をひた走る。ナビがなければ不安に感じていただろう。ただ対向車が結構頻繁にあって、ハイビームとロービームの切り替えが面倒である。対向車がいる場合ハイビームではまぶしいので、パッシングで注意するのは日本と同じである。
 右折して8号線に入るとさらに山深くなった。いったい世界のどこを走っているのか、という気分になった。
 まもなくオレンジ色の弱い光に包まれたテカポの街が見えた。20時44分、予約していたGodley Hotelに到着した。ここまで224.4Km走った。東京から浜松くらいの距離だ。走行距離は約3時間半。
 今回の予約はアップルワールドを通したので、バウチャーを見せるだけだ。ただし宿帳には記入する必要がある。ホテルはレセプションを含め、長屋が数軒並んでいる形式である。
 キーはカード式である。今回もバスタブがあってありがたい。ドライヤーは引き出しにあった。ダブルベッドとシングルベッドがある。ダブルベッドに寝ることにした。冷蔵庫と湯沸かし器、無料のコーヒーと茶がある。ただし客室金庫はない。空調はないが、温水暖房と電気毛布がある。バルコニーがあって、ここから湖を眺めることができる。ただし今は夜なので何も見えない。ふと空を眺めると満天の星だ。こんなにたくさんの星を見たのは初めてだ。見てすぐそれとわかるほどのくっきりした天の川を見たのもおそらく初めてだろう。
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↑Godley Hotelに到着
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↑部屋
 このテカポで2泊している間に、下着を洗濯するつもりだった。バリに滞在中いつも鞄に入れている洗濯用のロープや石鹸を持ってくるのを忘れているのに気づいていた。自分の部屋で洗濯ができないので、ここのホテルのラウンドリーを利用するつもりだった。しかしランドリーサービス用のチェックシートがない。どうやらサービスはないらしい。狼狽していると洗濯機と乾燥機はあるらしい。さっそくそれがある場所を確認しにいった。石鹸が2ドル、洗濯が2ドル、乾燥が4ドルとのことであった。仮に乾かなくても部屋にはアイロンがある。洗濯機の利用は21時までということだが、どうやら中国人が規則を無視して、乾燥機を回していた。まあこれは大目にみよう。
 ホテルの前にはガソリンスタンドがあり売店もあるのだが閉まっていた。そこだけでなく、ありとあらゆる店は閉まっていた。無事到着を記念してビールを飲もうと思ったのに残念だ。
 ここで新たな問題が発生した。ホテルのバウチャーを入れていたファイルをなくしたことに気づいたのだ。ホテルのバウチャーはあとはクライストチャーチを残すのみで、これはスマホからメールをアクセルすることで入手できるから問題はないが、ファイルの中には国際免許証が入っているのだ。念のために、クルマの中も探してみたけどなかった。しかしホテルのバウチャーを渡したので、少なくともそこまで持っていたことになる。だからおそらくはレセプションにあるものと推定された。しかしここのレセプションは22時で閉まってしまい、確認することができない。
 悶々とした気持ちで0時30分に寝る。不安からか気持ちが高ぶっているのかなかなか眠れなかった。
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↑写真では再現できてませんが満天の星空でした

3.テカポ散策
5月2日(月) 曇後雨後晴
 7時30分起床。まずはレセプションへ。果たしてファイルは昨晩ここで忘れていたのだ。洗濯をするのに2ドル硬貨が必要なので両替した。
 まずは石鹸を買う。ガチャガチャのように硬貨を差し込んでレバーで押し込むと黄色い箱に入った石鹸が落ちてきた。
 洗濯機もドラム式で乾燥機とそっくりだ。欧米ではこのドラム式が主流である。下が洗濯機上が乾燥機である。間違えないように硬貨を入れてスタート。
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↑石鹸の自販機
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↑買った石鹸
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↑上が乾燥器下が洗濯機
 洗濯している間に、すぐ近くにある「善き羊飼いの教会」という小さな教会まで歩く。ちょうど日の出を迎えるところだった。曇っているので日差しが弱いが、いい角度で撮ろうとしたら逆光になってしまう。それよりも次々と現れる中国人のせいで、なかなか人を写さずに撮ることができない。ちなみに自撮り棒を使っている人はほとんど中国人である。
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↑日の出の「善き羊飼いの教会」
 洗濯は終わっていたので、乾燥機に入れ、朝食に行く。今回のプランは朝食が付いていないので、別料金となる。中国人のツアー客が利用したと思われるバイキングをそのままいただくことにする。料金は26.5ドル。
 9時に食堂が閉まるので、少し急いで食べた。ヨーグルトの種類が豊富だった。食料自給率の高いニュージーランドだけにどれもおいしい。
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↑別料金の朝食バイキング
 スマホをいじっていろいろ情報を得る。スマホが使えるようになったのは便利だが、特にYahooをアクセスしてしまうと、今見なくていいような記事をついつい読んでしまう。結果として無駄な時間が生じてしまっている。本日の予定はテカポ湖周辺を観光し、夜は星空ツアーに参加することになっている。
 再びラウンドリーへ行く。乾燥終了3分前だった。洗濯物を取り出すと、完全に乾いていた。昔一人暮らししているときに、乾燥機は金ばかりかかって乾きも悪いと思っていたが、45分も作動させれば乾くらしい。今まで私は長期間の旅行では、部屋で洗濯して、ロープで部屋干ししていたが、自分で洗濯するよりも、このようにコインランドリーを使った方が時間を有効に使えることがわかったのは収穫だった。
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↑ホテル外観
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↑ホテルの前の道路クライストチャーチ方面
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↑ホテルの前のガススタ
 10時頃再び外出。少し小高い丘から湖を眺めることにする。なんだか荒れ地のような殺風景な道を登ると確かに民家越しに湖が見えた。水の色はエメラルドのようなで実にきれいだ。しかし逆光なので写真に撮るとこの異なった色になる。残念なことだが、このカメラには対応策はない。そもそもこれが眺めのいい場所なのかどうかも疑問だ。入り口にCowans Hill Walkwayとあっただけで、途中に何の標識もないし、誰もいないのである。しかしここ以外に高台となると、山の上しかない。そこは簡単に登れるようなものではなく、やはりここなのだろう。ガイドブックには距離は3km、一時間半とあるが、とてもそんなに歩いていない。釈然としない気持ちで丘を降りる。
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↑変哲もない道を登る
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↑紅葉の民家を抜ける
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↑何か看板があって入れない
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↑殺風景な道を歩く
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↑民家越しに湖が見えた
 次に湖畔を歩いてみた。湖畔といっても遊歩道があるわけではなく、足場の悪い石ころだらけの場所を歩かねばならない。何度も撮影を試みるが、どうしてもこの目で見た絵にならない。私は諦めた。
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↑湖畔は写真と印象が異なる
 さらに歩くと牧羊犬の銅像が見つかった。バウンダリー犬の像である。開拓時代の放牧地で柵のない境界線(バウンダリー)を守った犬たちの働きをたたえて1968年に作られた。ここには人が集まっている。中国人も多いが、日本人もいる。さっきの教会とこの銅像をバックに記念写真を撮るのが観光客のお約束だからだ。やはりここも人のいない瞬間を撮るのは難しい。
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↑バウンダリー犬の像
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↑常に周りに人がいる
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↑再び「善き羊飼いの教会」
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↑寄付金はこちらへ
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↑教会内部
 橋を渡ってホテルに戻る。銘板によると、この橋は2015年11月に開通したという。道理で新しいはずだ。橋の板には寄付者と思われる個人団体の名前が刻まれている。その数は橋の全長に対して全体の4分の1程だ。
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↑ホテルに向かう橋
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↑橋の板には
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↑寄付者の名が刻まれている
 昼食は山の上の天文台に併設されたアストロカフェに決めていた。車に乗り込み、ナビに従ってそこに向かうと、門があった。しかし閉まっていた。門があるとは聞いていなかったので、何かの間違いだろうと、そのまま直進した。どうやらひたすらテカポ湖湖畔を北上するだけで、何もなさそうであった適当なところで引き返す。ただし湖はきれいだったので写真を数枚撮った。
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↑テカポ湖
 いったんホテルに戻ったが、やはりアストロカフェは諦めきれず、もう一度おなじ道を走った。門の看板をよく見ると、風が強い日にはゲートを閉鎖するとある。そういえば今日はカメラの三脚も倒れるほど風が強い。あとで聞いた話では風速20m以上になると封鎖するらしい。ニュージーランドともなると、風速15mは当たり前で、風に乗った小石が飛んできて窓ガラスを割るらしい。確かにそれは危険だ。また、天文台は私有地にあるので自動車で行く場合は門の先の料金所で5ドルを徴収される。1時間ほどかかる徒歩では無料だが、風の強い日に登れないのは同様だ。
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↑天文台へは本日通行止め
 昼食は湖畔KOHANという日本食レストランに行くことにした。日本のガイドブックは必ずといっていいほどこの店を勧めている。特に「サーモン丼は絶品だ」と記載されている。私は海外ではなるべく日本食は食べない主義だが、そこまで書かれては行かない理由はない。当初予定では夕食はここだったが、昼食に変更した。
 店に入ってみると、日本人ばかりかと思ったら、欧米人、中国人の方が多く、大まかにいってそれぞれ3分の1の割合で利用しているようだ。20ドルのサーモン丼を注文するのは芸がないと思ったので、スペシャルと書かれた25ドルのイクラサーモン丼にした。結果的には失敗だった。サーモンがふた切れしかなかったからだ。サーモンの味だが、確かに評判通りで美味しい。養殖らしいが天然と変わらないような気がする。
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↑日本食レストランKOHAN
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↑窓からの景色
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↑イクラサーモン丼
 同じ建物のレストランの反対側には土産物店がある。どうせあとで買うのも面倒なのでここで買うことにする。しかし、あとでわかったことだが、このテカポの土産物店はクライストチャーチ市内に比べて、特にTシャツで5割ほど高いようだ。売り子が商売熱心なわけである。しかしそんなことも知らないので数点おみやげを買った。ニュージーランドでは一般的なのはクレジットカードの支払いの場合1.5%の手数料を取ることが認められることだ。それは知らなかったので、手数料を惜しんで、ここは現金で払うことにした。
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↑買った傘はすぐに壊れた(要注意)
 もう時刻は15時を回っていた。星空ツアーは17時にデスクに顔出ししなければならない。それまでにできることとして選んだのは、テカポスプリングスなる温泉である。しかし日本のような温泉ではなく、水着を着て男女関係なく入る屋外温水プールである。地下から沸いた温泉かどうかも知らない。
 15時35分過ぎにテカポスプリングスに着いた。空は暗くなり今にも雨が降り出しそうだ。夜に星が見えるのか心配になってきた。25ドル支払う。ロッカーは別料金で3ドルだ。水着は持ってきているが、タオルはポケットに入っていた日本手ぬぐいで代用した。
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↑テカポスプリングス(宣伝用写真)
 着替えてプールに入ってみる。少し寒い。水温はおそらく35℃前後で日本の温泉の感覚からするとぬるすぎる。プールに使っている状態ではついたてが邪魔して湖が見えない。湖を見るには立っていなければならない。これはちょっと看板に偽りありというところだ。しかし日本の温泉でも湯船につかると外が見えないところなどゴマンとある。だからこれは大きな問題ではないだろう。
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↑テカポスプリングス入口
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↑そこからの景色
 白人の女性は大胆なビキニを着用している。防水の写ルンですを持ってきているが、やはり何の許可もなしに撮ることはできず、偶然を装って撮るしかない。
 そのうちに雨が強く降り出した。写ルンですで撮った写真は暗くて露出不足でほとんど見れたものではなかった。湯温が低く急速に体温が奪われそうなので撤退する。ちょうど入れ替わりに20代の日本人男性2人組が入ってきた。
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↑写ルンですで撮った写真
 ニュージーランドは一日の間にも四季があるという。晴れたと思ったら雨が降り、気温が上がったと思ったら下がる。このテカポは晴天率が極めて高いところで、それゆえに天文台があるのだが、今日は雨だ。

3.マウントジョン天文台
 ホテルに戻り、星空ツアーのデスクのあるEARTH&SKYに顔を出したのは17時。ちなみにEARTH&SKYはGodleyHotelと同じ棟にあり、私の泊まっている407号室とは歩いて20秒程度のところである。ちなみに昼食を食べた湖畔KOHANも歩いて30秒。こんなに便利なホテルに泊まったのは前例がない。
 デスクの向こうには青いシャツを着た日本人女性が座っている。本日のツアーは21時に集合。ただし今も雨が降っているし、ツアーは確約されたものではないとのことであった。そうした情報をもらってホテルに戻る。
 昼食が14時前と遅かったのでまだ腹が減っていない。部屋でテレビを見た。NHK WORLDが写る。弘前の桜を取り上げていた。
 さて夕食にしようと外に出ると、店がぞろぞろと閉め始めていた。もう開いているところならどこでもいいという感じで、韓国料理の店に入った。客はおらず、BGMだけがむなしく鳴り響いていた。あとで3人組の客が入ってきたが、閉店が近いことを理由に断ったようだ。
 ビビンバは本日は用意できないということなので、豚肉の味噌炒めにした。意外や意外これが美味しかった。このテカポには日本食の湖畔とこの韓国料理の店の他に中華料理もあるが、ここは日本食が圧勝である。欧米人にとっては韓国料理は未知なものだし、中国人がわざわざ中華料理を食べるのは少数派だろう。やはり日本ブランドは衰えてはいないというところか。
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↑豚肉の味噌炒め
 店を出るとほとんどの店が閉まっていた。このあたりは夜でも賑やかだったバリ島と違うところである。
 21時10分、再びEARTH&SKYにやってきた。
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↑受付カウンター
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↑マオリ族のオブジェ
 すでに青い外套を着た長岡氏という天文台の研究員兼案内人が、人数のチェックをしていた。続々と参加者が集まりだした。これは日本人専用のツアーで、この組は17名だそうだ。ほとんどが夫婦ものだが、女性同士もいる。男性3人組もいる。また女性一人もいる。男性一人は3人だけだ。
 別組の16名と合わせ33名のツアーはマイクロバス2台で21時30分に出発した。この星空ツアーは風の強い日のみキャンセルとなる。雨で星空が見えない場合は、天文台の施設を見学することになる。星のマークのネックレスとダウンジャケットと太陽電池付きの赤いLEDライトが渡される。LEDライト以外は貸与である。赤いLEDにしているのは天体観測の支障のない弱い光にするためで、クルマも天文台に近づくとヘッドライトを消す。テカポ村は人口500名程度の小さな村。しかし観光のおかげで税収は潤っているだろう。村人も天体観測に協力して、外灯もなく、家の明かりも観測に妨げのないように弱いオレンジ色としている。
 天文台に着いた。真っ暗である。しかしこうしないと星空を見るための目慣らしができないのである。もちろんフラッシュは厳禁である。スマホのライトも白いのでダメ。周りが全く見えない状態で分厚いダウンジャケットを着るのは難儀であった。肝心の星空はやや雲に隠れているもののほぼ満天の星空だ。夕方には雨が降っていたことを考えればこれは奇跡に近いだろう。
 標高の1500m天文台。だんだん寒くなってきた。ホットチョコレートがふるまわれた。なお、このツアーではフラッシュ撮影が禁止されているので、写真が残っていない。ツアーの詳細については下記写真にリンクされているページを参照していただきたい。
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↑マウントジョン天文台ツアー
 まずは肉眼で星空の解説。まずは南十字星である。南十字星は4つそれぞれ明るさが違い、紛らわしいニセ十字もあって意外とすぐにはわからないらしい。「印象的な名前」の中尾倫太郎(ただし漢字名は不明)ガイドはレーザポインタを使って解説してくれる。
 南十字星はケンタウルス座のα星とβ星という明るい2つの星を目標に氏この二つの星の延長線に十字の頭が来る。これを目標にするのが発見のコツらしい。地球の南極点の延長線には星がないため、南極星というのは存在しない。おおまかにいって南十字星の柱を下に4.5倍したところが南極点となる。また南十字星の柱の延長線とα星β星の垂直2等分線の交点でもいい。
 あとはシリウス、アンタレス、大マゼラン星雲、天の川の解説。木星の衛星は望遠鏡で観測した。望遠鏡は意外に見にくいものである。
 このマウントジョン天文台は惑星探査専門の天文台という。火星に人類が移住することは可能だと述べた。ドライアイスを大量にまき、温暖化させ極の氷を溶かす。そこに植物を送り込んで光合成させ酸素を作る。そこまでして火星に住む人類は果たしているのだろうかという気がする。私はロボットによる惑星開発が現実的なような気がする。
 星空は一つ一つの星の解説を聞いていれば、退屈することはないだろうが、こちらは寒くなってきた。
 23時ににツアー終了。
 23時半に部屋に戻る。またもやスマホで遊んでしまい、寝たのは1時となった。隣の人のいびきが気になったが、すぐに眠れた。

4.マウントクック
5月3日(火) 晴
 7時15分起床。今日はマウントクックを見に行くので冬支度をする。持ってきたステテコを着用。ダウンジャケットも持ってきた。
 まずは朝食。ちょっと離れたところにある「RUN76」という店に入った。ここに来たのはインターネットで調べたテカポおすすめコースに入っていたからだ。
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↑RUN76
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↑店内
 カンタベリープレートとカフェラテを選ぶ。番号札をもらう。料理が運ばれた。これが26ドルとは高い気がしたが、地元の食材を使っているという言葉を信じて納得することにした。
 これを食べていると日本人の若者3人組が入ってきた。地球の歩き方を持っているのですぐわかる。
 私はスマホで粘っていたので彼らの方が先に出た。彼らも当然スマホをもっている。遠目でみたところどうやらLINEをやっているようである。
 しかし料理が終わっても札が片づけられないのは何故だろう。続きがあるのだろうか。それはいわないと出ないのか。外国ではこんなことでも考えさせられる。
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↑カンタベリープレート
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↑カフェラテ
 隣接したスーパーマーケットで水とビスケットを買う。これは昼食はおそらくマウントクックで食べることになるので、軽いものにしたのである。それと持ってきたはずのサングラスが鞄になかったのでこのスーパーで購入。安っぽい黒い袋に入れてくれた。ニュージーランドは日差しが強く、直線道路が続くので、ドライブにサングラスは必需品だ。
 ATMでさらに150ドル引き出す。1回3ドルの手数料が取られるが、日本円の現金両替よりレートがいいらしい。スルガ銀行のキャッシュカードは海外で使えるので、この旅行のためにあらかじめ入金しておいたのである。ここのATMは日本語表示を選択できる。
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↑ATM
 9時10分にチャックアウト。追加料金はない。ちょうど観光バスがやってきた。漢字で「JTB旅物語ニュージーランドベストハイライト9日間」の札がかけられていた。まさしく日本のゴールデンウィークに合わせたツアーである。
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↑JTB旅物語ニュージーランドベストハイライト9日間」
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↑ホテルに横付けされたクルマ
 クルマを走らせる。8号線を北上。3.4キロ走ったところでジョギングしている男と遭遇する。こんなところで走るとは気持ちがいいだろうが何かあったらどうするのだろう。みたところ最小限の装備しかしていなかった。
 羊がいる。牛がいる。そう、ここは牧畜の国ニュージーランドだ。
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↑ニュージーランドの道
 9時35分、プカキ湖が見えた。その美しさに「うわ~」と声を上げた。反対車線にマウントクックが見える休憩所があった。しかし入り口を通りすぎてしまい、やむえず道路上をスイッチターン。カーナビに「できる時、法律上のUターンをして下さい」と変な日本語怒られた。
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↑プカキ湖
 休憩所にはすでに中国人のツアー客が先乗りでたむろしていた。彼らもおそらくマウントクックを目指すのだろう。
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↑休憩所から見るマウントクック
 続いて10時頃、8号線展望所にやってきた。観光パンフレットで見たことのある風景だ。天気が良くマウントクックはよく見え、これ以上は望めないだろう。しかしここでも逆光で記念写真は苦労する。
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↑8号線展望所からみるマウントクック
 さらにクルマは北上し、11時にマウントクックトレッキングの出発点ホワイト・ホース・ヒル・キャンプ場White Horse Hill Camp Groundに着いた。本当はここから少し離れた地域の拠点にあるDOCビジターセンターで有料マップを手に入れたかったが、結果としてそれは必要なかった。
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↑マウントクックを目指して走る
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↑ホワイト・ホース・ヒル・キャンプ場
 ここまで106.3kmの走行。外気温は17度とある。この気温であれば、ダウンジャケットは不要どころか、汗をかいてしまうだろう。
 11時10分、靴紐を堅く締めて、フッカーバレートラックHooker Valley Trackのトレッキングを開始する。案内表示によると片道1時間半の行程だ。
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↑トレッキング開始
 歩き始めてまもなく、着てきたジャケットは暑くて、ジャケット横のチャックを開いた。
 道は基本砂利道で橋のところは板となる。吊り橋が3カ所あり、狭い上に結構揺れる。20人以上は超過重量となる。
 ところどころにルックアウトポイントがあり、そこではマウントクックがよく見える。中国人は記念撮影ばかりしている。
 天気はいいので不満を述べるのは間違いなのだが、常に逆光なのは写真撮影上具合が悪い。太陽の動きを見ると夏になれば、天頂寄りに太陽が通るので順光となるだろう。ただその時は気温が上がりすぎて、雨またはかすむ可能性がある。何しろこのマウントクックは年間のうち晴天は140日前後しかないという。今日は強運を喜ぶべきだろう。
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↑トラッキング途上の湖
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↑緩い階段もある
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↑吊り橋を渡る
 中国人ばかりいると書いているが、日本人も多い。さすがにゴールデンウィークで今年は休日の並びがいいので、遠方の旅行が好調だそうだ。高齢者は団体や、ガイドをつけての人が多いが、自由旅行の人も結構いる。かくいう私もその一人だ。男性一人で来てるのも5人はいた。同類はどこにでもいるものである。
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↑まもなくマウントクック
 12時25分、小さな湖が見えたと思ったらそこがトレッキングの終着だった。ここから先は登山用の装備がないと入ることができない。テーブルに座って記念撮影。フラッシュがうまく光ったが、顔がテカってしまった。そして食事。スーパーで買った水とキットカット。それとニュージーランドで人気のクッキー。買ったビスケットは量が多く、森永マリーのようなシンプルな味なので飽きてしまい、半分以上残してしまった。
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↑ここがトラッキングの終点
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↑少々わびしい食事
 水辺に降りる。風が強く、寒さを感じる。しかしマウントクックの眺めはよく、座ってしまうとなかなか腰が上がらなかった。
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↑水辺に降りる
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↑水辺から見るマウントクック
 いつまでもそうしていても仕方がないので13時15分に出発。下りはさすがに足が速く、14時25分にキャンプに戻った。驚いたのはこのあたりの携帯電話の電波状況でほとんど4Gの電波を拾っていた。いったいどこにアンテナがあるのだろう。
 今夜はどこに泊まるのか未定だった。クライストチャーチに近づく形でルートを選定。8号線を南下し、海岸沿いのオアマルで泊まることにした。

6.オアマルへ
 15時10分に出発。
 北斗の拳に出てくるような山を見ながら小高い丘をひたすら走る。対向車も追ってくるクルマも少ない。時々通り過ぎる街も至って小規模だ。しかし小規模でも必ずあるのがガソリンスタンドである。
 16時30分、左に曲がり8号線と分かれる。
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↑ダム湖を左手に
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↑こんな道をひたすら走る
 名も知らぬ町の路肩に停める。歩き疲れたのか疲労していて眠気に襲われた。こんな時は休むに限る。ドアをロックして、シートを後ろに倒した。
 再び走り続ける。17時00分、2度目の休憩。休憩所とおぼしき駐車場に停めているクルマは私だけだった。近くにダムが見える。もしかしてこれまで左手に見ていたのはダム湖かもしれない。
 17時15分、KUROWを通過。このあたりはワインの産地らしい。KUROWは日本の「苦労」のように発音するのかと思うと面白い。
 まもなくオアマルOamaru市内に入った。一応、地球の歩き方に載っているモーテルをナビに入力したのだが、見当違いのところを案内された。
 道の真ん中に銅像がある市内の中心部をUターン。このあと食事をするので、中心部を離れるほどレストランは少ないだろうと考え、最初に見つかったモーテルに入ることにした。モーテルはVACANCYと赤い文字で点灯していれば空き室があるという意味になる。
 18時20分、Bella Vista Motelにクルマを停めた。観光案内所のようなレセプションにはニューヨーク・メッツなどで活躍した吉井元投手のような顔をした中国人が座っていた。館内設備の他、観光ポイントなどを説明してくれた。
 部屋は2階にある17号室をあてがわれた。このモーテルの特徴はドアがなく、廊下に面したサッシから出入りする点である。もちろんチェーンはないし、カーテンをしなければ外から丸見えである。ただ設備は優秀である。コーヒー紅茶用の湯沸かし器はもちろん電子レンジやトースター、ナイフフォーク皿の食器類もある。そうなるとスーパーでビーフを買って豪快にステーキを食べたいと思ったが、フライパンがない。
 浴室はシャワーのみでガラス戸で仕切られている。暖房便座はないが、部屋の上部に電熱ヒーターがある。それと珍しいのはタオルかけにヒーターがあることだ。
 部屋の空調は壁の低いところに埋め込まれている。一応の温度調節はできるようだが、オン/オフを繰り返すのでかなりうるさい。
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↑オアマルのホテル
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↑裏口のような入口
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↑室内
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↑室内設備
 とにかく食事である。ところがレストランがなかなか見つからない。ホテルの近くにあるマクドナルドとタイ料理レストラン、Fish&chips、SUBWAYとアイスクリーム屋。それとホテルに併設されたちょっと高級すぎるレストランだけだった。というかまだ19時にもなっていないというのに、ほとんどの店が閉まっていた。オアマル市は人口1万3千人。それくらいの人口しかないのだからある意味当然である。
 カウントダウンという大きなスーパーマーケットがあるので入ってみる。明日の朝食や晩酌用のワインを確保したい。入り口の長いスロープにはバイクに乗ったちょっと老けた不良少年2人組がいて「hello」と声かけてきた。当然無視した。
 ニュージーランドの本格的なスーパーは初めてだ。チーズやベーコンの種類が豊富だ。ただ価格は日本とあんまり変わらないようだ。牛乳は小さなパックはなく、最低でも1リットルだった。
 10個以下の買い物客が並ぶExpressというレジに並ぶ。レジの若い女性はチンというベルを鳴らした。ワインを買っているので年齢確認におばさんがやってきた。年齢は?50歳です。fifteenではなくfiftyである。
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↑スーパーマーケット
 歩き疲れたので、結局最初に見つけたタイ料理のレストランに入ることにした。先客が一人いたのも安心材料だった。
 応対してくれたのはタイ人とは似ても似つかぬ、ディープパープルのイアン・ペイスのような顔をした眼鏡をかけた女性だった。お冷やはワインボトルに入れて持ってきた。最初に持ってきたのは半分しか入っていなかったので、改めて別のを持ってきた。タイ料理はトムヤンクンしか知らないのでそれにした。それとジャスミンライス小とシンガービールを頼んだ。トムヤンクンは辛くてあまり美味しくなかった。辛さをいやすためにライスを食べている感じだ。昨日は韓国料理、今日はタイ料理と、ニュージーランドに来たのに何のこっちゃわからないということになった。
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↑ワインボトルに入った水
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↑ビール
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↑トムヤンクン
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↑タイ料理レストラン
 ちょっと驚いたのは請求額だった。37.5ドル。トムヤンクンが25ドル、ジャスミンライスが3ドルなのはわかっている。しかしビールが9.5ドルとは高すぎないか。出されたのは小瓶で700円弱である。消費税の15%はニュージーランドの場合内税である。サービス料もここでは取られないだろう。レシートをもらっておけばよかった。
 20時15分ホテルに戻った。ワインとチーズとクルミの実で晩酌する。ワインは半分残した。0時前に寝る。
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↑晩酌用食材
6.オアマルからクライストチャーチへ
5月4日(水) 曇
 8時起床。港を望むオアマルルックアウトポイントという高台まで走る。往復約5キロの手軽なジョギング。ハーフパンツとTシャツでは寒気を感じる。ここの季節は秋なのである。
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↑市内中心部
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↑白い建物が並ぶ
 ここオアマルはオアマルストーンという良質の石灰岩が産出しており、それを使った建物が市内に立ち並んでいる。ジョギング中も白い建物をみる度に撮った。ただそれぞれのいわれは予備知識がないのでわからない。走っていると踏切に出くわし、その近くに駅があった。ホームは3両程度の長さで、掲示された時刻表によると一日5本程度しかこない。
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↑踏切
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↑駅舎
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↑窓の内側に時刻表
 そのような歴史的建築物を抜けて、急坂を登る。このあたりは住宅地となっている。
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↑道を真っ直ぐに歩き
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↑坂を登った
 結構な急坂で体力を消耗した。Lookoutという展望地にたどり着いた。クルマが3台ほど停まっている。海に向かって歩いていると、犬に軽く吠えられた。まだ朝早いということもあってか、観光客はおらず、地元の人の犬の散歩道となっている。
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↑たどり着いた展望地
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↑有名都市の方向を示す
 確かにいい眺めで、地元の入り江を思わせる。しかし朝日が逆光で写真を撮ると海に浮かぶボートが真っ黒になってしまう。このニュージーランドの観光は終始逆光に祟られた。
 この地点は緯度は南緯45°6′39″。日本の北海道の稚内をちょうど赤道で対称にしたようなところ場所だ。ここはオーストラリアはもちろんアフリカの最南端喜望峰より南にある。これより南に行くにはニュージーランドをさらに南下するか、南米チリに行くしかない。おそらく自分の生涯で地球上の最も南に位置していることになるだろう。
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↑オアマルLookout
 ホテルに戻る途中、歩道で親指を道路に突き出して立つ女性がいた。これはヒッチハイクのサインだ。アメリカでは禁止されているがニュージーランドでは認められているのか。
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↑ホテルに戻る
 シャワーを浴びて、荷造りをしてチャックアウト。ところがGPSナビを忘れていた。ベッドの上に置いてあった黒い毛布の上に、黒いGPSナビの入れ物があったので、カメレオンと同じ現象が生じていたのだ。もう一度鍵を借りて取り戻した。
 10時15分に出発。ここまでの距離。
 オドメータ13067km
 空港を出発してからの距離584Km
 テカポからの距離320.3km
 国道1号線を北上する。FMトランスミッターを持ってきたので、それにMP3プレイヤーを接続してBGMとした。地元のFMもいいが、聞き慣れた音楽を海外で聞くのもいい。太陽に向かって走っているので眩しい。サングラスを買っておいてよかったと思う。
 11時20分、オアマルから84.2km走ったティマルTimaruで給油。看板にはZとある。ニュージーランドではセルフ給油と聞いていたが、実際は店の人がやってくれた。料金は併設されているコンビニに給油機の番号を告げて支払う。
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↑給油したガススタ
 11時30分予期せぬことが起きた。追い越しをかけたときに、対向車からはねた小石がフロントガラスの右隅に当たり、ひびが入ってしまったのだ。車両保険は入っていて、しかもAVISは大手なので対応は大丈夫だと思うけど、不安な問題が生じた。
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↑ヒビの入ったフロントガラス
 やがて筆者と同じ茶色のカローラが現れて追い抜いていった。運転手は初老の男性で、自分のペースに合っているのでこのクルマについて行くことにした。
 13時00分、Rollestonというところのマクドナルドを見つけたので休憩兼昼食。マクドナルドはまあ世界共通のフォーマットだが、ニュージーランドではナプキンはロール状であるなど、細部では異なる点もある。
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↑マクドナルドで昼食
 レンタカー事故の事例などをスマホで調べていたので、出発は14時00分になった。
 14時45分、予約していたHEARTLAND HOTELに着いた。看板が小さく、しかも反対車線にあったので、回り道してホテルに入った。ホテルといってもモーテルでこの通りにはモーテルが林立している。
 オドメータ13319km
 空港を出発してからの距離835.8Km
 テカポからの距離133.9km
 ここはアップルワールドでなく直接予約していた。モーテルとはいえクルマは離れたところに置かざるを得なかった。
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↑ホテルに到着
 モーテルは一つの棟に宿泊設備が集中しているのでなく、宿泊部屋はいくつかの棟に分かれている。あてがわれた部屋はレセプションの真前である。カーテンを閉めないと丸見えなのは昨日のホテルと同じである。ドアはノブがなく、ノッカーのような取っ手を引くことで閉める。
 部屋は広く、キングサイズのダブルベッドがひとつと、窓際にソファーがふたつ。クッションが柔らかく座り心地がいい。テーブル付きの椅子とデスクもある。アメニティも高級ぽい。バスタブもちゃんとある。すこし古びているが高品質だ。クーラーらしきものはなく、温水ヒータのようなものがある。
 Wifiは名前と部屋番号をパスワードにして利用できる。いつも同じのを利用するよりも安全性は高いのでこれは評価できる。
 総じて中々いいホテルを選んだようだ。
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↑ホテルの部屋

8.クライストチャーチ観光
 15時00分に外出する。日が暮れるまでの短い時間だがクライストチャーチの市内観光する。まずは観光用の路面電車が走っているので、その停留所を目指すことにする。クライストチャーチは2011年の2月に大地震に襲われ、歴史ある建物が数多く倒壊した。その崩壊箇所は更地になってとりあえず駐車場で使っているところが多いが、数少ないところでは再建工事が始まっているようだ。しかしまた半壊状態な建物を壊しているところもあり、フェンスに囲まれて解体を待つ姿は痛々しい限りだ。
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↑ホテルの前の通り
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↑歩行者信号用押しボタン
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↑外見は普通でも立ち入り禁止の建物が多い
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↑空き地では再建工事が始まっている
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↑ニュージーランドのパトカー
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↑トラムの停留所
 停留所にやってきたものの、電車がなかなか現れず、線路沿いを中心部に向かって歩いた。
 クライストチャーチは自転車がよく走っている。レンタル用の自転車もいくつか提供されており、QRコードから専用アプリをダウンロードすることにより30分までは無料、それ以上は課金というシステムになっているらしい。
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↑レンタル自転車
 トラムは地元の足ではなく、完全に観光客に特化したもので、車両の真ん中はオープンデッキになっている。さらに商店街の店先のギリギリを通ったり、アーケードの下をくぐり抜けるといった趣向を凝らしている。あえてスピードを出さず、終電装置もレトロなポール式を採用している。
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↑ニューリージェントストリートは店のギリギリを通る
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↑この先のアーケードを目指し
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↑アーケード内に電車が停まる
 観光用なので、秋になると17時頃に運転を終えてしまう。トラムの運賃は20ドル。これを買っておけば一日何度でも乗れるが、今は時刻は16時10分であと50分しか乗れない。しかし一回りするのは十分な時間だろう。
 アーケードの下にある駅に止まっている電車に乗り、年季の入った車掌から切符を購入する。この電車に乗って元の駅に戻るまで乗り続けることにした。このトラムに乗れば、ニューリージェントストリート、カセドラルスクエア、震災後にコンテナを仮設商店街にしたリ・スタート、追憶の橋、カンタベリー博物館と観光スポットを素早く巡ることができるのだ。
 8人ほどの客を乗せて出発。40分ぐらいで一巡りする。
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↑電車に乗り込む
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↑オープンデッキに座る
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↑リ・スタート
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↑カセドラルスクエア
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↑チェスに興じる人たち
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↑ニューリージェントストリートに戻る
 ニューリージェントストリートのKIWIというおみやげ屋に入る。全体的にテカポの店より安い。店員のおばさんも愛想がいい。
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↑お土産のぬいぐるみ
 地震で崩壊したカセドラル大聖堂の跡地を見に行ったあと、カードボード・カセドラルという仮説大聖堂に足を向けた。この建物は日本人建築家坂茂が設計した。もう暗くなっているし、道路を隔てての撮影となるのであまりいい絵にならなかった。
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↑倒壊した大聖堂
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↑仮大聖堂
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↑中でミサ?をやっていた
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↑街の中のオブジェ
 夕食はホテルザ・ジョージの中にあるペスカトーレ・レストランに行くことにした。ここまでニュージーランドならでは食事は全くしていないので、最後の晩くらいはラム肉料理で締めたい。
 ホテルザ・ジョージに着いて、レストランに入った。そこがペスカトーレだと思ったがそうではなくて、50 BISTROというホテル内で中級のレストランだった。ワインはロゼにして、前菜は省略。スープは日替わりにして、メインはラム肉のステーキにした。あとはパンを持ってきてくれと頼んだ。欧米ではパンと水はただ、と思っていたからである。
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↑ホテルザジョージ
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↑日替わりスープ
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↑ラム肉のステーキ
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↑パン
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↑コーヒー
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↑左手下層の灯りが50 BISTRO
 結構人気のあるレストランらしく筆者が飲み食いしている間にどんどん客が増えた。料理は見た目に多少の奇抜さがあるものの、とても美味しかった。人気があるはずである。パンはごく普通のを持ってくると思っていたが、ちょっと凝ったパンであった。すっかり満腹でとても勧められるようにデザートいただく余地はない。
 ちょっと離れたところに一人の白人の女性客がいた。楽しそうにギャルソンと会話している。一緒に食事したいと思った。
 ホテルに戻る。Twitterで時間つぶしのあと風呂に入る。
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↑当時のガソリンの価格
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↑ニュージーランドの通貨

9.いったんシンガポールへ
5月5日(木) 曇
 6時45分、枕元の日本ではほぼ見かけないTEACの目覚まし時計にあるUSBポートに差したSAMSUNGスマホの目覚ましが鳴って起きる。
 シャワーを浴びて頭を洗い、白いものが目立つ無精ひげを剃った。
 朝食は昨日買ったオートミールを食べ、何故か冷蔵庫にあった牛乳とインスタントコーヒーを飲む。オートミールとかビスケットは歯にカスが残るのが難点だ。
 このところ忘れ物を連発しているので念を入れて確認した。
 居心地のいいホテルなのでもう一日ぐらいいたいがそうはいかない。8時にチェックアウトする。
 はじめは空港と逆方向にあるZというガソリンスタンドを目指した。しかし市内方向は渋滞していた。歩道には通学の学生が歩いている。女子学生は緑のジャケットにタータンチェックのスカートで品性がある。小学生はスケートボードに乗っているのが多い。
 脇道に入ってコの字でターンするも、右折禁止でできず元の道を再び走り、ナビの指示通りに走ってようやく空港に向かった。途中BPで給油。ニュージーランドはセルフもあるが、入れてくれる場合もあるらしい。今回は2回入れてくれた。燃料計がなかなか満タンに針が指さず結構焦る。
 ナビの指示がどうもおかしい気がしたので、道路標識の通りに走った。確かに空港に近づいたが、途中で標識を見失って、わけのわからないところに出てしまった。やっぱりナビの指示通りが正しいのかと思い、そのようにしたが、空港からどんどん離れていき、どうやら重機のレンタル業者に向かっていた。ナビにクライストチャーチと英字を打ち込むのは面倒なので、スマホのグーグルマップに頼った。さっき通った道であった。環状交差点を間違えずに右に曲がれば、クルマを借りた場所に戻ってきた。
 オドメータ13341km
 空港を出発してからの距離857.7Km
 オアマルからの距離273.7km
 クルマを借りたときのおばさんが立っていた。小石が飛んできてフロントガラスが割れたと説明すると、「よくあることだ」という感じで処理してくれた。名前と電話番号、E-MAILアドレスとサインするだけでよかった。何やら複雑な権利が書かれているようだが私の英語力では理解できなかった。こんなトラブルもあろうかと、大手のレンタカーAVISを選んでよかった。さらば茶色のカローラ!でもEメールを聞かれたということは、もしかすると請求があるかもしれないとあとになって考えた。なにしろクレジットカードの番号はAVISがわかっているのでいくらでも請求できるからだ。
 チェックインカウンターには誰も並んでおらず、数分で手続き完了。預けた二つの荷物は関空まで届けられることを念押しした。
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↑空港出発ロビー
 ニュージーランドの出国申請書を記入。観光客の場合、名前とパスポート番号国籍を書くだけで、サインすら必要でない。
 保安検査はシンガポール航空の乗組員が優先。私よりあとに並んでいた中国人がそれを無視し、先に並んでいたことを暗黙の理由に前にいたアルバニア人を追い越した。ほとんど並ぶこともなく順調だった。ただペットボトルはだめで、飲んでから廃棄せよと言われた。喉は乾いていないが少しだけ飲んで捨てた。
 9時40分出国審査。34番ゲートに向かう。免税店のほか簡単な飲食設備だけ。あとはゲーム機があった。自販機の横を抜けるとVIEWING Deckというのがあったのでいってみる。ガラス張りの眺めの悪いデッキには警備員が二人座っているだけだった。事実上、喫煙室として使っているみたいだ。
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↑珍しい自販機
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↑出発ゲート
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↑ゲームコーナー
 乗り込みが始まっているゲートの前で、家に電話する。まだまだ前払いの通話料金が残っているので自宅に電話する。ちょうど朝食を食べているところだった。こっちの事情を知らないからこちらが長電話しようとしても切ろうとする。
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↑飛行機に乗り込む
 10時30分に乗り込む。機体はB777-200ERで3列X3。後ろに座席がなく、トイレも近い。隣は30代の白人夫婦。男はキウイがちりばめられたシャツを着ているからニュージーランド人ではないかもしれない。
 まずはドリンクが振る舞われた。ジンを頼んだが通じなかった。ジンはティーに、ウォッカはウォーターに聞き間違えられやすい。しようがないので赤ワインにした。
 12時30分機内食。フィッシュを選んだ。タイガービールにバニラアイスクリーム、チーズですっかり満腹になった。
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↑1回目の機内食
 ここでトイレに行く。13時30分、シドニー上空。隣の女性がB6程度の手帳に細かい文字でなにやら記録を始めた。その後男性も同じことを始めた。何者だろうか?
 かく言う私も機内ではポメラで旅行記の記述に専念した。どうやらバリ島は今日明日で書けそうにない。
 16時00分、飛行機がオーストラリアのど真ん中アリススプリングス上空に差し掛かったところで、時計をシンガポール時間に合わせる。ちょうど現地では12時00分である。あと5時間。ニュージーランドからシンガポールまで10時間とは長く感じる。
 14時00分ようやく隣の男がトイレに行った。女性はまだだ。あれだけアップルジュースを飲んでいるのに膀胱が大きいのか。
 15時00頃2度目の機内食。チキンを選んだ。チョコレートケーキが美味だった。再びワインを飲む。
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↑2度目の機内食
 トイレは結局4回行った。前の男は電子辞書をさわっている。電子辞書に「見出し語」という日本語を見つけた。彼は日本人だとわかった。
 赤道を越えた頃、16時40分、まもなくシンガポールに着陸とアナウンス。
 ニュージーランド時間ではもう20時40分である。アルコールも入り、さすがに眠い。着陸態勢では電子機器も使えないので、目を瞑り瞑想する。
 17時19分にチャンギ空港に着陸した。
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↑シンガポールに到着
10.シンガポール市内へ
 シンガポールではバリ島やニュージーランドで手に入れることができなかったNOKIAの端末を入手すべく、シンガポールに一時出国し、地下鉄で市内まで行くことにしていた。
 入国カードの滞在先はホテルに泊まらないので「TRANSIT SIGHTSEEING」と書いた。係官は帰りの航空便名を書いていた。
 こうして受託手荷物はそのままに、身軽な格好でシンガポール市内に向かうことにした。市内へ出るには地下鉄に乗るのが一番早い。シンガポールのSuicaといえるEZ-LINKは最終使用から8年を経過しているので、チャージは失効していた。改めて購入するために窓口に並んだ。中国人は機械で切符を買うのに慣れていないので、窓口に並んでいる。しかし窓口の人に「機械で買え」と怒られていた。
 その点私はez-LINKをスムースに買えた。12ドル。しかしシンガポールに来る機会は今後もそれほど多くない。ez-LINKを買うよりも普通乗車券を買うほうが無駄にならない。ちょっと考えが足りなかった。
 18時20分、地下鉄に乗った。隣に立っているビジネスマンをみると、LINEをやっている。胸にはブラックベリーを入れている。言語はタイ語のようであった。
 バリ島、ニュージーランドでもそうだが、スマホを使っているのを横目で見ると、一番多いのはメッセージ、その次にゲーム。そして動画である。これは日本でもあまり変わりがない。
 3回の乗り換えでFarrer Parkに着いた。シンガポールの地下鉄は日本と同じで乗り換え通路が長く、かなり歩かされる。ここに来たのは近くにあるムスタファセンターという何でも屋があって携帯電話が安いと聞いたからだ。万引き防止のため店外で鞄のチャックをインシュロック。店内に入ると、電話屋はすぐに見つかったが、品ぞろえが薄すぎる。スマホにしても大して多くない。これは期待はずれと思いつつも、店内を偵察した。むしろ食品の方が主力なのでは感じてしまうほど充実していた。低級百貨店というところか。
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↑ムスタファセンターのある通り
 失意のうちにムスタファセンターを出ると、目の前に携帯電話屋があった。そこにはNOKIAがあった。ついに見つけたとショーウィンドーを見る。しかし欲しいNOKIA301がない。隣も店にもNOKIAがあったが、そこにもなかった。大橋巨泉に似た店員に聞いてみた。すると彼はそれは古いモデルだといい、NOKIA230がおすすすめだ、と言った。しかしこれは使える電波はGSMのみで3Gには対応していないのではないかと思った。彼は手持ちスマホで「NOKIA230 vs 310」と入力し調べてくれた。すると230は3Gには対応していないことが明らかになった。しかし彼は粘った。私のソフトバンクのSIMを抜き取って、230に挿入し、電波を受信できるとアピールした。それは日本で使えることを保証できるものではない。しかしNOKIAの携帯電話を単にさわってみたい気持ちがあったし、日本で使えないと分かっても、ヤフオクで売却すればいい。第一何も買わなかったら、わざわざシンガポールに来た意味がない。そのように考えて私は購入に踏み切った。120シンガポールドルだった。日本円なら約9000円。カウンターの中に入って、クレジットカードのPINを入力した。
 20時40分、Farrer Parkを後にする。シンガポールの電車は座席が少なく、真ん中は撤去されている。帰りは別ルートで帰った。シンガポール地下鉄の地上駅では昔の風呂屋の脱衣場のように天井に大きな扇風機がある。
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↑シンガポール地下鉄の車内
 駅に着いた。EZ-LINKの残高を確認。13.28ドル。結局これは失効することになりそうだ。スカイトレインでチャンギ空港ターミナル3に到着。
 シンガポールを出国。わずか5時間ほどの滞在だった。チャンギ空港は旅客の利便性を考慮して、保安検査は各ゲート前で行われていて、出国するといきなり免税店で買い物ができる。
 22時30分、プライオリティパスの使えるラウンジに入った。ビュッフェがあるのでビール付きの食事。だがそれほど食べなかった。
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↑ラウンジで休憩
 それにしても眠い。クライストチャーチの時間からすればもう3時か4時なのだ。徹夜しているのと同じだ。目をつむってしまうと眠ってしまいそうだ。寝過ごして、飛行機に乗り遅れては大変なので、早い目にゲートに移動することにした。ゲートにいれば、航空会社の人が起こしてくれるだろう。そんなわけで17番ゲートに移動。関空に向かう便なので、日本人が過半数。しかも家族連れが多い。深夜だというのに子供たちは元気だ。
 0時25分、すでに保安検査が始まっている。ソファーに座り、買ったNOKIAの端末を使ってみる。最近のスマホではできなくなった電源オフ状態でからのアラームが鳴る。次に空港の無料Wi-Fiの登録。コード番号がSNSで受信できた。これでソフトバンクSIMが外国で他の端末で使えるのが分かった。
 もう少しいろいろ試したいが、もう出発時刻である。1時頃乗り込んだ。
 40H席。隣はタイ人の女性。パスポートでそれがわかった。機材はA330-300。
 1時20分、機体は動き出した。ここまで書いたところで眠気全開。耳栓にアイマスクをして眠りに入った。
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↑機内は日本人が多い

11.関西空港に到着
5月6日(金)
 日本時間6時45分。男性客室乗務員に左肩を叩かれた。機内食の時間である。朦朧とした意識の中、サーモンを選んだ。鮭の照り焼きは大きな固まりでこれは結構うまかった。隣のタイ人もそれを食べていた。
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↑機内食
 食べて目が覚めたので旅行記の執筆。
 8時15分、あと30分で着陸とのアナウンス。ここからは電子機器は使えない。機内でかつては禁煙の表示をしていたところは、そんなことは当然だろうといわんばかりにplease turn off electronic devices(電子機器の電源を切って下さい)という表示になっている。予告通り、右手に和泉山脈を望みながら、8時44分関西空港に着陸。
 ここで隣のタイ人が日本語で「シンガポールはお仕事ですか?」と声をかけられた。キーボードを叩いていた私を日本のビジネスマンだと思っても無理からぬこと。しかし彼女にとっては勇気がいることだったろう。「タイは日差しが強いです」。私がサムイ島に行ったことがあるというと、「日本人はあまり有名でないでないところにどんどんいくのですごいです。私はそんな勇気はなくてありきたりのところばかりです」と言っていた。もっと話をしたかったが、8時52分に接岸し話は終了。
 9時7分に入国。日本に帰ってきた。筆者の29回目の海外旅行はここに終了した。
 荷物が出てくるのを待っている間、スマホと携帯電話のセット。スマホはSIMが裏表逆に挿入されていた。もしかするとニュージーランドで動かなかったのはそのせいかもしれなかった。携帯電話はバリ島ではあれほど何回もSIMの再挿入を繰り返したのに、あっさりと電波を捕まえた。NOKIAに入れて使えるようにしたのがよかったのか。せっかくソフトバンクにどなりこもうと思ったのに、そうせずにすんだ。
 9時30分税関突破。衣類を入れた方の鞄を開けさせれた。中には食べかけのビスケットが入っていて「おみやげですね」といわれた。携帯電話については何も聞かれずホッとする。
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↑関西空港に帰ってきた
 南海電車でりんくうタウンへ。外は雨が降っている。駅の近くのシークルというショッピングセンターにある「りんくうの湯」へ行く。一度ここに来たかったのである。長旅の疲れを癒すのにちょうどいい機会だ。
 荷物は預かってくれた。客は5人程度だが、旅行者は少ないようだ。しかし帰るときにフロントを見ると10数個のトランクを見たから、あとからきたのかもしれない。素利用で620円、フルセットで970円の価値はあるとは思う。ただ泉質は平凡である。
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↑りんくうの湯
 自宅に戻ったのは12時過ぎだった。

12.ニュージーランドの印象
 ニュージーランドの滞在はわずか4日であった。本当はクイーンズタウンとかミルフォードサウンドとか行きたかったのだが、レンタカーに乗ることは既定路線だったので、クライストチャーチからクルマで無理なく行ける、テカポとマウントクックに絞った。テカポの星空は昼間に雨が降って星が見えるがどうか心配だったが杞憂に終わった。さすが晴天確率の高いテカポだと感心した。マウントクックの秋は晴天の確率が低いのだが、これもいい天気だった。1時間半のトラッキングなんて何ともなかった。海外旅行の場合、再訪が難しいので、天候に恵まれたのは幸運だった。あとはクライストチャーチの市内観光。半日しか観光できなかった主要なところは回ることができた。レンタカーから見た風景の美しさは忘れられない。ニュージーランドの魅力が十分に濃縮された旅行だった。ただ食事面はニュージーランドらしい料理を食べていないのでそれは心残りであった。

↓今回のニュージーランド旅行を15分でまとめた動画


バリ島ニュージランド旅行~序章篇~

バリ島旅行記2016 [旅行]

まえがき
 この旅行に行くことになった動機は「バリ島ニュージランド旅行~序章篇~」を参照して下さい。
バリ島ニュージランド旅行~序章篇~

1.まずはシンガポールへ
2016年4月27日(水) 雨
 仕事を終えた筆者は、トラブルに巻き込まれないように素早く帰宅し、関西空港に向かった。
 シンガポール航空の出発カウンターはH。列はさほどではなく、21時半に搭乗手続き完了した。まだ出発まで時間があるので3階を歩くも店は全て閉まっていた。
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↑関西空港出発カウンター
 入出国管理を突破するといよいよ日本を出国。ここからは日本であって日本ではない。免税店をブラブラ歩く。エミュレーツ航空のパイロットが札幌銘菓ロイズの生チョコのマイルドココアをまとめ買いしていた。口コミで美味しいことが広まっているのだろう。このマイルドココアだけが極端に減っていた。
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 その他誇らしげに「日本製」と貼られた電気炊飯器が並べられていた。この頃になると中国人の爆買いが収束していたので、物色する人はまばらだった。免税店巡りに飽きたのでシャトルで41番ゲートに向かいスマホで時間つぶし。Wifiが使えるがまことに遅い。床に目を落とすと、カーペットが汚れている。中国人の仕業か。
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↑「日本製」の電気炊飯器
 22時50分に機内に乗り込む。中の4列席の右側。隣はめがねをかけたシンガポーリアンの女性3人組。
 離陸前におしぼり。さすがシンガポール航空はサービスがいい。USB充電は当然としてヘッドホンは無料だし、機内設備も充実している。持ち込みDVDを見るための端子まである。
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↑飛行機に乗り込む
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↑充実の機内設備
 いつの間にか飛行機は離陸し、0時にはワインとピーナッツで乾杯した。といっても一人旅なのでグラスを持ち上げただけだ。旅立ちはうれしいものである。不安もあるが不安は押し殺すように酔って、まもなく眠りについた。
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↑ピーナツで乾杯

4月28日(木)
 日本時間3時50分。なにやらざわついて起こされる。アイマスクと耳栓効果で眠りは深かった。しかし眠いのは眠い。
 トイレは6分待ち。続いて機内食。ひざまずいたアテンダントが何を言っているのか聞き取れなかった。隣の女性客が「ソーセージ」と言ったので私もそうした。しかしワゴンにはなかったらしく座席に届けられたのは4時45分だった。
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↑機内食
 結果的にはソーセージにしてよかった。オムレツとポテトフライ。フルーツ。マーガリンでなくバターだった。アップルジュースはグラスだった。
 女性客には量が多いらしく残していた。もったいない話だ。世界の食料品の3分の1は食べられずに廃棄されているという。自分の老後の生活を考えたとき、残飯は家庭菜園の肥料にできないかと考える。
 機内照明が消えて、5時5分にシンガポールチャンギ空港に着陸。

2.シンガポールからバリ島へ
 まずはターミナル内無料Wifiのセッテング。スマホから電話番号を入力してSMSに送られてくるコードを入力すれば完了。
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↑チャンギ空港に到着
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↑床のパターン
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↑ターミナル内の日本庭園
 ターミナル2の店はこれから開店するところであった。ここでNOKIAなどの通話専用の携帯電話を手に入れるつもりだった。しかし家電売場にはスマホしかなく、しかも高かった。XPERIAが割と人気があるようだ。
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↑上から見た土産物店
 腕にはめていた電波時計の合わせ方がわからなかった。カシオのサイトをみると、説明書をダウンロードするには腕時計の裏の四角に囲まれた4桁の数字を入れよとあった。この数字が小さくてとても読みにくく、ダウンロードにとても時間がかかった。もう筆者も若くない。これからの旅行は老眼鏡か虫眼鏡が必要だ。
 時計を合わせるのに時間がかかり、バリ行きの保安検査が始まってしまった。7時20分にF50ゲートに向かった。保安検査はさほど厳重ではなかった。財布はポケットに入れたままでも反応せず。
 保安検査を終えるとガラス張りの部屋で待つ。ここには喫食設備などない。
 7時50分に乗り込む。さっきと同じエアバスA330-300だか微妙にシートピッチが狭いようだ。
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↑飛行機に乗り込む
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↑乗り込んだ飛行機
 座席は右通路側だ。隣はTシャツハーフパンツの白人男性で、私が座ろうとすると、軽く「ナウ」と言って先に座った。
 機体は8時35分頃に離陸したと思われる。はっきりしないのはその前に眠ってしまったからである。
 9時15分に機内食。今回はソーセージでなくシーフードを選んだ。ピリ辛で眠気覚ましにちょうどよい。
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↑機内食
 その後はインドネシアのガイドブックを読み、今日の行動を決定する。まずは両替してエアポートタクシーでウブドに向かうことにした。
 10時15分、間もなくバリデンパサールに到着するとのアナウンス。左後ろの日本人は花村満月の「惜春」を読んでいた。
 半時間後、飛行機の車輪が降りて、飛行機は雲の中に突っ込んでいった。バリ島が右手に見えた。10時53分、海に浮かぶ小舟に白波が寄せるのが見えると、デンパサール空港に着陸した。
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↑窓から見るバリ島(通路側から撮影)
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↑デンパサール空港に到着
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↑ターミナルビル
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↑床のパターン
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↑手荷物受け取り待ち
 手荷物はなかなか出てこず、スマホをいじる。無料のWifiがなかなか動作が安定せず、辛うじて自宅にメールを送れた。荷物をピックアップできたのは11時45分と遅かった。
 両替は空港のレートは悪いので1万円だけ両替した。1円=115ルピーである。大ざっぱにいって日本円の100倍と考えていい。
 まずはホテルを予約していたウブドまで移動しなければならない。はじめはホテルから送迎してもらうことを考えたが374000ルピーということだった。約3700円と高かったので、エアポートタクシーにしたのだ。事前情報では250000ルピーのはずだった。
 エアポートタクシーのチケットブースは到着ゲートを出てすぐにある。元々離れたところにあったのだが、タクシーの客引きが激しいのでここに移ってきたようだ。
 でも場所が違うように思えたので、いったん外に出た。タクシーの客引きを振り払うのが大変だ。
 やはりエアポートタクシーはここにしかなく、ウブドまで行ってくれというと、「フォーハンドレット・サウザント・ルピー」と言われた。つまり400000ルピーだった。これならホテルに送迎してもらった方がよかった。
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↑タクシーチケット売り場
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↑タクシーチケット
 売店を迂回するように外に出ると、青いポロシャツを着た運転手が待っていた。彼は荷物を引き取るとトランクに乗せた。チップを稼ぐつもりだろう。
 バリ島の天気はいい。私は英語は得意でないので会話が続かず、すぐに眠たくなった。
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↑ウブドを目指す
 バリ島は上空から見ると翼を閉じた鶏のような形をしている。バリ島の中心地デンパサールは、その鶏の足の付け根にある。筆者が目指すウブドは足からやや上にある腹の辺りになる。
 1時間半ほど走っただろうか。狭い道に入ったと思ったら、そこがウブドであった。予約していたChamplung Sari Hotelは猿の住むモンキーフォレストの近く、ウブド中心部の南端に位置する。急な坂を下り、もう一度登るとホテルがあった。運転手はチップを公然と要求。そのとき持っていた最も小額紙幣が20000ルピーだったのでそれをあげた。高い運賃に余計なチップで私のバリ島の印象は悪くなった。

3.ウブド散策と舞踊鑑賞
 Champlung Sari Hotelは南国らしい開放的な雰囲気で、客室はコテージとして独立している。レセプションで手続きしていると、ウェルカムドリンク。ただのオレンジジュース。一気に飲み干す。今回はアップルワールドで予約していたのでバウチャーを見せ、宿帳に書くだけだ。
 ペルボーイが部屋に案内してくれる。ちゃんと門があって外にバルコニーもある。
 ドアは内側の鍵もキーを使って閉める珍しいタイプ。これは初めて見た。バスタブがあるのはいい。ただしヘアドライヤーがない。あと客室金庫もない。
 タオルがどこにあるのかと思ったら、ベッドの上に鶴の形に畳んであった。さすが芸術の島バリ。芸が細かい。
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↑ホテル入口
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↑コテージの門
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↑さらにドアがある
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↑タオルはこんな感じ

 とりあえず外出する。外は暑い。日本の7月のようだ。ホテルに面している道路はモンキーフォレスト通りという名で、一方通行で比較的交通量が少ない。しかしバイクが多いので渡りにくい。レストラン、サークルKのようなコンビニ、観光案内所、伝統工芸品など何でもありそうだ。この旅行ではノキアの音声専用端末を手に入れるという目的があった。そんなわけで電話屋を探すが、この通りにはなかった。
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↑モンキーフォレスト通り
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↑サークルK
 徒歩圏内で行ける観光地としてまずはウブド王宮に行く。何やら工事中で興ざめしたが、あとで聞いた話ではこれは葬式の準備らしい。
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↑ウブド王宮
 その後また北上し電話屋を探す。持ってきた「地球の歩き方」の地図は誤りが多いので、王宮近くの観光案内所に入る。地図は有料のようだ。カウンターの人に無料のはないかと聞くと、広告だらけの冊子を手に取り、このページを見よと、地図を示した。
 もうすぐ郊外に出ようかという丘を越えるところに、辛うじてAppleの店があったが、それだけだった。フィリピンでは電話屋は簡単に見つかったのにどういうことだと思いながらも、とにあえず本日の電話購入は諦めることにした。
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↑唯一のappleショップ
 プリ・ルキサン美術館PURI LUKISAN MUSEUMに入る。手持ちの古いガイドブックには入場料が50000ルピーとあるが実際は85000ルピーであった。その物価上昇の感じからするとさっきのタクシーチケットが値上がりになっていても不思議ではないと考えた。
 美術館は一つ一つ丁寧に見ていくと時間がかかる。最後の方は飽きたが、まあバリ美術はこういうものだというのはわかった気がする。木琴のような楽器を館の前で演奏していた。
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↑プリ・ルキサン美術館
 今夜ウブドクロッド集会場でバリ舞踊があるのでそれに行くことにして、まずは腹ごしらえだ。日本語メニューがあるというDIANという店にした。日本式にA、B、Cセットがあって、私はBにした。計量カップのようなコップに紅茶が入っていて驚く。料理は要するにフライドチキンだった。しかしなかなかの味でこれが400000ルピーだからむしろ安いといえる。
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↑本日の夕食
 少し早いが集会場にやってきた。地球の歩き方によると、ここで舞踊を披露するのはリッタデウィとし「リッタ・デウィはウブドで一番ホットな公園を見せてくれると評判。伝統舞踊やコンテンポラリーの踊り手として国内外で活躍中の女性舞踊家デウィさんが率いる新進気鋭のグループでメンバーはスターぞろい」とある。チケットは門の露天で売っている。大きな札しかなかったので、おじさんのポケットマネーからお釣りが払われた。
 開演は19時30分と時間があるので、サッカー場まで歩く。サッカー場とはいっても空き地に芝生というか雑草が生えているだけだ。しかしここは子供たちが実際にサッカーをしているから紛れもなくサッカー場である。
 多くの店の前の道端にはお供え物の花が落ちている。今でもバリ島の人々にとってバリ・ヒンドゥの信仰は生活の一部となっているのだ。
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↑お供え物の花
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↑朽ち果てた公衆電話
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↑奇妙な形をした土産物

 18時50分、集会場に入る。入り口にいた女の子が、筆者の帽子に小さな水仙のような花をつけてくれる。
 舞台裏を通って客席へ。客席は黒いパイプ椅子。先客は白人の夫婦二人だけだ。しかし前列は予約の紙が貼っていたので、まだ来るはずである。 講演の開始時刻が近づき、最終的には20人ぐらいの客だった。これはきっと少ないほうだろう。
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↑ステージ
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↑客席
 19時30分、腰巻きをつけた男性の楽団がガムランという民族音楽を奏でだした。
 最初はペンデットという女性4人組による花まき踊り。歌舞伎の三番叟のようなものか。続いてはバリスという青年男子の戦士の踊り。肩を上に上げ、足をがに股にして、歌舞伎の六法を踏むような動きをする。その次にレゴン・クラトンとい女性3人による優美な踊り。最初にチョンドンという女官を演じる一人の女性が踊り、そのあとにラッサム王とランケサリ妃を扮する女性二人が踊る。最後の女性4人の踊りは分からないが、頭に動物の耳のようなものをつけていたからトペンの一種かもしれない。踊りには物語があるのだが、日本舞踊のそれも理解できない私が、バリ舞踊のそれを理解できるはずはない。ただカッと見開いた瞬きもしない目の動き、ピンと伸ばしたまま複雑な動きをする指先。バリ舞踊の魅力は理解できた。見るだけの価値はあったと思う。20時20分に終了。
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↑バリ舞踊(動きがないと面白くない)
 観劇の帰りにコンビニでアンカーというビールとKACANG KULITという南京豆と胃腸を整えるためのブルーベリーヨーグルトを買った。
 部屋でそれを食べる。南京豆を剥くと日本のそれのように甘皮がない。食べるのは便利だが味は少し落ちる。
 まもなく酔いが回って、疲れた身体を横たえた。
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↑晩酌用食材

4.バリ島をバイクで駆ける
4月29日(金) 晴
 7時起床。朝食はレセプションとは反対側の別棟で、ドアは昆虫や小動物の進入を避けるために常時閉まっている。朝食用のクーポンを渡す。
 窓際の席は白人観光客に占領されていたので、中段に落ち着く。ヨーグルトが見あたらないが、一通りのものはそろっているし、味も十分だ。
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↑朝食会場
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↑ビュッフェの朝食

 部屋に戻ると、ベルボーイに声を掛けられた。日本語が少しできるようだ。今日は自転車で散策するつもりだったので、レンタル自転車の店はどこにあるかと聞いた。この下のモンキーフォレストの下にあるといったが、ウブドは坂が多いので自転車よりバイクがおすすめだ、そのバイクなら一日600000ルピーだと説明した。
 その後ロビーで地図を開いていると、またそのベルボーイがやってきて、観光ならタクシーを雇った方がいい、と言ってきた。
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↑ロビー
 検討の結果、バイクを借りることにした。周辺の散策よりもバイクで遠くまで行こうという話になった。しかしほぼ一本道で行けるキンタマーニは明日オプショナルツアーで行くので却下。デンパサール方面は渋滞に突っ込みに行って事故をもらうと嫌なのでこれも却下。結局世界遺産の棚田ジャテルウィを目指すことにした。ただ問題は地図で見てもかなり複雑なルートを通る必要があるということだ。この筆者のスマホ契約ではインドネシアではローミングができないので使えない。つまりはグーグルマップが使えない。慣れない外国で道路標識も十分でないバリ島で目的地まで行き着けるのか不安に感じていた。
 10時15分、バイクに乗って出発。バイクというよりスクーターで、青いホンダのVARIOという車種だ。排気量は125ccらしい。ヘルメットは貸してくれた。免許の確認はしなかった。そもそも免許は必要ないのかもしれない。インドネシアは左側通行なので、さほど違和感がない。ただしクルマの運転は荒いので注意しなければならない。s-IMG_3986.jpg
↑借りたバイク(HONDA VARIO)
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↑沿道風景(どこなのかは不明)
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↑使ったGPSロガー
 最初は順調だったが、途中で怪しくなって、引き返した。あとでGPSロガーを見てみると、Mengwi付近のかなりいいところまで行っていた。そのまま西に向かえば目的地にたどり着いたかもしれない。
 引き返しを決めたのはいいが、今度は来ていた道が分からなくなった。かなり北のサンゲェSangheに近づいてようやく誤りに気づいた。ガソリンはもともと半分しか入っていなかったので、給油した。並んでいるバイクのあとについて待つ。給油は店の人がやってくれる。インドネシアは産油国なのでガソリンは安い。ガススタでトイレも借りる。便器の外に水を溜めた桶がある旧式だった。
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↑ガススタ
 14時15分頃、クモンKumonの水色の看板を見かけた。日本の算数塾はインドネシアまで進出しているのか。
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↑算数塾KUMON

 完全に迷子になりどうしようもなくなり、近くの携帯電話屋に駆け込んだ。やっぱり電話は諦めていなかったので、まずはNOKIAの端末があるか聞いた。するとNOKIAよりSAMSUNGがおすすめだとスマートホンを持ってきた。通話専用のはないのかと聞くと、中国製のがあった。試しに手持ちのSOFTBANKのSIMを入れてみた。画面が乱れ、電波を捕まえれないようだ。
 最後にここの現在位置を聞いた。彼はスマホのグーグルマップを起動させた。現在地はたちどころにわかり、ウブドまでの道も分かった。意外に近くにいる。その地図をカメラに撮った。これで帰れる。チップをあげて退散。
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↑筆者はここにいた
 まもなくタクシーでウブドに来るときに通った道にでた。これでほぼ間違いない。
 もう15時だが朝食で隠し持ってきたチーズを口にしただけで、ほとんど何も食べていない。COCOMARTというスーパーを見つけた。そこでトーストと牛乳、アイスクリームで栄養補給。ここで問題発生。スクーターの鍵穴をふさぐシャッターが開かなくなったのである。実はこのシャッター機能のあるバイクに乗るのは初めてだ。解除方法は悩まされた。10分ほど悩み、キーについている六角形の型をキー穴に差し込んで回せばいいことがわかった。
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↑入ったスーパー
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↑初体験のシャッター付き鍵穴

 問題は解決したが、渋滞に遭遇。車がバックしようとしているのに、我先にとクルマがすり抜けていくのが原因だった。誘導員もいるがまるで役に立っていない。
 その5分後モンキーフォレストにやってきた。そうホテルに帰ってきたのである。
 情報によるとここからやや離れたところにあるプリアタンPeliatanに電話屋が並んでいるというので行ってみた。ある確かにある。ただしSAMSUNGの看板をあげているのが多い。NOKIAと書いている店に入ってみる。お目当てのNOKIA301はなく低級の105しかなかった。これは日本では使えないのがはっきりしている。結局バリ島では目的のNOKIA端末は見つからなかった。
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↑唯一NOKIAがあった店
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↑無駄が多い本日のバイクの動き(ループしてます)
 16時40分ホテルに戻る。その足でモンキーフォレストの猿を見る。猿は人見知りはしないので近づいてくる。

↑モンキフォレストの猿
 このホテルにはプールがある。かなり深いのと浅いのがある。深いのは水が常に補給されて、温泉の源泉掛け流しのような状態である。白人のグループがプールサイドでくつろぐのを横目で見ながら、ひたすら背泳ぎで泳ぐ。20分ほど泳いだ。プールからあがるとさっきのグループからシャッターを依頼された。
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↑ホテルのプール

 風呂に入って、19時前に町に繰り出す。モンキーフォレストを通り過ぎたところにあるPETANIで夕食。Pork RibとGoatCheese。それと赤ワイン。これが結構旨かった。目の前にステージがあるが、今日のシンガーは来ないのか片づけられようとしていた。
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↑本日の夕食
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↑演奏されることのなかったステージ
 スーパーで買い物して21時15分ホテルに戻る。
 BINTANというビールとアーモンドで晩酌。日付が変わる前に寝る。

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↑スーパーの品揃え
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↑夜のウブドの街(刺青屋)

5.キンタマーニなどバリ島観光ツアー
4月30日 曇
 7時前に起きた。ソフトバンクの携帯電話の電源が切れていた。おかしいと思って再投入すると、SIMカードが入っていないとのこと。しかし何度も抜き差ししたものの、ダメだった。もしかすると、昨日、携帯電話屋で中国製の安い端末にSIMを挿入したことにより、おかしな情報が書き込まれたのかもしれなかった。
 説明を忘れていたが、筆者の携帯電話は2台持ちで、1台は格安SIMの入ったスマホ、もう1台は音声通話のみのソフトバンクのガラケーである。格安SIMの場合、海外でのローミングができない(と思う。もしできたら教えてほしい)ので、海外でプリペイドSIMを買って、現地の電話会社の電波を捕まえる。ガラケーの方はソフトバンクのままローミングで使う。電話料金が高いし、着信でも料金が発生するので、これは緊急用としている。
 8時15分にチェックアウト。
 今日はVELTRA社を通じて「ブサキ寺院+ティルタエンプル+ゴアガジャ遺跡 パワースポット貸切観光ツアー<現地ガイド日本語可/キンタマーニ高原絶景レストランのインドネシア料理食べ放題ランチ>」ツアーを予約してあった。バリ島のヒンドゥー教に関する主要な観光スポットとキンタマーニ高原を巡り、空港まで送ってくれる。特に私はバリ島に行ったらキンタマーニに絶対に行こうと決めていた。その理由は簡単で名前が非常に印象的だからである。男ならば絶対行かねばと思った。
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↑この日の観光ルート
 8時25分、ツアーのガイドさんに流暢な日本語で話しかけれた。
 ツアーの客は私だけで、つまり貸し切りツアーである。運転手さんとガイドさんはどちらも男性。ガイドさんはブリーさんという。「魚のブリで覚えて下さい」とのことだった。いや本当の発音は違うのだが、覚えやすいのでそうしてもらっているという。
 ウブドのモンキーフォレスト通りを北上する。一昨日昨日と散々歩いたところだ。
 クルマはスズキのAPVという車種で、これはスズキが東南アジア向けに開発したもので日本では走っていない。このバリ島ではごくまれにドイツ車や韓国車を見かける程度で、ほとんどすべてといっていいほど日本車だ。ただしオートマチックミッション車はまだ普及しておらず、一昨日のタクシーも今日の送迎車もマニュアルミッション車だ。
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↑スズキAPV
 8時40分、まずはゴア・ガジャ遺跡Goa Gajahにやってきた。
「ゴア・ガジャ」は「象の遺跡」という意味であるが、バリ島には象は生息しておらず、動物の象を指すだけではなく「大きいもの」も意味することから、「大きな洞窟」と名付けられたという。
 細い階段を下ると泉が見えた。バリの人たちはここで身を清めるのだという。しかし水の流れがないので苔で満たされ汚れている。
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↑身を清める泉
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↑洞窟
 続いて顔の形をした洞窟の中に入る。香の臭いがたちこめる。その奥の方にお地蔵さんのような彫刻がある。それには赤、黒、白の布が掛けられている。この赤黒白はヒンドゥー教で重要な色で、それぞれ次のような意味がある。
赤  BRAHMA ( ブラフマ )
     火と創造の神様  生き物を作る

 黒  VISNU ( ヴィシュヌ )
     水と維持・繁栄の神様  生き物を守る

 白  SIVA ( シヴァ )
     風と破壊の神様  生き物が増えすぎないように破壊する
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↑お地蔵さん?のようなもの

 境内には大きな木がある。その木には精魂が宿っているという。こういった信仰は日本の民間信仰と同じだ。
 白人の観光客は腰巻きを巻いている。この腰巻きはサロンといって、こういった神聖な場所では肌を露出することは厳禁なので、短パンを履いている人はこれを身に付けさせられる。
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↑何の木がわからないけど大きな木

 9時24分、ティルタウンプル寺院 pura tirta Empulに着いた。ティルタエンプル寺院(ティルタウンプル寺院・Tirtha Empul)は、ウブドの北、タンパクシリンにある寺院で「聖なる泉が沸く寺院」として、有名である。伝説によるとこの寺院に沸く泉は962年に発見され、魔王マヤ・ダナワと戦ったインドラ神が、大地を杖で突き不老不死の水アメルタを沸きださせた場所とされている。
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↑入口にある貸し出し用のサロン
 寺院の外には、寺院内に沸く泉の水を引いた沐浴場があり、祭礼の時には多くのヒンドゥー信者がここで沐浴(ムルカット・清めの沐浴)をし、寺院でお祈りを捧げる。また、この泉から沸く聖水は、無病息災の力があると信じられており、ペットボトルやポリタンクを持って聖水をいただきに来る人も多くいる。
 バリの人たちにとってはパワースポットであり、実際腰まで水に浸かりながら、湧き出た聖水を浴びている。合計20箇所くらいで水が湧き出ているが、それぞれで叶えられる願いが違うという。
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↑沐浴場
 別のところでは地元の人たちが何か祈祷をしている。白い衣装はバリ人の正装だが、ヒンドゥー教の僧侶もそれを着るという。ちなみに僧侶はここでは暮らしておらず、必要な時にやってくるという。この場所には我々観光客は入れない。
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↑只今祈祷中
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↑立ち入り禁止の看板
 ふと山の上を見ると、立派な近代的な建物がある。これは大統領の別荘だそうで、小泉元首相もここに招待されたという。
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↑大統領の別荘
 10時、SW AGROという観光向けのコーヒー農園にやってきた。ここではコーヒーの無料試飲がある。しかし最大の目玉はジョコウネココーヒーだろう。私は全く予備知識がなかったのだが、ジョコウネココーヒーとはluwak coffee(ルアク・コーヒー)ともいわれていて、完熟したコーヒーの実を食べた野生のジャコウネコの糞から採取される、未消化のコーヒー豆から作られたコーヒーである。ジャコウネコが食べたコーヒーの実の果肉部分は消化されるが、コーヒー豆になる種子の部分は消化されずに糞とともに排出される。このコーヒー豆がジャコウネコの腸内の消化酵素や、腸内細菌による発酵作用によって、独特な香りと味わいになるという。メスよりもオスの方が高く、また飼育されたネコより野生の方が高いのだそうだ。ちなみにネコといってもジャコウネコはイタチに近い。ジョコウネココーヒーは東京で飲むと1杯8000円はするという。
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↑ジャコウネコ
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↑これがジャコウネココーヒー
 しかしここでは約500円で飲めてしまう。ちなみにオスだと800円だが、そこまではいらないと思ったのだ。
 眺めのいいテラスで小分けされたコーヒーを飲む。筆者はコーヒーとか紅茶は大好きなので、全部飲んだ。だが中には甘いのもあって閉口した。
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↑小分けされたコーヒー
 さてジャコウネココーヒーはサイホンにより抽出される。これは本格的だ。飲んでみると、さすがにコクがあって美味しい。問題があるとすれば、あくまでウンコなので特に女性に抵抗があるのではということ。この農園は日本人ご用達らしく、他にも3グループほど日本人観光客がやってきている。3人の年配の女性グループはジャコウネココーヒーを飲んでいた。気にしない人は気にしないのだ。
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↑ジャコウネココーヒー
 ブリさんと少し話をする。最近は日本人観光客がめっきり減って、仕事が減ったという。職を変えようかと弱気なことをいっていた。これは自分にはどうすることもできない。
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↑ブリーさん登場
 インドネシアのスマホがサムスンが多い。ブリーさんのはマイクロソフト、つまりノキアである。彼はミクロソフトと言っていた。あと日本ではほとんど見かけないブラックベリーも健闘している。
 さてジャコウネココーヒーをお土産にと思ったが、やはり元がウンコと知った時点で特に母などは拒絶反応をするのが目に見えていたので購入を見合わせた。
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↑いよいよキンタマーニへ
 さらにクルマを走らせた。11時、ついにキンタマーニにやってきた。 このあたりは標高1500m。涼しく感じる。Batur Tengah通りにある展望台からバトゥール山が見え、麓にはバトゥール湖が広がる。バトゥール山は富士山に似ている。これは絶景といっていいだろう。しかし物売りのオバサンがうるさく興ざめする。徹底無視する。しかしガイドさんが彼女から果物を買って、私にくれた。ブリーさんによるとキンタマーニとは「北にある湖」という意味らしい。この湖はバリの人々の水甕である。
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↑ここがキンタマーニだ
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↑物売りから買った果物
 11時49分、ブサキ寺院pura besakihにやってきた。五重の塔のような建物があって何か日本の寺院と雰囲気が似ている。それもそのはず、ブサキ寺院は、もともと8世紀ごろまでは仏教徒の修行の場であったという。隆盛を極めて衰退した後、20世紀に入った頃から復興が進んでバリヒンドゥー教の聖地となり、多くのバリ人の心のより所となった。今も重要な祭典などもこの寺院で行われ、お供え物を頭に乗せて参拝する人が絶えない。その賑わいを見るためにバリ島の代表的な観光地となっているのだ。
 ここでは午前中に行ったゴア・ガジャでもそうであったが、バリのヒンドゥー教で信じられている破壊神シヴァ、繁栄神ヴィシュヌ、創造神ブラフマのヒンドゥー三大神が中心に祀られている。それぞれの神を意味する白、黒、赤の3色の幟がはためいている。この日も何か分からないが法事のような行事があるらしく、どこかの家族か一族か祈りを捧げていた。
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↑プサギ寺院
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↑お供え物
 バリ島の人は日本人と同じでお祭り好きだなと感じた。ブリーさんによると、最近はバリ人も会社勤めの人が増えて休みが取りにくくなり、こうした行事が平日にやりにくくなってきたという。これは日本も同じだ。
 またここは特に神聖な場所であるので、異教徒の私はジーパンであってもサロンを巻くことになっている。これはガイドさんが用意してくれていた。12時17分にそこを去った。
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↑寺院外ではサロンを売っている
 12時37分、Mahagiri Panoramic Resort & Restaurantにやってきた。ブリーさんによると「田圃を見ながら食事できます。大統領もお気に入りです。」と言っていた。昼食は出発後にキンタマーニかここかどちらでも選べる融通の利くツアーで、私はこちらを選んだというわけだ。
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↑レストラン入口
 席は一人掛けのテラス席が用意されていた。ウエイトレスがやってきて飲み物は何になさいますかと聞く。コーヒーと紅茶はツアー料金に入っていて無料だがそれ以外は有料なのだ。私はミックスジュースを頼んだ。ツアーの説明ではインドネシア料理ということで、ナシゴレンやミーゴレン、チャンプルやサテといったものである。ビュッフェなので好きなだけ皿に盛っていい。まあ無難な味で特筆すべきところはないが私には十分である。隣はオランダ人の夫婦。何故かこのレストランは白人と日本人が中心で、中国人が少ない。道理で上品な感じがするはずだ。このままこの路線を続けて欲しいものだ。
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↑店内
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↑料理
 さて景観だがなんといっても棚田が見事だ。棚田は日本にも存在するが、このバリ島は温暖な気候と豊富な水のおかげで年間に3度稲を収穫できる三期作にできる。だからほとんどの時期で青々とした稲を見ることができる。ただし、棚田の見栄えをよくするために、三期作とするのは農家にとっては負担になるので、政府が補助金を支給しているという。
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↑棚田
 13時37分に出発。
 対向車が来たらどうするの、という感じの細い山道を下り、トゥガナンTengananにやってきた。ここはバリ島の原住民が渡来した仏教やヒンズー教に改宗するのを拒んだ人々が、集団を形成して、異教徒との交流を避けて生活していたところだ。ただ、時の流れは逆らいようもなく、この村だけで自給自足の生活は難しくなり、周辺のバリ人との混血が進み、村人の生活も変わらなくなっている。
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↑細すぎる道
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↑トゥガナン
 村は階段状に建物が造られていて、全体として素朴な雰囲気である。ただテレビアンテナは立っているし、おそらく携帯電話も持っているだろうし、子供はバイクを乗り回している。村の人口は減っているらしく、静かな雰囲気である。
 この村の収入源はアタと呼ばれる籐製品や、ダブルイカットと呼ばれる独特の高級織物である。しかしここで売られているものは値札はなく、おそらく観光客にはふっかけるつもりなのだろう。実際あまり売る気はないらしく、その商品の多くは埃をかぶっていた。薄い木の皮にキズをつけて黒曜石で色づけした巻物は、村人でデモンストレーションしてくれている。バリ島の地図やバリヒンドゥのアイコンなどが描かれていて、食指が動いたが、どうせふっかけられるだろうし、一度見ただけでどこにいったかわからんという多くの土産物のひとつになる可能性大なので、写真を撮るにとどめた。
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↑バリマップを作った
 本来のツアーの日程では、このあとはどこか適当なレストランで食事をしてからバリ舞踊を観劇して、ホテルへ送ってもらって終了となる。しかし私の日程は22時発の飛行機に乗らねばならず、20時に空港に着いていなければならない。そもそもバリ舞踊はすでに見たし、夕食は空港のラウンジで済ますつもりだった。
 海沿いの道を走りながら、ブリーさんは「どこに行きましょうかね~」という。このままだと17時前に空港に着いてしまう。私はバリ島の最南端の岬に行くことを提案したが、そこに行く時間はないという。それに提携している店があるので、どこでも自由に行けるというわけではないらしい。
 そこで考えたのがマッサージである。バリ島といえば、特に女性の間ではエステが人気がある。私は男性なので肌の荒れは、歳のせいだと簡単に片づけられるので全く気にしないが、まあマッサージならいい時間つぶしなるのではないかと、ブリーさんに提案して了承された。
 クルマが走っているところは、バリ島随一の主要幹線道路で夕方ということもあって渋滞気味である。バス停は何故か駅のプラットホームのように高いところにある。
 16時45分、それでも時間が余るので、ギャラリアという免税店に寄ることにした。かつてはこうした免税店はブランド物を買い漁る日本人女性であふれていたが、今や中国人だらけで日本人はいるのかどうか分からない状態だ。免税店であるので、地元の人は買い物できず、航空券とパスポートを示し登録する必要がある。
 免税といっても高級品なのでTシャツ一枚買っただけだった。これがバリで買った唯一の土産物となった。
 ここでは30分の買い物した。
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↑バリ島のギャラリア
 ギャラリアからわずか3分走ったところでクルマが停まった。どうやらここでマッサージをするらしい。Galuh Bali Spaという店であった。
 入り口は日本の鳥居のようになっていて、JCBカードが使える。つまりターゲットは日本人であることを示している。こういうところは清潔で安心感はあるが、品質は中級程度であることが多い。
 マッサージは一番安い60分コースにした。今から思えば90分にしてもよかったが、ブリーさん達を早く解放させたいと思ったのだ。
 料金は先払いである。クレジットカードのブランドはJCBしか表記されていなかったが、ブリーさんが何でも使えるはずといったとおりの結果で、VISAでも全く問題なかった。
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↑入口
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↑待合
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↑日本語の注意書き
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↑マッサージのベッド
 ブリーさんに写真を撮ってもらったりして待っているうちに、マッサージ担当者とおぼしき女性が現れた。
 ベッドとシャワーのある小部屋に案内されると、ガウンに着替える。盗難防止のため、着替えはロッカーに入れ、鍵は身につけておく。マッサージ中は身動きがとれないので、これは必要な措置だろう。
 マッサージ自体は平凡で、日本で受けたタイ式マッサージの方が利いている感じがする。技術からすると4500円という値段設定は高い印象だ。マッサージを終えるとシャワーを浴びた。しかしヘアドライヤがないので、その旨をつたえると、別の部屋に連れて行ってくれた。ただしブラシがないので、手櫛となりヘアスタイルは絶望的になった。
 18時39分、ブリーさんお待たせしましたと、クルマに乗る。
 19時前空港着。ブリーさん達に別れを告げた。もう少し感動的なお別れをしたかったが、非常に素っ気ないものになった。
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↑ここでブリーさんとお別れ

6.さらばバリ島
 デンパサール空港はヒンドゥー教のイメージなどないほど、とても近代的だ。
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↑出発ゲート
 ヴァージンオーストラリア航空のブリスベン行きのカウンターはすでに長蛇の列ができている。
 ようやく筆者の番が来た。このヴァージンオーストラリア航空のブリスベン経由のクライストチャーチ行きは、Tripstaという代理店を経由して手配した。メールには、「この領収書とパスポートをチェックインカウンターにお示しください」とある。しかしこの日本語が係員が読めるのかと疑問に思っていた。案の定、係員は英語のはないのかという。こんな場合に備えて、出発前にヴァージンオーストラリア航空のウェブサイトにアクセスして英文搭乗者情報を印刷してあった。しかし私が英語の部分と予約番号を指し示すことで理解できたらしく、英文資料は出番がなかった。
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↑出発カウンター
 チェックインが完了したのは19時55分。空港に来てから1時間を経過していた。
 保安検査と出国審査を抜けてセキュリティーエリアへ。非常にきらびやかで、シンガポールのチャンギ空港よりは落ちるものの、関空よりは雰囲気は上だ。
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↑ターミナルビル内
 紙幣はすべて日本円に両替した。バリ島ではみやげを買うつもりはなかったので、本屋でニュージーランドの道路地図を書った。小銭をここで一部を残してすべて使い、残りはクレジットカードで払った。ここで買った地図は、現地ではGPSナビやスマホが活躍したので出番がなかった。
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↑この日の為替レート
 20時45分、中2階にあるラウンジに入った。プライオリティパスの使えるラウンジは今やお金を払えば利用できるところであり、高級感は全くなくなってしまった。しかしこれはある意味当然である。
 さてここでは食事をするつもりだった。しかし昼食を食べ過ぎたせいかあまり食欲がわかず、少し食べただけにとどまった。
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↑ラウンジ
 ここでは何をしていたのか思い出せない。書き物をしていたような気もするし、繋がりの悪いWifiに悪戦苦闘しながらスマホをいじっていたのかもしれない。
 21時35分、10番ゲートにやってきた。ゲートにはおそらくオーストラリア人と思われる人たちが椅子に座ったり、床にジベタリアンしながら待っている。家族連れも多い。
 飛行機は沖止めでランプウェイバスで移動する。ちょうど私のところでバスは満員となってしまい、立って待っていなければならなかった。深夜とはいえ発着数が多く、業務用車両が右に左に動いている。
 待つこと15分、やってきたバスに乗る。
 暗闇にVirsinの赤い垂直尾翼が浮かんでいた。タラップは2本あって、私は後ろから乗るように指示されていた。
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↑ヴァージン航空機
 機体はボーイング737-800で左右3列ずつ。筆者は通路側で右隣は赤ちゃんを連れた若い夫婦であった。窓側の男性が子供を抱き、母親は希望者に配られたWifi端末で機内エンテを楽しんでいた。
 機内は消灯し紫色の光が妖しく輝いていた。22時15分に離陸した。
 機内はほぼ白人という感じでまるで異物のような日本人は私だけのようであった。
 一秒でも早く寝たい気分だが、飲み物のサービスが始まるまで座席を倒すこともできない。
 23時に機内食。朦朧とした意識の中で食べた。
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↑白人が目立つ機内
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↑機内食
 食べ終わるとすぐに睡眠に入った。
 さらばバリ島。

 続きは「ニュージーランド旅行記2016」をお読み下さい。
ニュージーランド旅行記2016


7.バリ島の印象
 筆者は2009年の極東ロシア旅行記に書いたように、バリ島への航空券を購入しながら「求めているものがそこにない」という理由で、キャンセルした経緯がある。それなのに何故バリ島に興味を持ったかといえば、2015年のフィリピン旅行がきっかけだ。そこで一緒に泊まった日本人客から「バリ舞踊は見るべき価値がある」と言われたからだ。それ以来「そうなのか」と思いつつバリ島へ行く機会を伺っていたのだ。
 そうして、やってきたバリ島だが、最初に割高なエアポートタクシーに乗ったので、もう一つ印象が悪かった。しかし時間が経つとなかなかいいところだと思うようになった。昼間は暑いが夜は涼しいし、物価が安い。左側通行や宗教的概念など何か日本とよく似たところがある。インドネシアで最初にリゾート開発された島なので、観光客を扱い慣れているので、リゾートで長期滞在にも適していると思われる。その芸術性に魅せられて白人の移住者も多い。正直、筆者もここで暮らしてもいいとも思った。
 ただクルマの運転が荒いのと、社会インフラが清潔感に欠けることが難点だ。それに医療の面はどうしても不安を感じてしまう。さらにブリさんによると地震は結構あるらしい。やはり暮らすとなると日本人は日本で暮らすのが一番いいようだ。
 当初予定にはなかったことであったが、バイクで走り回ったのは面白かった。結局目的地には到着しなかったが、どうしても到着しなければならないところではなく、とりあえずの目標だったから問題はない。帰国後、125CCのスクーターの魅力にとりつかれ、購入を検討することとなった。
 このバリ島旅行はニュージーランドの日程を削ってでも来た価値はあったと思う。次回は豪華なリゾートホテルでのんびりしたいものだ。海辺でデッキチェアに座り、トロピカルアイスティーを飲みながら本を読む。そんなことを夢想している。



バリ島ニュージランド旅行~序章篇~ [旅行]

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↑左=バリ舞踊 右=ニュージランドテカポの夜空

 2016年5月の大型連休はとてもいい並びになった。
 4月     5月
 29日 30日 1日 2日 3日 4日 5日 6日 7日 8日
 金  土  日  月 火  水 木  金  土  日
 昭          憲  み こ

 すなわち、5月2日と6日を休めば、10連休という空前の長期休暇が実現するのだ。これを利用して海外旅行に行くことにした。それも行ったことのない遠くへ行きたい。有力候補はニュージーランドであった。南半球は5月は秋であり紅葉が綺麗だろうし、日本と同じ左側通行なのもレンタカーを利用する上で気楽だ。ヨーロッパはISのテロに巻き込まれる危険があることから除外した。南米は10連休でも日程的に不十分だ。前年の12月には所属長の許可を得て、有給休暇の申請をした。ところが2016年の会社のカレンダーが発表され、5月7日土曜日は出勤日となっていた。これでは10連休にならない。その日を追加で休むのも考えた。しかし、長期休暇でいきなり出社して連日働くよりも、何とか頑張って出社して、次の日休んだ方が体調も維持しやすい。さらに帰国が集中する8日は航空券も高いだろうし、逆に4月29日よりも前に出発すれば少しは安くなるはずだ。また万が一滞在が延びた場合も対処しやすい。そんなわけで4月28日、5月2日、6日の3日間の休みを申請し了承を得られた。これでも9連休で壮大な旅行となろう。
 さてニュージーランドに行くことは決めたが、どのようにして行くかは決めてはいない。もっとも一般的なのは成田空港からニュージーランド航空の直行便を利用することだ。成田を18時30分に出発してオークランド経由でニュージーランド南島の拠点クライストチャーチには翌日の11時25分に着く。航空運賃は22万円前後だったと思う。中国南方航空の利用だと10万円台であったが、あの中国人と一緒に夜間飛行して快適な旅行になるはずがないという理由で選択枝になかった。同様にジェットスターのようなLCCの利用は意外と安くなかったことと、乗り遅れなどのリスクが高いのでこれを利用しないことにした。
 ただ成田発が遅い夕方というのは時間がもったいない気がした。筆者は関西人なのでできるだけ関空を利用したいという気持ちもあった。正規航空会社でもっと便利なのはないのか。
 考えているうちに、シンガポール航空を利用することを思いついた。シンガポール航空の接客設備がいいのはよく知られるところだ。これを利用する以上、シンガポール経由となるのは必然となる。だがそれがかえって好都合であることがわかった。
 筆者はインドネシアに行ったことがなかった。いや正確にいうとあるのだが、そこはインドネシアであってインドネシアではなかったのだ。どういうことかというと、筆者が行ったのはインドネシアのビンタン島だからだ。ビンタン島はシンガポールの対岸にある島で、シンガポールが主導して観光開発を進めたリゾート地だ。地元民とは接触しないようになっているし、シンガポールドルもそのまま使える。いわゆる治外法権的な島だ。だから、インドネシアビザを取得して入国したものの、まるでインドネシアに来たという実感はなかった。
 そんなわけでインドネシアに行くことにした。インドネシアでもっとも有名な観光地はバリ島で、最大の島ジャワ島であれば、経済的の中心でもある首都ジャカルタ、古都ジョグジャカルタというのが知名度の並びだろう。ジャカルタはISのテロがあったから除外、ジョグジャカルタもイスラム教徒の多い場所だから除外。ヒンドゥー教のバリ島なら大丈夫だろう。バリ島では数年前に白人の観光客相手に爆弾テロがあったが、海辺ではなく内陸部に泊まれば大丈夫そうな予感があった。
 バリ島に行くことはこうして決まった。バリ島のどこに行くかだが、バリ舞踊鑑賞は絶対にはずせないところだ。バリ島内陸部にウブドという都市があり、そこは古来芸術の都として機能していたという。宿泊はそこですることにした。またバリ島の北部にはキンタマーニという非常に魅力的な名前の山があるという。そこを含めたオプショナルツアーに参加することにした。
 またせっかくシンガポールに行くのだから、市内に出て、安い携帯電話あれば買おうと思った。当時使っていたソフトバンクのガラケーは使いにくく違うのが欲しかったからである。このガラケーについては当ブログでも記事を書いた。とにかく小さくて基本機能の充実したガラケーはもはや日本には存在しないのである。
 ニュージーランドはそこだけでも本来9日間でも足りないところである。北島のウエリントン、南島のクイーンズタウン、ミルフォードサウンドなどは諦め、南島最大の都市クライストチャーチ、夜空のきれいなテカボ、南島最高峰のマウントクックに絞ることにした。
 大まかにいって4月にバリ島、5月にニュージーランドという日程になった。また宿泊費をできるだけ抑えるため飛行機は夜行便を多用することにした。

※※※※日程※※※※

4月27日
 夜、関空を出発(シンガポール航空)

4月28日
早朝シンガポール着
昼過ぎ バリ島着
ウブド散策 宿泊

4月29日
ウブド周辺観光

4月30日
キンタマーニ高原オプショナルツアー
夜バリ島を出発(ヴァージンオーストラリア航空)

5月1日
朝オーストラリア・ブリスベン着
夕方ニュージーランド・クライストチャーチ着(ヴァージンオーストラリア航空)
レンタカーにてテカポに移動
夜テカポ着 宿泊

5月2日
昼、テカポ周辺散策
夜、テカポ星空ツアーに参加

5月3日
レンタカーでマウントクックまで移動
トレッキングにてマウントクックまで接近


(悪天候でマウントクックが見れない場合は変更となるため宿泊地は未定)

5月4日
レンタカーにてクライストチャーチへ移動
昼過ぎクライストチャーチ着
クライストチャーチ市内観光
宿泊

5月5日
午前クライストチャーチを出発(シンガポール航空)
夕方シンガポール着
シンガポール市内散策
深夜シンガポールを出発(シンガポール航空)

5月6日
朝、関空に到着

 航空券はシンガポール航空は航空会社から直接購入した。Denaトラベルでも同じ額面だったが、旅行会社を通すとキャンセルした場合、旅行会社にも手数料が必要なので損するからである。ヴァージンオーストラリア航空は逆に直接購入するよりも、Tripeという旅行会社を通した方が安かったのでそこを利用した。この会社はヨーロッパにあるらしく、支払いはユーロクレジットカードの手数料もこちらが支払うことになるらしい。予約画面は自動翻訳らしく日本語の表示がときどきおかしく、不安に感じた。しかし発行された航空券の予約番号をヴァージンオーストラリア航空の予約サイトに入力すると自分の名前が出てきたので安心した。
 バリ島の2泊とテカポの2泊は、日本の旅行代理店アップルワールドを利用した。これも直接予約するより安かったからである。クライストチャーチのホテルは直接予約の方が安かった。よく海外のホテルは個人情報入力時にセキュリティーがかかっていないことがあるので注意を要するが、予約したホテルはそんなことはなかった。
 5月3日の宿泊地はわざと決めなかった。ニュージーランドではモーテルが発達しているので「VACANCY」のネオンサインのあるホテルに入ればとりあえず泊まれるのである。
 このような準備を2月頃に終えて、出発の日を待つことになった。
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バリ島旅行記2016
ニュージーランド旅行記2016

時間がないので動画だけ見る
ニュージーランド旅行2016

北海道新幹線新函館北斗開業及び札幌市電乗車記 [旅行]

この旅行記は筆者の日本鉄道全線完乗記録を維持するために、北海道新幹線新青森-新函館北斗と札幌市電西4丁目-すすきの間の乗車記である。筆者の居住地は和歌山だが、乗車記は東京から始めさせていただく。

■夜行バスで青森へ
 2016年3月26日土曜日。北海道新幹線が開業したこの日、東京駅八重洲口バスターミナルにいた。22時30分発のラフォーレ号青森駅行きに乗る。通路側にはカーテンがあり、プライバシーが保てるようになっている。またACコンセントがあるのでスマホの充電ができる。
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↑青森行きラフォーレ号
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↑座席にはコンセント付き
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↑カーテン付きでプライバシーが保てる
 やや酩酊していたので消灯と同時に眠った。
 断続的に目を覚ました。脚の置き場に困り、投げ出したり、膝を曲げたりする。
 翌日、定刻8時5分青森駅着。
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↑青森駅に到着
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↑JR青森駅
 青森から8時23分発の奥羽線に乗り新青森へ。新青森で朝食のつもりだったが、まだ時間が早く飲食店はほとんど閉まっていた。駅の周りにはまだほとんど開発されていないから当然である。この点はまだ青森駅の方が充実している。かろうじてビュープラザの横のカフェが開いていたので、トーストとミルクのモーニング。ビュープラザはJR東日本の旅行会社だが、この月末で閉店するという。終着駅でなくなって需要がなくなるからだろう。
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↑青森駅改札
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↑普通列車で新青森へ
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↑唯一開いていたカフェ

■北海道新幹線に乗る
 新青森9時6分発のはやぶさ95号に乗る。いよいよ今回の最大目的である北海道新幹線の乗車である。記念撮影組は多いものの、乗車率は20%程度で、はっきりいって苦しい立ち上がりである。新函館北斗までノンストップ。奥津軽今別駅で3線軌道の合流のところの動画撮影に成功。
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↑祝開業
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↑期待に膨らんだ新青森駅ホーム
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↑さあ乗り込もう
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↑車内座席
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↑車内販売
 車掌による車窓案内。この線は観光路線なのである。筆者は左側に座っていたが、右側の方が海が見えてきれいなようだ。ただし防音壁がじゃまである。「カメラ等のお忘れ物が多くなっております」とのアナウンスは、後ろの女性客が「開業一日目なのに」と突っ込まれていた。
 新函館北斗に到着。
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↑新函館駅ホーム
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↑新函館北斗駅に到着

この新函館駅のついての検証は別の記事を参照してほしい。

新函館北斗駅を実地検証する
http://umayado.blog.so-net.ne.jp/2016-04-16

■スーパー北斗で白老へ
 スーパー北斗に乗る。指定された3号車は乗車率20%。しかし私の横には先客がいた。どうやらタイ人らしく北海道レイルパスを持っていた。
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↑スーパー北斗車内
 狭い座席でイカめしといかげそで一献やっていると、検札があった。しかし切符がない。これはエラいことだ。確かにこの座席を座るときに、タイ人の女性が先に座っていたので、ここは私の席だと主張するのに、その切符を見せたので、持っているのは間違いない。しかしどこにもないのである。
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↑大沼から駒ヶ岳を望む

 とりあえず、気が晴れないが、食事を先に済ませる。イカめしもげそも美味しかったけど、この先どうすればという気持ちで不安になった。長年旅をしている筆者だが、きっぷをなくして再発行の経験はない。
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↑いかげそ揚げ、イカめし、地酒
 さてトイレに立って、もう一度チェックすると、ズボンの脇に切符が挟まっていた。検札を待ってもらっていた車掌にこれを持って行った。別に大した問題ではなさそうな感じでスタンプを押してくれた。
 登別で降りて、普通列車に乗り換えて白老へ。このあたりは北海道にしては人口が多い。地域の拠点となっているらしく、ダイソーもある。
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↑登別到着
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↑普通列車に乗り換え
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↑白老駅
 ここに来たのはアイヌ民族博物館に行くためだ。アイヌに関する知識は皆無だからだ。入場料は800円と意外に高い。しかしアイヌの踊りを見れるので人件費がかかっているのでやむを得ない。特に笛の演奏は聴いたことのない音色でおもしろかった。客は8割が中国人だ。ツアーガイドが翻訳している。
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↑アイヌ文化博物館
 知識はアイヌ博物館の展示物で得た。機織りは特におもしろかった。わかりやすく配置されているが、もう少し充実させることができるのではないか。そこでこの地に国立のアイヌ文化博物館が2020年を目標に建設されることが決まった。アイヌのグッズ売店は閑古鳥が鳴いていた。私も何も買わなかった。
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↑北海道の牛乳は旨い
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↑ポロト湖を望む
 帰りに近くにあるポロト温泉に入る。400円を払って温泉に入る。温泉は黒褐色でよく暖まった。客はほとんど地元客で、「北海道新幹線はだめだな。乗車率20%だって。宇都宮に停めないとだめだな」と言っていた。確かに前途多難な船出であることは同感である。

■札幌市電に乗る
 16時5分発の特急すずらんに乗る。この後札幌に向かい、札幌市電の新規開通区間に乗り、20時00分新千歳空港出発のピーチ航空に乗ることになっていた。乗ってから乗り換え案内を検索するとかなり厳しいスケジュールであることがわかった。しかし何とかなるだろうとも思った。
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↑札幌市電新規開通区間
 札幌に到着すると、速攻で地下鉄に乗り大通公園へ。札幌の地下鉄は東京や大阪ほど本数は多くなく、待ちくたびれる。ようやく電車に乗って、一駅乗る。たった一駅で200円。ICOCAが使える。
 市電停留所の出口を目指す。地上に出るとそこは繁華街であった。ここに来たのは札幌市電が環状線化するため数100m延長し、全線完乗を目指す身としては当然乗車しなけれなならないのだ。この延長部分は本来は道路の中央を走る線路が両端に敷設されている。おそらく日本では最初の試みであるため、辻には警備員が立って交通整理をしている。
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↑西四丁目電停から新規開通区間を望む
 外回り電車に乗り、すすきのに向かう。気が焦っているので信号待ちでもイライラする。
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↑すすきの着
 すすきのからは地下鉄に乗る。ここはタイミング良く乗れて、札幌駅に着いたのは18時45分。走って走ってICOCAタッチで18時50分発のエアポート快速に乗れた。車内はロングシート。通勤でも使うことを考えるとこれでいいのかもしれない。大きな荷物のある航空旅客にも都合がいい。

■思わぬ展開に驚愕
 新千歳空港に着いたのは19時27分。ピーチ航空のチェックインカウンターを探すも事前に情報を仕入れておらず、2階出発階の逆方向に行ってしまった。やがて「ピーチ航空関西空港行きのチェックインはただいま終了いたしました」とのアナウンス。これはエラいことである。警備の人に場所を聞くと、1階のピーチのカウンターは到着カウンターにあるという。
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↑ピーチ航空のチェックインは到着ロビーにある
 急いで行ってみると、すでに誰もいなかった。日程表には確かに「30分前までにチェックインをお願いします」と明記されている。チェックインしなければ、搭乗の意志なしとみなされ、すでに払った航空運賃は没収となる。
 明らかにこちらの旗色は悪いが、同じように乗り遅れた男性とともに、警備員に交渉した。出発5分前に現れたピーチの職員は「あしからずご了承下さい」とのことであった。
 なんと迂闊なことだ。ピーチ航空が30分前のチェックインが厳守であること、またチェックインカウンターが到着フロアにあること、さらに千歳空港の構造に精通していれば、例え空港駅から3分と短くても、ジョギングで鍛えた筆者の脚なら間に合っていただろう。残念な気持ちで一杯であった。
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↑黄=実際に歩いたルート 赤=はじめからここを走っていれば間に合っていた
 もう大阪方面への航空便はない。東京行きの20時40分発全日空に空席がある。これに乗ると22時20分に羽田空港に着く。ここから夜行バスで大阪または和歌山に行けないかと調べたが、23時00以降に出発する夜行バスはいずれも翌日の8時前の到着となってしまう。残りはタクシーかレンタカーだが、前者はあまりにも高額な料金、後者は不眠不休で運転しないといけないので、走行中の事故の可能性が高いし、それがなくても次の日の仕事に悪影響が確実だ。これでは明日の出社は不可能だ。
 上長に明日の休暇を申請した。まずは今夜の宿の予約。千歳駅前のルートインを確保した。続いて大阪便だが、ピーチはこりごりと思い全日空にしたら普通運賃48500円だった。いくらなんでも高いということになり、結局12時55分発のピーチにした。これでも26500円だ。
 こうなったらもあわてることはない。JRで千歳駅に向かい、駅高架下の白木屋で一杯やった。もう21時を回っているが、夕食はまだだったのである。
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↑失意の一杯
 チェーン店の居酒屋だから味は全く期待していなかったが、こうゆう無難な居酒屋は必要だ。
 22時30分過ぎにルートインホテルにチェックイン。
 大浴場で汚い汗を流して、酩酊気味だったこともあって0時過ぎには寝た。

■失意の帰郷
 朝起きたら8時40分を回っていた。
 10時発の送迎バスで新千歳空港へ。今度こそ遅れてたまるかと、チェックインを試みるもエラー。チェックイン開始は11時25分からでまだ1時間以上ある。
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↑ホテルの送迎バス
 会社の同僚に迷惑をかけたので、大量におみやげを買った。無難なところでロイズのチョコレートにした。
 チェックインはスマホの画面に表示されるバーコードをセンサに読み込ませるだけで搭乗券が発行されあっけなく終了。
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↑搭乗した飛行機

 12時15分に保安検査に向かう。長蛇の列で秋田行きの客が数人取り残されていた。ピーチ航空ですらこのままだと間に合わないということで、ゲートが変更された。昨日頑張ってもらった警備員が元気に働いている。
 ピーチ航空のA320-200は定刻12時55分に動き出した。乗客はほぼ満員。窓際の席をあてがわれた。最近離着陸のデジカメ使用が解禁されたのだ。喜んで動画撮影する。13時10分に離陸。千歳基地の全容を初めて見た。これはこれでうれしかったが、今や航空写真はグーグルアースで簡単に見れる。感動が薄れたのは事実だ。
 定刻に関西空港に到着。自宅についたのは16時半だった。

●反省
この旅行の主たる交通費

日本航空関西-羽田 ¥13,190
高速バス東京-青森 ¥8,000
ピーチ航空札幌-関西 ¥17,790
JR乗車券青森-函館 ¥7,660
JR特急券新青森-新函館北斗 ¥4,650
JR特急券新函館北斗-登別 ¥1,340
自由席特急券白老-札幌 ¥1,130
ホテルルートイン千歳 ¥6,000
ピーチ航空札幌-関西 ¥26,290

本来なら57760円で行けるはずが、わずか3分の遅刻で32290円も余計な交通費がかかってしまった。それだけではない。千歳市の居酒屋での出費や職場へお土産を買ったので、出費は4万円近くに膨らんだ。実に当初の70%もの出費増となった。日本鉄道完乗のタイトルは維持したものの、後味の悪い結果となった。
 今後はこれを授業料だと思って、事前の情報収集に抜かりがないようにしたい。
 

銀色の寝台特急カシオペア乗車記 [旅行]

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【カシオペアの概略】
 20世紀末、青函トンネルを経由して首都圏の上野-札幌間を直通する寝台特急として「北斗星」が運行されていた。従来のブルートレインより豪華な設備で、年間を通じて高い利用率を誇っていた。しかし「北斗星」の車両は国鉄時代から使用している車両を改造したもので、設備の陳腐化が否めなかった。そこで「北斗星」のさらなる豪華版として、1999年7月に誕生したのが「カシオペア」であった。
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http://www.jreast.co.jp/cassiopeia/
↑詳細は上記URLをクリック
 車両は「カシオペア」のために新製されたもので、アメリカの大陸横断鉄道を思わせる銀色を基調とした12両編成。日本の寝台列車史上初めてとなるすべてA寝台個室で構成され、2名利用の個室を2階建て車両に配置するのを基本とし、さらに平屋の3名部屋と、より豪華で後方が展望室になったスイートルームも設けられた。食堂車も2階建てで厨房を1階にして、食堂を2階とし眺望を楽しみながら食事ができるようになった。そしてさらにラウンジカーがスイートの反対側に設けられ、特別料金なしに後方の展望が楽しめるようになっていた。さらに最新の技術で乗り心地も改善され、昭和ブルートレイン時代に悩まされた発車時のショックが軽減された。その他車内設備も平成時代にふさわしく高水準なものとなった。
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↑カシオペアの編成(JTB出版「今こそ乗りたい寝台列車の旅」より引用)
見にくい場合はダウンロードして下さい
 しかしながら、「カシオペア」投入時点では、八戸までしか開業していなかった東北新幹線が、将来、新青森、新函館(当時の仮称)、そして札幌まで延びるのはほぼ確定していたので、必要最小限の投資として僅か1編成だけの製造となった。それゆえに基本的に上野-札幌間を各日での運行となり、定期点検時には運行を取りやめざるを得なかった。それでも人気は抜群で、1ヶ月前の発売日には数秒で完売し、その寝台券はネットオークションで高値で取り引きされた。
 2014年3月、北陸新幹線が開業すると、その影響で大阪-札幌を運行していたトワイライトエクスプレスが廃止され、減便され臨時化されながらも残っていた「北斗星」も2015年8月に廃止となった。
 その後、2016年3月26日に北海道新幹線の新青森-新函館北斗間が開業すると発表されてから、「カシオペア」の去就が問題となった。北斗星は車両の老朽化が進んでいたので、廃止もやむなしという雰囲気だったが、「カシオペア」の車両は製造後15年しか経過しておらず、まだまだ使える状態だし、新幹線開業とはいえ、函館から北に18キロ離れた辺鄙な北斗市が当面の終着駅で、札幌へも函館へも乗換となる。ましてカシオペアは人気があって乗車率も高い。
 カシオペアを存続を望む声は小さなものではなかった。カシオペアが通過することにより運賃配分を受け取る東北の第三セクターIGTいわて銀河鉄道や青い森鉄道は、継続運行を希望していた。
 技術的には機関車の問題があった。北海道新幹線開業により、青函トンネルの架線電圧は新幹線に合わせられる。このため今までの機関車が使えなくなるのだ。引き続き青函トンネルを通過する貨物列車を運行するJR貨物が、それに対応する機関車を導入する。その機関車を借りてカシオペアの運転を継続することも考えられた。
 しかしJR東日本とJR北海道の出した結論は「廃止」であった。
 理由としては青函トンネルの保守時間の確保と貨物列車の運行に妨げとなるためである。新幹線は0時から6時まで保守時間に充当している。これは高速運転をするために、高水準な保守が必要なので、その時間を確保するためである。新幹線がこれまで無事故神話を続けているのは、この徹底した保守作業に負うところが大きい。しかし青函トンネルは現在1日50本も貨物列車が運行され、深夜においても貨物列車はトンネルを通過している。そのため、保守時間を2時間か3時間ぐらいに短縮して、その分、保守の水準を下げて、新幹線の速度も在来線とほぼ同じスピードとすることが検討されている。ただでさえ保守時間が足りないのに、カシオペアの入る余地はないというわけである。それにカシオペアが在来線の事故で遅れた場合、保守時間に影響なしにトンネル通過が可能かどうかも問題だった。
 そのような観点からJRはカシオペアの運行は断念せざるを得なかったというわけであろう。

【まずはみどりの窓口へ】
 そうと決まれば、鉄道ファンの筆者は乗り納めをしなければならない。実は筆者はカシオペアと同じく青函トンネルを通過する寝台特急トワイライトエクスプレスと北斗星は既に乗っている。それぞれの乗車記は下記URLを参照。
トワイライトエクスプレスに乗ってきた

http://umayado.blog.so-net.ne.jp/2014-01-14

最後の急行「はまなす」最後のブルトレ「北斗星」乗車記

http://umayado.blog.so-net.ne.jp/2014-09-10

 カシオペアに乗るのがここまで遅くなったのは、カシオペアが2名1室のA寝台が基本で、一人で利用する場合、2人分の寝台料金と特急料金が必要なことであった。A寝台で料金が高い上に2倍必要なのである。ちなみに筆者はひとりで旅行するのが基本である。カシオペア乗車希望の同志がいれば、今回の旅行に参加を呼びかけるのだが、たとえひとり分にしても高額な旅費となるし、同志が賛同するかどうか微妙だ。まして筆者が旅費を負担するなど本末転倒であろう。かつては利用率の落ちる札幌発におひとりさまプランなんてのがあったが、廃止が現実味を帯び、人気が上がってからはそんなのはなくなった。だいたい2名用ですら、入手が難しかった。
 筆者はしがないサラリーマンである。したがって旅行は土日プラス前後いずれか1日の休暇が基本だ。平日に3日取ることは病気でもない限り無理だ。
 土日に焦点を当てると、カシオペアは金曜の夕方に上野を出発し、土曜の夕方に札幌を出発する。翌日曜の夕方に上野を出発する、というパターンになる。
 筆者にとっては土曜日の夕方札幌発のカシオペアに乗るのが一番いい。土曜日の夕方であれば朝の飛行機で札幌に移動して、日曜の夜には、筆者の地元和歌山に帰ってくるのが可能だ。これだと有給休暇は取らなくてもいい。しかしこれではまさしくカシオペアに乗るためだけに北海道に行くことになりあまりにもむなしい。けれども上野発のカシオペアは必ず有給休暇が必要であり、仕事の進捗状況によっては休めない筆者は「土曜日札幌発」は譲れなかった。
 それに札幌発のカシオペアは上野発に比べて入手しやすいという事情もあった。いかに鉄道ファンでカシオペアに乗りたいという人でも、札幌に行くのに往復カシオペアを利用する人は極々僅かだろう。おそらくほとんどの人は片道は飛行機を利用することだろう。それで往復どちらを飛行機を使うかとなれば、断然帰りだろう。北海道観光で疲れた身体を不慣れな寝台列車で休めるよりも、旅行への期待で気分が高揚している往路にカシオペアに乗った方が、心も身体も楽だ。帰りは最終便の飛行機で帰京すれば、夜行列車のカシオペアより時間を有効に使える。何しろ千歳発の羽田行きの最終は2015年現在、全日空が21時45分発。エアドゥなら23時発がある。北海道滞在時間が6時間も長い上にしかもほぼその日のうちに着く。これが飛行機の実力なのである。
 そんなこともあってかJRはカシオペアに関しては札幌に向かう下りを重視していて、展望室付きのスイートは札幌行きの最後尾になるように編成されている。上りは青函トンネル区間の函館ー青森間を除いて、スイートルームは先頭車となるため、常に無骨な機関車を見ながら過ごすことになる。これでは同じ料金なのに不公平だ。
 それはともかく、札幌発の上りにはいい面もある。それはスイートの代わりにラウンジカーが最後尾になることである。ラウンジカーなら寝台利用者であれば誰でも利用できるので、席は奪い合いになるものの、スイートと同じく、後方に流れゆく眺望を楽しめるわけである。
 筆者は以上2点の理由から土曜日発カシオペアに乗ることに決めたのである。
 ところでJRの指定券・寝台券は、一ヶ月前の午前10時に発売される。カシオペアの寝台券は発売開始数秒で売り切れる。だから午前10時ちょうどか少し前にみどりの窓口に並ぶ必要がある。しかしこれすらサラリーマンの私には至難の業だった。カレンダーを見ていただくとわかるが、土曜日の1ヶ月前が土曜日あるいは日曜日または祝日であることはほとんどない。つまり寝台券入手のためだけに会社を休まないといけないのである。それで必ず入手できるのならともかく保証はまるでナシである。その機会があるとすれば、平日が休みとなる祝日、盆休み、正月休みである。
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↑みどりの窓口に並ぶ
 その機会はやってきた。9月12日土曜日の1ヶ月前は8月12日。つまり盆休みの初日だった。筆者は満を持して近くの駅のみどりの窓口に並んだ。もちろん午前10時ちょうどに発券端末を操作できるように時間調整をしてだ。入手を目指すのはカシオペアでも一番安いカシオペアツイン2名。前述したように1名でも2名分の料金が必要で、その金額は33580円である。
 前客の駅員への質問が長く、ちょっと焦った。それでも10時0分10秒に端末を操作。しかし結果は「満席」であった。それでも女性駅員は他の種類の寝台も調べてくれた。しかしいずれも売り切れであった。盆休みの初日からいきなり空振りの三振だった。

【思案そして決断】
 カシオペアの寝台券の入手は難しいことを知った。駅員や旅行会社に知り合いがいれば、平日に発券端末をたたいてもらうことはできるかもしれないがそんな知己はいなかった。
 やっぱり「あれ」を使うしかないか。「あれ」とはネットオークションである。ヤフオクを覗いてみる。カシオペアツインの正価33580円が4万円から7万円で落札しているようだ。ちなみに1室しかない展望室のスイートとなると15万円の値段がついていることもある。そして当然ながら休日が絡むきっぷは高くなる。
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↑ヤフオクの相場
 ところで2015年は敬老の日と秋分の日が同一週に並び、前の土日を含め5連休となる通称シルバーウィークとなっていた。これを利用すれば、予定していた土曜日札幌発に拘らなくても、カシオペアの乗車日の自由度は増す。しかし誰しも考えることは同じで、きっぷの入手難という状況は変わらなかった。むしろ日曜の上野発などはかなり高値で入札されていた。ここは予定通り19日土曜日札幌発とし、20日以降は関東地方の観光に当てることにした。北海道で何も観光しないのはつまらないので、18日金曜日の半日だけ有給休暇を取り、夕刻に札幌に着いて宿泊、土曜日の昼下がりまで観光して、カシオペアに乗り込む基本計画が策定された。
 あとはカシオペアの切符を入手するだけだ。ヤフオクに出品している19日土曜発はいくつかあったが、少しでも安くしようと眺めが悪い1階室を選んだ。そして切符は入札終了10分前から競り合う形になり、最終的には49800円になった。ただし簡易書留で切符を送ってもらったので約5万円となった。
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↑入手した寝台券
 5万円。ごまんえん。ゴマンエン。5万円あったら、東京の帝国ホテルに泊まれる。恐ろしく高い。これに和歌山までの乗車券23300円と東京からは新幹線の特急券5700円が必要だ。締めて7万9千円。ちなみにほぼ同時に予約した関西空港-札幌間の航空運賃は株主優待やらスカイコインなどを駆使して19900円だった。カシオペアに乗るという目的がなかったら採用される交通手段ではないだろう。
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↑5万円あれば東京帝国ホテルに泊まれる

【まずは北海道へ】
 前置きが長くなった。カシオペア乗車記をお待ちのお客様、お待ちどうさまでした。といいたいところだが、もう少し前置きにおつきあいいただきたい。カシオペア乗車までの時間に、筆者がおもしろい観光地を紹介しよう。

 2015年9月18日金曜日。天気は快晴。予定通り午前中で仕事を終えて、汗をかきながら、13時00分発の関西空港行のバスに乗り込んだ。約40分で関西空港に着いた。
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↑高速バスに乗る
 チェックイン前に腹ごしらえ。レストランエリアをウロウロし、そば屋に入った。ところが席が空いているのになかなか案内されず、注文したざるそばがなかなか来なかった。飛行機の出発時刻は14時30分である。だんだん焦ってきた。テーブルに届いたのは14時10分。流し込むように2分で食べた。味は全く覚えていない。
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↑流し込んだざるそば
 チェックインはしていないが大丈夫だろうと楽観していた。全日空からの予約確認メールには次にように書かれていたからである。
ーーーー
座席番号に♪が着いている場合は、搭乗手続きは不要です。空港に着いたら保安検査場に直接お越しください。搭乗にはIC付きカード、または2次元バーコードが必要です。
ーーーー
 予約で使った株主優待券には2次元バーコードがある。おそらくこれで搭乗できるのだろうと思っていたのである。
 ところがなんたることか、保安検査場のバーコードセンサで弾かれてしまったのである。もう出発時刻は迫っている。保安検査員が迅速に対応してくれた。織田裕二に似たANAのスタッフが飛んできてチェクイン手続きを代行してくれた。株主優待券をよく見ると2次元バーコードには自動チェクイン機には当面未対応と書いてあった。
 保安検査エリアを抜けたのは出発2分前。女性職員が待っていて、「18番ゲートに急いで下さい」というものだから、筆者は走った。彼女も伴走したがヒールだったので走りにくそうだった。そんな迷惑をかけた筆者が最後の搭乗者となったのは当然であった。機内に入るとまもなくドアが閉められた。
 機体はB737-800。14時46分北の空に向かって離陸した。雲を抜けるとき機体が動揺したが大したことはない。半時間ほどしてからドリングサービス。眠気さましにコーヒーを頼んだ。一時全日空は無料のドリンクサービスをやめていたが、サービスを継続していた日本航空や、当初から優良だった格安航空に対抗するため、結局のところサービスが復活してしまった。まあ乗客としては有り難いことである。
 15時30分機長より挨拶。ただいま佐渡島上空。あと10分で降下し、予定より早い16時15分に新千歳空港に到着するという。毎度のことながら飛行機は速すぎる。
 雨の千歳空港に予定通り着陸。
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↑新千歳空港に到着

【初日は豊平峡温泉へ】
 トヨタレンタカーのカウンターに向かう。道内の移動はレンタカーが便利だ。番号札を渡されてしばらく待つ。ベンチの近くの公衆電話は撤去され、代わりにスマホの充電スポットができている。
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↑レンタカーのカウンター
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↑公衆電話は撤去され充電スポットに
 シャトルバスでポプラ営業所へ。バスはひとりだけだったが、営業所は順番待ちだった。さすが北海道。規模の大きな駐車場でまるでアメリカのそれのようだ。
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↑シャトルバスで営業所へ
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↑営業所のカウンター
 借りたクルマはヴィッツ。長い距離を走るわけでないのでコンパクトカーで十分だ。本日の目的地は札幌郊外の定山渓温泉。そこのホテルを予約してある。カーナビの目的地をセットして出発。
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↑レンタカーで定山渓へ
 当初は渋滞を避けるため恵庭から支笏湖北方を西進し、国道453号線を北上し定山渓を目指すつもりだった。しかし国道36号線で札幌市中心部を突撃するルートを走ってしまい、札幌ドームをかすめる結果となった。連休前の週末で渋滞に巻き込まれて時間がかかった。カーナビを過信しルートを確認しなかった自分のミスである。レンタカーのナビはよくできていると思うが、やっぱり慣れが必要である。
 豊平峡温泉についたのは19時40分頃だった。あれっ、目的地は定山渓温泉じゃなかったの?と読者は思われるかもしれない。定山渓温泉のさらに奥にあるこの豊平峡温泉が紹介したいスポットの一つなのである。ちなみに札幌市豊平区というのがあるが、これは「とよひら」と読み、豊平峡は「ほうへいきょう」と読む。
 もう外はすっかり暗くなっている。白く浮かんだ建物は、ちょっと古びていて豪華さなどない普通の湯治場に思える。ドアを開けると、インドカレーのにおいが漂う。何故温泉にインド料理と思ってしまう。愛想のよい店員に迎えられて1000円払う。ポイントカードをもらったが有効期限は6ヶ月。貯まる見込みはない。
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↑豊平峡温泉
 脱衣場までの廊下は長いが、脱衣場そのものは街の銭湯と変わらない。籠があるだけで鍵はない。
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↑風呂への入口
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↑脱衣場
 洗い場はカルシウムが堆積し、海岸の岩場のようで歩きにくい。しかし泉質はすばらしい。渋滞で2時間半もかかって来た疲れが吹っ飛んだ気がする。露天風呂も庭園がライトアップされてなかなか美しい。スペイン人の客もいる。早くも口コミで評判が広がっているようだ。また入れ墨をした兄さんが目の前に現れた。ちょっとびっくりするが、案外こういう人は愛想がいいものなのである。
 夕食はここのインド料理を食べる。ここの料理は評判がよく楽しみにしていた。セルフサービス。タンベリーセット1600円。カレーにナンと唐揚げがついている。「世界一おいしい」とご自慢のナンも実際おいしかったし、5段階で辛さを選べるカレーもいい。この温泉は絶対に穴場だ。
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↑メニュー
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↑タンベリーセット
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↑レストラン内
 続いて今晩泊まる定山渓グランドホテルへ向かった。噂には聞いていたが客は中国人が多い。
 売店でビールとつまみを買った。売店の冷蔵庫は故障中で、飲料はレジの前の氷で冷やされていた。
 あてがわれた部屋はすばらしく、おそらく自分が日本で泊まった部屋の中でも最高の部類だろう。12時間足らずしか滞在しないのにもったいない。
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↑ホテルの部屋
 ビールを飲んで部屋においてあった饅頭を食べて腹ごしらえは完璧。もう遅いので行くか迷った大浴場には結局行った。
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↑ホテルの大浴場
 0時20分頃寝る。明日は屋外のテーマパークなので雨が心配。

【北海道開拓の村へ】
 9月19日土曜日。いよいよ今日はカシオペアに乗れる。若干気分が昂ぶった。
 6時頃起きて、朝風呂に入る。今日は雨予報だがまだ雨は降っていない。露天風呂を満喫。
 その足でグランデールという朝食会場へ。チケットやルームキーのチェックはない。テーブルに「食事中」の札を置くことにより、配膳係が片付けるかどうか判断している。いいアイデアだ。思っていたよりバイキング料理の質がよく、和食と洋食で2回分の朝食をしっかり食べた。
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↑朝食会場グランデール
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↑定山渓グランドホテル
 9時10分、チェックアウトし、クルマで「北海道開拓の村」へ。途中札幌中心部を抜けるので渋滞箇所があった。広い駐車場に10時半に到着。
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↑北海道開拓の村(入場口)
 北海道開拓の村は北海道開拓時の建物を移築するか、レプリカを建てたものだ。蝋人形や音声解説のある建屋もある。私がここに来た最大の目的は、鉄道馬車の運行をしていることだ。日本で遊覧用とはいえ馬車鉄道に乗れるのはここだけだ。そう思っているうちに馬車が向こうからやってきた。

↑鉄道馬車(スマホ再生不可)
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↑村内地図
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↑展示家屋
 一通り見てから11時30分発の馬車に乗った。客は私と男の子だけだった。早歩きと同じスピードである。男の子の母親が外から歩いて付いてきている。しかしやがて疲れて立ち止まってしまった。
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↑馬車鉄道の車両
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↑女性車掌
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↑牽引する馬(休憩中)
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↑車内
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↑乗車券
 それにしても土曜日だというのに客が少ない。天気のせいもあるが、根本的には知名度が低いからだろう。こういうテーマパークの宿命は設備が陳腐化あるいは老朽化して補修費用が多額を要することである。この程度の客では先行き苦しいだろう。ユニバーサルスタジオやディズニーランドは年中同じ出し物であれだけのリピーター客を集めるのである。いったいどこが違うのか。
 ただ展示物はよくできていて、大いに蒙を開かせた。明治時代の理髪店とか写真屋。染め物屋に酒屋。農家、養蚕家、漁師などすべておもしろかった。北海道大学の寮も興味深かった。
 昼食は村内のレストランで食べた。食券購入によるセルフサービスである。屯田兵定食にした。他の人はラーメンとか軽いものを食べている。屯田兵定食といっても、実際の屯田兵がこんなものを食べていた訳ではない。地元の食材を使ったというのはある程度理解できたけど、屯田兵との関連性は不明だ。
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↑レストラン
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↑屯田兵定食
 レストランを出ると店の人がびっくりするほど雨が激しく降っていた。散策中に降らなくてよかった。
 13時頃出発。カシオペアの発車は16時12分。まだ時間があるので、北海道神宮に寄ることにした。
 北海道神宮は中国人を含む外国人観光客も多い。小雨が降る中、結婚式が執り行われている。筆者は北海道の住民ではないが、明治以降の歴史しかない北海道にあって、この北海道神宮での結構式というのは格式が高いのではないか。社殿は新しく、祈祷待ち番号も液晶画面で表示されている。
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↑北海道神宮
 トヨタレンタカー札幌駅前店にクルマを返却。立体駐車場の5階に停める。
 まだ時間がある。駅地下の土産物店で六花亭の六花の露とロイズのラムレーズンチョコレートを買った。
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↑クルマを返却

【いよいよカシオペアに乗車】
 カシオペア乗車記をお待ちのお客様、お待ちどうさまでした。いよいよここからが本題です。
 和歌山までの乗車券を買い、15時55分には4番線にあがりカシオペアの入線を待つ。
「寝台特急カシオペア 16:12 上野 」の電光発車案内板を撮る。筆者だけでなく、カシオペアの乗客のような人もそうしていた。そういう人がそうすると、他の客も真似をするのであった。確かにあと半年すればここにはカシオペアの表示はほぼなくなる。
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↑寝台特急カシオペア 16:12 上野 
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↑他の人も真似をする
 4番線の階段の壁に寄りかかって待っていると、カシオペアが入線してきた。入線時の動画撮影は録画ボタンを押すタイミングが遅れ失敗した。もう半年以内に札幌に来る機会はないだろうから、取り返しのつかないミスになった。牽引する機関車を撮りに行ったら、記念撮影する人で溢れていた。
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↑カシオペア入線
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↑最上級スイートはほとんど機関車をみることに
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↑記念撮影組が占領
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↑この角度が精一杯
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↑さあ乗り込もう
 カシオペアは札幌を定刻16時12分に発車した。指定された11号車11番は階下室で眺めが悪い。しかも喫煙車なので煙草のにおいがする。設備としてはトイレと洗面台がある。洗面台は折りたたみ式である。読書灯があるが暗い。コンセントは洗面所にしかなく、スマホの充電が不便。グーグルマップのような列車の現在地や運行情報が表示されるモニターがある。鍵は任意の暗証番号を入力する。例えば1234#で施錠、1234で解錠である。
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↑室内(中央がドア)
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↑運行情報モニタ(左のドアがトイレ)
 黒い板があるので何かと思ったら、車内販売が近づいたらそれを知らせる表示灯であった。
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↑ソファー
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↑トイレ
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↑車内販売接近表示

↑札幌出発時の車内放送(スマホ再生不可)

 シャワーは2カ所あり、食堂車でカードを購入して、30分単位での予約となる。シャワーで30分とは少々間延びした感じだが、15分だと厳しいからそうなったのだろう。しかしこれでは使える人が限られてしまう。シャワーの予約は先着順である。札幌を出発したところだが、今から並んでも使えそうもないのであきらめることにした。共同シャワーならかつて特急日本海で経験している。
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↑シャワー(あとで撮りました)

↑食堂車からの案内放送(スマホ再生不可)
 テレビ放送はNHKBS1chと3chのみ。走行中は安定した受信ができないのはやむを得ない。画面が固まってしまうディジタル放送よりも、画面が波打ちながらどうにか見えたアナログ放送のよかったと思うのは筆者だけだろうか。
 部屋の印象だが「狭い」。一人利用であれば十分だが、二人で過ごすには十分でない。それにインテリアがどこか安っぽい。トワイライトエクスプレスのロイヤルA寝台はヨーロッパの鉄道に乗っているかのような重厚さだった。しかしこのカシオペアはまるで東横インのようなビジネスホテルにいる雰囲気なのだ。ビジネス客など皆無の観光列車にこれはちょっとないなと思った。ただしカシオペア登場時にはトワイライトエクスプレスは健在であり、それとの差別化は必要だったので、このような選択になったのかもしれない。同じ頃に登場した寝台電車サンライズ出雲・瀬戸の内装の影響もあるのかもしれない。
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↑参考:東横インの部屋
 まずはウエルカムドリンク。ただの紙コップにはいったオレンジジュースである。紙コップなんて仕事の休憩や友達にあげるものだろう。せっかくのA寝台なのだから、グラスとはいわないが、透明プラスチックのコップにすべきではないだろうか。あとカシオペアのヘッドマークを型取ったクッキーなどもあれば・・・、というのは筆者が食いしん坊だからか。
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↑ウエルカムドリンク
 こんなこともあろうかと、チョコレートを買っていたのである。ロイズのラムレーズンはレーズンの粒も大きく私のお気に入りで、地元で北海道展があれば買いに行くチョコレートである。
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↑ロイズのチョコレート
 暗くなる前にお隣の12号車のラウンジカーへ。最後尾の椅子は取り合いだった。ラウンジカーはカシオペアの電源車でもある。床下からは軽くディーゼルエンジンの音が聞こえる。筆者が座った頃には日がすっかり暮れて、まさに「汽車は闇の中を走る♪」となっていた。
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↑夕闇迫るラウンジカー
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↑車端部にある時刻表と思い出ノート

【カシオペアスペシャル弁当】
 18時30分頃、カシオペアスペシャル弁当が配れた。弁当の引換券は乗車3日前までにみどりの窓口で買っておく必要がある。筆者が買った駅では自分がその弁当のはじめての利用客だったらしく、奥から分厚い虎の巻を参照しながら、不慣れな手つきで発券された。しかも窓口から離れてしばらくすると駅員に「少々お待ち下さい」と呼び止められ、利用号室を再確認された。話しは前後するが、弁当を持ってくる前に、そのチケットを確認にくる。その時に「お飲物は?」と聞かれたので、ビールを頼んだ。昨晩ホテルで310円買ったサッポロクラシックが280円。僅かなから良心を感じた。
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↑弁当引換券
 そもそも夕食が食堂車でなくて、弁当にしたのは、予算の都合もあるが、コースディナーの内容が北斗星のそれと酷似しているからだ。それなら昨年経験済みである。食堂車の雰囲気を楽しむなら、ディナーの片づけが終わってから予約なしで利用できるパブタイムや朝食を利用すればいいのである。
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↑赤い風呂敷に包まれて届けられる
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↑全体で1枚
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↑一の重
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↑二の重
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↑三の重
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↑吸い物
 さて、カシオペアスペシャル弁当を賞味する。松花堂弁当風を3層にして暖かい吸い物がつく。基本的には北海道の食材を使用している。今日は朝食、昼食とたくさん食べて胃拡張ぎみだったが何とか完食した。味も決して悪くない。いい思い出になった。
 友人に「只今カシオペア乗車中」とメールを乱発した。中にはカシオペアをパソコンだと思っている人もいた。所詮、鉄道関連の一般人における知名度とはそんなものだろう。いよいよ廃止となる来年3月になれば誰もが知る存在となる。
 テレビでJリーグの横浜FM対FC東京を見る。元日本代表DF中澤が元気だ。それにしてもあれほどダさいと思っていたユニフォームの漢字広告も違和感がなくなってきた。おっと、話しは脱線した。鉄道だけに脱線は禁物。

 19時頃開店したラウンジ手前の売店で、カシオペアグッズとしてマグカップとストラップを買った。ストラップはキズがつくのが嫌だから、使わずに永久保存。マグカップはは今使っている100均で買ったマグカップが割れたら使う予定だ。しかしストラップが1080円、マグカップが1580円。デザインさえ考慮に入れなければ、同じようなものが100均で手にはいるだろう。「カシオペア」の文字がブランドを高めているのだ。ブランドは付加価値をつける最高のアイテムである。
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↑マグカップとストラップ
 21時12分、函館を発車。ここからは逆編成になる。機関車がラウンジカー側に連結される。その作業を見るために人が集まっていた。
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↑機関車付け替え作業

【パブタイムで食堂車へ】
 21時40分、パブタイムで食堂車へ。今回はディナーを省いたので、カシオペアの食堂車は初体験となる。カシオペアの食堂車は2階が食堂、1階が厨房になっている。その階下の階段まで行列があったが、2人掛けに座ることができた。チーズ盛り合わせとグラスワインを頼む。外は真っ暗で明かりすらない。こうして一人で飲むのも悪くないが、やや寂しい。相席を期待したが、まだテーブルは2脚の余裕がある。ワインだけでは足りずカクテルも頼んだ。強かに酔って、パブタイムで幸せな気持ちになった。実は筆者はパブタイムというのを週末に実践している。つまり夕食を終えてから22時頃に酒とおつまみで一杯やるのである。健康には決してよくないだろうが、仕事の疲れを癒される気がする。特に夏場にウイスキーの氷が溶けて「カラン」と音が鳴るのが好きだ。
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↑パブタイムの食堂車
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↑4人テーブル
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↑窓側
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↑チーズ盛り合わせと白ワイン
 今夜のカシオペアはほぼ満室。阪急旅行社かクラブツーリズムか忘れたが、カシオペアツアーの団体客がいる。こういう団体客は利用率の悪い札幌から上野行きの上りに回される。全体として2人組が多く、カシオペアという豪華列車があるから乗ってみよう、しかももうすぐ廃止になるんだって、というノリの客が過半数を占める。あとは鉄道ヲタクが4分の1。インタビューした訳ではないが、聞き耳を立てると、何度も乗っているヲタクは少ないようだ。これはトワイライトエクスプレスや北斗星のように予約の取りやすい開放式B寝台がなく、2人1部屋のオール個室A寝台であることが影響しているのだろう。
 部屋に戻る。3号車から11号車までかなりの距離がある。ミニロビー、車掌室、自販機コーナーを通過する。ミニロビーは質素な作りで利用者はいなかった。
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↑ミニロビー
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↑自販機
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↑車掌室
 ベッドをセットする。この部屋は2人個室なのでベッドは二つある。一つは窓に平行にある。これはソファーの座面を出すことによりベッドに変換する。もう一つはドアと反対側に窓と直角方向にある。つまりアルファベッドのL字型で、Lの角がお互いの頭を近づけ合う形となる。
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↑これが寝間着
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↑まずはドア側をセット
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↑次いで反対側をセット
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↑シーツを敷いて完成
 22時50分、青函トンネルを抜けた。線路幅が広い新幹線が走れるように、レールが外側に増設されている。いわゆる三線軌道が確認できた。
 22時56分、まばゆい奥津軽今別駅。開業前の新幹線の駅である。電気がついているということはこれから試験運転を行うのだろう。
 しばらく暗闇の中の明かりを見つめる。やがてそれにも飽きて、カーテンを下ろし、0時30頃眠りに入った。

【カシオペアで迎える朝】
2015年9月20日日曜日。
 揺れでたびたび目が覚ましながらも、目覚まし時計をセットした6時7分に起きた。こんなに早くに起きたのは、朝食が6時30分からだからだ。洗顔して3号車食堂車に向かうと、もう順番待ちの行列が隣の4号車近くまで伸びていた。行列の状況は昨日のパブタイムと若干長いだけであるが、列は全く進まなかった。朝食は洋定食か和定食でコース料理のような段取りになるので、事実上の入れ替え制になっているのだ。
 暇だったので以前行った店の食べログを投稿した。並んでいる人は「新聞を持ってくればよかった」などと言っている。新聞は各ドアに配達されていた。この日の朝刊の一面は「安全保障法案成立」だった。
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↑配達された朝刊
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↑この日の一面
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↑食堂車入口
 7時40分、待つこと1時間。ようやく席にありついた。それも相席。ただそれは望むところであった。相席になったのは行列で私の前に立っていたご夫妻であった。「カシオペアは初めてですか?」と聞くと「初めてです」と言っていた。話を聞くと、富裕層とお見受けした。和歌山といえば、みかんと梅。それと和歌山電鐵の猫駅長のたまが亡くなったこともご存じだった。
 収穫だったのは彼らに自分の書いたブログを宣伝できたことだ。
 和定食と洋定食を選べる。筆者は洋定食にした。朝日が眩しい。
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↑メニュー
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↑洋定食
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↑どちらにもコーヒーが付く
 部屋に戻る。ベッドを直す時間がない。ラウンジカーに行く。ラウンジカーは人が一杯いるだろうと思いきや、メタボの男がビデオを置いて動画撮影していたのを含めて3人だけだった。大方の東京人にとって見慣れた風景を撮っても仕方がないのだろう。外はいい天気だ。
 大宮ではいったん降りて外からラウンジカーを撮る。終着上野では人が殺到していると思ったからだ。
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↑大宮でラウンジカーを撮る
 通過する駅のホームから走っているカシオペアを撮っている人がいる。ここに限らす、郡山あたりからカシオペアを撮ろうと沿線にカメラを携えたファンが砲列をなしていた。筆者もカシオペアに乗ることはもうないだろうが、その勇姿を撮るため上京しようと思う。

↑「まもなく上野到着」の車内放送(スマホ再生不可)
 田端を通過してからはずっと動画撮影した。やがて上野の広い構内に進入する。カシオペアは行き止まりの地上ホームに到着する。ラウンジカーは最後尾だからホームの端の一番遠いところになる。お迎えのカメラ小僧も数少なく、暗い構内に入ったらと思ったら、列車は停止した。定刻9時25分上野到着。もっと多くのカメラ小僧に迎えられながら、到着するものと思っていたのでちょっと呆気なかった。
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↑カシオペア上野に到着
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↑ラウンジカーにも人が集まる
 上野に着くとカメラの放列だった。人気のなかったラウンジカーにも人が集まりはじめた。乗車組は車体に描かれたカシオペアのロゴやデッキをバックに記念撮影している。もっとも人気があるのは機関車周辺で、いつまでも人の輪が途切れることがなかった。とにかく人が写らないように撮るのが至難の業だった。カシオペア最後の勇姿を撮ろうというわけだが、そんなに何度も撮る人がいるとは思えない。首都圏の人口の多さを思い知らされた。
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↑ホームのこの乗車位置ともまもなくお別れ
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↑機関車は北斗星仕様
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↑スイートルームを撮る人
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↑辛うじて砲列をかわす
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↑東北路を駆け抜けた機関車
 しばらく上野駅構内を散策して、さっきまでいたホームに戻ってくると、もうカシオペアの姿がなかった。車庫に戻って車両整備。ホームは元の静寂さを取り戻していた。


↑乗車記を動画でまとめてみました

【終わりに】
 こうしてカシオペアの旅を終えた。トワイライトエクスプレスの重厚感、北斗星の昭和感とは違う現代の寝台列車という感じだった。文中で述べたがちょっとインテリアが軽すぎる感じがする。あくまでも個人的な意見だがトワイライトエクスプレスの方が好みであった。あとあまり満足感がなかったのは、本来2人部屋を1人で利用したことやネットオークションで寝台券を入手し予想外にお金が掛かりすぎたということがある。相撲でいえば立ち会いの変化技で勝ったような気分だ。もし本来の利用であれば異なる印象を受けたはずだ。
 もうまもなく廃止となるカシオペアに改善を要望してもしかたがない。このままの姿で2016年の3月までまっしぐらに走ることだろう。
 ただカシオペアの車両はまだ新しいので、定期仕業終了後も臨時列車として何度か復活するはずだ。新幹線が開業すると青函トンネルに余裕がなくなるので、札幌行きの臨時列車として運行するのはそれほどの機会はないだろう。JR東日本としてはカシオペアを豪華さで遥かに凌駕するクルーズトレイン「四季島」の方に力を入れたいから、北海道との乗り入れはそちらを重視するかもしれない。
 それであれば、臨時カシオペアはJR東日本管内だけの運行にすればいいのではないか。筆者が提案するのは、上野から従来通り東北本線を北上し、青森から新潟を目指すのである。距離は約1200kmでほぼ上野-札幌間に匹敵する。どうせ回送するのなら新潟から上越線で上野に戻るのもいい。この場合約350km加わる。これを普通乗車券では乗れない団体貸し切り列車として運転する。旅行会社に催行をまかせてもいいが、JR東日本がチケット販売会社を設立して、ヤフオクのように入札形式で「乗車権」を売るのもいいだろう(法的にそれが許されるのかは不明)。こうすれば高くても乗りたい人はお金を出すだろうから、今よりも遥かに収益性がよくなるはずだ。明るいうちに荒涼とした日本海側や気象の変化が激しい上越線を通過するルートはきっと人気がでるはずだ。そうなれば中間車にもラウンジが欲しい・・・。愛称はカシオペアはやめてかつて羽越本線を走っていた夜行急行「天の川」を復活させて・・・。
 まだまだカシオペアは筆者の夢の中を駆け巡っている。銀色の寝台特急の物語はまだ続くだろう。
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↑カシオペアの復活はこの上野駅から

フィリピン「シキホール島・ドゥマゲティ」旅行記 [旅行]

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↑シキホール島VILLAMARINEから見る海

【何故フィリピンへ行くのか
 今回の行き先はフィリピンである。なぜフィリピンかといえば、フィリピンに行ったことがないからだ。行ったことがないので行くというのは動機としては十分だが、何故20回以上の海外渡航歴のある管理人がフィリピンに行ったことがなかったのかといえば、フィリピンが治安に不安のある国だということが一番で、次には主力マイルにしているユナイテッド航空のマイルが貯まる航空会社が就航していないということ、さらに他のアジアの都市に比べて航空運賃が割高という点だ。
 フィリピンの治安の悪さは有名だ。乗ったタクシーで自分の荷物を開けて何かを探していると、タクシーの運転手で銃で撃たれたという。運転手は客が銃を探していると思ったという。殺人事件、強姦事件はもちろん、誘拐事件もたびたび起きる。生命の危険がなくとも、乞食が「社長、チップチップ」とうるさいし、コソ泥も多い。何しろ、他人の物を盗っても、教会で懺悔すれば潔白になると考えている国民だ。そんな調子であるから、物を買って釣り銭を誤魔化すなんてことは日常茶飯事である。
 そんなわけでフィリピン行きは後回しにしていたのだ。
 フィリピンの団体ツアーといえば、マニラとセブが主流だ。マニラはやたらと人だけ多くて見所がないし、それに犯罪も多いという。セブはもともとリゾートで発達したところだが、最近都市化がすすんで犯罪も多くなっているという。
 そんな予備知識の下で、ガイドブック「地球の歩き方」を眺めていると「ドゥマゲティ」という聞き慣れない街の名前に目を留めた。ここはシリマン大学を中心とする学園都市で、治安もよく、街並みも美しいという。実際ガイドブックに載っている写真は海岸遊歩道に椰子の葉や揺れて雰囲気が良さそうだ。
 目的地はドゥマゲティにしよう。航空券はフィリピン航空から直接購入するのが一番安かった。関西空港-ドゥマゲティ往復は税込みで76500円だった。購入したのは2月頃だった。
 しかしドゥマゲティに行くのはいいとして、宿泊先をどうするかで悩んだ。リゾートホテルは市内から離れているし、シャトルバスもあるのかどうか分からない。いちいちトライシクルに乗るのは面倒だ。それに今回の旅行では自分の自転車を持っていくつもりだ。自転車はもう20年選手であり、部屋に置き場もなくなってきたので廃車するつもりでいた。それならまるで価値のない日本で処分するより、フィリピンで乗ってもらった方がいい。ところがドゥマゲティがあるネグロス島はとても大きな島で周回などできない。かといって同じ道を往復するのはつまらない。
 そこでドゥマゲティの対岸にあるシキホール島に行くことにした。地球の歩き方には魔術師の住む島とある。怪しげな魔術師がいるためにスペインからの侵略から長い間逃れ、独自の文化が残ったという。その昔、ドゥマゲティからシキホール島全体がぼんやりと不気味に光って見えたという。それはおそらくこの島に多く生息するホタルが光っていたのだろう。魔術師の中でも最も知られているのは、ボロボロという呼ばれる伝統的なヒーリングで、ストローで石鹸の入ったコップをぶくぶく吹きながら身体をさすり、具合の悪いところにさしかかると水がいきなり白濁し、藻のようなものがわき出すのだという。さらに汚れた水を取り替え患部をなぞることを繰り返して水をきれいにすると、不思議なことに身体の悪いものが取り除かれるという。管理人からすると非科学的でどうもインチキ臭いが、フィリピン人には信奉者が多く、それを目的にシキホール島に訪れるという。残念ながらこのボロボロを会得していた唯一の老婆は2013年にお亡くなりになっていて、このボロボロは体験できない。それでも神秘的な(怪しげな)独自の治療法で症状を治すヒーラーや、薬草を調合して恋愛運や金運がよくなるお守りを作ってくれる人たちがいる。
 地球の歩き方はシキホール島については、このようなことを1ページで説明しているだけで、宿泊先は1つしか記載されていない。それが日本人の経営するVILLAMARINEというホテルであった。シキホール島は1周80キロと手頃だ。メールのやりとりで予約は完了。不安だったドゥマゲティからシキホールまでの船便を含む交通も確認できた。




【第1日目:まずはマニラへ】
 2015年5月2日午後12時半。自転車を梱包して、それ出発!
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↑自転車とマイバッグ
 関西空港着。Fカウンターでフィリピン航空チェックイン。当然、自転車は受託手荷物だ。しかし係員の女性は大きさが規定を越えているので追加料金1万円が必要です、と思わぬ発言をした。今更そんなことをいわれてもと思ったが、もしかするとフィリピンの国内線でも料金を取られるかもしれないので、合わせて約1万五千円は痛いと思い、一旦あきらめて、チェックインをすませてから一時預かり所に向かった。4Fにそれはあったのだが、一日1080円で5400円もかかる。それだったらお金を払っても自転車を持込んだほうがいい。もう一度カウンターに向かい、クレジットカードを掲示し自転車を預けた。ところが精算係の女性は、自転車などスポーツ用品は例外で大きさが越えても無料だと指摘してくれた。とんだ無駄手間となった。
 そんなこんなでチェックインは14時10分ギリギリとなった。すぐに保安検査と出国手続き。
 読みかけの文庫本を鞄に入れ忘れているのに気づき、有川浩の「レインツリーの国」を買った。出国したら消費税は不要で僅かながら安く買えた。
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↑飛行機に乗り込む
 33番ゲートでは既に搭乗が始まっている。フィリピン航空。機材はA321-200。3+3席。通路側。隣はおそらくフィリピン人の女性。脚にペイントしている。
 15時19分、機体は南向きに離陸した。フィリピン政府の入国カード、検疫、税関書類をそつなく書く。
 機内はモニターを含むエンタートメントはない。隣の娘たちはタブレットで映画を見ている。放送は日本語はない。どういうわけか乗務員の指示で日除けは下ろされている。
 16時16分に機内食。肉じゃがを選んだ。さらに白ワイン。
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↑機内食
 機内では本を読んだり、資格の勉強をした。ただしいつものことながら勉強するとたびたび寝落ちした。
 17時50分にマニラ空港に着陸。
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↑マニラ空港に到着
 18時40分に荷物を取り戻した。まずはフィリピンペソを手に入れる。空港の両替はレートは悪いのだが、何はなくとも現金である。5万円が18100ペソになった。
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↑両替所
 空港からホテルまではクルマを頼んでいる。指定された場所は到着ターミナルの車寄せの柱番号BAY16。NETWORLDホテルの女性が待っていた。彼女が持つリストには私の名前はなかったが、バウチャーを見せて納得してもらった。うだるような暑さのターミナルビル外で同乗者を待つ。脚を失くした男性が歩いてきてチップを要求する。そうここはフィリピンである。
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↑ホテルのシャトルバスを待つ
 他の利用客を待って、19時20分にやってきたバスに乗り込む。12人乗りのトヨタのライトバンで客は7名。しかし荷物が多いので窮屈だ。同乗者は年輩の男性でゴルフが目的らしい。
 クルマはほとんど日本車。例外はフィリピン独特の乗り合いバスのジプニーだけだ。これとて種車は日本車かもしれない。クルマは渋滞を抜けると、マクドナルド、Snakey、yellow cubなどロードサイド店が展開する。日本と変わらない風景。日韓友好を想起させる、こんな看板を見つけた。
 「新天下」日韓料理YAKMIX
 19時48分ホテル着。7階の部屋である。タッチセンサのカードキー。荷物を運んでくれたボーイはサービスのつもりかNHKテレビをつけてくれた。
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↑ホテルのレセプション(招き猫がある)
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↑ホテルの部屋(NHKが映る)
 SIMカードを求めて外出。自分のスマホはNEXUS5でSIMを入れ替えれば、現地の安い通信会社の料金でネットできるからだ。今回の旅行はそれを確認するのも目的のひとつだった。最初に入ったセブン-イレブンにはレジ奥にSIMカードありと書いていたが、サイズが標準SIMしかなかった。
 高架鉄道のGil Puyat駅方面に歩く。店が多くなってきて、賑やかになってきた。しかし駅周辺のコンビニ2店にもSIMすらなさそう。あきらめてホテルに戻ろうとしたら、偶然小さな電気屋でGlobeのNANOSIMを見つけた。ちなみにフィリピンの携帯電話通信会社はGlobeとSMARTが2大キャリアである。フィリピンの街を歩くと、至る所にこの2社の看板を見かける。その場でサイズを変換するアダプタに格闘しながら、スマホに取り付け。電波を拾ってくれた。フィリピンではスマートフォンの普及率は50%弱といったところだ。それもiPhoneのような高い端末はなく、SamsungかHTCが主流だ。店員は私のNEXUS5を珍しげに見ていた。SIMの価格は120ペソ(以下P)で日本円で330円ほど。相場は知らないが安く買えた。
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↑GlobeのSIMカードを入手
 次に夜食用にセブン-イレブンでビールとポテチを買う。フィリピンのスナックにはメーカー無関係に何故か「Oishi」と書いているのだ。どう考えても意味は日本語の「おいしい」だろう。フィリピンの標準語とされるタガログ語には外来語としてOishiがあるのだろうか。
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↑コンビニのスナック
 ホテルに戻る。さっきまで動作していたのに電波を拾わなくなった。どうやらSIMだけでは通信できないらしかった。

【第2日目:そしてシキホール島へ】
 5月3日、日本は憲法記念日である。
 5時40分起床。朝食は2階である。客は2人ほどしかいない。料理はどこでもあるバイキング。ただし趣向はかなり日本人に振っている。
 ふとテーブルをみるとオレンジジュースが置いてあった。赤いシャツに黒のズボンの男が料理を取っている。さすがサービスがいいなと思って、ジュースの席に座っていると。「イクスキューズミー、日本の方ですか。それ口付けてないでしょうね。そこ私の席なんですけど」といわれた。「ウワっ、失礼しました」と退散。スタッフの着ている服とよく似ていることによるミスだった。それに動揺したのかトーストを焼いているのに、ご飯を手に取ってしまった。トーストはナプキンにくるんで持ち帰り。この食堂は10時から昼過ぎまでフィリピンの英雄パッキャオと無敗の王者メイウエザーとのボクシングウェルター級統一王座決定戦の有料視聴のため貸し切りとなる張り紙がしてあった。
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↑有料視聴の案内
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↑朝食レストラン
 空港行のバスは6時半に出発する。ドゥマゲテ行は8時半発なのにこんなに早く出る必要を感じなかったが、次のバスが10時なのだから仕方がない。
 どこで待っていいかわからず、いったん玄関に降りるとたちまちタクシーが寄ってきた。するとボーイにここではないと指摘され、再び荷物を持ってロビーで待つ。6時35分ライトバンがやってきた。客は3人。その中にはさっきの朝食事件の男が含まれる。お互い気まずくて離れたところに座っていた。
 クルマを走らせてしばらくするとホテルに戻り、再び客を乗せた。ターミナル1、2と順番に停まる。ターミナル2は混んでいるな、と思っていると、国内線が中心のターミナル3はそれに輪をかけて混んでいた。
 ここに着いたのは7時だが、ビルに入るための保安検査で長蛇の列。これを突破するのに25分を要した。
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↑ターミナルビルに入る長蛇の列
 さらにチェックインでも当然のように並び、ようやく重い荷物から解放されたのは8時であった。
 Globeのカウンターを見つけたので、SIMに5日分のプリペイドカードをロードしてもらった。スマホの表示は日本語だが、男性店員は慣れたもので、軽々と設定して使えるようにしてくれた。500p支払った。
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↑ロード完了
 再度保安検査を受けて、120番ゲートに急ぐ。出発時刻が近づいているので館内放送で自分の名前が呼ばれていた。
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↑出発ロビー
 ゲートで名前を名乗って乗り込み。指定された6F席にはおばちゃんが座っていたので、軽く指摘する。
 ドゥマゲティ行のフィリピン航空の機体はA320-200。先日アルプスでドイツの航空機が操縦者が意図的に墜落させた事故があったがそれと同じ機体だ。
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↑ドゥマゲティ行飛行機
 しばらく地上走行し、セブパシック航空のターミナルが見えたと思ったら、急加速して離陸した。
 8時55分には雲の上。ドリンクサービスは紅茶にした。パンを砂糖で固めた菓子が配られた
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↑配られた菓子
 機内では断続的に寝ていた。9時50分、「ドーン」と音がして目覚め、気がついたらドゥマゲテ空港に着陸していた。
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↑ドゥマゲテ空港到着
 ドゥマゲテ空港はきわめて小規模な空港だ。手荷物のU字型のコンベアは25mもないだろう。しかしコンベアのスピードはとても早くて取り上げるのに苦労する。
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↑小型高速コンベア
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↑ウェルカム・トゥ・ドゥマゲティ
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↑観光案内デスク
 10時過ぎ、プラカードを持った出迎えのクルマに乗り込む。乗船券を手渡される。彼はシキホール島のホテルから手配してもらった運転手で、本来はドゥマゲティにあるホテルの送迎をやっているらしい。
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↑渡された乗船券
 10時20分にフェリーターミナルに到着。すぐに灰色のポロシャツを着た男がやってきて、重い荷物を持ってくれて、受託手荷物のところに置いてくれてタグを貼り付ける。それはありがたいのだが、120p請求された。彼はポーターだったのである。
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↑高速船チェックインカウンター
 シキホール行の船は12時50分発だから、あと2時間半近く待ち時間がある。スマホで暇つぶし。
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↑待合室
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↑待合室の売店
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↑待合室にあるコーヒーの自販機
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↑停泊する船。左はフェリー、右はレトロな船
 腹が減ったので、朝のトーストの残りと機内食のスナックでしのぐ。それでも足りなかったのでロビーの売店でビスケットとジュースを買う。店の女の子は値札のないのをいいことに1セット100pと主張する。最初に100pを出したのが間違いなのだ。さっそくボラれてしまった。
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↑これが250円?高いな。
 例のボクシングはパッキャオが判定で負けた。メイウエザーの堅固な防御を崩せなかった。フィリピン人は大いに落胆しただろう。しかし街の様子からはそれは読み取れない。後からの話では試合前に肩を痛めていたらしい。むしろ肩を痛めていたのに試合をして、賭けに負けたとかで、一部のフィリピン人が怒っているらしい。
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↑"世紀の一戦"の新聞
 何とか時間は潰せた。オーシャンジェットに乗り込む。指定された席は31I。定刻12時50分に出航。船内ではDVDが放映されている。この高速船はドゥマゲティ~シキホール航路で最もグレードが高く速いらしい。
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↑オーシャンジェットに乗り込む
 13時半に到着のアナウンス。右舷から降りた。
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↑シキホール島が見えた
 荷物は炎天下のケージ中に無造作に置かれる。自転車は自力で引き上げられたが、キャリーバックは中央部に取り残され、係員に「レッドバッグ」といって取ってもらった。
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↑ようこそシキホールへ
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↑船着き場の出口
 13時45分、プラカードを持った男と1台のトライシクルが待っていた。自転車は後ろにくくりつけた。ポールというその男は、今夜宿泊するホテルのオーナーの友達なのだという。
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↑トライシクルに自転車を載せる
 ホテルは島内周回道路から海沿いに降りて、数軒の民家を通り過ぎたところにある。
 14時頃ホテル着。私の他にも2人の欧米人、3人の中国人が待っている。
 このホテルは日本人がオーナーだ。彼は平塚で小学校の教師をしていて定年後、このシキホールでホテルの経営を始めたのだ。
 ホテルは孤立した藁葺きコテージ形式で最大15名泊まることができる。椰子の木が揺れる海を見て、ウェルカムドリンクを飲みながら待つ。
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↑ホテルのフロント
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↑ウエルカムドリンク
 15時、ようやく部屋に案内された。部屋はTOMOという名付けられている。茅葺き屋根であることは前述の通り。2階式になっていて、上にベッドが2台、下に1台ある。キッチンはあるが使うことはできない。冷蔵庫はある。ミネラルウォーターは25P、ソフトドリンクは45P、ビールは60Pで飲んだらお金を箱に入れる。
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↑1階ベッド
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↑シャワー
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↑キッチン(使用禁止)
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↑2階のベッド
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↑コテージの外観
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↑部屋の見取り図
 テレビはあるがNHKは映らない。というかほとんどテレビは見なかった。シャワーは島なので水が出ないかと心配したが、勢いはないもののそこそこ使える。どうやら井戸の水を使っているらしかった。海辺なのに何故か真水なのだという。湯もあるのだが、瞬間湯沸かし器なのですぐに湯にならない。バスタブはあるのだが底から20cmくらいしか溜まらない。これでは入浴とはいかないだろう。せいぜい行水といったところだ。
 閉口するのは貴重品を預かる金庫がないことと、タンスがないことだ。それに服を吊すところがないホテルは自分の記憶にない。
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↑部屋の冷蔵庫にあるビールと水
 エアコンはなく、年季の入った扇風機が稼働している。網戸はあるのだが、扉の下の方に隙間があり、さらに屋根には大きな隙間があるので、蟻や蜥蜴は容赦なく入ってくるし、虫はいうまでもなくフリーパスだ。
 まずはスマホの電池の充電をする。不思議なことに開けたところでは電波を捕まえるのに、建物の中では3Gを捕まえることができないのだ。Wifiも弱いし、ネット環境はあまりよくない。
 テレビのあるテーブルは何故か白い粘りけのある粉が落ちてくる。
 室内設備を点検が終わり、浜辺に繰り出した。初日は海、2日目は自転車で島内一周、3日目はドゥマゲテ観光と決めていた。
 海はちょうど干潮で珊瑚が露出していた。かつてグアムに行った時、南の島を歩くのにサンダルが必須だと感じていたので、日本から用意してきたのだ。もし履いていなければかなり痛い思いをしただろう。直径20cmぐらいの大きなヒトデがゴロゴロいて正直気持ち悪かった。後ろを振り返るたびにヒトデの数が増えているような気がして、しまいにヒトデに囲まれるのではないかという錯覚に襲われた。
 沖にむかって歩いた。珊瑚がなく砂浜のところはエメラルドグリーンに見える。そこなら深さがあって泳げるのだが、ヒトデの数は多いし、サンダルを履いているとはいえ、踏むのはイヤだ。さらに沖に行くと緊急時に足を付けたときに踏むと痛い珊瑚はあるし、毒のあるオニヒトデもいるかもしれない。またサンダルを履いたまま泳ぐのは難しい。
 そんなわけで半時間もしないうちに撤退することになった。まあ南の島はこんなもんだろう。ただもう少し泳げると思った。
 洗濯をする。洗面台に栓はなかったが、木製の手桶があったので代用。あとで知ったのだが、このホテルでは無料で洗濯をしてくれるらしい。
 18時30分、自分の海外旅行で恒例となっているフィリピンのテレビ番組のスキャンをしていると、浴衣を着た現地雇用の女の子がやってきて「食事の時間です」。
 食事は一人だと思っていたが、ホテルのスタッフやN氏という先客と同席だった。
 N氏は八王子在住。職業は文筆業と聞いてびびったが、学習参考書の執筆らしい。ここに来た目的はダイビングである。
 オーナーは大学で社会科の教員免許を取得したが、採用枠がなく、平塚で小学校教員の採用枠があったので、急遽特別枠で採用された。定年後はオランダにいたが、どうしたことかフィリピンに流れてきて、シキホール島を気に入って、ホテル経営を始めたという。趣味はテニスで実際宿泊客とコートで楽しんでいる。
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↑テニスコート
 明日、自転車で島内を一周するというと関心を持たれた。先日自転車で世界を回っているスイス人の夫婦がやってきた。しかし折からの台風で船は欠航。予定の飛行機に間に合わないということで、シキホールからセスナ機をチャーターした。しかし自転車に機内に持ち込めず、自転車はホテルに寄贈したという。あとで見てみたら普通のマウンテンバイクだった。一般人が走るにはちょうどいいかもしれない。
 話題は自分たちの話から、フィリピン人についての話題に移った。

・フィリピン人の女の子は献身的だが金目当ての悪女もいる
・フィリピン人は家族を重視する
・家族で移動することが多い
・家族に限らず友達などと一緒にいて一人でいることが少ない
・家族が多い。12人兄弟でそれぞれ5人ほど子供がいるのは普通
・親戚が多いために日本人男性が結婚後たかられて破産することがある。
・フィリピンでは届け出で銃の所持が可能
・人を誤って殺しても日本円で5万円払えば、潔白となる

 突然話しは変わり、N氏は結婚とは崖から飛び降りるようなものといった。それくらい勇気のいるものかもしれない。
 シキホール島ではオーストラリア人が経営するリゾートホテルが一番評判がいいらしい。名前は忘れた(後日ココ グローブ ビーチ リゾート と判明)。そこはビーチがある。スタッフは「うちのホテルはビーチが弱いんですね」と正直に語った。確かに。あの珊瑚とヒトデだらけの海は泳げない。
 21時40分、部屋に戻る。蚊取り線香の用意。外のベランダに置いている貝殻を灰皿にする。
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↑貝殻の上の蚊取り線香

【第3日目:シキホール島一周】
5月4日、日本ではみどりの日。
 午前3時、屋根を叩く雨音で目覚める。ただ茅葺き屋根のおかげで音が小さい。エアコンがないので暑いかと思ったが、想像していたよりも快適で、虫にも刺されなかっった。
 7時40分にイギリススタイルの朝食。
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↑ホテルの朝食
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↑カラムンガイのジュース
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↑晴れているが雲が微妙
 さて今日は自転車で島内一周だ。自転車を組み立てながら、蛇口から出る水を沸かして熱湯消毒し、ボトルに詰める。自転車に水分補給は必須だ。しかしミネラルウォーターをわざわざ買うのも莫迦らしい。日本から湯沸かし器をあらかじめ持ってきていたのだ。その旅行用湯沸かし器リトルボコボコについてはここをクリック。
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↑組み立てた自転車
 9時15分に島内一周に出発した。出発直後はローギアの不調に悩まされたが、それは後輪タイヤの取り付けがずれていたのが原因だった。
 今回はシキホル島の外周道路を一周する。地元ではこれをハイウェイと呼ぶ。正式名称は「シクィジャー・サーカムフェレンシャル・ロード」という。フィリピンは右側通行なので島を右周りに走ることにする。
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↑曇ってきたぞ
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↑雨が降ってきた
 空は曇り空だが青空も見える。しかし走るほどに雨雲が現れ、路面は濡れ、向こうから歩いてくる人は傘をさしている。すると10時30分頃、SAN JUANの手前で急に雨が降ってきた。どこかで雨宿りをしようと、近くの民家の物置の軒下を借りる。そこは豚小屋であった。寝ていたのを起こされて怒っているのか鼻を突きだしてブーブー鼻を鳴らす。隣には子豚が眠っている。民家の勝手口から人影が見えるが、フィリピン人の大らかさなのか、見た目怪しくないと思ったのか、なにも言ってこなかった。20分ほど待つと雨がやんだ。南国特有のスコールであった。
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↑民家の倉庫で雨宿り
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↑そこは豚小屋だった
 24km走ったところで、峠越えとなる。5kmで170mほど登る。ローギアの立ち漕ぎで何とか登れた。標高はMY TRACKアプリによると、275mとある。当然ながら下りは楽だった。最高速度は53km/hを記録した。
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↑ここがどうやら最高地点
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↑位置はこのあたりと思われ
 峠を越えたところにあるLAZIでちょっと有名な教会と滝がある。とりあえず写真を撮った。滝の方はちょっとハイウェイから入らないといけないし、道も悪いし上り坂ということで中止した。どうせ期待以下の風景だろう(イソップ寓話『すっぱい葡萄』)。
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↑滝の観光案内板
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↑教会
 LAZIを出発してしばらくした12時10分頃、またも急な雨が襲ってきた。木の下に待避した。同時に日本から持ってきた乾パンで昼食。
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↑この辺で2度目の雨宿り
 さて沿道風景であるが、これがどこを走っても民家があるところに雑貨店がある同じようなものだ。一言でいって単調である。時々コンクリートで固めれたあずまやで数名人が待っているが、彼らはバスを待っているのだろうか。トライシクルはこの島の主力交通。あとバイクは多い。一人で乗っているのは少なく、ほぼ3人乗りが標準である。自転車は1周回って2台見かけただけで、しかも近所を走っているだけのようだった。
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↑日本の田圃のような風景
 12時45分、海沿いを走る。大した景色ではないが、やっぱり海はイイね、というわけでここでセルフタイマーで記念撮影。
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↑海が見えた
 13時10分、シキホール島東岸で最大の街であるMariaに着いた。ここで自転車を置いて休憩する。公設市場がある。それなりに賑わっている。売店もあるのだが、ペットボトルが冷蔵庫に入っていないのだ。そういう店もあるのだが、反対車線だったりでついに入ることができなかった。それにしてもコカコーラの瓶に異常に赤い液体のジュースが無人販売のように置いているのはなんだろう。

追記--------
読者からの情報提供で謎が解明。コカ・コーラの瓶に入っていたのはガソリンだそうだ。
--------
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↑Mariaの公設市場
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↑典型的な雑貨店
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↑沿道にはこんな売店が多い
 13時51分、浜辺で子供が泳いでいる。このあたりは泳げるらしい。そこから10分ほど走ると、真新しい防波堤の向こう側に南国らしい風景が見えた。近くに役所がある。再びここで記念撮影。どうせならここは自転車も一緒に写すべきだった。
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↑このあたりは泳げる
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↑役所"Municipality of Enrique Villanueba"と書いてある
 峠を越えてさら30分を走ると、整備中の海岸遊歩道が現れた。シキホール島北岸で島内最大の街LARENAが近い。
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↑遊歩道を整備中
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↑まもなくLERENA
 やがてそのLERENAに着いた。消防署や役所、銀行。道路の上には運動会のように小さな黄色の旗が横たわっている。この街は通り過ぎただけ。もう出発から7時間を迎えようとしている。
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↑LERENAの街
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↑消防署
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↑おそらく町役場
 島内の小学校はだいたい道路に面してバスケットボールのコートがある。下はコンクリート。土の運動場はないようだ。
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↑小学校
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↑島内の民家
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↑ホテルに戻る
 そこから30分。ついにホテルに戻ってきた。到着時刻は15時50分。スタッフのマトさんから「おかえりなさい」とお声がけ。実走距離は80キロ。Movesでは79.2kmとなっている。MY TRACKSで補完していたが、途中正午頃雨宿りしたときに一時停止して再起動を忘れたので、途中が歯抜けになってしまった。残念ではあるが停まった地点がはっきりするので勝手に納得する。ちなみにMovesとMY TRACKSはスマートフォンのアプリで、Movesは加速度計で徒歩、自転車、乗り物を分析し、止まったところの滞在時間など一日の行動を全自動で記録してくれるアプリだ。電池の消費が激しいのと、精度が悪いのが難点だが、筆者には手放せないアプリなので、モバイルバッテリーを持ち歩いている。MY TRACKSはON/OFFを手動で行う必要があるが、位置精度がよく、初めて走るジョギングコースなどで使っている。かつてはグーグルアースと連動し、航空写真上に走った軌跡を再生する機能が付いていたが、Android5.0がリリースされてから機能しなくなってしまい残念である。
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↑Movesによる記録
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↑MY TRACKSによる記録(途中途切れたのが残念)
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↑MY TRACKSによる高低差の記録

 まずはシャワーを浴びた。汗びっしょりだ。
 ベランダの籐製の椅子に座って、「レインツリーの森」を読む。関西空港で深く考えずに買った本だが、健常者と聴覚障害者の恋愛話でおもしろく引き込まれる。
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↑ベランダで読書
 18時30分に夕食。カラムンガイのアイスクリームがおいしかった。ちなみにカラムンガイとはフィリピンに存在する非常に栄養価の高い植物で、フィリピン人が貧しくても生きていけるのはこのカラムンガイのおかげだという。
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↑2日目の夕食
 昨日いなかった白人男性がいる。彼はスイス人でシェフとしてここで働いているという。祖父はシンドラーエレベーターの会長。実際オーナー夫妻がスイスの彼の家に行ったときにその部屋の広さに驚いたという。
 他にもオーナーは前の連続ドラマ「あまちゃん」の脚本家、宮藤官九郎がここにやってきたと言っていた。このホテルはテレビでも取り上げられて結構有名らしい。
 N氏はタイのサムイ島に行った思い出として浜辺に寝そべりながらの露天商が印象に残っているという。私は行ったことがあるが全くの初耳だった。それとバリ島の踊り娘のレベルは世界一だと称えた。指先の動きを注目せよとのこと。どうせ行くなら乾期の8月から9月に行くべきだと続ける。それを聞いて私はバリ島に行きたくなった。
 今日は疲れていて取るもの手につかず。しかし疲れを理由に部屋のビールを飲んで寝る。旅行に行くと自分は酒ばかり飲む。
【第4日目:ドゥマゲティ観光】
5月5日(火)。日本はこどもの日である。
 7時に朝食。今日は天気がよろしい。
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↑本日の朝食
 今日は対岸のドゥマゲティ市内観光に行くつもりだ。本日チェックアウトするカナダ人のアンドリューと一緒に港まで送ってもらう。ドライバーは私の分の乗船券を買いに行ってくれる。本来は本日分しか乗船券は買えないのだが、「顔」で前日予約ができるのだという。
 到着するとすぐに乗船した。ここに来たときの船と違ってかなり古く、船の両弦にフロートが付いている。これは東南アジアでは一般的な形態でバンカーボートという。さっきはフロートと書いたがそれはアウトリガーと呼ぶらしい。高波でも安定性があるが、抵抗がある分船足が遅い。
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↑船に乗り込む
 8時定刻に出航した。シキホール航路は万事にいい加減なフィリピン人にしては意外に定時運行だが、客が少ないとそれを理由に休航になることがあるという。
 英語の勉強もかねてアンドリューと話したいところだが、エンジン音がうるさすぎて断念。彼も音楽を聴き始めた。
 出航半時間後、海を見ると鏡のように波が穏やかだ。
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↑穏やかな海
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↑海から見るドゥマゲティの街
 9時半、ドゥマゲティ港に到着。アンドリューはトライシクルに乗って空港に向かった。
 まずは帰りの乗船券を買わねばならない。ドゥマゲティ-シキホール島間は複数の船会社が運行している。クルマも積めるフェリーは遅い。高速船でも船によって設備や所要時間も違う。できるだけ滞在時間を長くして、また夕食の時間に間に合うように、16時発に乗ることにした。ついさっき乗ったのと同じ船会社だ。しかし往路は130Pだったはずだが、170P徴収された。理由はわからない。何しろ時刻表も運賃表も貼り出されていない。文句も言えない。40P横領されていても不思議ではない。ここはフィリピンである。
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↑ここで乗船券を購入
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↑ここでターミナルフィーを支払う
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↑ドゥマゲティ港の待合
 今日はドゥマゲティの街歩きである。まずは海岸沿いの遊歩道を歩く。遊歩道は港を目指して北に向かって工事中である。遊歩道は途中で途切れており、公衆トイレがでんと構えている。トイレは有料であるが、鍵がかかっていて利用できない。海は汚れている。
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↑遊歩道
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↑遊歩道で記念撮影
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↑公衆トイレ(利用できない)
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↑ドゥマゲティの中心部の地図
 ドゥマゲティのランドマークとしてはベルタワーとなるだろう。そこを目指して歩く。10時半に着いた。スペイン領時代の見張り塔という由緒ある塔を外から眺める。1分ほどで見飽きてしまった。それよりも塔に違和感なく繋がっている有料トイレの方が気になった。
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↑ベルタワー
 ベルタワーの前にセブンイレブンがある。咽が渇いたのでジュースにミネラルウォーターを買う。フィリピンのセブンイレブンはどこも日本よりも狭く、万引き防止か警備員が常駐している。ここの女子店員はすごく愛想がよかった。これだけでもドゥマゲティの好感度が上がるというものである。
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↑コンビニの飲料
 公園に公衆トイレがある。ここも有料で1回5ペソ。番人がいるので彼に料金を払うと、切手のような領収書が発行される。有料の割には汚い。
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↑有料トイレ
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↑有料トイレの領収証
 次に観光案内所に向かう。ドゥマゲティ市内からクルマで30分程のところでカサロロ滝という景勝地がある。ここは昨日のシンドラー氏が推薦していた。そこへ交通公共機関で行く方法を聞きに行く。
 その行き方はドゥマゲティからヴァレンシアVALENCIAまでジプニーに乗る。運賃は150P。さらに滝への入場料が100P必要だという。そのジプニーはどこから乗ればいいのか聞くと、セントロサ通りだという。
 さてそれはさておき昼食である。ドゥマゲティにはシリマン大学というアジアで最古のプロテスタント系の大学がある。昼食はそこのキャンパスに潜り込んで、格安の昼食にありつこうというわけである。
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↑クルマは意外と多い
 白い門をくぐると道路の両側にキャンパスが広がる。しかし食堂がどこにあるのかわからない。
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↑シリマン大学入り口
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↑学内道路
 キャンパスの案内板をぼんやりと眺め、学内に一歩足を進めると、警備員がやってきて、両手人差し指で四角を描いた。許可証という意味だろう。そんなものは持っていないので退散した。
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↑マクドナルド
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↑ジョリビー
 別に学食に拘らなくても、食べるところには困らない。フィリピンファストフードの最大手ジョリビーJollibeeはもちろんその向かいにはマクドナルドがある。一応両店とも覗いてみたが、席が少ないように感じたので、撤退。
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↑ジョリビーの前で配られていたチラシ
 結局CHIBOGというファストフードに入った。なんでファストフードに入ったのか、考えてみると、ぼられるのが嫌だったかもしれない。BABY BACK RIBが195P。番号札をもらって待つ。味は結構いけていた。ご飯はなくなったら店員が盛ってくれる。が、何故か私のところにはこなかった。もっともインディカ米は口にあまり合わず必要なかった。
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↑CHIBOG
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↑BABY BACK RIB
 再び外へ。日本の8月のような暑さで日焼けする。トライシクルとオートバイが走りまくっているので、排気ガスで空気が汚れ、よけいに暑く感じる。
 さてカサロロの滝を目指す。観光案内所で教えてくれた、セントロサ通りまで歩き、ヴァレンシア行のジプニーを探す。しかし確かにジプニーは次々やってくるのだが、行き先が南に位置するBACONGもしくはその先にあるZAMBOと書いているのしか来ない。その疑問は帰国後にわかった。ヴァレンシア行のジプニーはここではなく、公設市場の北側の通りから発着するのであった。
 しかしこれがわかっていたところで、乗っていたかどうかわからない。もうすでに時間は13時を過ぎていて、シキホール行の出航時刻は16時。15時過ぎにはここに戻ってくるには2時間で往復しなければならない。グーグルナビによると、ここからの距離は14キロ。クルマでは30分もかからないとは思うが、不案内な現地で右往左往することを考えればとても余裕のある時間ではない。レンタルバイクは6時間で200Pぐらいだから、これを利用することも考えた。しかし万が一の事故を考慮しこれもやめた。
 結局、カサロロ滝はあきらめて街の中をただウロウロするだけになった。公設市場を歩く。米はもちろん細長いインディカ米だが、数10種類ぐらい銘柄があり、1kgで30から50Pぐらいだ。日本円で140円ぐらいか。当然のことながら日本より安い。ただしフィリピンでは米は自給できず輸入に頼っている。
 あと、フィリピンの特長として、小分け売りが多いことがあげられる。洗濯石鹸はもちろん、たばこも1本単位で売っている。これはフィリピン人の収入が低すぎるからであろう。
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↑公設市場
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↑スーパーマーケットもある
 歩き回って暑いので、セブン-イレブンに入る。劇的に涼しくて快適。ソフトクリームが売れている。私も買ってみることにした。まずはレジで「アイスクリームプリーズ」と言って15P支払う。そのレシートをディストリビューターまで持っていって、味を指定してコーンに入れてもらう。レシートはかすれたマジックでチェックを入れられて返却。
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↑セブンイレブン
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↑買ったソフトクリーム
 なんということのない普通のソフトクリームだがとてもおいしかった。ちなみにフィリピンのコンビニは必ずテーブルと椅子があり、飲食に供している。日本のコンビニもコーヒーやドーナツに力を入れているから、郊外店を中心にテーブル席が増えてくるだろう。
 感心するのはフィリピンのファストフードやコンビニは必ずレシートが返却されることだ。中国、韓国、または欧米では請求しないとくれないことが多いがこれはいいことだと思う。
 ATMという看板があったので足を止める。ATMといっても現金支払機ではなく、夜間金庫のような窓口が開いているだけだ。ATMの下には「AUTOMATIC TUBIG MACHINE」とある。TUBIGとはタガログ語で飲料水という意味らしい。あとDICTというのは「ここ」と意味らしいことが工事現場の看板で把握できた。
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↑ATMといっても現金はでない
 ドゥマゲティの街歩きをしての感想だが、まずはほとんどの物はここで揃えられるということ。SM、ロビンソンといったスーパーもあるし、公設市場もある。またファストフードも全国規模なのは全て存在する。散髪屋や美容院もあちこちにある。シリマン大学など学生が多いせいか、街に活気がある。逆に乞食が少ない。クルマの騒音は同規模の日本の地方都市に比べると激しいが、マニラのそれに比べれば静かなものである。信号機はなく、警官の交通整理もいまいち無視されている。歩道の整備がなされていないが、これもマニラに比べればはるかにマシである。フィリピン随一の大学病院や歯医者も町中に3院は見かけた。また銀行も多い。フィリピン人のほとんどは銀行口座を持っていないという。それに貧しい人は歯にお金をかけようとはしないだろう。つまりこの街には富裕層が多いことを示しており、それはつまり高い治安の裏返しだろう。ドゥマゲティが海外からの移住先第一位になるのはうなずける。私も日本の年金で暮らせないか検討してみる。問題は信頼のできる仲介者と現地で使える医療保険であろう。

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↑PAENSHOP質屋
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↑スマホが並ぶ
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↑日本ではあまり見かけないブラザーのプリンター
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↑フィリピンの有力スーパー「ロビンソン」
緑と赤の福山通運のトラックを2台見かけた。ハンドルは何故か左だった。
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↑福山通運のトラック
 15時20分に港に戻る。船は既に着岸しており、手荷物検査を受けて、すぐに乗り込む。船は往路と同じ老朽船で、もう80%は埋まっていた。カサロロ滝は諦めたのは正解だった。
 どうにか座った2人掛けの窓側席の隣に女性が座った。その後女性は席を替わってくれと頼まれた。快く了承した。窓側の方が涼しいからだろうか。これはフィリピンではよくある風習なのか。こんな些細な出来事でも考えさせられる。
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↑帰りの船
 5分遅れの16時5分に出航。海路は順調だったが、16時40分、エンジンオイルかガソリンが噴出。後方に座っていた私にも少しふりかかった。もしガソリンなら火元があって引火すれば、福知山花火事故のような惨事になるところだが、さいわいにそのようなことにならなかった。ただ異臭が船内に充満し、水色のポロシャツを着た船員は日除けを開けるように促した。ちなみにこの船にはガラス窓はない。
 スマホのバッテリー残量は16%を切っている。予備電源は持っているがケーブルを忘れたのでどうすることもできない。
 船内はもっぱら眠って過ごした。17時30分に接岸。そのまま走ってホテルに戻る。約2.7キロを17分ぐらいで走った。トライシクルだと50Pだそうだ。
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↑シキホール港に到着
 シャワーを浴びて夕食。このホテルは海外では珍しく1泊2食付きだ。夕食はとても足りないだろうと思っていたが、歓談しながらということもあって、十分だった。夕食はアジのたたきだった。
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↑最終日の夕食
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↑カラムンガイのアイスクリーム
 さて今回の旅行では自転車の処分も課題だった。ドゥマゲッティで放置することも考えたが、私はこのホテルに寄贈することにした。夕食も終わる頃、オーナーのダーマン原田に歩み出て、寄付を申し出た。喜んで受け取るとのことであった。すぐに自転車を見せた。ロードサイクルなので一般人が乗るには適していないが、フィリピンでは入手難なので日本よりも資産価値はあるだろう。スタッフが総出して代わりばんこで乗っていた。想定以上の好評でこちらもうれしかった。
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↑スタッフに自転車を贈呈
 明日の朝は早いので精算をする。1泊2食で2500P(ただし外人は食事なし1200pの二重料金)。これに送迎料金が加えられた。ドリンクはオーナーと一緒に食事したから無料だった。さらに自転車寄贈で値引きがあって、ちょうど9000pとなった。自転車に乗った私とともに記念撮影。
 21時前に部屋に戻り、持ってきた湯沸かし器で、これも持ってきたティーパックでお茶を飲む。寝たのはいつだったか。
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↑フィリピンの通貨

【第5日目:再びマニラへ】
5月6日(水)。日本では振替休日。
 3時4時と目覚め、4時からは眠れず。5時に起きる。
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↑さらばシキホール
 5時半、スタッフの総出で出発。自転車を寄付したお陰だろうが、なんだか重要人物みたいである。
 港に着いた。乗船券は昨日の時点で手にしていたが、座席の指定を受ける必要があるので、それを運転手が代行してくれた。12G席が指定された。
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↑船内
 船は定刻6時に出航した。船はそこそこよくて窓もある。船足も速く1時間後の7時に着いた。
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↑ドゥマゲテ港着
 ドゥマゲテ空港のマニラ行きは10時40分発。まだまだ時間がある。
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↑フレームの中の船
 朝食がまだだ。昨日海岸通に見つけていた「AWESOME DESSERTS」という店に入った。客はおらず開店しているのかどうかわからなかったが大丈夫だった。BIG BREAKFASTを頼んだ。コーヒー付きで200P。窓にはオーストラリア国旗が飾っている。まあ外人向けの店だ。
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↑AWESOME DESSERTS
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↑BIG BREAKFAST
 8時に店を出た。まだまだ時間があるのだが、重い荷物を引っ張ってあちこち歩きたくないし、昨日さんざん歩いたところである。
 あきらめて空港に行くことにした。ほどなく空車のトライシクルが現れた。赤いシャツを着た運転手は最初は相場の100Pと言った。私はダメ元で拒否した。そこで彼は80でどうだと言ってきた。断る理由はない。私は彼の不満を和らげるために軽く微笑んだ。海外では言葉よりもこれが利く。
 10分もかからずに着いた。チェックインはまだ行われていない。窓口はフィリピン航空とセブパシフィックしかない。椅子も10程度しかない。こんな狭いチェックインカウンターは初めてだ。チェックインすると、搭乗券は関西空港まで出てきた。荷物はマニラでピックアップすることを確認した。
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↑こぢんまりしたチェックインカウンター
 ターミナル料金100Pを支払って、再度手荷物検査をして待合室へ。入ってすぐのところに売店がある。Tシャツなどを売っている。例によって値札がない。視覚障害者がマッサージをしている。その後彼らのうちに一人がギターを持って歌いだした。
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↑空港待合室
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↑視覚障害者によるマッサージ
 ビル内ではGLOBEのFREEWIFIが使えるので意外に退屈しなかった。
 10時に飛行機が着陸した。おそらくあれに乗るだろう。しかし出発予定時刻になってもなかなかアナウンスがない。10時50分にようやく乗り込めた。11時22分にようやく動き出した。セスナ機が離着陸していたから、おそらくそちらの方が優先度の高い重要人物なのだろう。
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↑飛行機に乗り込む

 機内ではマニラのどこに行くか決めた。マニラはかつては東洋の真珠と呼ばれたが、今は人口だけが多く排気ガスと交通渋滞と犯罪に満たされた街だ。有名な見所もなく、とりあえずサンチャゴ要塞とキアポ教会とその南にあるキンタマ-ケットを目指すことにした。
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↑順調に飛行
 予定より大幅に遅れた12時45分にマニラ空港に着陸。無愛想なターミナルビルを歩き、13時25分に漸く荷物を取り戻した。
 ホテルから指定されたBAY6にはネットワールドホテルのクルマや係員はいなかった。到着予定が12時であるからこれは当然である。ホテルに電話し来てもらえるように頼んだ。しばらくするとNETWORLDHOTELの女性が現れた。これで安心である。13時50分にバスがやってきた。10分ほどでホテルに着いた。9階の部屋の窓から大きな観覧車が見える。
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↑ホテルの部屋の外
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↑9階の部屋
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↑バスルーム
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↑変わったところにあるクーラー
 まずは最寄りのGil Puyat駅まで歩いた。そして腹ごしらえ。Chowkingという中華系のファストフードの店に入ってチャーハンを食べる。インディカ米はチャーハンには向いている。店内は混んでいて相席になった。
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↑Chowking
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↑チャーハン
 高架鉄道1号線でセントラル駅を目指す。窓口でセントラルターミナルというと、「あっちだ」といわれた。反対ホームに来てしまったらしい。なお駅では形式的な手荷物検査が行われる。バッグを開けて見せ、警備員がドラムのスティックのような棒でさらに広げて目視。
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↑出札口
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↑乗車券
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↑改札口
 電車はとても混んでいる。ホームも幅狭で車両も小さい。まるで東京の銀座線や名古屋の東山線のようで、すでに限界を超えている。早急にバイパス線を造らないといけない。
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↑狭いホーム

 セントラル駅に着くと地下道を潜り、サンチャゴ要塞を目指す。しかしグーグルマップを持っていたいたにもかかわらず、道に迷い、イントラムロスという城郭にはたどり着いたものの、要塞には行けなかった。どうせ大して期待していなかったので後悔はしていない(イソップ寓話『すっぱい葡萄』)。
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↑ウエルカムイントラムロス
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↑イントラムロス城郭
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↑城郭の上
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↑ドアを開けたままのバス、ジプニー、自転車タクシー”ペディキャブ”
 マッカーサー通りを歩いているとやがてキンタマ-ケットに到着した。キアポ教会ではミサが行われていた。私も脱帽する。壁際に電話ボックスのようなものがあり、僧侶が中に入っている。神とコンタクトをとっているのだろうか。
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↑マッカーサー通りにある銅像
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↑古びた鉄道の高架橋
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↑キンタマ-ケット
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↑キアポ教会
 もうこれでマニラの見所は終えた。あとはどうするか。埋め立て地にSMモールオブアジアという東京ドーム8個分の巨大施設があるという。地元ではモアMOAと呼ばれている。ここを目指すことにした。最寄り駅はエドゥサEDSAでここからジプニーに乗ることにした。満員電車で駅に着いた。MOA行のジプニーはやってくるのだが、いずれも経由地だ。降り損ねたらどうするかとかいろいろ迷ってしまったのと、そこに行くことに意味があるのか自分に問いかけ始めた。ショッピングモールなんて日本の方が上に決まっている。
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↑MOA行のジプニー
 ジプニーはひっきりなしにやってくる。「モア、モア、モア」と叫んで呼び込む人がいる。実際に乗車したら運転手かチップをもらっているようである。

 フィリピンに来たのにジプニーに乗らないのは残念な気がする。安全なドェマゲティで試しておけばよかった。
 駅の近くの本屋に入る。本屋といっても文房具が主である。落ちている本をうっかり踏んでしまい、フィリピン人の女の人に睨まれた。目は口ほどに物をいう。日本人の印象を悪くしたのではないか。
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↑店の外にいるネコ
 20時過ぎ、ホテルに戻り海舟という日本食のレストランに入る。仲居さんが浴衣を着ていてそれは可愛いのだが、しっかりサービス料が請求される。客は日本人ばかり、ビビンバとニラレバ炒め。味ははっきりいって美味しくない。さらにうっかり日本のサッポロ黒ラベルを頼んだのはまずかった。輸入ビールなので300ml缶が600円もするのだ。
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↑ビビンバはもうひとつ日本のビールは高い
 一旦部屋に戻り、サウナに入る。一旦1階に降りて別のエレベーターで5階に上がる必要がある。宿泊者は無料である。まずは風呂に入った。やはり日本人は風呂である。外国でこのような立派な風呂には入れるとは素晴らしい。宿泊料金はやや高いが、日本人がマニラに滞在するにはここをおススメする。
 サウナに入ると疲労は抜けたはずだが、脱力感も生じて、明日の準備をするだけで精一杯だった。

【第6日目:帰国する】
5月7日。この日は有給休暇をとってあった。6日の帰国便は理不尽なほど高かったからであった。
 深夜、ドアの外で韓国人か中国人らしき女性が大声でわめく音で目が覚めた。まったく彼らはマナーが悪い。
 朝食もそこそこに6時半前にチェックアウト。しかし6時半発のシャトルバスに乗れなかった。次は10時発しかない。前日に予約をしていなかった私のミスである。「予約要」とは書いていなかったので油断していた。仕方がないのでタクシーを手配する。運賃は400P。もったいない話だ。バスに乗れないならもっとゆっくりと朝食を食べていたことだろう。
 日本帰国後わかったことだが、このネットワールドホテルでは2泊で予約の段階ですでに引き落とされていたのだが、3泊分引き落とされていた。おそらくクレジットカードの引き落としを取り消してくれるものと思われる。
 7時に空港第2ターミナル着。保安検査もチェックインカウンターも10名程度しか並んでいなかった。ターミナル料金は航空券に含まれている。
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↑ターミナル2チェックインカウンター
 出国検査場はチェックインカウンターとパーティションで仕切られているだけだ。次に最後の保安検査。ベルトまでとられて結構厳重だ。
 ターミナル2の免税店は貧弱な品揃えだ。両替屋もない。マッサージ室はある。喫煙ルームは繁盛している。
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↑混んでいる喫煙室
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↑閑散とした公衆電話
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↑満席のラップトップステーション
 今回の旅行ではお土産は全く買っていない。しかしお気に入りのドイツ製チョコ-レートMaicyがあったので衝動買いした。5個入り35Pとは安い、と思ったらそれは35ドルの間違いだった。それでも日本で買うよりは安い。ただし市内のスーパーではもっと安い。
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↑買った唯一のお土産
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↑さあ機内へ
 8時20分機内に乗り込む。ここでも放送で名前が呼び出されていた。指定された49C席には先客がいた。アジア人のような顔をしたアメリカ国籍を持つオバチャンだった。後に英語で税関に関することで質問されたが、自分の英語力ではお答えできなかった。
 フィリピン航空には4回乗ったが、エアシックバックは1枚しか手に入れることができなかった。9時10分に離陸した。さらばマニラ。さらばフィリピン。
 離陸20分後に機内食。チキンを頼んだのに、テーブルに置かれたのはビーフだった。
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↑機内食
 日本時間13時10分、まもなく到着のアナウンス。もう着いたのか。あっけないな。13時26分関西空港に着陸。
 驚いたのは日本に入国する外国人の数。日本の数100倍はいそうだ。
 荷物をゲットするとビーグル犬の麻薬探知犬が近づいてきた。税関では特に質問はなかった。
 泉州池田銀行で余ったフィリピンペソを日本円に両替する。予想通りレートは悪く1円=3.11pとなっている。ちなみにフィリピンでの交換レートは1p=2.78円。
 帰宅は17時前。荷物をバラして風呂に入る。伸びきったひげを剃る。白髪が交ざってる。私も歳をとったものだ。

【旅行を振り返って】
 こうしてフィリピンに行ってきたわけだが、その印象を端的に述べれば、「フィリピンは海に潜ってなんぼの世界」ということである。そういう自分は全く潜っていないわけだが、人づてに聞いた話を総合的に考えてのことだ。海でも泳ぐには日差しが強すぎて適していない。街歩きはドゥマゲティはコンパクトにまとまっていたが、それほど歩きやすく魅力的な風景があるわけではない。マニラは人が多すぎるし、はっきりとしたランドマークは存在しない。マニラは飛行機を乗り継ぐために泊まるのに限定するべきだろう。
 物価が安いものの、治安が悪く、釣り銭も誤魔化されることの多いフィリピンは、リゾートとしてはあまりおすすめできない。日本人が考えるようなリゾートを体感するにはハワイかグアムを選ぶべきだろう。多分セブ島でも満足できないのではないか。
 ただダイビングが目的であれば、一気に評価が上がる。小さな島の集合体のフィリピンは魚の多様性に富んでいるからである。体験ダイビングもあるようなのでフィリピンではダイビングを組み込むべきだと思う。
 ただフィリピンにはトライシクルとかジプニーといった他所の国にはない乗り物がある。乗り物に興味がある人は一度経験しておいてもいいと思う。

次の旅行に続く

台湾旅行記2014 [旅行]

 今回の行き先は台湾である。2002年以来12年ぶりとなる。当初は5月の大型連休に行くつもりだったが、ピーチ航空でも往復7万6千円とあまりに高かったので断念。ちょうど4月中に運転免許の更新をする必要があったので、その日を有給休暇にして、午前中に更新手続きをし、午後から出発することにした。金土日の2泊3日とはいえ、初日は台北の夜を楽しむだけで実質1泊という感じ。台北観光は前回行ったから省略し、2日目は烏来温泉と九フン、3日目に台中にある新幹線の見えるレストランに行くことにした。
4月18日(金) 晴
 14時半頃、関西空港に到着。格安航空専用ターミナル2行のバスに乗る。26人の客。
 ターミナル2は1年ぶりだ。今回の台湾行きはピーチ航空だ。預け入れ荷物がないので、自動チェックイン機に航空券控えのバーコードとパスポートを読み込んで、チェックイン完了。
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↑ターミナル2入り口
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↑ピーチ航空チェックイン機
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↑ターミナルビル内
 15時15分保安検査。列がなかなか進まなかった。ピーチ航空は機内サービスが有料なので、売店で紅茶と菓子を買ってベンチで食べる。乗客は日本人より台湾人が多いようだ。
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↑搭乗待合室。必要最小限しかない。
 15時45分にゲートへ。格安航空専用ターミナルなので、安普請で非常に殺風景だ。ピーチ航空MM0027便はほぼ満席である。
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↑ゲートに向かう。といっても外に出るだけ
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↑外に出ると飛行機が待っている
 カガミ機長の操縦するA300-200機は16時20分にA滑走路を北向きに離陸した。
 入国カードを書くと、昨夜は睡眠不足だったので、睡魔に襲われた。
 18時20分にようやく目を覚ました。時計を台湾時間にする。1時間遅らせる。台湾では上空からの撮影は禁止されているとのアナウンス。
 台北桃園国際空港に着陸。天気は曇り。空港は混雑していて18時14分にようやく接岸した。
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↑台北桃園国際空港ターミナルビル
 入国審査が混んでいた。両替を済ませ、19時5分にようやく税関を突破した。
 台北市内へ向かうリムジンバスのうち、長栄巴士は19時40分発とある。他にもバスが出ているが、予約しているホテルの最寄りの停留所があるのはこのバスだ。運賃は150元でチケットブースで買う。5202系統は150元だが5201は95元だ。その違いはわからない。
 腹が減ったので、コンビニエンスストアーで食べ物を物色する。おにぎりなんかもある。日本でおなじみの「パイの実」とか「トッポ」「ポッキー」もパッケージも日本語のままで陳列されている。白人が突然「ダイジョウブ」いうので振り返ると「大丈夫」と書いた栄養ドリンクがあった。腹持ちの良さそうな「登山・旅遊・露営」「黒麦日糧」とあるビスケットを買った。
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↑日本でよく見かけるお菓子がある
 今まで空調が効いていてセーター1枚では寒かったが、バスに乗るため外に出ると、セーターを脱ぎたくなる暑さだった。気温は25℃。
 バスは19時45分、5分遅れで発車した。乗客は20人ほどで日本人はいないみたいだ。
 20時45分、MRT忠孝復興站に到着した。このあたりは繁華街で夜遊びの人で賑わっている。ホテルはいささかいかがわしい店も入る雑居ビルの13階にある。少し歩いて楽天トラベルで予約した「友統ホテル」に着いた。チェクインは問題なく、クレジットカードで前払い。フロントから左に2回曲がったところにある部屋をあてがわれた。
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↑忠孝復興站付近
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↑友統ホテルは雑居ビルの中
 とりあえず、夕食をするため外出。食べるところには困らない。日本語の看板も散見する。日本人観光客向けというよりも、台湾人にとって日本文化は付加価値を持つのだろう。
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↑台湾のPCの画面はこうなっているらしい
 さんざん歩き回った。店の名前は忘れたが、店員は「伍染玖ゆうにくそば」と書いたシャツを着ていた。おそらくユニークソバの間違いだろう。店員は日本人だと知ると日本語のメニューを持ってきた。「紅焼半筋半牛肉麺」「猪肉湯餃」にした。注文書にチェックして渡す。かなりの量でしかも熱い。ラーメン2杯食べた気分であった。「猪肉湯餃」はいわゆる水餃子である。240元。
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↑伍染玖ゆうにくそば
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↑紅焼半筋半牛肉麺
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↑猪肉湯餃
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↑台湾の注文票
 コンビニエンスストアーで晩酌用の買い物。日本のスーパードライや一番搾り、また地元台湾のビールがあるが、私は何故か台湾製造と書かれた青島ビールにした。あてはポテトチップスにし、体調を整えるためヨーグルトを買った。
 ホテルの部屋はダブルベッドが一つ。窓には光を通さぬブラインドが降りている。椅子と小さなテーブルはあるが、机はない。つまりビジネス用というよりもラブホテルという仕様である。バスタブは異様に長く、アメニティのクオリティは高い。バスタブの水があふれると、隣のトイレの床が水浸しになってしまう。この不完全な防水は海外では珍しくない。トイレを仕切るカーテンはイルカのイラストが描かれていて、これはちょっと可愛かった。
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↑ホテルの部屋
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↑バス
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↑カーテン
 有線LANのジャックがある。今回の旅行のために有線LANから無線LANに変換するアダプタを持ってきた。しかしそのアダプタからの電波は拾うのだが、ネットにはつながらない。どうやら有線LANがつながっていないらしかった。
 スマホのWifi認識リストをみてみると、YougtongHotelというのがあった。パスワードを要求された。電話番号を入れてみると繋がった。これでネット環境は整った。
 晩酌しながらネットで情報を集める。テレビは見なかった。もうテレビよりもインターネットなのである。隣の部屋から音はするが気になるほどではない。
 日付が変わり床についた。

 4月19日(土) 曇
 7時起床。窓を開けると殺風景なビル街が見えた。
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↑ホテルの窓の外
 朝食はフロント横に並べられた料理をトレイに取って部屋で食べる方式だ。トースターの性能が悪くなかなか焼けない。中には上手にサンドイッチを作る人もいた。
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↑朝食一例
 8時20分外出。ホテルは地下鉄忠孝敦化駅の近くにある。この足の便利がよく、安かったというのがこのホテルを選んだ理由である。
 地下への階段を下りると、地下街がある。まだ閉店している。通路の中央にあるベンチには何人か座っていた。
 まずはEASYCARDを入手する。これは関西でいうイコカのような交通系プリペイドカードで、地下鉄はもちろん市内バス、コンビニエンスストアーの支払いに使える。カードは自販機で買える。まずは100元でカードを買い、500元チャージする。
 駅とか公共施設では、「TPE-free」という公衆無線LANが利用できる。予め日本出発前にIDを取得していた。難なく繋ぐことができた。持っているスマホは海外の電波を拾わないので、Wifiが頼りなのである。
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↑台湾地下鉄の駅風景。ホームの天井が高いのと自動券売機が無骨な以外日本とあまり変わらない。
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 地下鉄を2回乗り換えて、9時15分、淡水線の終点新店駅に着いた。高速道路のガードがそのまま併設されたバスターミナルの屋根となっている。
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↑新店駅。上は高速道路?

 今日は烏来温泉を目指すことにする。ここからバスで約30分。駅の案内図に書いてあったバス停で待つ。タクシーの運転手が客引きをしている。15分ほど待って最初に来たバス849系統は満員だった。これには乗らなかった。手持ちのイージーカードが使えるかどうか、また前乗りか後乗りかわからず迷ったのが理由だ。
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↑バス停
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↑タクシーが群がっている
 9時40分、その後それほど待たずに烏来行が現れた。満員だったが何とか乗れた。どうやら運賃は後払いらしかった。運転席の上に「下車収費」との表示がある。前から乗り込みそのまま運転手の後ろに立った。運転手は後から乗ってきた顔なじみの客と話をしている。その客は乗ってしばらくしてからカードセンサにタッチしている。その辺は柔軟に対応しているようだ。バスは山道を進む。とにかく揺れるのでメモを書くためのペンもままならない。数人に客は途中で乗り降りしていたものの、ほとんどの客は台北市内から烏来温泉までの直行だった。運賃は15元。10時10分に着いた。
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↑バス運行図
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↑下車収費
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↑烏来温泉に到着
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↑これが露天風呂
 土産物店を抜ける。子豚の丸焼きなどを置いている。日本でもよくあることだが、同じようなものを供給していても特定の店に行列ができている。
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↑子豚の丸焼きが鎮座
 烏来といえば温泉の他にトロッコ列車も有名だ。鉄道ファンの私としては見逃せない乗り物だ。片道50元の運賃を払う。乗車券はクレジットカードの使用控えのようである
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↑出札口
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↑これがきっぷ

 私の直後には日本人男性のグループがいた。彼らと青いトロッコ列車に乗り込むことになる。トロッコの原動力は小型ガソリンエンジンらしく、高音のパタパタした音が響く。人が歩いている道の間近をトロッコは通り抜けていく。これはおもしろい。滝が見えたと思ったら、そこは終点であった。終端はループ線になっていて、右に急カーブでトンネルを抜ける。
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↑終点
 このあたりはかつてタイアル族が住んでいて、そのような格好をした人が土産物店にいる。
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↑タイアル族
 落差のある滝を眺め、その上空をロープウエイが通過する。選挙の候補者のポスターが貼っている。台湾の選挙ポスターは至る所にあって、しかもサイズがでかい。
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↑滝の上をロープウェイがある
 とりあえずこのロープウェイに乗ってみることにした。頂上の入園料込みで240元は、さっきのトロッコの50元に比べると高い。
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↑ロープウェイ山下駅
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↑出札口
 ロープウェイから眺める滝は距離がありすぎて大迫力とはいかなかった。
 頂上駅にはかつて日本でよく見かけたからくり人形のおみくじがあった。
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↑土産物店
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↑おみくじの自動販売機
 階段をやたら登って「雲仙楽園」に着いた。小さな池にはボートが浮かび、何故こんなところにあるのかわからない大きな船がオブジェのように陸に上がっている。道も池の中を飛び石づたいに歩かねばならないところもある。
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↑何故船がある
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 最終的には遊園地に着いた。遊園地といっても子供向けのゴーカートや弓矢や射撃があるだけだ。タイアル族の舞踊はすでに終わっていて、次の演舞は14時半となっている。今日はこのあと九分に行くつもりなのでそこまで待てない。よって下山することにする。
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↑遊園地にある的屋
 まあロープウェイ以外に価値のない雲仙楽園であった。11時42分、帰りのロープウェイに乗る。
 帰りのトロッコは前に女性日本人観光客が座っていた。トロッコがこんなにおもしろいとはと感動していた。
 せっかくだから温泉に入ろうと思う。一部の旅館は日帰り温泉もやっている。日本であらかじめ調べておいた「由布苑」という店に行くことにした。店の前には客引きがたむろしててあまりいい雰囲気でない。料金を書いた看板を眺めていると、店員に英語で話しかけられた。もとよりこの店に入るつもりだった。しかし余裕を失くしたのは確かだ。
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↑温泉街
 ここの日帰り温泉は貸し切り風呂になっている。浴室の奥に脱衣場があり、タイル張りの浴槽に湯がたまるのを待って服を脱ぐ。テレビもある。湯はかなりの勢いだ。オッさんに英語で説明を受けて、400元を払う。おやっ。看板には300元と書いてあったと思うけどな。そう思いながらも、その時は反論する自信がなかったので、そのまま支払った。
 湯そのものは無臭で癖がなく、本当に温泉なのかなと疑ってしまいそうだ。窓からは河原が見える。
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 風呂から上がると、茶菓子が出る。
 料金の件が不満なので、何もいわずに去った。今にして思えば料金の看板を撮影しておけば決定的な証拠になったのにと悔やまれる。あとでネットで看板の写真を見つけた。湯屋は300元。檜木が400元とある。
 この件に関しては帰国後新北市の観光課にメールで問い合わせた。向こうからは中国語、こちらからは英語でやりとりし、「300元は複数人で入った時の1人当たりの料金。本来は安全のために1人1室の入浴は認めていないが、わざわざ日本からのお越しということで、100元増しでこれを認めた」という弁明が返答されていた。
 時間があるのでタイアル族の資料館に入る。
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↑買っている人はいなかった
 風呂にも入ったことだし、食事にしよう。でも入りたくなるような店がない。私は中国語は文字が読めても発音ができない。従ってメニューで指さし注文できないと意思が伝わらない。確かに大衆食堂は安いのだが、相席になるし入りづらいのだ。仕方ないので屋台でソーセージを買った。
 ソーセージを食べていると、猫が2匹寄ってきた。食いこぼしを狙っているのだろうか。
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↑ソーセージ
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↑二匹の猫
 ファミリーマートがあったので入ってみる。ラインのスタンプやワンピースの単行本を置いていた。
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↑LINEではおなじみのキャラ
 13時20分バス停に到着。帰りのバスは混雑していた。15分に1本ぐらいでやってくるのだが、積み残しの客が20名ほどいる。一部に割り込みの客が見られるもののの、誘導員にたしらめられていた。台湾人は大陸中国人と異なりマナーがいい。地下鉄の博愛座、日本でいう優先席には決して健常者は座らない。これは日本でも見られない特徴だ。
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↑バス待ちの人々
 13時45分発のバスに乗る。帰りも座れなかった。ぼんやり景色を眺めていると、すでに新店駅に着いていた。
 ここで昼食となる。中華料理に飽きていたので、ケンタッキーフライドチキンで食べる。中国人の嗜好に合わせているのかポテトは辛くてあまりおいしくなかった。
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↑台湾のケンタッキー
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↑地下鉄に乗る
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↑九フンへの行き方


 地下鉄で台北駅に着いた。ここから鉄道で九フンに向かう。九イ分(きゅうふん)は台湾の「非情城市」という映画や、宮崎駿監督の「千と千尋の神隠し」のモデルとなったといわれる古い街並みが売り物で、近年人気が高まっている。筆者の場合、家のカレンダーの写真に使われていて、それを見て行きたくなったのだ。
 しかし、窓口には「自強号はすべて満席」との趣旨の張り紙が貼ってあった。それが九分の最寄り駅瑞芳方面も該当するのかどうかはわからないが、とにかく鉄道はだめなようだ。
 ここから地下鉄で3駅の忠孝復興駅の近くから九分への直通バスが出ている。時間的にはそちらが速いらしい。そこに向き合うことにした。
 高架鉄道に並行した道路のTASTYという西堤牛排の店の前にバス停がある。ちょうど「台北九分金瓜石」と電光掲示のあげたバスが出ていったところであった。場所は間違いない。バス停には日本人10数名を含む客が待っていた。タクシーの客引きが「キュウフン?」を勧誘する。4人ぐらいで乗れば、バスと大して変わらないとパウチをもって説明する。何人かそれに乗っていったようだ。それにしても九分はここまで人気があるのか。
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↑TASTY
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↑ここでもバスを待つ行列
 15時45分にやってきたバスに乗る。このバスは一部高速道路を通るので、定員乗車となるため、運転手から整理券を渡される。運賃は後払いと表示されている。
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↑整理券
 約1時間後、交差点の信号待ちで運転手がいきなり降りた。どうやら近くの陽光加油というガソリンスタンドでトイレをしていたようだ。
 バスは郊外に向かって進んでいく。16時半頃、自強号を思われる列車がバスを追い抜いていった。しばらくすると「十分瀑布」と書いた交差点を通過した。十分瀑布とは気になる名前だが、今回は無視だ。もし存在を知っていて、九分に行ったことがあれば、行っていたかもしれない。
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↑十分瀑布の看板
 17時、バスから客がぞろぞろ降り始めた。ここが九分かどうかわからなかったが、大きくはずれているとは思えなかったのでそこで降りた。果たしてそこは目的地の「九フン老街」であった。バス停は高台にある。海が見えて、天気がいいとさぞ景色が良かろうと思うが、あいにくの曇り空であった
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↑人が多い

 セブンイレブンの横の基山街を歩く。土産物店や食堂が並ぶ。中華料理特有の臭いがする。すでに観光客でごった返している。半分以上は台湾人だが、日本人もかなりいる。白人も10数人見かけた。
 まもなく眺めのいいポイントにでた。記念撮影する人も多い。しかし残念ながら柵に缶やパックが無造作に捨てられており、景観を大いに乱している。ゴミ箱の設置を要望したい。
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↑眺めはいいが曇っていて残念
 この先の階段を降りると「非情城市」の撮影地で全日空のカレンダーの写真で見た赤い提灯が連なった風景に出くわすのだが、もう歩き疲れていて、地図を見るという作業すら億劫になってしまっていた。階段は降りなかった。実はこのあたりにいいレストランがあるのに惜しいことをしてしまった。
 そこにレストランがあることも知らずに、基山街を戻る。大衆食堂はあるのだが、メニューがなさそうで入りにくい。屋台で買った焼いているのにひんやりとした食感の粉物を食べた。動画は撮っているのだが、商品名が分からない。
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↑まねきねこ
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↑ショッカーの紋章みたい
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↑路地裏
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↑日が暮れました
 バスを降りた場所に戻り、お土産として黄色の財布を買った。時間はまだある。猫専門のグッズの店に入ったが、手抜きのような代物ばかりだった。
 少し坂を登ったところにある台北方面へのバス乗り場はすでに長蛇の列ができあがっていた。ざっとみて30分は待つ必要がありそうだし、しかも座れるとは限らなかった。
 ここはタクシーで最寄り駅の瑞芳駅に向かうのがよさそうだ。19時、土産物店の前でタクシーを拾う。「瑞芳站」と書いたメモを渡す。タクシーにはメーターがなかった。運転手は日本語で「180元」と言った。あとでネットで調べたらそれは相場であった。15分程で瑞芳站に着いた。
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↑瑞芳駅
 あとは鉄道の確実で太い流れに身を任せるだけだ。時刻表も電光発着表示もある。迷うことはない。台湾では上り下りではなく「逆行(北上)」「順行(南下)」と表記される。ここから台北に向かうには順行に乗ることになる。最終便までまだまだ時間がある。駅前を散策することする。
 交通量が激しい割に信号のない道路を渡ると、正面に「美食街」という市場がある。いかにも中国の庶民向けの飲食店が並ぶ。触手が動くが、どうも観光客相手ではないらしい。「紅焼肉50元」「天婦羅30元」などと書いてある。他にもいろいろあるが、日本の漢字には存在しない文字を含むので書けない。
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↑ケーキ屋
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↑三洋電機健在
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↑家電屋
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↑弁当屋
 結局、入口近くで売っていた「胡椒餅」というのを買った。これは焼いて固い皮に胡椒を利かせた豚肉とネギを包んだもので、あと食べて「もっと買っておけばよかった」と思った。今回の台湾旅行で最も美味だった一品だ。
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↑胡椒餅
 切符は窓口で「台北 最速列車 1丁」とメモを書いて見せて入手。
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↑乗車券特急券
 20時02分発の自強号に乗る。自強とはいわゆる特急である。指定されたのは最後尾9号車19番通路寄り。窓側の客は現れなかった。車両の内装はほぼ日本の国鉄特急485系を踏襲し、ほとんどそっくりといっていいものだった。まるで日本に居るかのようであった。車両番号も「450R3013」とある。番号も似ている。
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↑国鉄の特急車とよく似た車内
 20時38分台北駅に着いた。台北駅は地上に難波にあった新歌舞伎座のような立派な建物があるが、ホームは地下にある。
 台北駅の地下街を歩く。日本の地下街と似てオシャレな雰囲気だ。中には吉野家など日本でおなじみの飲食店もある。しかしテナント料が高額なのか、市内の3倍ほどの値段設定となっている。それでも客がそこそこ入っている。赤羽○亭という店で「鯛魚羊肉」というのを食べる。鯛は和食では重用されるが、中華料理では「ウンコを食べる魚」として価値が低い。ここ台湾で鯛とはどういうこと?食べてみると鯛というよりもマグロに近い味だった。もしかすると和食をアレンジしたのかもしれない。
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↑日本テイストが漂う台北駅
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↑鯛魚羊肉
 コンビニエンスストアーに寄った。ビールは台湾麦酒の値段の高いのを選び、つまみはグリコのクラッツのアメリカ産版を買った。日本でおなじみの「名探偵コナン」「クレヨンしんちゃん」はそれぞれ「名探偵河南」「蝋筆小新」と称せられる。台湾は日本文化の受容度という点では世界一だろう。他にサプリメントの名前で面白かったのは、「祖断機」「燃焼機」「排空機」とある。22時にホテルに戻る。
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↑台湾麦酒
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↑台湾のサプリメント
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↑「名探偵コナン」「クレヨンしんちゃん」
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↑漢字の国なのでなんとなく意味がわかってしまう
 台湾のテレビ放送を見る。チャンネル数は30はあったと思う。何故か日本ハム対楽天の試合が放映されていた。ただしNHKはなかった。


 4月20日(土) 曇
 7時半起床。メモに「朝食クレーム」とあるが、何なのか思い出せない。どうでもいいことなのだろう。
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↑朝食はこんな感じで並んでいる
 8時45分にチェックアウト。今日は台中市の南の彰化縣にある「銀河の鐵道」という新幹線の見えるレストランに行くことにする。バッグを転がして地下鉄に乗って台鉄台北駅へ。
 台湾の新幹線に乗るのは初めてだ。新幹線は高速鉄道、略して高鉄と表記されている。日本と違って在来線とは運営会社は別になっており、乗車券もそれぞれ別に買わねばならない。
 切符は自動券売機で購入できる。クレジットカードに対応しているし、日本語はないものの英語表示が可能である。日本の普通車に相当するスタンダードが765ドル、グリーン車に相当するビジネスが1095ドルとなっている。また普通車には自由席もある。少しだけ迷って、ビジネスに乗ることにした。
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↑高鉄乗車券
 台北駅の地下駅は2面のプラットホームがあり、高鉄と在来線にそれぞれ別れている。車両は東海道新幹線の700系そのものである。それもそのはず。高鉄は軌道も車両もフランスやドイツの技術を導入する予定であったが、欧州流のインフラができあがったところで、ドイツの高速列車ICEが大事故を起こし、台湾大地震もあって、地震国日本の新幹線に白羽の矢が立ち、日本製車両の導入することに方向転換された。一部に欧州規格が残り、日欧折衷のシステムとなっている。それを最も感じるのは自動改札機でイギリスの地下鉄のそれと同じ、切符を入れて、手に取ってから、扉が開くタイプである。必ず裏向きに入れなければいけないので不便である。
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↑高鉄改札口切符を抜いてから開くのが日本と違う
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↑ほとんど700系
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↑スタンダード
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↑ビジネス
 ビジネスクラスの車内は2列+2列でグリーン車そのものであった。6号車13A。窓側である。ちなみに中国では窓側は「窓邊」、通路側は「走道」という。
 9時36分定刻に左営行が発車した。需要のある高雄まではまだ開通していないのだ。東京と大宮のような関係だろうか。何度も書くが新幹線と全く同じである。平野部を走るのでトンネルはない。並行する高速道路の橋脚が日本のそれに比べて華奢な気がする。

 コーヒーと菓子のサービスがある。ミネラルウォーターもある。新聞のサービスも車内販売もある。コーヒーと菓子のサービスはかつて日本の新幹線もやっていたが、途中の乗降客の多い日本ではまもなく廃れた。今東北新幹線のグランクラスでは飛行機の機内食に対抗して簡単な弁当を出しているが、結局は廃止されるだろう。何度も利用する人にとってはサービスにならず煩わしい客もいることだろう。
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↑水とコーヒーと菓子付き
 隣の客は新竹駅で降りた。ゴミの回収に来た。気になったのは各駅の停車時間が長いことだ。これでは高速性が損なわれるだろう。
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↑沿線
 10時38分、真新しい高鉄台中着。ここで降りる。本当に日本の新幹線そのものである。構内にはモスバーガーやロイヤルホストといった日本のブランドが入居している。台湾には駅弁があると聞いていたが本当にあった。
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↑高鉄台中着
 高鉄台中駅は在来線の新烏日駅と併設されている。経営母体が違うから駅名も違う。ここから在来線に乗って彰化駅まで乗ることにする。切符は自動券売機で買い、運賃は15元。日本円で約50円。自動改札機は見覚えがあると思ったら、大阪地下鉄で使っていた中古だ。
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↑紙で作ったオブジェ
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↑高鉄公式グッズ売店
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↑なぜかマジンガーZもどきが
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↑自動券売機
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↑ローカル乗車券
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↑大阪地下鉄と同じ改札機
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↑普通列車で彰化へ
 台湾鐵道では普通列車は区間車という。11時15分発に乗り、彰化駅に着いた。さきほどの高鉄台中駅と異なり旧態依然としている。駅前では献血をやっている。
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↑彰化駅
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↑台湾の献血
 タクシーに乗る。台湾では台北市以外ではタクシーにメーターは付いていないと聞いていたが、このタクシーにはあった。運転手は「銀河の鐵道」の場所を知らなかった。公式ページの地図を見せて納得。
 トヨタウイッシュのタクシーは高速道路に入った。はて、そんなに遠かったのだろうか。おかしいな。と思いつつも、理由がよく分からなかった。分かったのは帰国後地図を見てからであった。高速道路を降りて、紫色の看板が見えた。目的地は近い。タクシーはそれを500mほど行きすぎてしまい、別の新幹線眺望レストランと思われるところに停まっているクルマの運転手に道を聞いて戻ってきた。銀河の鐵道は人気があるのか第2駐車場まである。着いたのは12時ちょうど。日曜日なのにそれほど混雑していない。夕方からの方が人気があるのだろうか。それでも階上のガラス張りの席を含めて15人ほどの客がいる。テラスに出ているのは10人ぐらいだ。ひとりで来ているのは私だけで、しかも日本人は他に居ないようだ。
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↑「銀河の鉄道」レストラン
 展望台ではなくレストランであるからには料理を注文しなければならない。銀河什錦鍋羊を頼んだ250元。どちらかというと洒落た雰囲気なのにしかもテラスで鍋料理というのは違和感があるが、別のグループもそうしていた。実際、その方が中華料理らしいじゃないか。ということで納得した。ひとりで鍋というのも変だったが、まあ美味しかったのでヨシとする。
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↑テラスからはこう見える
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↑下は庭園になっている
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↑鍋の具材
 新幹線は4回ほど通過した。そのうち一回は標準塗装と異なったラッピング塗装であった。それを動画撮影できたのは幸運だった。

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↑さらば「銀河の鉄道」
 もっとここに居たい気分だが、今日は帰国日。飛行機に乗り遅れたら大変だ。撤退することにする。
 タクシーはもちろん帰ってしまった。バスもない。したがってタクシーを呼ぶしかない。中国語はできないし、日本語は通じないが、英語は通じる。タクシーを呼んでもらった。「BLACK1567」というメモを渡された。黒いクルマでナンバーが1567という意味だろう。10分ほどでやってくるという。名残惜しいが仕方がない。階段を降りた道路で待っていると13時頃、タクシーがやってきた。タクシーといってもメーターもない普通のクルマだ。いわゆる白タクではないか。まずは料金を確認した。中国語で「ドゥシャオチェン(いくらですか?)」。運転手はスマホで料金を確認。往路のメーターと同じ300元であった。日本円だと1000円か。
 車内のBGMはチャイコフスキーのピアノ協奏曲。運転手は普通のオッさんだが渋い選曲だ。タクシーは来た道を進む。ところが10分後途中高速道路を降りた。遠回りをする気か、と思ったら、給油であった。
 13時35分には彰化駅に着いた。運転手は日本語で「スイマセン」と言っていた。
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↑チャータータクシー
 ところであとで調べてみると「銀河の鐵道」の最寄り駅は員林駅であった。「銀河の鐵道」の住所が彰化県と書いてあったので、彰化駅が最寄り駅だと思い込んでいたのだ。しかもわざわざ乗り換えた彰化駅が高鉄台中駅からタクシーに乗るよりも遠回りになることがわかった。これが分かったのは帰国一週間後だった。しかしながら損害はせいぜい500円程度。授業料とすれば割り切れる。
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↑これは在来線の高速車
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↑これはガンダム
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↑台湾の雑誌
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↑日本の作家の本
 13時45分発の区間車に乗り、高鉄台中駅に戻った。帰りの新幹線は普通車の指定席にした。3B席で3列席の真ん中であったが、両脇の客は現れなかった。桃園駅に着いたのは15時14分。桃園駅は新しいが閑散としている。15時35分、リムジンバスに乗って空港に向かう。客は7人だった。緑色のバスは燃料切れの寸前のような音を鳴らして進む。
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↑リムジンバス
 15時50分空港着。着いたのは目的地のターミナル1ではなくターミナル2だった。リムジンバスには電光表示板がないため分からなかった。外国客は想定していないのだろう。モノレールでターミナル1に移動。これは前回の訪台時にはなかったものだ。
 16時50分、ピーチ航空のカウンターに到着。長蛇の列だが10分でチェックインでできた。
IMG_0418.jpg↑ピーチ航空チェックインカウンター
 姉に免税のたばこと化粧水を頼まれていたので奔走する。私はその手のものの知識がないので、苦手である。期待に応えたかったが、品物を発見できず、諦めた。姉の感覚では、日本出発前の免税店で買ってこいということだが、筆者の旅行スタイルは、彼女がよくするようなスーツケースで送迎付きのパック旅行と違い、荷物になる物は可能な限り避ける必要がある。
 17時45分、プラオリティカードを持っているのでラウンジで休憩。最近、プラオリティカードの使えるラウンジはビジネスクラスの客と顔を合わさないように、使えるところが限られ、内容はB級化している。ここもそのご多分に漏れない。趣味の悪いキンキラキンの椅子は座り心地が悪い。アルコールの提供もなく、食事も質が低い。客層も自分も含めて低いようだ。ただ、台式滷肉飯Taiwanese Braised Pork Riceは美味しかった。ラウンジの利用は僅か10分だったが、お陰で腹ごしらえができた。
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↑B級のラウンジ
 第3ゲートに着くと、18時30分出発のはずが、何とまだ飛行機が到着していない。桃園空港は混雑しているようだ。あまり遅れると最終電車に間に合わない恐れがある。親に遅れる旨を伝え、最悪の場合を想定してスマホで調べる。
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↑出発ゲート前
 ようやく19時10分に飛行機に乗り込めた。機体番号はJA802P機長はクスノキとアナウンス。窓際の席。台湾の夜景を下界に望む。しかしまもなく厚い雲に遮れた。
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↑飛行機に乗り込む
 機内ではポメラで旅行の記録。疲れたり、電子機器の使えない時は文庫本を読んだ。トイレには立たなかった。ピーチ航空はシートピッチが狭いので、通路側の人がでてくれないとトイレに立つことはできない。まあ2時間だし、機内の飲み物のサービスもないので辛抱できる。
 ここからは日本時間。22時40分に着陸した。23時6分にシャトルバスに乗った。客は4人だけ。
 空腹だったのでエアロプラザの松屋で牛丼。客は空港で働く人が多いようだ。
 関西空港23時32分発に乗って日根野乗り換えで帰宅。
 今回の台湾旅行は十分な準備をしていなかったことや、詐欺に遭ったり、タクシーで遠回りしたり、帰国便が遅れたりして、思い通りにいかなかった。旅行の出来は悪かったが、もう台湾がゴメンだというほどではない。また機会があれば行きたいと思う。

北京旅行記 [旅行]

 【注意】これは2009年12月の旅行記です。表現は当時の印象を優先して書いておりますのでご了承下さい。
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 日本が過去もっとも影響を受けた国は中国であることは間違いない。今読者が目にしている漢字は中国で作られたものであり、ひらがなカタカナにしても、漢字を崩したのを元にしている。漢字だけではなく、文化、技術ありとあらゆるものが中国伝来である。もし近隣に「先進国」中国がなかったら、日本はアフリカのマダガスタル島のような国になっていたかも知れない。
 今でこそ中国は経済的にも世界有数の国であるが、ほんの20年前ほどは、人口が多いだけで、彼らは総じて貧しく、先進国との格差も大きかった。海外からの旅行も大きく制限されていた。ところが20世紀末、低賃金を武器に先進国ブランドの製造工場が進出しはじめると、一気にその地位と高め、今やほとんどの家電製品はMADE IN CHINAとなり、かつて世界を席巻したMADE IN JAPANは民生品ではほとんど見かけなくなった。
 膨大な人口を有し、広大な国土を持つ中国が、国民所得が上がり、経済成長軌道に乗り始めるのにそれほど時間はかからなかった。貧富の差の拡大、共産党独裁政治による人権の抑圧など問題はあるものの、21世紀は中国の世紀となるのは確実である。
 文化技術の先生、そして世界の未来を担う国。そんな中国に行きたい。そう思っていた。かつて必要であったビザの発行要件も緩和され、短期間の観光であれば必要なくなった。
 そして決行の時は突然訪れた。2009年11月末、筆者の勤務している会社は生産調整のために、12月の金曜日を休業することになった。有給休暇を組み合わせれば4連休も可能だ。祝日を含む3連休だと、足元を見たように、値段が高くなる海外旅行も、普通の土日の前後ならそれほどでもない。実は筆者は年末年始にドバイに行くことをすでに決めていた。それに支障がないように低予算で日程を決定する必要があった。
 筆者は基本的に大手旅行会社の海外旅行ツアーを利用しない。そういったツアーはおひとりさま料金が高く、航空券とホテルをそれぞれ別に予約した方が安いからである。
 しかし今回、検討してみた結果、JTBのツアーが意外と安いことがわかった。行き先は北京か上海に決めていて、同時に2都市も不可能ではなかったが、今回は北京一本に絞ることにした。何といっても中国の首都。首都はその国の文化を分かりやすく教えてくれるものである。
 11月28日、JTBの営業所に足を運んだ。筆者が希望した12月11日発の北京4日間ツアーは最小施行人員の2名に達していないので、成立できないとのことであった。そんなに客が少ないのかと驚いた。しかし電話で問い合わせてもらったら、ちょうどオプショナルツアーのない客の申し込みがあったとのこと。これで契約成立。旅行代金50660円を支払った。

12月11日(金) 雨
 出発前、いつも海外旅行に持って行く腕時計の電池切れに気づく。思えば出発前に電池が切れていて良かったのかもしれない。現地で切れたらやっかいだからだ。尤も腕時計はどこでも手に入るが。
 降りしきる雨の中、8時半頃、関西空港着。まずは団体受付カウンターに並び、航空券控えを受け取る。JALのカウンターには長蛇の列。私は往路のみオンラインチェックインしていた。自動チェックイン機にパスポートをかざすだけで完了した。荷物を預け身軽になった。久々の関空なので、3Fレストランを一回りし、出国審査。シャトルに乗ってゲートで待機する。恒例の搭乗機体の撮影。窓が雨に濡れていたので、水滴を避けて写した。
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↑搭乗した飛行機
 中国行きは急に決めた。決定から実施まで2週間もかかっていない。筆者の場合、海外旅行は半年ぐらいはかけていたからこれは異常な短期間だ。北京に行くと決めたものの、北京のどこに行くのは決めていない。天安門広場や万里の長城があるのは知っていたが、どこにあるのかも知らない。飛行機の待ち時間ではガイドブックを読んでどこに行くのか研究した。
 10時10分に搭乗開始。出発予定が20分遅れ、10時50分に機体が動き出した。北向きに離陸した。まもなく雲の切れ目から眼下に神戸空港。
 機体はB767-300。座席の18Gは翼の前の右窓側。座席別の液晶モニターが設けられている。ただ水平飛行に入るまではインタラクティブプログラムが立ち上がらず、映画を見たいと思っても液晶には何も表示されない。作動するのはオーディオプログラムだけだった。離陸するまで待たされたのでこれは退屈だった。
 11時30分機内食が振る舞われた。ライスに牛肉の炒め物。それに茶蕎麦がついている。知らないメーカーのホワイトチョコレートもついている。白ワインにビールを追加し一番搾りを選んだ。お目当てのヱビスビールは前の客に取られたのだ。
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↑機内食
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↑冷めないように皿の下にプレートがある
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↑一番搾り
 11時55分韓国上空に差し掛かった。ガイドブックばかり読んでいる。本日の搭乗率は50%以下という惨状で、こんなに空いている国際線は初めてだ。隣の席も空いていてトイレが行きやすい。3時間のフライトで2回行った。なるほど、ツアー料金が安いわけだ。
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↑順調に飛行
 日本時間13時15分、間もなく北京とのアナウンス。北京は日本に対して1時間遅れている。12時45分に高度が下がりはじめた。
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↑北京上空
 13時05分着陸。511スポット着。この番号はゲートナンバーと関係ないらしい。
 到着した北京首都国際空港は2008年の北京オリンピックを期に改装されたらしく、世界の主要空港と何ら遜色がない。搭乗口から降りて、まずは検疫がある。先ほど書いた書類を渡す。「私はインフルエンザにかかっていない」と自己申告するだけである。次に入国審査。中国人用、外国人用、団体用と並んでいる。最初外国人用に並んでいたが、係員の指示により、中国人用に並んだ。
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↑北京空港ターミナルビル内
 シャトルという水平エレベータのような乗り物に乗って到着したターミナル3からターミナル1に移動する。シャトルといってもかなり長い距離を走る。
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↑シャトル
 次に託送荷物の受け取り。エスカレータから降りるとすぐに、目の前に自分の赤いバッグが現れた。こんな経験は初めてある。
 税関の前にある銀行で3万円両替する。レートは1円=0.0718元で、1元は約14円ということにある。手数料として50元徴収される。手持ちのガイドブック「地球の歩き方北京篇」には「両替ショップでは手数料60元徴収されるが、銀行は取られない」とあるが、中国工業銀行と表示があるにも関わらず、しっかり手数料を徴収された。
 税関は申告するものがないのでスルー。扉が開くと右側に「LookJTB」のプラカード掲示があり、担当の馬氏が迎えに来てくれた。名刺には「交通公社新紀元国際旅行社有限公司ルック営業部北京接待課ガイド 馬連傑」とある。満員のエレベータで1階に降りて、送迎の箱バンに乗る。13時45分出発。同行の客は男性2名で、年長の人がコテコテの関西弁をしゃべり、もうひとりが標準の丁寧語をしゃべっていた。話の内容を聞いてみると、どうやら出張で来ているようであった。その理由を北京からの帰りに知ることになる。
 交通量の多い高速道路を走る。途中渋滞していたが、追突事故が原因だった。クルマはフォルクスワーゲンが多い。ベンツとかBMWは少ない。アメリカ車はほぼ皆無。オフロード車も見かけない。日本車も多い。日本車にそっくりな中国車もある。クルマの後ろのエンブレムが漢字なのが中国らしい。あと韓国車も多い。かなりバラエティに富んでいる。フォルクスワーゲンが多いのはおそらく中国に工場があるからだろう。
 馬氏は右手を見るように促した。そこには奇妙の形をした建物があった。CBD地区にあるCCTVの社屋である。門のような形をしたその建物の下には、古い建物がある。どうやら火災であったらしかった。後ろの客がそのように説明している。
 14時30分、筆者の泊まる京倫飯店に着いた。関西弁の男も降りて外で煙草を吸っている。ここに泊まるのは私だけだった。エレベーターの操作盤の下にあるセンサーにカードキーをかざすことで、10階のボタンを押すことができる。しかし6基のうちの1基はサービス員用でセンサーに反応しない。
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↑ホテル入口
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↑ホテル室内
 部屋は北向きで、窓の外は空き地を隔てて殺風景な建物が建っている。遠方にはマンションかアパートが見える。部屋はツインルーム。ひとり分のソファーは1脚のみ。シャワーの湯の色は正常。しかしやや湯温が低く湯冷めしそうだった。洋服掛けは近づくと電気が点灯する。その下には金庫と洗濯物のかごがある。ミニバーの価格はヨーロッパよりは安い。ミネラルウォーターが無料なのはいいとして、コーヒー、紅茶まで有料なのはいただけない。嬉しいのは有線LANケーブルが使えること。さっそく持ってきたパソコンVAIOを接続した。外国には珍しくまともに動作する目覚まし時計がある。足元灯は常時点灯。照明は全体的に暗く、これはヨーロッパの基準に合わせたのだろう。ただこの京倫飯店はホテルニッコーインターナショナルという別名がある。つまり日航ホテルの系列で、表示は日本語が併設されているし、レセプションの女性も日本語を話す。全体的に日本人が滞在するのに不便がないように配慮されている。櫻花屋と「御苑」という鉄板焼きという日本料理店もある。私は今のところ外国に来てまで和食を食べたいと思わないが、年齢を重ねれば撤回するかもしれない。
 さて、観光である。今日は故宮を見に行こうと思う。この京倫飯店は地下鉄1号線の永安里駅と国貿駅の中間にある。私は天安門に近い永安里駅に向かったつもりだったが、そこは国貿だった。地下鉄のことを中国では「地鉄」と称する。
 北京の地下鉄の運賃は2元均一となっている。日本円にして30円弱。恐ろしく安い。その代わり定期券がないらしい。日本では通学定期券の大幅割引の減収分を普通乗車券で補っているので運賃が高いのである。乗車券は自販機で買える。北京でもSuicaのようなバスも使えるプリベルト式非接触カードがある。北京の観光では地下鉄を多用するはずで、ぜひそれを手に入れたい。しかしこの駅では窓口に人がいなかった。地球の歩き方には「交通カード一[上下]通の購入は一部地下鉄の『一[上下]通』という表示のある窓口か、バス終点近くにある専用キヨスクで」とある。全ての駅で買えないみたいなのだ。窓口には「一[上下]通加増」とある。ひょっとするとチャージしかできないのかもしれない。ここでの購入を諦めて、乗車券を買うことにする。しかし券売機は1元札を受け付けず、10元札か5元札だ。硬貨は対応していない。手持ちは100元と1元しか持ち合わせがない。やがて係員が近づいて両替してくれた。キップはICカードになっている。入場はタッチで出場は挿入口に回収される。
 駅の表示は漢字とローマ字。日本人の私でも全く問題ない。というか、やたらと乗り換え通路が長いところなど、日本の地下鉄とそっくりだ。ただ大きく違うのは、手荷物のX線検査があることと、乗客がすごく多いことである。
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↑地下鉄の乗車券
 天安門東駅で降りる。天安門が現れた。中国を象徴する建物である。しかし昔教科書で見た天安門は自転車があふれていたものだが、今や主役は自動車だ。天安門と広場との間には片側4車線の道路が横たわっている。しかも両端は自転車専用道になっていて柵で仕切られている。日本もこうあるべきだろう。歩道に自転車走行帯を設けるのは危険だ。
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 天安門は世界的な名所だから、日本人らしき観光客から白人まで色々。しかし圧倒的に多いのは地方から出てきたであろう中国人。天安門をバックに記念撮影するので、邪魔しないように歩かねばならない。
 天安門はもういいので、故宮の見物である。天安門の中央は開かずの門。両端のみ開いているのだが、どうも出てくる人ばかりで入れないようだ。ガイドブックを見ると故宮に行くには天安門を通っていく、と書いている。あとで調べてみるともう参観時間が過ぎているからであった。しかし、そのことをしらない私は故宮の横から入れないかと端の方の道路を歩いたり、中山公園や労働人民文化宮から入ろうとしたりした。もう歩き疲れ、日も傾いてきたので故宮見物を諦める。
 続いて地下鉄を乗り継いで、北京北駅に向かう。北京北駅は地下鉄西直門に隣接している。ところがどういうわけか、連絡通路のシャッターが下りている。しかも駅へ向かう階段が下り客と上り客用に分かれていて遠回りしなければならなかった。

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 明日は万里の長城に行くので、その最寄り駅、八達嶺までの往復乗車券を買う。あらかじめそちらに向かう「和階長城号」の時刻を調べていたので、筆談で簡単に購入できた。漢字の国のいいところである。
+----------------------------+
|12月12日    |
|北京北→八達嶺 |
|9:33    |
|八達嶺→北京北 |
|13:10   |
|和階長城号1等1帳 |
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 中国の駅は列車の出発時刻が近づかないとホームに入ることができない。この北京北駅では出札口も別になっていて、切符を示さないと待合室にすら入ることができない。従って乗車券の窓口は別棟になっていることが多い。
 もうすっかり暗くなった。地下鉄を乗り継いで、18時30分、ホテルに戻る。西単駅の1号線から2号線の乗り換え通路は異常に狭い。1号線はいつ乗っても混んでいる。日本一混んでいると思われる御堂筋線でもここまで混んでいない。
 夕食はホテル内の「四合軒」に行くことにした。「四合軒」はその名の通り4階にある。北京料理ということなので、「北京ダック」を食べたいところだが、確か300元近い値段だったはずだ。ひとりで食べられるものでないし断念。写真入りのメニューを見て、食べられそうなものをビールと一緒に食べた。
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↑ビール
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↑ひまわりの種
 羊肉の味噌炒め、豚肉の炒めもの、三色餃子と言ったものだった。味はホテルのレストランだけに可もなし不可もなしだった。
 部屋に戻り、風呂に入る。洋式バスなので、長くて脚を伸ばせるが、浅いのと湯温も低いので、どうも風呂に入った気がしない。ただバスロープがあるので、寝間着代わりになるのはいい。
 テレビはNHKワールドが映る。CNNなどの他に香港の放送局も映る。筆者の旅行記に何度も書いていることだが、海外に来ると、テレビチャンネルの豊富さに感心する。海外の客が日本に来ると、その貧弱さにがっくりするだろう。
 香港で東アジア競技大会をやっていて、その録画中継を見た。参加国は中国、日本、韓国、北朝鮮、香港、台湾。今やっているのは飛び込みである。23時頃寝る。

12月12日(土)
 6時45分起床。このツアーは朝食付きである。1階のレストランでバイキングである。ありがちな内容で特筆するところはないが、さすがJTB指定のホテルだけあって日本人の志向に合わせてある。
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↑朝食バイキング
 フロントで交通カードはどこで売っているのか聞く。鉄道の切符なら駅で売っているのが常識だが、かつて韓国で同様のカードが窓口で買えず、韓国人の大学生の助け船でキヨスクでようやく買えたという経験があるので、確かめてみたわけだ。応対に出た日本人の女性は「Suicaのようなカードですね。それなら駅で売ってますよ」と軽く言った。どうやら間違いないらしい。
 7時50分、ホテルを出る。駅の窓口で「一[上下]通」と書いた紙を渡す。保証金は20元だと知っていたので、乗車分として+50元と書いた。しかし最終的にはその女性係員は「20押+30乗」と書いて、合計50元の支払いとなった。結果的にはこの30元分の金額で十分だった。地下鉄の自動券売機は壊れていることが多い。ちなみにちゃんと動いているのは「服務中」と表示される。その服務中と書いていても、何故か窓口には切符を買うために常に列ができている。地方から出てきた人には自動券売機の使い方がわからない人も多いのだろう。何しろ12億人の人口の国だからそういうことがあっても不思議ではない。
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↑一[上下]通
 8時40分に北京北駅に着いた。切符を示して構内に入る。待合室のベンチに座る。「満州里」行きの改札をしている。「満州里」はロシア国境の街である。北の果てのまだ見ぬ街に思いを寄せる。構内の売店で腹の足しになるようなものを買う。パンとスナックとお茶で15元。お茶はあとで飲んでみると甘かった。よく見ると「微糖」と書いてあった。これは意外だった。
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↑北京北站
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↑待合室
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↑買った菓子
 出発15分前に改札が始まった。日本と同じように切符に判子を押していく。「和階長城号」は一見フランスのTGVのような動力集中型気動車である。5列座席の2等車と4列座席の1等車があるが、筆者は一等車を選んだ。お菓子と缶入り飲料ぐらいしかないが、食堂車も連結されている。すべての車両のドアが開くわけでなく、開いたドアにはホームとの段差を吸収する板が渡される。指定されてのは一番前の1号車6番。右側の窓際である。
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↑乗車券はJRとよく似ている
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↑3色LED案内も日本と変わらない
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↑閑散としたホーム
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↑和階長城号
 9時33分定刻に発車。2008年に運行が始まった新しい車両で妻部に電光表示板が設けられている。しかし「祝大家旅途愉快」とひたすら表示されるだけであった。
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↑一等車座席
 列車は北京郊外を走る。北京市民の本来の姿が見えて、降りて観察したくなった。残念なのは私の後ろの客が、ヘッドホンもせずに音楽を鳴らしていることで、やかましくて仕方がない。せっかく一等車を選んだのに悲しい。中国人のマナーの悪さには辟易とさせられた。老若男女に関わらず、床につばを吐くし、ゴミも平気で投げ捨てる。北京オリンピックのお陰でこれでも改善された方だろう。日本は観光立国を目指すというのなら、このようなマナーの悪い中国人を多数受け入れねばならないことを覚悟せねばならない。
 線路際に幼稚園の遊戯施設が見えたのだけ覚えている小さな街を抜けると、列車は山間部を走行する。
 左窓側の空いている席に観光客がやってきた。見るとそれは左側に万里の長城だった。写真でしか見たことのない長城をこの目で見たわけである。
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↑山腹の中央に長城が見える
 八達嶺の前の青龍橋駅で列車はスイッチバックする。八達嶺駅着。列車はこの先の延慶まで向かうが、ほとんどの客がここで降りる。山岳部のローカル線の終点のような趣である。駅員はいるが乗車券は回収されない。ここまでの運賃は17元。日本円で238円。JTBで万里の長城オプショナルツアーを申し込むと6000円だから半額以下で行けるわけである。
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↑八達嶺駅に到着
 駅を出てどっち行けばが万里の長城なのか知らないが、観光客の流れについていく。近くに万里の長城があるとは思えないほどの立派な高架道路の側道の横にある歩道を進む。途中で歩道が途切れている。
 やがてバスの駐車場が現れた。土産物屋やレストランが並ぶ。長城方向の矢印に従って歩いた。沿道に停まっているバスを見ると「佐賀県立佐賀西高校」とある。県立高校の修学旅行に海外とは贅沢なと思ったが、このシーズンは国内よりも安いのである。自分もそれを狙ってこの時期に来たのにそれを忘れていた。
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↑土産物店
 途中トイレに入る。中国のトイレといえば、かつては大便でも扉がなく閉口したものだが、私が北京滞在中にはそのようなトイレはお目に掛からなかった。
 ついに万里の長城の入り口にたどり着いた。入場券はICカードになっている。料金表示は2色LED表示。これは中国の名所では一般的に採用されている。
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↑銘板
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↑入場券はICカード
 入場門の両側に城壁が伸びている。私は右側を選んだ。地図によるとこちらは女坂と書いてある。女坂といっても勾配が緩いわけではない。階段になっているところはまだいいが、30度くらいの傾きで階段のないところもある。手すりなしでは危険である。たちどころに脚は筋肉痛になった。
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 さて肝心の景色だが、写真で何度も見ているので新鮮味はないものの、やはりさすがは世界遺産で、世界にここしかない風景である。興奮するような景色ではないが、写真で見た再確認したという単純な気持ち以上の、
「俺はついにここに来た」
と思わせるに十分な感動を呼び起こしてくれる。
 さてこの八達嶺長城は交通の便がいいために、一番人気の長城となっているが、北京オリンピックのキャッチフレーズの看板があったり、途中の土産物店からスライダーという滑り台のような遊戯施設があったりして、なにやらテーマパークに来ているような気がしてしまう。確かに明の時代に造られたものだろうが、かなり部分が手を加えられているようだ。本物の長城を見たければ慕田峪などに行くべきだろう。ただしクルマをチャーターする必要があるようだ。
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↑北京オリンピックの看板
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 真下にスライダーの見える北四楼で引き返すことにした。万里の長城をバックに記念撮影。ひとりで来ている中年白人女性にシャッターを頼んだ。彼女はIt's my puleasureといって引き受けてくれた。その後私も彼女の写真を撮った。最後にThank youと言い忘れた気がして後悔した。
 土産物店を物色する。奥の方にラクダが一頭立っていた。乗る人もなく御者は暇そうに鞭を地面に叩き付けていた。結局土産物は何も買わなかった。
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↑暇そうなラクダ
 途中、トヨタのマークを上下逆にしたようなエンブレムを付けたクルマを見つけた。後ろを見ると「天津汽車」とあり「夏利」と書いている。夏利はダイハツシャレードのコピーと聞いたことがあるけど、ひょっとしてエンブレムはトヨタの了解済みなのかもしれない。
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↑ほとんどトヨタ
 駅に戻る。中国の鉄道駅は「站」と書くのだが、面倒なので駅と書くことにする。待合室に手前に手荷物検査がある。機械は動いているようだが、係員がいない。私は何食わぬ顔で入っていった。待合室にはすでに6人ほどいた。往きの車両で一緒だった日本人の家族もいる。日差しがまぶしい。ここでパンとスナックで昼食。このスナックは塩味が効いてなかなか旨い。
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↑駅出札窓口
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↑駅待合室
 列車の到着が近づくと改札が始まり、ホームに出る。まもなく列車はやってきた。帰りは往きほど混んでいなかった。1号車1番席。次の駅で進行方向が変わる。しかし私の座席はペダルを踏んでも回転しなかった。さすがは中国製。というかわかっていても修理しないのだろう。駅の構内には「尊客愛貨」という看板が上がっていたが、それは現実はそうではないことの裏返しだろう。
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↑スローガンを書いているのだろうか
 私は食堂車に向かった。客は誰もいない。係の女性が5人ほどいる。その内のひとりが近づいてきて応対する。面倒なので大して飲みたくないがビールを頼んだ。4元である。約60円。すごく安いので100元札を拒否された。どうやら中国人にとっては1元の価値は日本人の100円に相当するらしかった。400円と考えれば、日本では妥当だろう。しかし中国人が日本でビールを買えば4000円に相当するわけだ。
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↑食堂車車内
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↑ビールばかり飲んでいますが
 進行方向と逆の席に戻る気にならず、食堂車のテーブルに北京交通旅游図を広げて、次に行く予定の盧溝橋にどのようにして行くのか検討する。気づかないうちに仮眠したようであった。
 北京北駅に戻った。ホームにはカーキ色の軍服に身を包んだ人民解放軍の新米と思われる兵隊が整列している。
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↑新米兵士か
 地下鉄2号線で復興門まで乗り、1号線に乗り換え天安門西で降りる。後で知ったことだが、地下鉄2号線はかつての城壁を壊して造られた線らしい。道理で駅名に門が付いているのが多いわけだ。
 天安門の東側の橋を渡る。手荷物検査はあるが誰もが無視する。料金も取られなかった。天安門を500mほど北に歩いたところに午門があり、ここが故宮の入り口である。この門の両側に入場券売り場がある。
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↑建国の父毛沢東の肖像画
 太和殿、中和殿、保和殿、乾清門、交泰殿、欽安殿と順番に見学。いかにも中国王朝らしい建物だが、正直これはすごいというのはなかった。写真は撮ったけどただそれだけである。むしろ故宮のすごさは空中写真や上からの見取り図の方が理解しやすいかもしれない。
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 残念だったのは清王朝の宝を納めた珍宝館は15時30分で閉門されるために入れなかったことである。ここの宝物を見れば、故宮に対する自分の評価は上がったはずだが、ただ広大な敷地を歩いて疲れただけだった。この故宮の見学は4時間はかけるべきである。
 故宮そのものも閉門時間が迫っているので、売店の明かりも消えつつあるし、出口に向かって人の流れができている。
 門を出ると歩道に人だかりができている。門から道路を隔てた向こう側にある天安門広場に国旗掲揚台がある。日没とともに国旗護衛隊員が天安門から掲揚台まで行進し、軍楽隊の演奏に合わせて国旗を降納する。クルマの流れを一時的に止めながら、護衛隊員は行進する。その光景を動画撮影したものの、遠すぎて何が何だかわからなかった。軍楽隊の演奏も聞こえない。ただ門内で隊員の行進練習を動画撮影できたのでヨシとしよう。
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↑国旗後揚を待つ人々
 さて、明日の観光だが、三輪リキシャによる胡同めぐりをすることにした。JTBのオプショナルツアーは2時間で250元と書いている。これに対して、地球の歩き方に載っている「北京胡同文化発展有限公司」が主催しているツアーなら、2時間180元。1時間なら150元だ。時間がないので1時間を申し込むことに決めた。公衆電話はいくらでもあるのに、カードしか受け付けない。わざわざカードを買うわけにいかない。ホテルに戻り、部屋から電話することにした。ホテルに戻ったのは17時30分。
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↑中国の公衆電話(ほとんど利用者はいない)
 早速電話すると流暢な日本語で応対してくれた。メモによるとクニサカ様とあるから日本人。当たり前である。このツアーの出発点は什刹海体育運動学校の近くで、地下鉄の駅からは歩いて30分離れている。バスはあるがアクセスは難しい。私はタクシーで行くことにした。位置に確信が持てなかったので、地図をFAXしてもらうことにした。中国ではFAXの受信も1枚あたり3元徴収されることを知った。
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↑ホテルのイルミネーション
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↑隣のホテルのイルミネーション
 再びホテルを出た。王府井に向かう。ここは北京の銀座というべき場所で夜だというのに多くの人々で賑わっている。ネオンサインも色鮮やかだ。さて今夜の夕食だが、上海料理とした。冬の上海蟹を食べて見たかったのである。地球の歩き方に載っている「美林閣」に入った。メニューを見ると蟹がない。仕方がなく、魚料理ととにかく蟹と書いている料理と水餃子を頼んだ。水餃子は安くて美味しかったが、魚料理はやたらと辛くて不可。とにかく蟹・・・は蟹の味は全くせず下に敷いているロースがやたらと油濃くて半分以上残した。ビールを頼めばノンアルコールと完全な失敗に終わった。やはり魚料理は和食に限る。
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↑この水餃子だけ食べられた
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↑これはノンアルコールだった
 帰りに王府井小吃街を歩く。いかにも中国らしい小物や食べ物が並ぶ。日本から上陸したと思われる「たこ焼き」もある。サソリの串焼きはさすがに私も無理である。日本と同じで店はクリスマスのデコレーションに凝っている。写真に収めている人も多い。
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↑気分はクリスマス
 20時55分ホテルに戻る。王府井では「カラオケ何とか」と行って声をかける女性がいたし、ホテルの前でも「Do you need a girl?」などと声をかけてくる。全て無視した。日本では絶滅した夜鷹かもしれない。
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↑中国の郵便ポストは緑
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↑地下鉄のホームの広告(左の侍が気になる)
 北京の特徴は寒いだけでなく、空気が乾燥していることだ。エレベータのスイッチを押す時、部屋のドアノブなどは火花が散るほど感電する。これは不快である。風呂に入り23時15分に寝る。


12月13日(日) 晴
 6時45分起床。たっぷりと朝食を取った。多少下痢気味である。
 8時30分にタクシーに乗る。流しを捕まえた。FAXに示す通り「什刹海体育運動学校」と書いたメモを渡す。渋滞はさほどではなく、8時59分に目的地に着いた。人力車が100台近く並んである。紫色の服を着た日本語のできる女性に促され、田舎のバスの待合所のようなところで100元支払う。ガイドブックでは150元と書いている。安いのはいい。
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↑什刹海体育運動学校
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↑人力車車夫
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↑胡同案内図
 ガイドさんはさっきの女性で鄭さんと名乗った。人力車に乗って写真を1枚。人力車といっても動力は自転車だ。歩くぐらいのスピードしか出ないが、景色を楽しむにはこれくらいがいい。ずっとこのまま座っていればいいと思ったが、この人力車は15分間乗っただけで、ある地点で鄭さんと合流し、ここからは歩いて胡同巡りをすることになる。胡同とは何か。
---------------------------------Wikipediaより引用
古くからの北京の街並みを留めていることから、近年は観光スポットとして内外から、主に海外からの観光客から人気を集めており、自転車タクシー(輪タク)での胡同めぐりが、新たな観光手段として注目を浴びている。旧市街(旧城内)の北部や外城部を中心に、いまでも多くの胡同が残っており、北京一の繁華街王府井あたりでも、一歩裏通りに入ると胡同が残されている。そのような地区では共同トイレを持ち回りで清掃する人や、台所のない家の住民向けの安価な食事場所である「小吃」(軽食堂)などが見られ、胡同に住む庶民の生活が垣間見られる。しかし、胡同の家の多くは各住居にトイレを持たず(台所を持たない家も多い)、そのために胡同ごとに共同管理のトイレを設置しているが不便なことは否めず(胡同の共同トイレは、北京の観光地ではほぼ絶滅した壁なしトイレが多い)、近年の中華人民共和国の経済発展や2008年の北京オリンピック開催に伴う都市整備や再開発で、保存地区とされる一部を除き改築や取り壊しが行われている。
---------------------------------
 要するに胡同とは町の名前ではなく、「古い町並み」のことである。什刹海にたまたま古い町並みが残っていたということだろう。今ではあふれるようにある三輪リキシャは元々なかったもののようだ。
 鄭さんと合流したのは銀錠橋。この橋は南の前海と北側の后海をつなぐ狭い海峡にある。海といっても池である。何故海かというと、昔は広かったのと海を見たことのない北方の民族から見れば海に見えたのだという。池の一部は凍っている。

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 鄭さんと町を歩く。民家の入り口に立って説明する。門の下の仕切りは高いほど身分が高い。9という数字は中国では尊ばれ、9段の石段は皇帝にしか許されていなかった。鄭さん他にもいろいろ解説してくれたが覚えていない。
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↑筆者の愛車と同じだ
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↑什刹海
 ある民家に入った。四方に建物が囲まれ中に庭がある。いわゆる「四合院」である。別に私は町並みを見るだけでよかったが、この中庭は門からは見えないから、ツアーとしては必要であろう。ある建物に入ると、家主の奥さんが出てきた。決まった台詞を奥さんが述べ、鄭さんが通訳する。私はその間、写真を見る。どうやらこの中庭で採れたものらしい。カボチャやザクロ、スモモ。どうも植物に関する記憶は定かではない。ただ覚えているのはザクロは種が多いので子宝に恵まれるという縁起があるらしい。奥さんの切り絵の紹介。三国志に出てくる関羽は商売の神様とされているという。最終日の北京空港でこの関羽のTシャツを買うことになる。
 中庭で記念撮影。九官鳥が「ニイハオ」としゃべる。きれいな中国語である。
 次に奥さんの切り絵を紹介された。確かにきれいだが、値段は高め。別に欲しくなかったが、何も買わないと悪いような気がして、「福」の漢字に干支の図柄が埋め込めた切り絵を買った。値段は100元。80元が最低価格。このツアーと同料金。強制ではないといえ、安いのにはワケがあるというわけである。
 次に土産物店街を歩く。鄭さんが「この後どこへ行くのですか?」と聞く。「まだ決めていない」と答える。夜の京劇のツアーを勧められる。ただわけもわからず観劇するよりは、鄭さんのような若い女性と一緒にいればちょっと嬉しいが、あまり芝居には興味がないし、他のことを優先させたい。鄭さん曰く、雑技はわかりにくいので京劇がお勧めといっていた。
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 地安門外大街に出る。鼓堂が見える。この地安門外大街は故宮の中心線にあるという。左右対称を重んじる中国らしい。歩いてきた土産物店街の一部は工事中で「吉野家」の看板が上がっている。
 ある茶店に入った。ジャスミンティー、フルーツティー、牡丹茶などを飲む。茶はガラスの容器で少しずつ飲む。日本とは大分違う茶道だ。鄭さんは寒がりらしく、貧乏揺すりしながらお茶を旨そうに飲んでいる。茶をカエルの置物に掛けて色を変えたり、お茶を入れると色が変わる湯飲みなどデモンストレーションがある。鄭さんはここのお茶はツアーの代金に含まれるので購入は強制しないとのこと。その言葉に甘えることにした。ここでデジカメのメモリーカードが一杯になった。店をでて歩きながら交換した。
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 鄭さんの趣味は山登りで富士山に登るのが夢だという。将来は日本で暮らし両親を呼びたいという。壮大な夢だが、そのころは中国の経済力は日本のそれを凌駕していることだろう。私の趣味は「旅行」と答えた。中国の携帯電話は小さい。おそらく音声通話だけだからであろう。しかし地下鉄内では携帯電話用のサイトを見ている人がいた。さすがに日本語のようにテンキーで漢字入力はできないようで、入力する人はiPhoneに似たのを使っている。
 1時間のツアーのはずだが、実際は1時間半あった。鄭さんは近くの地下鉄駅へ向かうバスを教えてくれた。メモにはこのように書いてくれている。
+-----+
|バス42 118|
|張自忠路で|
|降ります  |
|五号線   |
+-----+
しかしそれは東側にある5号線の張自忠路駅へだった。次に行く頤和園へは西側にある平安里駅に行く必要がある。もうバスを調べるのも面倒なので歩いて行くことにした。沿道にはトロリーバスが走っている。しかし何故かモーターの音がせずエンジン音がする。ポールは上がって集電しているのに不思議だ。北京の歩行者用信号は他のアジア諸国に比べて長く日本と同じくらいだ。信号表示はロシアと同じで、赤信号部分が2色表示で時間表示が付いている。
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↑北京の裏通り
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↑カエルみたいなクルマ

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↑北京の交差点
 平安里駅に着いた。ここから4号線に乗る。4号線は今年になって開通した線で、ホームドアがある。基本的にホームの先端部にトイレがあるようだ。北京の地下鉄は常に満員だったが、4号線の終端部は開通間もないということもあって、ガラガラとなった。ちなみに北京の地下鉄の椅子は樹脂製で堅い。海外ではこれが主流であるので、海外の人が日本の電車に乗ると「ソファーのようでふかふか」とびっくりするのである。
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↑地下鉄茶内
 終点のひとつ手前の北宮門で降りる。頤和園の最寄り駅である。地上に上がると、焼き芋やらいろいろな食べ物の露天が並ぶ。道の向こうにマクドナルドが見える。昼食はそこにしよう。まだ11時なので先に頤和園に行くことにしよう。
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↑駅を降り頤和園に向かう
 頤和園は清朝皇帝専用の庭園である。杭州の西湖を模した昆明湖や蘇州街など、かつて漢詩に詠われた江南地方の風景を再現している。宮殿区、湖岸区、万寿山区、後山・後湖区、昆明区の5つに地区に区分され、基本入場料は20元で、主だった建物それぞれに10元ずつ入場料金を支払うことになっている。フルセットは50元なのでそれを買って入場した。
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↑頤和園
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↑入場券
 私は北宮門から入った。まず現れたのは蘇州街という回廊である。堀の周辺に回廊がある。ただ堀の水は凍っていて、ゴミが目立つのが残念だ。
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 万寿山に登れば昆明湖を遠望できると思ったのだが、見えるのは一部であり、何だかわからないうちに降りるとそこは湖岸区だった。昆明湖のほとりを歩く。食べ物屋や土産物店が並ぶ。中国の土産物店やトイレの入り口は防寒のためかごついビニールの暖簾がかかっている。ここで買っておけばよかったいえるものがいくつかあったが、結局それは無駄遣いなので買わなくてよかったのだろう。
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 徳和園は観劇用のステージでちょうど演奏が始まるところだった。見ている時間はないので途中で撤退した。仁寿殿を見たところで失敗した。すなわちまだ十七孔橋という見所があるのに、仁寿門から外に出てしまったのである。この頤和園はもう一つ表示がしっかりしていない。園の外から橋が見えないものか思ったが、それは無理だった。諦めるにしてもここからは歩いて地下鉄の駅に行くには遠い。仕方がないので入場料を払ってもう一度入ることにした。
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 十七孔橋はその名の通り17個のアーチで構成されている橋で、とても美しい。これをバックにセルフタイマーで記念撮影。20元を改めて支払う価値はあったと思う。はじめは昆明湖を1周して北宮門に戻ろうとしたが、予想以上に時間がかかりそうなので途中で引き返し、覚束ない表示に従って裏山を通り北宮門に戻った。故宮よりも頤和園の方がおもしろいと断言できる。
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 予定通り、マクドナルドで昼食。昼時でもないのに混雑していて、カウンター席をどうにか確保した。ビッグマックセットは日本のとさほど変わるところはなかった。ただカウンター席の向こうはテーブル席になっていて、目の前にテーブル席の客の顔がある。日本だったら目隠しを設けるところだが、さすが中国。そのような配慮はない。
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↑世界各地にあるマクドナルド
 次に行くのは盧溝橋である。これは北京中心部から南西方向の郊外にあり、地下鉄駅からかなり離れていてバスかタクシーしかない。この橋における銃撃戦が支那事変の発端となったで、日本人は歴史の教科書でその名を知っている。中国人にとっても忌まわしい記憶であるらしく、この橋の近くに「中国人民抗日戦争記念館」がある。もうあまり時間がないので橋だけでも見ておきたい。問題はどのようにしてそこに行くかである。初日に手に入れた北京周遊地図を見てもよくわからず、「地球の歩き方」には六里橋長距離バスターミナルから309、339路バスに乗るとあるが、その六里橋長距離バスターミナルへの行き方がわからない。できるだけ盧溝橋に近い地下鉄駅からタクシーに乗ることにし、1号線の五裸松駅に向かうことにした。ここは最寄り駅という訳ではないが、五裸松には北京オリンピックの野球会場があり、それを見ようというわけである。
 五裸松にやってきた。交通量の多い道路を横目に広大な空き地をみると、荒れ地の向こうに球場らしき建物が見える。もう照明灯などはなく、球場としての利用もしていない様子である。いずれは取り壊すようで建物に近づくことすらできない。このような後利用ができない設備になるのなら、オリンピックに野球が復活する日は遠い。
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↑五輪マークが残る球場
まずは国際大会を増やして普及に努めるのが先決だろう。それに関してはいくつか私案があるのだが、ここでは詳説しない。球場は廃墟に近いが、周辺は公園になっていて市民が散歩やスケートボードを楽しんでいる。
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↑この廃墟感が伝わるだろうか
 交差点で乗り込んだタクシーは、「盧溝橋」と書いたメモを見ると、乗車拒否された。そのタクシーは西向きに停まっていたのであるが、方向が逆だというのである。仕方がないので交差点を渡り、南向きに停まっているタクシーに乗った。はじめ運転手はメモを見ると何やらいったが、私は全然意味がわからずキョトンとした。渋滞で時間がかかるぞ、といったのかしれない。そう思った。運転手は諦めたのか、クルマを走らせた。渋滞していたのは最初だけで、京石客高速公路を走ると流れはじめた。盧溝橋までは22元。その他に税金か燃料調整金か何かわからないが1元余分に徴収された。中国のタクシーはレシートが発行されて明朗会計だ。運転手は指差してこの方向が盧溝橋などという。16時19分着。
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↑園内図
 私はその方向に歩いて行った。入った公園に園内図があって、盧溝橋の位置がつかめた。もう夕方なので人影もまばらである。やがて入ったときと同じような門が現れ、道路を隔てたところに目指す盧溝橋があった。観光客は10元必要だが地元住民はICカードで利用できるようだ。
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 盧溝橋は戦乱の発端という歴史的な意味以外に、観月の名所であり、欄干に並ぶ獅子が有名である。橋を引き返した頃にはまもなく日没である。
 往きに通った公園の門はすでに閉まっていて、園の外周を迂回して戻った。
 さてここからどのようにして帰るかである。タクシーは安直なのでバスを利用することにした。北京のバス停は系統ごとに全停留所が載っている。鉄道駅に向かうバスに乗るのがわかりやすい。458路バスの終着が北京南駅となっている。ずいぶん先なので相当迂回するようだが、これに乗れば確実である。もう一つ難関はバスの乗り方である。ソウルのように均一運賃であれば、乗るときにカードをタッチするだけでいい。「地球の歩き方」には「一律運賃のバスは乗車時に運賃箱にお金を投入。区間制は行き先を告げて支払う」とある。バス乗客の動きを観察するのだが、運賃を払っているように見えないし、センサーにタッチをしている様子もない。
 このバス停の近くの売店の呼び込みエンドレス音声が日本語の「せんさんびゃくえん(1300円)」に聞こえておもしろいので録音した。そして458路バスが来た。前から乗る。センサにカードを近づけたが、タッチを促されることはなく、そのまま後ろの座席に座った。

↑せんさんびゃくえん(1300円)にしか聞こえない
 バスは渋滞する道路をノロノロとしかし着実に進む。乗客が何回か入れ替わったが、最後まで乗り通したのは私だけだった。運賃は払っていないので、車掌らしき人とバス会社の関係者にお金を払おうとしたが、いらないと言った。結果としてただ乗りとなったが、気分のいいものではなかった。
 18時ちょうど、北京南駅はすっかり夜の帳に包まれていた。オリンピックを契機に新しくなったのか近代的な装いである。地下鉄4号線の駅は階下にあった。改札口は遠く一回りしなければならなかった。しかしここまでくれば大丈夫である。あとは地下鉄の太い流れに身を任せればいいのである。
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↑北京南駅
 1号線王府井で降りる。北京最後の夜は北京ダックと決めていた。その中でも評判のいい、「全聚徳[火考]鴨店」に行った。19時前に着いた。かなり格式に高いレストランらしく、赤と金を基調にした立派なもので、天井の端には赤い提灯が吊っている。服務員もチャイナドレスだ。椅子に掛けた上着に金色の布のカバーが掛けられる。ひとりで入るのが場違いな感じだが、17番テーブルに案内された。北京ダックはハーフは99元であったのでそれを選択。それにビールとスープ、そしてデザートらしきものを頼んだ。
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↑全聚徳[火考]鴨店
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↑これが北京ダック(本当はもっとたくさんあります)
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↑これが美味しくなかった
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↑請求書

 北京ダックはさすがに美味であった。しかしデザートらしきものは口中に油が広がる最悪な代物だった。中華料理はデザートが弱い。月餅ぐらいしか美味しいのがない。まさにその通りだと思う。
 20時40分にホテルに戻る。風呂で頭を洗い、明日の日程を確認して23時40分に寝る。

12月14日(月) 晴
 7時30分にホテルを出る。後から考えればもっと早く出ればよかった。
 JTBの馬氏は11時にホテルに迎えに来る。それまでに戻ってこなければならない。あと行きたいところはオリンピック公園と天壇公園。天壇公園だけでもよさそうなものだか欲張った。永安里駅から国貿へ出て、地下鉄10号線で北土城で降りる。ちょうど平日の出勤時で10号線は混雑していた。恵新西街南口からはさらに混んでいて、降りられるかどうか心配になった。10号線のドア付近上部の手摺りの形状が変わっている。上から見ると、数学の積分記号のようだ。
 ところで降りるときに女の人が「アーラーシャー」と言って降りているのを聞いて、これが英語のI get off.の意味だと思っていた。しかし昨日鄭さんに聞いたら、どうやら「我下車」と言っているのであってそれなら「ウォーシャーチャwo3xia4che1(数字は声調)」が正しい。
 北土城からは8号線に乗り換える。8号線はオリンピック公園以外に用事のない線である。当然空いていて運転間隔も長い。どうやら10分間隔ぐらいだ。新聞では8号線北上と見出しにあった。2駅乗ったところにある奥林匹克公園で降りる。意外に客が降りている。南出口を上がる。さすがオリンピックの駅らしく、オブジェに凝っている。10分ぐらい歩いたところにオリンピック公園がある。テント張りの手荷物検査を受けて公園に入る。左手に通称「鳥の巣」といわれる陸上競技場。右手に水立方という水泳競技場が見える。カメラを置くところがあるのでセルフタイマーで記念撮影。鳥の巣は逆光でいい写真が撮れなかった。近くにタワーがあって登ってみたかったが時間がない。急いで撤退した。朝早くから意外と観光客がいた。
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↑「鳥の巣」陸上競技場
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↑「水立方」水泳競技場
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↑展望タワー
 北京オリンピックが終わってから1年経つが、これらの立派な競技施設が利用されている様子がない。後利用を考えて造られたのではなさそうだ。とにかく中国の国威発揚が第一義だったようだ。昨日の野球場などは既に廃墟になっていたが、この鳥の巣のような巨大な陸上競技場や、水立方といわれる水泳競技場は遠からず廃墟になるかもしれない。
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↑競技場全景
 ところで地下鉄に乗って気づいたのだが、交通カードの改札でのセンサ感度に差がある。新しい8号線は問題ないが、古い1号線や2号線では、1回タッチしてもまず反応しなかった。財布から出してカードのみにも関わらずである。
 北京の地下鉄の特徴を以下に列挙する。日本より進んでいる。
・時計がディジタルでしかも秒単位。
・列車接近表示がある。
・これらは広告と一体化されていてカラー液晶で表示される。
・車内の広告は液晶が主力で、紙は限定的。
・1号線にはトンネル内にもカラー液晶の広告が流れる。
 地下鉄8号線、10号線、5号線を乗り継いで天壇東門駅へ。天壇公園は祈年殿、皇穹宇、圜丘に別れていてそれぞれに入場料が必要である。祈年殿は明清朝の皇帝が五穀豊穣を祈った建物で、天安門、万里の長城と並び中国を象徴する建物である。公園内では太極拳をしている人、男女でフォークダンスもどきをしている人、足で羽根突きをしている人、杓文字にフェルトのボールをくっつけて落とさないようにしている人、地面に水で文字を書いている人。回廊では老人がゲームを昂じている。トランプや麻雀、ドミノをやっている。祈年殿はセルフタイマーの記念撮影でもう十分だ。皇穹宇、圜丘は対角線上に立っている人の声が反響するので有名だが、その効果を確認できなかった。

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↑天壇
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 南門から出る。公園の外の道を北上する。時間が迫っているので、駅が現れなければ、タクシーに乗るつもりだった。最後の方は走った。地下鉄「天壇東門」の表示を見たときは安心した。
 永安里駅で降りる。交通カードの残りは6元だった。ホテルに戻ったのは10時50分。もう既に馬氏は来ていた。「できるだけ急いでください」とのこと。フロントで精算を終えて、クルマに乗ったのは10時59分だった。本当にギリギリだった。
 クルマは普通の黒のセダンだった。先客がひとり乗っていた。年輩の女性でだった。向こうから話しかけてきた。生まれは北京で、里帰りなのだそうだ。年末年始は高いが、今の時期ならホテル代、一人料金を払ってもツアーの方が安いのだそうだ。実家に泊まるのだからホテルは必要ない。往路に一緒に乗った男性も出張らしかったが、同じ理由でツアーを使って出張してきたのだろう。女性はインドやカンボジアも経験があるらしい。アメリカ西海岸もあると言っていた。かなりの通である。私も負けじとロシアに行った、トライアスロンの経験がある、ゴールドコーストマラソンを走った、などと自慢げに話した。おそらく彼女が申し込んでくれたお陰で、このツアーが成立したのだろう。
 12時00分前空港に着いた。女性はさすが北京生まれだけあって、完璧な中国語をしゃべる。チェックインでは通路側の席を取ってくれた。人民元が余ったので再両替するつもりだったが、銀行で両替すると11000円でしかないが、女性はまた北京に来るということで、売り買いレートの中間の12100円で買ってくれた。安全検査はポケットに入っているものを全部出してX線検査を受けさせられただけで特に問題はなかった。しかし女性はポーチの中の食べ物を再検査をする必要があるということで、私にコートと荷物を預けて、再検査に向かった。ターミナル内には荷物と人を運ぶ赤帽のような電気自動車が走っている。そんなのを眺めていたが、待てど待てども女性は現れない。ひょっとすると荷物を預ける危ない人かなどと思ったくらいだ。待っていられないので、彼女の荷物を転がして中国の土産をいくつか買う。Tシャツとストラップと家用の天津甘栗入りのチョコレート。街中よりも高めである。
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↑構内に電気自動車が走る
 別れた場所にはまだいなかったので15Eゲートに向かう。その途中で女性が追ってきた。平謝りだった。彼女は椅子に座ると、南京豆や小さなミカンをくれて、中国語の観光案内を「読んで」と言って、土産物を買いに行った。南京豆は美味しかった。ビールのつまみとしてはバターピーナツよりも、剥くのが面倒な分だけ美味しく感じるだろう。悪いと思ったのかスプライトのような缶ジュースを買ってきてくれた。そしてまた公衆電話で長いこと電話していた。彼女が戻ってからトイレと家に電話しに行った。
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↑渡された本とジュース
 13時35分に搭乗開始。機体はB767-300、座席は17G。中央右側の通路側である。
 順番待ちで離陸が遅れている。65%の乗車率。ここで私は彼女に年賀状を送るからと自分の住所を渡した。彼女の住所も分かった。
 彼女は離陸が遅れているのは、いつも日本航空だという。全日空はいつも時間通りだと言っていた。半分地元の人が言うのだから事実なのだろう。たまたま中国航空会社の着陸が多い時間帯なのかもしれないが、とにかく北京の空港がパンク寸前なのだ。14時51分に漸く機体が動き出した。その間映画も見れず、パソコンも使えない。機内誌を読み、音楽を聴くしかない。
 15時05分、早くも機内食が配られた。昼食を食べていないので待ちかねた。内容は往きと同じで茶そばがうどんになっているだけだ。
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↑帰国便機内食
 パソコンを開き、いろいろ打ち込む。ワインとビールとコーヒーで眠たくなった。
 16時30分、岡山県新見上空。気流が悪いらしくやや揺れてベルト着用。18時05分、関空着との機長のアナウンス。機内にジングルベルが流れる中、17時59分に関西空港に着陸。
 荷物は意外に早く出てきた。税関も何も聞かれることなく突破。税関前はガラガラだ。関西空港の利用率の悪さを如実に示している。
  私は2階に上がり、JR阪和線で帰る。特急が環状線内の事故で遅れていた。
 19時30分過ぎに帰宅。
 その日は北京旅行で興奮状態なのか2時まで眠れなかった。
 こうして初めての中国旅行は終わった。驚いたのは人間の多さ。地下鉄はいつ乗っても満員だった。道路も渋滞して事故も多いようだ。空港も混んでて出発遅れは常態化しているようだ。中国の経済発展を目の当たりに確認できた。しかしマナーの悪さも目に付いた。これが改善されないと中国は尊敬される国にならないだろう。日本人は今はマナーが高く評価されているが、かつては歩道を横に広がって歩くとか、ゴミポイ捨てを普通にやっていた。海外の人から厳しく指摘されているうちに、マナーがよくなったものである。中国人もそのようになれると期待したいが、中国の場合、日本と違い大国である。大国意識が強くなれば「これでいいのだ」と考え、自らの行いを改めないかもしれない。筆者はそういうことになれば、結局中国は下り坂で転げ落ちてしまうと思う。マナーとは他人が見て不快に思わないことの集大成だ。中国は立派な国だと思われることが、中国人にとって一番得だと思う。

最後の急行「はまなす」最後のブルトレ「北斗星」乗車記 [旅行]

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 鉄道が陸の王者として君臨していた頃、長距離を移動するには夜行列車を利用するのは当然だった。ことに横になって移動できる寝台特急は特に人気が高かった。それらの列車は青色に塗装され「ブルートレイン」と呼ばれ、人々に親しまれた。ところが近年は新幹線が整備され、飛行機は規制緩和でもはや高嶺の花ではなくなり、高速道路網の整備により夜行高速バスが網の目のように発達し、また格安のビジネスホテルがあちこちに建設された。このような現状では、値段が高くて居住性も低い夜行列車が衰退するのは自明の理であった。夜行列車は毎年のように廃止されていった。
 2014年、定期のブルートレインが生き残っているのは次の二つの列車のみであった。
1.特急北斗星 上野-札幌
2.急行はまなす 青森-札幌

 何故、これらが生き残っていたかというと、通年利用率が高かったからである。
 北斗星は1988年、青函トンネル開通時に首都圏と北海道を乗り換えなしで移動できる夜行列車として設定された。航空機に対抗するため、はじめから豪華さを売り物にしていて、鉄道マニア以外にも固定客が存在する。設定当初は3往復走っていたが、その後より豪華なカシオペアが設定されたのと、北海道新幹線の工事のため、1往復に減らされている。
 はまなすは北斗星と同じく青函トンネル開通時に設定された。青函トンネルのなかった頃、青森からは青函連絡船の深夜便に乗り、早朝函館発の特急で札幌に向かうのが、最速であった。かつては新潟、秋田など日本海縦貫線を走る特急白鳥や、仙台、盛岡など東北本線を走る特急はつかりの最終便に接続し、これらの地域からの固定需要もあった。また函館からの都市間輸送や札幌の近郊の通勤通学需要もあって、はまなすは年中盛況ぶりを示してた。
 ところが2016年北海道新幹線が開業することにより問題が発生した。青函トンネル内は新幹線と在来線と共用で走るのだが、架線電圧は新幹線に合わせられることになった。これにより今まで「北斗星」と「はまなす」を牽引していた機関車が使えなくなってしまうのだ。万年赤字に悩むJR北海道は新たに機関車を購入する余裕はなく、電圧に対応した機関車を導入するJR貨物から借りるのも難色を示した。
 そんな具合であるから、北斗星もはまなすも車両の補修は必要最小限で延命措置を施されている。2014年8月現在、JR北海道の正式発表はないが、このような状況では行き着く先は「廃止」であろう。つまり、最後のブルートレインがついに廃止されるというわけである。
 そうとなれば、鉄道ファンの筆者としては無性に乗りたくなった。最近、同じことを考えている鉄道ファンは多く、特に週末は予約がとりにくくなっているという。ファンの間ではこうした人たちを「乗り納め組」というらしいが、筆者も参戦することにした。
 時期は6月末とした。これは夏至に近くて日照時間が長く、景色を楽しめること、それと学生の夏休み前なので予約が取りやすいためである。
 ただせっかく北海道に行くのに「はまなす」と「北斗星」に乗るだけが目的では面白くないので、現地では余市と洞爺湖に観光、東京では大学時代の旧友に会うことにした。ニッポンレンタカーのキャンペーンでスバルBRZの貸し出しを行っている。しかも嬉しいことにマニュアル車があるという。筆者がマニュアル車に乗るのは教習所以来で約20年ぶりだ。盆休みに大型二種免許を取得に行く予定だから、マニュアル車に慣れておきたかったのである。それに折角のスポーツカーだからマニュアル車に乗らないと損な気がした。
 具体的にはこのような日程となった。
 6月27日(金)
 大阪空港16:20(日本航空)18:05青森空港・青森22:18(急行はまなす)----
 6月28日(土)
----6:07札幌[レンタカーで余市・洞爺湖]札幌(特急北斗星)17:12----

 6月29日(日)
----9:38上野[東京散策・旧友と再会]東京(東海道新幹線)新大阪(阪和線)和歌山
のぞみ自由席を利用予定

 乗車予定の1週前、津軽海峡線で貨物列車の脱線事故があった。北斗星を含む通過列車は運休してしまった。しかし運よく直前で復旧した。

6月27日(金)
 この日は会社に半日有給休暇をお願いした。昼過ぎの阪和線に乗り、天王寺で降り、アポロビル前から大阪空港行のリムジンバスに乗る。15時30分発。15人の客。ICカードはピタパとイコカしか使えない。これを知らないために切符を買いに行ったビジネスマンあり。
 定刻大阪空港着。16時20分発のJAL2157便は機体の到着の遅れのため16時35分発に変更されていた。
 今回は株主優待券をヤフオクで手に入れて普通運賃の半額で購入していた。日本航空の優待券はスクラッチカードになっていて、こすった箇所の番号を予約時に入力する。ちなみに全日空は優待券を空港まで持ってくる必要がある。
 保安検査を終えて15番ゲートへ。16時16分に遅れていた飛行機が到着した。機材はブラジルのエンブラエル製のE170。隣には押しつぶされそうなおばさんが座って窮屈に感じる。
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↑到着した飛行機
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↑大阪国際空港の文字が中国っぽい
 飛行機は定刻に離陸。北に向かって上昇し、左に急旋回。阪神競馬場を眼下に望む。
 水平飛行になり、サービスのコーヒーを飲む。全日空や格安航空では有料になってしまった。でも飛行機はこれがないと面白くない。
 17時20分、機長からアナウンス。高度5800m、速度836km/h。機体はしばらくすると秋田上空を飛んでいた。
 突然隣のおばさんから「お勉強しているんですね」と声かけられた。確かに1週後に控えた危険物取扱者の勉強をしていた。危険物のなんたるかを説明しても無駄だろうから、単に来週試験があるとだけ告げた。「ガンバってください」とのこと。「よ~しやるぞう」とヤル気にはならなかったが、まあ悪い気はしない。
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↑順調に飛行中
 積乱雲を回避していたために着陸は遅れた。18時5分着。
 18時20分、6人の客を乗せてリムジンバスが発車した。ほとんどが市内の途中で降りて青森駅前まで乗り通したのは2人だけだった。18時50分着。
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↑青森空港で待つリムジンバス
 北国の夕刻だけに少し肌寒い。駅から歩いて5分ぐらいにある「青森まちなかおんせん」に行く。入浴料420
円。貸しタオルセット200円。温泉というよりもちょっといい銭湯であった。露天風呂で文庫本を読んでいる男がいた。
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↑青森まちなかおんせん
 夕食は青森名物七子八珍にこだわった。駅近くの「壱乃助」に入る。辛うじてカウンターが空いていた。値段は少々高いが、まあ妥当か。津軽海峡という焼酎をロックで飲む。刺身盛り合わせが届くと、椅子席からおばさんが「おいしそうだね」「こっちでいっしょに飲まない?」と誘われた。どうせ勘定を割り勘にしたりするろくな人達ではないだろうから丁重に断った。21時40分店を出る。
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↑刺身
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↑七子八珍
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↑壱乃助
 「あおもり」の緑の平仮名文字が浮かぶ青森駅。札幌までの乗車券を券売機で買う。8200円もする。何だか距離の割に高いがする。
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↑出発案内
 急行「はまなす」は3番線から発車する。今やJRの急行列車はこの「はまなす」のみである。個人的にはB特急料金を徴収している特急は急行と名乗った方が良さそうに思う。しかしJRとしては特急の方が格好がいいし、沿線自治体も箔がつくということで容認しているのだろう。
 それにしても急行列車。もし急行列車が全廃したら、もちろん特急列車のみになるのだが、特急とは特別急行列車の略である。急行が存在してこそ、その上位たる特別急行の意味がなすということからすれば、大いに違和感を感じる。しかし製造業で急ぎの品物を「特急品」と表記することがあり、別に「急行品」というのがあるわけではない。急行の上位ではなく「特に急ぐ」という意味からすれば、急行がなくとも特急の存在意味があるのだろう。急行が存在しなくても、特急が存在できる弁証法的な解釈はできた。
 長い跨線橋を渡ると、未だに青函連絡船時代の香りが漂う。エスカレータが設置されたりと多少の手直しがなされているとはいえ、新幹線の駅は別の新青森に作られることが決まっていたので、大金を要するお色直しはなされていないからだろう。
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↑白く輝くホームに待つ「はまなす」
 すでに「はまなす」はホームで待っていた。白く明るいプラットホームを走り回る人々。あちこちで車両を撮影している。彼らは私と同じく乗り納め組だろう。かくいう私も同じ行動をとる。彼らをよく観察すると鉄道ファンの濃さが違っていて興味深い。濃いファンは自分自身の写真をほとんど撮らないようだ。
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↑はまなす最後尾
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↑これが廃車となる電気機関車
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↑何故か手書きっぽい形式板
 「はまなす」は青函連絡船の血を引いているだけあって、カーペットカーが連結されている。いわゆるフェリーの2等船室のように雑魚寝ができるのである。しかしこの日は車両点検のため連結されていない。これは予約の段階から知っていた。筆者は大阪ー東京間の「サンライズゆめ」のカーペットカーに乗車経験があった。床が固くてなかなか寝付けなかったのを覚えている。だからカーペットにはこだわりはなかった。その代わりに指定席車が連結されている。しかしこの車両は自由席車と同じ車両でリクライニング角度が浅く快適性に乏しい。本来の指定席車はドリームカーという夜行高速バスのように深いリクライニングができる座席が用意される。同じ料金であるのに差が大きすぎる。最初の予約では4号車とあった。4号車は本来カーペット車である。ドリームカーは5、6号車のはず。JR北海道に電話して確認すると、4号車はその非快適車であることがわかった。翌日、みどりの窓口で号車変更してもらった。
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↑これが非快適車
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↑これが快適なドリームカー
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↑リクライニング角度も深い
 5号車に乗車する。形式はオハ14-508とある。ドリームカーは20年前に急行「まりも」で釧路に行ったときも乗った。けれども座席はその時よりも深くリクライニングする気がある。
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↑急行とはいえブルートレイン
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↑白地の方向幕は昭和遺産
 22時18分定刻、6割の乗車率で発車する。乗り納め組は確かに多いが、そうではない常連客もいて、むしろその方が多い。深夜の青森から青函連絡船に乗り、函館から札幌行きの特急に乗る固定需要は昭和いや明治以来から存在するというが、まさにそれを見せつけれた。距離的には高速バスで十分なのだが、青函トンネルは自動車が通れないし、バスにしては需要が多すぎる。まさに急行「はまなす」は生き残るべくして生きながらえていたのだ。

↑はまなす発車後アナウンス
 22時52分、車内は減光された。座席は深く傾いて快適なのだが、惜しいのは高速バスのようにふくらはぎを乗せる台がないことだ。耳栓、アイマスク、水分補給用にカルピスウォーター。やがて眠りに落ちた。
 青函トンネル内は夢の中だった。

6月28日(土) 曇
 函館到着で起きる。時間は午前1時を回っている。ホームに降りてみる。あまり徘徊している人はいない。ここから先はディーゼル機関車に付け替わる。電気機関車と同時に撮影できる唯一の機会だ。函館で方向転換するのでそれぞれ前後に連結されている。編成の端から端まで歩くことにある。函館駅のホームは大きく曲がっている。
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↑函館で電気機関車を開放
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↑ディーゼル機関車を連結
 普段はB寝台車は2両の「はまなす」だが、カーペットカーの代替措置ということか、増結21号車としてB寝台車が連結されている。外からは伺いしれないが7割は埋まっているようだ。そして本来カーペットカーの4号車には非快適な指定席車が連結されている。ここでも70%の乗車率。ドリームカーのあぶれ組かドリームカーの存在を知らない組のどちらかだろう。ドリームカーの車端にはロビーがあるのだが利用がない。
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↑増結21号車
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↑ロビーもある
 驚いたのは函館からの乗車が多いことだ。それも鉄ヲタよりも常連客が多く、女性二人組もいる。ドリームカーは埋まってしまった。空いていた私の隣も誰かが座った。ただ、青森出発時に棚に荷物を置きに来た記憶があるから、その男は自由席で遊んでいたのかもしれない。自由席車すら7割ほど埋まってしまった。これだけの需要があるのなら、新幹線が函館まで開業しても、函館ー札幌間で夜行列車を運転してもいいのではないだろうか。車両は特急北斗を夜行運用し、グリーン車を指定席、その他を自由席にすればいい。種別は急行が望ましいが、この際特急でもいい。愛称はもちろん「はなます」である。
 函館出発後、再び眠りに落ちた。列車は向きを変え逆方向に走り出した。ただ熟睡はできず、長万部、東室蘭、苫小牧と停まる度に目が覚める。時間調整ならわかるが長万部など3時7分に着き1分の停車だ。深夜に停まってどれほどの乗降客がいるだろうか。
 スマホを充電している間にアンドロイドOSが4.4.4にアッップグレードされていた。
 南千歳通過。外は雨だ。トイレに立つ。洗面所には女子高生がいて手が洗えない。このあたりからは札幌への通勤通学需要も担っている。洗面所は身だしなみを整えるのにもってこいなのだろう。しかし彼女らは急行料金を払っているのだろうか。
 定刻6時7分札幌着。札幌駅周辺は晴れていた。朝食を所望するも、開いているカフェがない。このあたりは東京や大阪との違いを感じる。
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↑札幌に到着
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↑もはや外観は限界
 仕方がないので、コンビニエンスストアーでサンドイッチとコーヒーを買って、ビルの縁石に腰掛けて食べた。
 7時前にニッポンレンタカー札幌南口店に着いた。ここではスバルBRZを予約していた。BRZはトヨタとスバルが共同開発したスポーツカーで、エンジンはスバルの水平対向の技術とトヨタの燃料直噴技術を組み合わせ、製造をスバル、企画をトヨタが行うといういいとこ取りをしている。
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↑ニッポンレンタカー札幌南口店
 いわゆるスポーツカーに乗るのは、マツダRX-7のほんの僅かな時間の試乗以来である。しかも今回はマニュアルミッション車だ。マニュアル車は今年中型免許を取ったときにトラック運転で乗った。しかし公道で運転するのはほとんど30年ぶりぐらいだ。
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↑クルマにご対面
 店には青いBRZが停まっていた。間違いなくこれに乗るのだろう。早速写真を撮る。青い車体は最近のスバルのイメージカラー。今回の旅行はブルートレインの乗り納めがメインテーマ。ご丁寧にクルマまで青い色になったというわけである。先客の家族連れの手続きに時間がかかっていたが、乗車はこちらの方が早かった。
 車両外観チェック。革張りの内装。オドメータは5367kmを示していた。着座はスポーツカーらしく低い。エンジンスタートはクラッチとブレーキを踏みながらスタートボタンを押すことで行われる。1速の隣にあるバックギヤはノブを引き上げることで入れることができる。ETCはグローブボックスの中。ドライブレコーダーはあるらしいがモニターは見つからない。ナビの設定はニッポンレンタカーからもらった地図のマップコードを入力する。まずは余市のニッカウヰスキーを目指す。
 さてマニュアル車の運転の最初の難関は、半クラッチを使ってエンストさせずに始動させることだ。初めて運転するクルマなので半クラッチの位置は掴めないし、アクセルのレスポンスもわからない。一方通行の路肩から発進し、一気に右から左車線に移動した。うまく行った。札樽自動車道で小樽に向かう。それまで何回か信号待ちがありそのたびに半クラッチだ。これは練習になる。
 高速道に入ると、6速の出番だ。札幌は大都市とはいえ、東京大阪のように休日の朝早くから行楽客で混み合うことはない。私は安全運転指向で制限速度の15km/h以上で走らないようにしている。従って、クルマには抜かれまくった。中にはスポーツカーのくせに、と思っている人もいるかもしれない。
 7時52分、金山PAで休憩。同時にもう一度クルマの写真を撮る。音楽はMP3プレイヤーを持ってきていた。グローブボックスから直結用のAUX端子が出ていたのでそれにつないだ。
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↑BRZ前
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↑BRZ後ろ
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↑運転席回り
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↑タコメーターが真ん中にある
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↑インパネ、マニュアル変速レバーがいいな
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↑後席は狭い
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↑低い着座姿勢
 小樽で高速道は終点。ここから国道5号線は小樽の象徴のような運河倉庫を抜けて、やがて切り立った崖のような海岸沿いを走る。
 ナビの指示通りに走った。どこをどう走ったのか覚えていないが、とにかく9時頃ニッカウヰスキーの工場に到着した。すでに大型バスが数台停まっている。
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↑ニッカウヰスキー工場
 ニッカウヰスキーは日本に本格的ウイスキーの製造技術を伝道した竹鶴氏が設立した会社だ。修行に赴いたスコットランドに気候が似ている余市を選んでウイスキーの醸造を始めた。しかし熟成まで時間がかかるので、それまでリンゴジュースを販売して稼いだ。リンゴジュース=果実で大日本果実、略して日果(ニッカ)の誕生である。竹鶴はスコットランドで修行中、現地の女性を娶った。リタというその女性は日本の習慣に戸惑いながらも竹鶴を支えた。
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↑案内板
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↑どうやらこちらが正門
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↑醸造設備
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↑創業時代の事務所
 その予備知識はここに来る前から仕入れていた。しかし来てから分かったことも多い。勉強になった。ウイスキーは製造直後は無色透明で樽の中で琥珀色に変わることを知った。
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↑樽の作り方
 酒の試飲はクルマの運転をしなければならないので、当然ウイスキーは飲めず、リンゴジュースにしなければならなかった。
 次に洞爺湖畔のサイロ展望台を目指すことにした。10時半に出発。
 ここからは山越えとなるので道は曲がりくねっている。BRZはコーナーでもしっかりホールドして曲がる。それでいてサスは柔らかくも固くもなく実に絶妙だ。さすがスバルの面目躍如だ。乗っていて実に楽しい。スポーツカーが欲しくなった。
 11時20分、倶知安。路肩で休憩。ここまで96.6km。
 12時20分、サイロ展望台に到着した。ここまで145km。団体客で賑わっている。観光用ヘリコプターがハンドマイクで勧誘している。
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↑サイロ展望台
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↑洞爺湖の眺め
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↑観光用ヘリコプター
 肝心の洞爺湖の眺めは、素晴らしいものであった。洞爺湖に関してはこの景色を見るだけで十分だろう。曇っているので有珠山はぼんやりとしか見えない。
 ここで食事して引き返してもよかったが、食べたくなるようなものはなかったので、洞爺湖温泉まで走らせることにした。洞爺湖温泉の旅館街に到着したが、レストランというようなところはなかなか見つからない。唯一見つけられた「望羊蹄」に入ることにした。Uターンをかます際、急激な坂での坂道発進となり慣れていないが故にエンストを繰り返した。周りにはほとんどクルマはおらず、恥はかかずに済んだようだ。
 13時10分、湖畔からやや距離のある空き地にクルマを停めて、「望羊蹄」はその空き地の道路を挟んだ向こう側にある。見かけはちょっとおしゃれだ。店内は混んでいる。何の予備知識もなかったが有名店なのか。どうせなら土地のものを食べたいと思ったものだが、メニューはハンバーグのようなものばかりだ。私は1600円のハンバーグセットにした。これでも安い方なのである。味は方はソースはなかなかおいしいと思う。しかし価格に見合ったものではない。完全に一見さんの観光客相手の店だ。後で調べてみると、「望羊蹄」は作家・志賀直哉が命名したのだという。だからこんなに人気があって殿様商売をしているのだろう。
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↑望羊蹄
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↑店内
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↑美味しいけど値段が高いハンバーグ
 やや不満な気持ちで店を出る。この時既に13時40分。北斗星の出発時刻が17時00分だから、16時にはクルマを返却したい。当初予定ではここから札幌まで行く道の途中にある豊平温泉に寄る予定であった。けれどもそんな時間的余裕はなくなってしまった。
 一部来た道を戻り、留寿都、喜茂別、中山峠を通って札幌を目指す。留寿都あたりでは歩いている人が多い。大学のワンダーフォーゲル部だろうか。
 14時45分、道の駅「中山峠」で休憩。ここまで213.8Km。雨が降り始めた。
 立ち寄り予定だったが豊平・定山渓温泉を通過。ここを過ぎると一気に都会色が強くなった。
 15時45分にエネオスで給油。ハイオクを入れるのはおそらく初めてだ。ここまで248.7km。
 道路標示は札幌駅へは直進となっていた。しかしナビは川沿いの道を指示したのでそれに従った。その道は道路を交差する度に小上がりになっていて、停まる度に坂道発進しなければならなかった。練習にはいいが、都会なので後ろにクルマがぴったりとついているので重圧を感じた。
 札幌駅前では道に迷い、交差点でエンストし、恥をかいた。
 16時25分にクルマを返却。すぐに回送用の運転手が現れて、BRZはどこかに消えていった。
 北斗星の出発まであと半時間しかない。まずはお土産を購入。去年の12月に札幌に来たので地下街はよく知っている。ロイドのチョコレートを買いたいところだが、夏で溶けるので採用できない。結局、六花亭で「六花の露」を買うことにした。
 16時50分、ホームに上がり、北斗星の入線を待った。やがてディーゼル機関車に牽引された「最後のブルートレイン」北斗星が入線してきた。シャッターのタイミングが遅れ、機関車の正面を撮ることができなかった。
 「はまなす」同様、写真を撮りまくる。今回は開放B寝台に乗る。個室は予約段階で満室だったからだ。電源車直後の11号車7番下段が与えれた寝台だ。昭和55年新潟鉄工製。作られてから34年を経過している。それでもまだ新しい方である。
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↑ホームで待つ北斗星
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↑機関車ははまなすと共通
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↑金帯で豪華さを表すも古い
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↑食堂車
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↑北斗星最後尾
 一通り車両を見てみたが、個室はまだ空きがあるようだ。函館まで乗ってくるのだろうか。
 私の向かいにはサングラスをかけたばあさんが座っている。開放寝台はほぼ10年ぶり。「なは」で熊本まで乗って以来だ。設備は初めて乗ったときから変わっていない。シーツのついた毛布とJRの柄のついた浴衣。減光のできる寝台灯。迂闊だったのは喫煙車であったことだ。
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↑開放B寝台
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↑寝台灯を点灯
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↑喫煙車なので灰皿がある

↑北斗星発車後アナウンス
 定刻17時、北斗星は動き出した。
 18時00分に食堂車へ。グランシャリオという名前が付いている。ディナーは予約制で7500円のフランス料理のクーポンを購入済みだった。家族連れもいるが、主な客は乗り納め組だった。したがってほとんどの客は料理が運ばれる度に写真を撮っている。かくいう私もそうである。家族連れはご大層な一眼レフで撮っている。一家の長が鉄道ファンなのだろう。満員の盛況である。ウエイターは丸坊主の男と若い頃の小泉今日子に似た女と2名だ。
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↑この通路の先が食堂車
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↑正式名は「グランシャリオ」
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↑ドアにかかる案内板
 料理の方は年がら年中同じものらしく、正直言って7500円の半分ぐらいの価値しかない。ただ定期列車の食堂車で食べる機会はここだけしかないわけだし、希少価値を考えるとしぶしぶ納得するしかない。料理は12000円と高価とはいえトワイライトエクスプレスに軍配が上がる。
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↑お飲み物メニュー
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↑ディナーのメニュー
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↑ワイン
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↑パン
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↑メインディッシュ
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↑デザート
 ビールが620円、白ワインが530円。さらに「北斗星」缶バッチ800円も買った。普段の倹約家はどこにいったのか。大した浪費家ぶりだ。食事の後ラウンジを覗く。北斗星のそれは半室しかなく開放感に欠ける。これもトワイライトエクスプレスに軍配が上がる。
 19時00分に寝台に戻る。スーツを着たメタボな男がたばこを吸っていた。上段客であろう。「北斗星は初めてですか?」と声掛けする。男は初めてだと答えた。私と同じ乗り納め組だった。前のばあさんは北斗星の常連。年寄りにとっては飛行機は歩くところばかりで疲れる。北斗星なら寝ている間に上京できるので便利だと言っていた。寝台列車には確かに固定需要がある。しかし儲かっているかというと残念ながらそうではないのだ。何しろ寝台車は乗車定員が少ない。近年は乗り納め組のせいで切符が取りにくくなっているという。かつては前日でもB個室がとれたという。シャワーも食堂車も一度経験したら十分なので、500mlのスーパードライ2本とつまみを寝台に持ち込んで飲んでいる。確かにその方が安い。私がロシアに行ったことがあるというと、彼女は北海道に住んでいるのでロシアに行ってみたいと言った。こういう反応は珍しい。私が「知らないことを知るのは楽しい」と言及すると、首肯していた。
 21時20分、パブタイムで再び食堂車へ。混んでいて相席となった。むしろそれは望むところだ。さっきと同じ、向かいの男に「北斗星は初めてですか?」と声掛けする。「今月4回目」と彼は答えた。これはもう筋金入りの鉄ヲタである。北斗星だけでなく九州ブルトレを専門に乗っていたのだという。コースターやカーテンがJR北海道と東日本でデザインが違う。JR北海道の方がサービスがいいと細かい点を指摘する。まもなく五稜郭タワーが見えますよとか、ラストオーダーを聞きに来たら、右手にコンビニエンスストアーが見えますよと、常連客らしい情報を提供してくれた。
 上磯付近を迂回しているのは太平洋セメントの工場があるせいだ。江差線に並行してバイパスが走っているが、これはもともと、江差線は廃止するものとして、建設された経緯があるらしい。もし貨物列車がトレインイントレインで新幹線を経由するようになれば、本当に廃止するかもれない。
 彼は渡島大野(新幹線開業後は新函館北斗)から函館間はJR線として残ると言及。私の記憶と違うので、調べてみると、第三セクターによる経営が確定していた。つまり函館駅はJRの手から離れることになる。
 ウイスキーとチーズセットを食べる。それぞれ1340円と1030円だ。他の客はパブタイムが食事みたいでハンバーグのような重いものを食べている。
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↑ウイスキー
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↑チーズ盛り合わせ
 寝台に戻る。既に2名は寝てた。カーテンを閉め、シーツをセットし、浴衣に着替えた。23時に就寝。
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↑B寝台への入口(静寂性維持のため開き戸になっている)
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↑洗面所、一応のリニューアルがされている

6月29日(日) 雨
 4時00分、列車が停まって動いていない。スマホで確認すると前沢駅であった。まだ岩手県南部である。本来なら仙台を通過している時間帯だ。どうやら何かあったらしい。
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↑前沢駅で臨時停車中
 6時00分、「おはようございます」車内放送が始まった。宮城県内の大雨のため、復旧まで9時間以上要するとのこと。北斗星は一ノ関で打ち切り、東北新幹線による振り替え輸送を計画中とのことであった。

↑運転打ち切りのお知らせ
 6時30分の朝食のため食堂車に行ってみる。既に満員だった。もちろん相席である。
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|AE|
|AF| F=私
+--+
当初は上のように座っていたのだが、Aの提案により次のように変更された。
+--+ +-+
|BA| |D|
|BA| |F|
+--+ +-+
+--+
|CE|
|CC| F=私
+--+
 私はDの前に座ったのだが、その男は食事中もヘッドホンをしたままで、会話はできずおもしろくなかった。朝食は1650円もするが、これは妥当に思える。ただ前沢駅に手立ち往生したままなので、食堂車の食事としては物足りない。
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↑朝食メニュー
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↑洋朝食
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↑コーヒー
 いったん寝台に戻るも、帽子がないことに気づき、再び食堂に戻ると、"海坊主"によって確保されていた。
 北斗星は一ノ関までのんびり走る。一ノ関では雨が降り、11号車には上屋根がなかった。急ぎ足で新幹線改札口へ。開放された改札に並び、振り替え輸送用の新幹線特急券を受け取る。はやて122号4号車15Cが指定された。列車はすぐにやってきた。7時59分出発。速達列車の「はやて」なのに次のくりこま高原に停車する。
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↑一ノ関に到着
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↑さらば北斗星
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↑振替指定券を求める人々
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↑振替指定券
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↑はやて122号に乗り込む
 通路側なのでコンセントが使えない。ただ使えたとしても床に近いところにあるので、手持ちのスマホ予備電池のコンセントを差すことができない。ここで充電しなかったことが、あとでスマホの電池切れに悩まされることになる。
 なんだかんだいって新幹線は速くて快適である。福島付近は川が濁流となっていたが雨は止んでいた。
 予定より1時間遅い10時00分に上野着。ブルートレイン乗り納めは意外な形で終劇を迎えることになったが、食堂車で朝食を食べられたし、振り替え輸送も体験できたのでまあ満足した。
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↑上野駅といえば行き止まりホーム
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↑地平ホームから高架ホームを眺めるのも乙なもの
 とりあえず、友人と合流するまでは周辺を散策することにした。
 徳川将軍家の菩提寺上野寛永寺を目指すが、そこは上野よりも鶯谷の方が近いことが分かった。寛永寺はあきらめて、上野駅に近い大師堂を目指すことにした。こじんまりとした寺だが、江戸時代は権威があったらしい。参拝をすませ、朱印をもらう。えらく愛想の悪い僧であった。
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↑大師堂
 一駅御徒町まで乗り、東京唯一の朝風呂「燕湯」に行く。450円。ここは2年前の9月に来たことがある。東京の風呂はどこもそうだが湯温が45度と暑い。熱くないと客が怒るのだという。自転車ツーリングで来ている若い衆は脚を浸けただけで逃げてしまった。前回と違い、ペンキ絵が富士山から摩周湖に変わっていた。
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↑江戸の朝風呂「燕湯」
 帰りは東京から新幹線に乗るので、東京駅でいったん途中下車する。ここからICカードで乗車する。首都圏では消費税が8%になってからICカード利用の場合1円単位の課金となっている。東京駅の丸の内駅舎は大正時代仕様に復元されている。
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↑復元された丸の内駅舎のドーム
 新橋で降りる。烏森神社を目指す。都会の中の小さな神社だが、赤、青、緑、黄4色の神印がおしゃれで女性ファンが多い。
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↑烏森神社はビルの谷間
 ご神印は順番待ちだ。支払いは500円と高いが、お守りと「幸飴」というキャンディーがついている。
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↑順番待ちの札
 遠からぬところから汽笛が鳴る。新橋駅では汽笛が時報になってるらしい。
 友人とは13時00分に待ち合わせることになっている。明治神宮まで行っている時間はない。しかし品川に直行するには時間が余りすぎる。近隣の神社を検索すると日比谷神社というところがあるらしい。そこに向けて歩いた。
 交差点の一角にとってつけたような社と鳥居が見える。そこが日比谷神社であった。インターフォンで宮司さんを呼び出した。ここには5年前に移転してきた。マッカーサー道路の建設の際移転を余儀なくされたという。そのマッカーサー道路は日比谷神社の正面からまっすぐ延びている。舗装は新しいので最近開通したらしい。この道路はマッカーサーの指示によって計画されたのではなく、むしろ占領軍は敗戦国には立派な道路は不要と反対していた。
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↑交差点にある日比谷神社
 12時45分品川駅へ。改札前で待っていると、友人Sと無事に合流できた。
 早速、高輪口にある「アンナミラーズ Anna Millers」に行く。ここはアメリカのパイで有名なチェーンと日本の井村屋と提携したカフェだが、供給される料理飲み物より、ウェイトレスの衣装で有名なのだ。まずスカートが短い。そして胸が強調され突き出るような特殊なエプロンを着用していることだ。残念ながら店内は撮影禁止だ。ネットで見ることができるのは、隠し撮りか、衣装を真似したコスプレの写真だ。30分ほど待った。客はヲタも確かにいるのだが、女性同士の待ち合わせにも使っているようだ。
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↑アンナミラーズ Anna Millers入口
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↑ウエイトレスは写せないのでティーカップでも
 撮影できないので、その時の感動は記憶に残すしかない。最初にオーダーを取りに来た女性は特に胸が大きくて可愛かった。話の内容は現況報告。管理職で残業がつかないので早く家に帰るようになったという。
 次に山手線で原宿まで乗り、明治神宮へ。鬱蒼とした森の中にあり、まるで東京ではないようだ。献納された日本酒樽前で写真を撮る人が多い。その対面にはフランスのワインもある。
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↑明治神宮の鳥居
 参詣を済ませ、ご神印もいただいた。五箇条のご誓文と教育勅語が無料で配布されている。明治天皇が考え出された文章ではないが、裁可された文章である。明治の頃の方が日本は国際感覚が鋭く理想に燃えていたようだ。
 おみくじを引く。明治神宮は吉凶ではなく、大御心として明治天皇の御製を渡される。
 その後、山手線、中央線、山手線で上野へ。私は4時間ほど前に立っていた公園口にまたいた。ただ4時間前はいい天気だったのに、今は道路が川になろうかというくらいの大雨だ。ここまで来たのは上野美術館でやっている「キャプテン翼展」を見るためだ。これは友人Sが勧めた。私としては日本サッカー協会博物館のほうが興味があったが、それは封じた。雨足が鈍くなったのを見計らって歩く。着いたのは16時半前。観覧できるのは30分間だけだと言われた。せっかくここまで来たので入ることにする。「キャプテン翼」はそんなに強い興味を持った漫画ではなかった。でもこの漫画がなければ、日本のサッカーのプロ化はずっと遅れていただろう。単純なストーリーで、キャラクターの描き分けももう一つだったけど、まあ1600円の価値はあったかどうかは微妙。
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↑キャプテン翼(昔から思うんだけど顔の描きわけがなあ)
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↑10はメッシ、翼は28、2と8の間には+が入っている
 雨は止んだ。屋上からは東京スカイツリーが見える。
 東京駅に戻る。ここでもう一人の友人Aと合流することになっている。彼は昼間の保護者会で遅れてきたのだ。東京駅で合流することにしたのは、私の和歌山方面の最終便は20時30分であるからだ。
 まだ時間があるので大丸の1階で、家のお土産として銀座ぶどうのバタークッキーと衣しゃを買う。
 18時10分、八重洲中央口で友人Aと合流。すっかりメタボになっている。
 飲み会はグルメストリートの庄屋ニュートウキョウ。まだ時間が早いのか3組ぐらいの客しかいない。Aとは10年ぶり、Sとは5年ぶりの再会だ。時のたつのも忘れて、話しは盛り上がった。都会は生活費がかかり、あまり貯金できない。クルマも中古を乗り継いでいるという。
 手みやげに北海道のお土産「六花の露」を手渡し恐縮された。
 やがて、Sの携帯電話が鳴った。Sの奥さんが近くに来ているので合流するという。現れた女性はなかなか美人だった。
 短い時間ではあったが楽しい時間だった。
 20時10分解散。改札まで見送ってくれた。のぞみ261号の自由席。3号車9Eに座る。さっそくスマホの充電。東北新幹線と違い、こちらはコンセントに支障はない。特急料金は4870円。考えようによってはすごく安い。何しろ5000円払うだけで時間が4分の1に短縮されるのだ。
 車内は混んでいる。東海道新幹線は日本の屋台骨を背負っている。中には重要人物もいるかもしれない。
 新大阪からは緩行に乗り、大阪23時6分発の日根野行きに乗る。日根野で乗り換える。チアガールの格好をした女の子は紀伊で降りた。同じ格好をした2人だが仲が悪いのか口は聞いていなかった。
 030帰宅。風呂に入って、明日の仕事の準備をした。
 こうしてブルートレイン乗り納めの旅は終わった。北斗星が消えるのは仕方がないように思える。残すとすれば車歴が浅くてより豪華なカシオペアの方だろう。そのカシオペアも青函トンネル内の機関車の問題があり、存続が危ぶまれている。カシオペアは例えばかつての「あけぼの」のルートでJR東日本管内だけを走る豪華列車として存続するかもしれないが、やはり北海道を行き先にしないと夢やロマンを乗せることができない。機関車はJR貨物からレンタルしてでも、カシオペアは北海道新幹線の札幌開業までは存続するべきだと思う。札幌まで開業したら、どうせ新幹線いえども所要時間で飛行機に対抗できないのだから、ゆとりを売りにした設備を設けることになるだろう。新幹線は夜行の運転は考えられないから寝台とはいかないが個室の連結はあるかもしれない。
 はまなすについては本文でも述べたが、函館ー札幌間に十分な夜行需要があるので、特急北斗の間合いで夜行便を設定できる。もちろんこれも札幌開業までの措置でいい。利用客が少なければ、そこまで日を待たずに廃止してもいいだろう。
 いずれにせよ、ブルートレインの時代は終わり、自分はそれを見届けた。それだけは確かだ。

追加:
その後カシオペアに乗車しました。URLは下記参照。

「銀色の寝台特急カシオペア乗車記」

http://umayado.blog.so-net.ne.jp/2015-09-26


フィットで車内泊 [旅行]

 最近、車内泊が静かなブームになっている。きっかけは麻生政権の頃実施していた1000円で高速道路にどこまでも乗れるいわゆる「1000円高速」だろう。リーマンショックで危機的な経済状況で、インパクトのある経済政策と筆者は評価している。折からのデフレ指向も相まって、この頃から車内泊の本が増えた気がする。
 それはともかく、自分もその車内泊をやってみようというわけである。現在所帯持ちの家庭ではノアとかステップワゴンなどのワンボックスが主流だ。これなら家族4人は無理でも2人なら楽に寝れることだろう。
 しかし筆者の乗っている車はホンダフィットだ。フィットは前席の下に燃料タンクがあるので、リアシートを倒せばフラットな空間ができる。しかし全長が短いので、寝るには斜めにならないと脚を伸ばして寝ることができない。つまり1人しか寝ることができない。けれども筆者は独身だ。ひとり寝れれば十分といえる。よってフィットで車内泊は可能といえた。
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↑フィットのラゲッジルームは広い

 問題は目隠しである。最初に思いついたのはカーテンを巡らすことである。しかしこれが結構な費用がかかる。しかもそのクルマ専用なのでつぶしが利かない。段ボールを窓に張り巡らすのも面倒だし、確実な固定方法を考える必要がある。
 そこで思いついたのは車内にテントを張ることである。これの利点は目隠しが確実な上に保温効果があることである。
 早速物色してみる。大きさは2人用で十分だ。テントの場合、2人用でも荷物があるから実質は1人用だ。また、車内で展開するわけだから、防寒用のダブルスキンは必要ない。購入したのはこれである。auショップで1200ポイント。ポイントで買ったので実質的な支出はゼロである。
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↑購入したテント

 届いたテントを見る。実質1人用だけに収容もコンパクト。これなら常時トランクに放り込んでおいても邪魔にならないだろう。
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↑テントの中身

 こういったドームテントの基本的な構成は底と屋根が一体となったスキンに、収縮式のパイプをX字に組み合わせて、その張力で屋根を張るというものである。このテントもそういったものであった。

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↑テントをラゲッジルームに広げる

 はじめにテントの生地をリアトランクに展開する。サイズはあらかじめ計ってあったので、まさにフィットのトランクにフィットする。この際テントの入り口を前方に向ける必要がある。後方の方が出入りが便利なのは明白なのだが、リアゲートを車内から開ける方法がないのである。
 次にポールを伸ばしてX字状に挿入する。あとはこれを上方に弧状に展開すれば出来上がりだ。
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↑ポールをX字状に挿入

 しかしフィットの場合は高さが足りないので、シートに付属している、ポールを挿入する穴に差すことができない。そこで、前方のみポールを穴に入れて、後方はリアゲートの左右後方の角に置いて支持することにした。しかしこれでは底面シートの固定はできないので、フィットのトランクルームの底にある荷物固定用のフックとポール固定用の穴をカラビナで連結して固定させることにした。カラビナは100円均一で購入した。

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↑前は通常通りにポールを挿入

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↑ポールを持ち上げてテントを展開

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↑後ろは左右後方の角にポールを置く

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↑荷物固定用のフックとポール固定用の穴をカラビナで連結して固定

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↑天井はこんな感じ

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↑入口は前。ちょっと入りにくい。

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↑テントの中

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↑テントの中から上を見る

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↑クルマの外から見る

 これで準備完了。夏用の防虫用網戸、冬用の暖房など問題はあるが、あとは寝袋があれば車内泊ができるわけだ。実戦投入が待ち遠しい。

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