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三江線の沿線をクルマで走ってみた [鉄道]

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 JR西日本三江線。その名を聞いても、どこにあるのか知っているのは鉄道ファンか地元の人だろう。三江線は広島県三次市と島根県江津市を結ぶ全線108kmの陰陽連絡線である。中国随一の大河、江の川に沿って建設された。ただし戦前に南北両端が開業してからしばらく放置され、中間部分が完成して全通したのは1975年とあまりにも遅かった。そのころには完全にクルマ社会になっていて、せっかく全通した三江線は見向きもされない状況であった。それがわかっていながら建設されたのは、島根県出身の大政治家の働きかけがあったのでは、と個人的に思っている。
 路線は江の川に沿って建設されたので、三次と江津間の最短距離を結んでおらず、広島-松江はおろか、広島-浜田はもちろん、三次ー江津の都市間輸送さえ利用する価値のない線であった。開業以来、ごく僅かの臨時列車を除き、定期の優等列車の運転がなく、普通列車の直通運転すら当初は運転されなかった。運転本数は現在一日5本で、車両も小型のディーゼルカーの単行運転である。
 こんな低需要の線が廃止を免れていたのは、沿線の道路が未整備であると判断されたからだ。しかしながら最近はそれも解消されつつある。近年、地球温暖化の影響で集中豪雨が日本列島各地を襲うようになった。この三江線もたびたびその被害に遭い、長期間の不通が余儀なくされていた。その際はバス代行運転を行うわけだが、多少の時間を要するとはいえ、バスで交通機能しているということは、実のところ道路整備がされているという事実を証明していることに他ならない。過去復旧に1年以上かかったこともあったが、特に不便であるとの声はなかった。あっても沿線に人口が少なすぎて声にならなかったのだろう。
 三江線にさらに致命的な弱点があるとすれば、沿線に温泉とか世界遺産とか風光明媚な場所とか、偉人の足跡とか観光名所になりうる施設などが全くないことである。
 JR西日本の見解は概ねこんな感じだ。
「三江線は都市間連絡としては機能せず、観光需要もなく、地域輸送にしても、過疎化で人口が減り、先に期待のもてない状況だ。鉄道は大量高速輸送でこそその真価を発揮できる。現在の三江線は鉄道の施設を維持するだけの需要はない。道路整備も確実に進んでいるので、この際三江線は廃止し、沿線自治体がバスなどの公共交通を考えていただきたい」
 しかし地元は納得しなかった。三江線の利用客が少ないのは、列車本数が少なすぎるからだ、行政としても回数券に補助金を出したり、住民に啓蒙運動して利用を促進し、(無理矢理作った)観光スポットを旅行客にアピールするから運転本数を増やしてほしいとJRに懇願した。そこまでいうならと、JR西日本は実験的に代行バスの本数を増やし需要を喚起してみた。鉄道は本数を増やしたくても、設備がそのように対応できないのだ。実験は無惨なもので、本数を増やしても乗客は増えなかった。沿線の人はクルマをすでに持っているので、わざわざ時間のかかるバスに乗らない。ローカル線の客はクルマを持たない高校生が主力である。それも少子化で子供の数が減っており、バイク通学や学校がバスを用意すれば、鉄道の必要性もなくなってしまっていた。
 JR西日本は「これでわかっただろう」と廃止やむなしをやんわりと口にした。しかし地元は三江線活性化協議会を立ち上げ、2011年から総額7600万円の予算を投じて、何とか乗客を増やそうと取り組んだ。しかし利用者の減少に歯止めがかからない。沿線自治体は「まだまだ活性化の取り組みを行う余地があるのではないか」といった趣旨の意見が出されているようだ。
 地元の本音ははっきりしている。どうやったって三江線の乗客は増加しない。だからできるだけ長い期間JR西日本に運行をお任せしたいのである。最大の目的は輸送需要があることではなく、鉄道を失うことによるステータスの維持なのだ。だから年間数十億の赤字がでるのが確実な三江線の経営を引き受けるつもりはないのだろう。地元自治体が共同でバスを運行すれば、その百分の一の赤字ですむ。結論はそこに落ち着くしかないのだが、時間を稼いでいるのだろう。
 そしてついに、2016年9月30日、JR西日本が廃止日を2018年4月1日とする廃止届を国土交通省中国運輸局に提出した。これで三江線の廃止は免れないものとなった。日本鉄道全線完乗者としては寂しい限りだが、これも時代の流れである。三江線には別れを告げに行こうと思った。
 実は筆者が三江線に乗ったのは1985年8月。当時はまだ国鉄の運営で、国鉄時代に乗ってそれ以降乗っていない数少ない線の一つだ。当時の三江線の記述は以下のようになっていた。

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江津6:50(三江線325D)9:53三次
 6時に起きた。駅前の旅館を出発。江津では列車を乗り間違えるところであった。
 三江線は2両編成のキハ47。乗車率は各ボックスに一人ずつというところ。
 しかし空は曇。だんだん混んできた。石見川本でまた車内は閑散となった。9時頃また客が増えた。沿線を流れる江川もさして興味がなくなった。
 終着の三次は乗り換え駅で大きい。文庫本と鮎寿司を買って、駅の写真を写そうと思ったが面倒になってやめた。
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 あまりに簡潔な記録である。だが今見直すと、なかなか味のある記録である。まず、当時は2両編成だったということ。乗車率はボックスに1人程度だから、単行では厳しいとの判断で、当時はそれなりに客が多かったのだろう。だんだんと混んできて石見川本で空いたということは、江津からこの方面への通勤通学需要があるのだろう。石見川本の少し先の浜原までは戦前に開通している。古くからの集落が存在するのだろう。ただし災害で不通になるのはこのあたりが多い。9時頃客が増えたとあるが、これは沿線の要所である口羽に到着したことを示す。ここからは戦後しばらくして開通した古い区間である。それまでの記述が全くないのは新しい線でトンネルが多く、おそらく眠っていたのだろう。ここからは三次方面への旅客流動がある。この線は江の川に沿って走る。従って江の川を見飽きて興味がなくなるのは当然だ。三次は広島内陸部の主要都市で芸備線と連絡する大きな駅だ。

 そんなもう一度三江線に乗ってもいいのだが、今回はクルマで三江線沿道を走ることにした。道路の整備状況を確認するのが第一の目的。第二の目的は三江線で最も有名なポイント、といっても鉄道ファン限定だが、宇都井駅をじっくり眺めるためである。宇都井駅はトンネルとトンネルの間にある高架駅で、地上5階分の高さにある「天空の駅」と呼ばれている。もし鉄道で行ったら、この駅で降りてしまうと2時間は手持ちぶさたになってしまう。だからクルマで行こうというわけである。
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↑三次駅
 2016年2月27日午前10時43分、筆者は三次駅にいた。ここからクルマを走らせて、江津駅を目指す。方針としてはできるだけ三江線に沿った道を走ることにしていたが、やむを得ないときはこの限りではないとした。江の川を渡る箇所が道路と鉄道が離れていることが多く、浜原ダムを回避するため、三江線は道路から大きく離れるところがあるからだ。
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 10時50分、出発進行。しばらくして堤防を降りれば三江線の沿道を走れるのに、うっかりそのまま直進。結果として三江線の対岸の国道375号線を走ることになった。ようやく橋を見つけた。狭く古い橋で対向車がくればやっかいなことになるが杞憂だった。三江線の踏切を渡ると、右側に所木駅がみえた。ここからはしばらく線路を見ながら走った。
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↑所木駅
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 式敷駅を過ぎると、三江線は江の川を斜めに横断し対岸に移る。筆者のクルマはそのまま進んだが、当面橋がないことに気づき、途中で引き返し、式敷駅手前にあった橋を渡った。
 また三江線に寄り添うことになった。しかし線路は香淀駅を過ぎるとまたも江の川を渡り、対岸に移った。また橋まで戻って対岸に移るかと思ったが、クルマはそのまま直進し、国道375号線を進んだ。
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↑斜めに江の川を渡る三江線
 しばらくすると橋があったので左折し、三江線との合流を目指した。目の前に作木口駅があった。
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↑バス停のような江平駅
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 しばらく走って左折し、この地にふさわしくないほどの立派な高架橋で線路を越える。高架橋の下には口羽駅がある。このあたりは三江線沿線随一の集落となっている。
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 カーナビにだまされてしばらく県道7号線を直進していたが、やがて間違いに気づいてUターン。
 三江線は口羽を出るとすぐに川を渡る。しかし伊賀和志という人名のような駅を過ぎると、また川を渡る。この口羽からは昭和50年代に開通した新しい路線で、トンネル、高架橋が多用されて最短距離を結んでいるからだ。
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↑口羽-伊賀和志間の鉄橋は新しい
 したがって筆者は橋を渡らず、そのまま江の川の左岸を進んだ。この道はグーグルマップによると県道294号線というらしいが、ただの田舎道である。
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 T字路を左折すると、山と山の間にT字型の高架橋が見えた。「天空の駅」宇都井駅である。時間は正午を迎えていた。駅周辺はそれなりに民家があるが、人影がない。雨が降ってきた。駅の直下の空き地にクルマを止め、雨宿りするように駅舎に入る。駅舎といってもただの階段である。エレベーターはない。5階建てのビルに相当する高さまで階段を駆け上がらねばならない。
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↑宇都井駅遠景
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↑宇都井駅
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↑宇都井駅反対側
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↑駅入り口
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↑階段
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↑あと26段
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↑最上階待合室
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↑時刻表
 やがて最上階に着いた。アルミサッシを開けるとそこはホームだった。右を見ても左を見ても線路の先はトンネルが口を開けている。鉄道ファンには有名な駅なので訪問者は多く、書き込みノートも置かれている。
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↑駅名標
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↑駅の両端はトンネル
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↑駅から下を望む
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↑書き込みノート
 次の列車到着までは1時間以上あるので、ここを立ち去ることにする。
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 県道294号線を進み、JA島根おおち大和支所を右に曲がって、江の川を渡り、再び国道375号線を進む。険しい川岸を三江線と国道が平行して走る。右手には潮温泉大和荘がある。しかし観光地としては魅力に欠けるのか人影が見あたらない。
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 それにしても人気がない。民家はあるのだが、人の姿が見えないのである。いたとしてもいったい何の仕事をしているのか。農業か林業か。商業施設もないに等しい。まるで昭和から時が止まっているようだ。
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 潮発電所を過ぎると三江線は右手に進み、川を離れて山を目指す。浜原ダム湖を避けるためである。しかし道路はそのまま直進し、ある程度川沿いを進んでから、トンネルに入った。しばらくしてクルマは国道を離れ、三江線沿いの道を進んだ。粕淵駅に立ち寄ってから、線路に寄り添って進む。明塚、石見簗瀬、乙原、竹、木路原、石見川本、因原、鹿賀、石見川越、田津、川戸といった駅を通り過ぎる。
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↑粕淵駅
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 13時23分鹿賀駅を過ぎたところに線路越しに小さな滝が見えた。それを写真に撮り、しばらく進むと汽笛が聞こえてきた。しばらく進むと、単行の気動車が現れた。江津を12時34分に出発した浜原行きである。全く意図していたわけではないが、絶妙のタイミングで列車の走行動画を撮ることができた。残念なのはクルマのフロントガラス越しなので、不鮮明であることだ。
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↑小さな滝が見える

↑ちょうど列車がやってきた
 石見川本は高等学校が、川戸には江津市役所支所があるほどの集落だが、その他の駅は1日10人以下しか利用客がいない。JRのローカル線は高校通学生の利用客が多いものだが、この三江線は開通当初から本数が少なく、スクールバスが幅を利かせているので、利用客が少ない。
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 この先の線路沿いの道は行き止まりとなるので、江の川を渡り、川平駅の手前の橋を渡り、再度線路と合流した。ここから先は道路が線路に全体の半分ぐらいしか並行していなかった。終点の江津のひとつ手前の江津本町駅を右手に通り過ぎる。駅前には何もないが、しばらく走ると民家が密集している。
 14時2分、国道9号線バイパスを潜り、14時7分終点の江津駅に到着した。小ぎれいになった三次駅と異なり、国鉄時代から変わらぬ江津駅のたたずまいだ。これで約3時間20分の三江線を巡る旅は終わった。
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↑江津駅
 三江線沿線を実際に走ってみての感想だが、道路は十分整備されているし、将来の人口を考えても、交通弱者の対策としては、タクシー会社の委託によるマイクロバスの運行、中高校生に対してはスクールバスで対応可能と思われる。沿線には起爆剤になりそうな観光地もない。したがって廃止は妥当であると確信した。
 ただ口羽-浜原間の線路は新しく、鉄筋コンクリート造りの高架橋もあって壊すにも費用がかかる。それに宇都井駅という鉄道ファンにとっては垂涎の駅もある。そこでこの区間は保存鉄道として残し、台湾の烏来台車のような小型エンジンによるトロッコ列車や、ペダル走行による車両など、遊戯観光施設として利用するのはどうだろう。壊すよりもその方が価値があると思う。

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新函館北斗駅を実地検証する [鉄道]


 北海道新幹線の最大の問題点はこの新函館北斗駅の位置であろう。なんと函館空港の方が函館市中心部に近いのである。しかも東京方面からの到着した客は階段の上り下りしなければ、函館方面へも札幌方面にも行くことができない。なぜこのような不便な構造にしたのか理解しがたい。
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↑この階段を延々と登る

 函館駅とはこだてライナーという電車が結んでいる。しかし全て最速15分で走る快速ではなく、各駅停車もはしり、これだと20分以上かかる。乗り換えも不便な上に、時間もかかる。時間的な不利を補うだけの魅力的な車両なら納得もするが、車両は通勤用のロングシート。
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↑はこだてライナー

 新函館北斗駅周辺に魅力的な観光地があれば救われるが、大沼公園と駒ヶ岳以外はないに等しいのだ。
 この問題だらけの新函館北斗駅を検証するために待ち時間を1時間とっていた。
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↑歓迎!!
 駅前に降りる。駅舎こそとても立派である。しかし駅前はというと商業施設はレンタカーの営業所だけで、普通の民家がポツポツとあるだけだ。そのレンタカーですら客集めに苦労しているようだ。
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↑立派な西側駅舎
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↑閑古鳥のレンタカー
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↑東側駅舎
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↑ここからは荒涼とした風景
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↑イベントをやっている
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↑何のキャラクター?
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↑メディアも取材リハーサル中
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↑ホームを眺める人々
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↑入場券を求める人々

 しかしまだ開業2日目ということで、地元や函館市民の関心は高く、駅の入場券の売り上げは上々だ。それと周辺自治体の屋台も賑わっている。AKBみたいな女性アイドルが訳のわからない歌を歌っている。
 ここでイカめしとげそ揚げを買って昼食とした。さらに日本酒も買った。
 銅像があるので、地元出身の著名人かと思ったら「北斗の拳」のケンシロウ様であった。地元出身の著名人としては歌手の三橋三智也がいて、顕彰碑がある。
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↑三橋三智也の顕彰碑

■新函館北斗駅の検証と今後
 開業二日目だから新幹線初体験組で盛り上がっているが、開業効果は1ヶ月もたないだろう。
 今後、JR北海道はじめ自治体がいろいろ考えるだろうが、はじめから予想された劣勢に対して、現状の対応ではあまり多くは望めないかもしれない。
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↑新函館北斗駅、函館駅、函館空港の位置関係

 元々函館市はこの新函館北斗からミニ新幹線で函館駅に乗り入れることを望んでいた。函館駅のリニューアルの際、それを見込んで函館市は相当な資金を投入した。しかしJR北海道は曖昧な回答をしたもののその意志はなく、逆に函館と新函館北斗間は北海道新幹線札幌開業の際にはJRと経営分離する意向であると表明した。つまり、将来は函館駅はJRの駅ではなくなるのである。このような未来図でJR北海道と函館市が友好的な関係を築けるわけがない。
 そこで提案だが、函館市は新幹線とのタイアップはあきらめ、函館空港との連携を深めてはどうか。実は函館は国際的に知名度が上がりつつある。北海道にしては幕末の歴史に彩られた街で、五稜郭という日本唯一の洋式城郭や世界有数の夜景、豊かな海産物、そして湯ノ川温泉もある。その湯ノ川温泉から市電をわずかに延長すれば函館空港に到着する。今や日本の観光業は外国人を無視できない。今は団体客として来日している彼らも、リピーターとなれば個人旅行となるだろう。その際、バスよりも走っている線が見える路面電車の方がわかりやすく、その利用を選択する人が多いだろう。通学需要のある函館高専経由で路線を設定すれば、長期的に見て建設費は回収できるはずだ。空路と市電3日乗車券をタイアップで発売する。インパクトは新幹線にはかなわないが、多くの観光客、函館市民にとって喜ばれることだろう。
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↑筆者の函館市電延長案

 新幹線との連携を考えるならば、木古内での連絡を考えた方がいい。どうせ階段での乗り換えならば時間がたいして変わらないからだ。高性能気動車を導入して快速運転すれば、新函館北斗経由と5分差くらいまで詰められる。ここは道南いさりび鉄道の路線だから、株主である北海道、周辺自治体の収入にも寄与する。途中駅の上磯は本来の北斗市中心部に近い。ここは思い切って「北斗南」に駅名を改称して、特撮ヲタクの関心を集めれば面白い。ちなみに北斗と南はウルトラマンエースである。
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↑北斗と南(円谷プロ)
 この施策はそれなりに有効であるものの、せっかく多額の予算を投じて建設した新函館北斗駅の荒廃を招く。北斗の拳のケンシロウ様に「お前はもう既に死んでる」と言わせて、いっそ新幹線唯一の「秘境駅」として売り出すか。なかなか名案はないが、それでも仙台以北あるいは秋田方面から登別、札幌に行くには選択肢の一つになりうる。現状の配線を変更してでも、同一ホーム乗り換えを徹底することにより、乗客の減少を最小限に抑えられるはずだ。
 また客が少ないのを嘆くのであれば、需要のある貨物輸送に活路を見いだしてはどうか。北海道新幹線の車両だけでも、グランクラスの反対側の先頭車を空っぽにして、旅客輸送を諦める。このスペースを宅配業者に買い取ってもらい、荷物輸送に利用してもらうのだ。年間契約にし、荷物の積み卸し設備負担や積載物爆発による責任は宅配業者とする。これでもおそらく航空便よりも安いコストで荷物輸送ができるはずだ。あるいは日本郵便に買い取ってもらい、郵便車を復活させてもいいだろう。いやAmazonはすでに狙っているかもしれない。
 また旅客輸送にこだわるのであれば、グランクラスよりさらに上のスイートルームにしてもいい。1車両を借り切って旅行するのは、関西のチブチンには通用しないが、東京の見栄っ張りであれば、成功するのではないか。これは札幌開業時でも通用する手だ。
 さらにはこだてライナーで失う時間に見合う魅力的な車両にするのも手だ。蒸気機関車が一番インパクトがあると思うが、保守コストが高いのが難点だし、何のために電化をしたのかわからない。それならば、松山市の坊ちゃん列車のように、蒸気機関車のレプリカで運転してはどうだろう。坊ちゃん列車は蒸気機関車のような形をしたディーゼル駆動で、独自の機能で転車台なしで転換できる。これは軽量な路面電車仕様だからできることだ。ここでは電気駆動の蒸気機関車とし、それを列車の両端に連結するプッシュプルの形態を取る。しかし蒸気機関車にパンタグラフはサマにならないので、後位に連結した機関車にパンタグラフを上げる。これなら目立たないだろう。この新函館北斗と函館間の連絡列車は札幌開業後も使われる。例え15分でも満足感が得られれば、敢えてそれ目当ての客も来るだろう。
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↑松山の坊ちゃん列車
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北陸新幹線の今後の展開 [鉄道]

 2015年3月、北陸新幹線が金沢まで延伸し、東京からの観光客の流れ込みが倍増し、概ね好調な滑り出しを呈している。
 反面、大阪方面は富山直通の特急がなくなり、必ず金沢乗り換えとなり、また新幹線は保安検査のため午前6時からしか電車が動かないので、初電に関しては富山からは大阪到着が遅くなるなど弊害がでている。簡単にいえば東京方面は便利になったが大阪方面はむしろ不便になったといえる。
 その北陸新幹線は敦賀まで建設中だ。福井県は金沢開業で羨ましく思ったのか、政権与党自民党を動かして、福井までの先行開業をぶち上げた。ところが認可権を握る国土交通省と運行を担当するJR西日本は難色を示した。その理由として国土交通省は敦賀までの一括開業を前提としていたので、福井駅はホーム1面で側線もなく、周辺には車両基地を設けるスペースを確保していないと述べた。JR西日本はこれに同調したものの、本音は別の理由で反対であったのだろう。つまり福井まで部分開業すると、並行在来線は第3セクターに経営分離される。現状金沢までは乗り換えなしで行ける特急サンダーバードは福井止まりとなり、ここでの乗り換えが強いられることになる。富山は新幹線開業前から東京志向であったので、乗り換えに関してはあきらめもついたが、金沢まで福井で乗り換えとなると、乗り換えなしで行ける高速バスに乗客が逸走する可能性がある。乗り換えの負担を減らすために、同一ホームで乗り換えできるようにする方法があるが、いずれ敦賀まで開業するのに、開業すれば無用となるそのような設備を設けるのは、経営上得策ではない。地元の建設業者や自民党はそのような技術上の問題は理解していないから、今後も「福井部分開業」と声を上げるだろうが、JR西日本は婉曲に断り続けることだろう。
 しかし福井開業は回避されたとしても、敦賀開業はやがてやってくる。敦賀からどのようなルートで大阪に向かうのかまだ決まっていない。これについては後述するとして、とりあえず当分の間、敦賀で乗り換えを強いられるのは既定路線だ。本来はここで在来線の狭軌と新幹線の標準軌を自在に行き来できる軌間可変電車(フリーゲージトレイン)を投入する予定で、JR西日本はその方向で検討していた。しかし先行投入する予定だった九州新幹線長崎線での試験車両が原因不明の故障を発生してしまい、試験が延期されてしまった。日本指折りの豪雪地帯で複雑な軌道変換機構の他に耐寒耐雪機構の必要な北陸新幹線に投入するには時間が余りにもなさ過ぎる。よってフリーゲージトレインの導入は敦賀開業の時点では消滅した。かつて筆者が提案した、敦賀ー金沢間を三線軌道化して在来線車両のまま金沢に向かう案は、中途半端な案として検討させることなく終わったようだ。
 その敦賀では大阪あるいは名古屋から来た在来線の特急と新幹線の乗り換えが強いられる。乗り換えの負担を可能な限り減らすには同一ホームに在来線と新幹線を並べて、乗客の水平移動だけで乗り換えできるようにするのが一番いい。しかしJR西日本が発表したところでは、階段またはエスカレータを利用した上下移動を強いられるとのことである。これは敦賀の新幹線駅が線形の関係で、現状駅の東方に離れたところに、ビルの6階に相当すると高さに設けられるためである。現在地平の在来線からビルの6階分まで登るアプローチ線を設けるのはかなり難しい。だからJR西日本は新幹線の高架駅の真下4階相当分ぐらいの高さでアプローチ線を建設し上下移動してもらおうというわけである。
 確かに利便性は欠けるが、エスカレータの乗り口に改札口を設けられるので、不正乗車は防ぐことができる。また将来北陸新幹線が大阪に延伸した場合でも、小浜方面あるいや名古屋方面への乗り換え手段として利用できるという利点もある。この面倒な乗り換えを嫌って、高速バスへの乗客逸走はある程度はあるだろうが、最小限に抑えることはできると思われる。
 さて敦賀開業により、敦賀市民が便利になるかといえば、必ずしもそうではないのである。現状、敦賀からは在来線特急で米原へ出て、そこから東海道新幹線に乗り換えることにより、東京まで最速約3時間で到達することができる。ところがこの北陸新幹線に乗ったところで、東京までの到達時間はそれより長い3時間10分が予定されている。これは北陸新幹線が整備新幹線で最高速度が260km/hに制限されていることと、山岳部を通過するためにその最高速度すら出ないところがあること、またあちこちの都市を寄るために、直線距離に比して走行距離が長くなっているためである。これに対して米原経由では、米原で1回乗り換えしなければならないとはいえ、運転本数がけた外れで、東海道新幹線の最高速度が275km/hと高いため、乗り換えの不便を帳消しにしてしまう。
 これは福井に置き換えても同様であり、自民党や利権が絡む建設業者や福井先行開業に熱心なのに、地元住民が比較的に冷めているのはそのためである。地元としては建設費負担を強いられた上に、新幹線に並行する在来線の経営を押しつけられ、しかも便利にならないとあってはたまったものではないだろう。もちろん北陸各県や長野方面は大幅に時間短縮になるから、潜在需要の掘りおこしの効果はあるし、東海道新幹線のバイパスという意味を考えれば、敦賀延長は決して無駄とはいい切れない。
 そこで敦賀からの延伸はできるだけ早期に決定する必要がある。
 現在、検討されているルートは以下の4つである。
1.小浜と亀岡を通過し新大阪に至るルート
2.米原まで延ばし、東海道新幹線と連絡するルート
3.米原から湖西線と並行して京都に至るルート
4.小浜と京都を通過し大深度地下で新大阪に至るルート
5.小浜からさらに西に舞鶴を通過し、大阪東部を経由して関西空港に至るルート

 まず、1は全国新幹線整備法で規定されているルートで、いわゆる整備新幹線を図で説明されている場合、第1番目に取り上げられている。全国新幹線整備法成立を推進した田中角栄氏が主張していた「日本列島改造論」に沿った、過疎地の利便性を高めて、国土の均衡ある発展を目指す意向で、沿線最大都市である京都を無視していること、大きく迂回していること、それにともない建設費が高額となることなど、問題が多く、小浜市と亀岡市以外は恩恵を受けないため、評価は今一つである。
 2は最も建設距離が短く、京都を通過するだけでなく、名古屋方面への連絡もいい。また並行在来線もJR西日本のまま運営する可能性が高く、経営分離の問題もおそらく発生しない。いいことずくめのようだが、最大の問題は東海道新幹線がJR東海の経営だということだ。現在、1時間10本以上の過密運転の東海道新幹線に北陸新幹線の入り込む余地はない。それにJR東海は16両編成に統一したい意向で、そんな長物は必要のない北陸新幹線の乗り入れは拒むだろう。ただ、将来リニア新幹線が東京ー新大阪間を結ばれれば、現在のような過密運転が必要なくなり、編成も多様化されるだろうから、乗り入れる余地はある。そのときには名古屋方面への直通列車が運転される可能性もある。
 3はほぼ湖西線と並行するルート。米原ルートよりもやや距離は長くなる。しかし名古屋方面への連絡が悪く、接続する京都でまたJR東海との問題が発生する。
 4はJR西日本から2015年に提案されたルートで1、3の折衷案となっている。小浜を通過しつつ滋賀方面向けてから京都を通過、そこからは大深度地下で新大阪を目指す。この案の利点は、東海道新幹線に乗り入れないのでJR西日本がJR東海に遠慮することなくダイヤを設定できることだ。それに滋賀県を通過しないので、同県と協議する必要がなく、人口が稀少ながらも観光資源がある小浜方面との連絡がよくなり新たな需要を創世できる点がある。問題は京都駅をどのように設置して、新大阪駅でのホームの配置をどのようにするか、それに大深度地下で建設するために高騰する費用をどのように確保するかという点だろう。また迂回経路となることで関西対北陸の速達性が欠けるのも減点材料だ。もっともこの区間は驚異となる航空路線がないので、多少の迂回は考慮する必要はない。
 5は4が発表されてから周辺の自治体から表明されたもので、小浜まで来るなら舞鶴も、そしてどうせ迂回するんだったら、大阪東部を通過して関西空港まで作ってくれという、自治体のエゴ丸出しの案で評価に値しない。だいたい、こんなにあちこちに寄っていては、大量高速輸送の新幹線の意義が損なわれる。結果的に利用されない交通機関になってしまう。
 北陸新幹線の敦賀開業が2022年。リニア中央新幹線の名古屋ー大阪開業が2045年を予定されている。ただリニア中央新幹線の南アルプストンネルの貫通に時間がかかれば、さらに先送りになる可能性がある。なにしろ世界初の本格的磁気浮上鉄道だ。実際に営業してみないとわからないことが多い。仮にリニアが大阪に来るのが2050年になるとすれば、28年間も米原乗り入れができないことになる。それならば小浜経由の別ルートで建設し、大深度地下は京都付近だけにして、新大阪まで二重高架で建設する荒技を用いれば、20年もあれば建設できそうに思える。大幅な迂回で乗り換えが必要とはいえ、東海道新幹線以外に、東京ー大阪間の高速鉄道ができるのは大きい。少子化で人口減が予想される日本とはいえ、東京ー大阪間にリニア中央新幹線、東海道新幹線、北陸新幹線と3ルートあっても需要減に悩むことはないだろうし、経由地の異なるこのルートは新たな需要を掘り起こす可能性がある。
 よって筆者としては4の小浜ー京都ルートを推したい。通過しない滋賀県は不満だろうが、並行在来線の経営移管もなく、すでに東海道新幹線のあるし、リニア中央新幹線ができれば、おそらく米原-京都間に新駅が建設されるはずだ。滋賀県としてはそちらの方が経済効果が高いだろう。

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北海道新幹線新函館北斗開業を検証する [鉄道]

 2016年3月26日、北海道新幹線が新函館北斗まで開業する。東北新幹線の新青森から青函トンネルを抜けて、ついに新幹線が北海道に到達する。東京から新函館北斗まで最速4時間2分で結ばれる。道民にとって待望の新幹線だが、過去の新幹線開業に比べてどうも期待感が低いように思われる。まずは筆者が考える理由を列挙していきたい。
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1.新函館北斗駅が函館市中心部から離れている
2.青函トンネルで高速運転ができない
3.函館市の人口が少ない
4.新函館北斗駅の乗り換えが不便
5.JR北海道の運営能力の問題


 第一の問題は新函館北斗駅が函館市中心部から北へ約20km離れた北斗市にあることだ。これは北海道新幹線はもともと札幌への最短距離を目指した路線なので、函館市に寄ると、大きな遠回りになるためだ。この新函館北斗駅にしてもその南側は急曲線でいかにも「ここが限界です」と言いたげである。そこで新函館北斗駅から函館までは在来線を利用することになるが、所要時間は15分ということだ。ちなみに函館空港は市内中心部から10キロと路線バスで20分程度の所要時間である。飛行機とたいして時間が変わらず乗り換えも不便とあっては、飛行機の客の3割ほど転移すれば上出来だろう。
 それでも新函館北斗駅周辺に人口が少なくても知名度の高い観光地があればまだ救われる。ところが駅の周辺には駒ヶ岳とか大沼公園といった観光地があるものの、函館や登別温泉のような知名度に欠けるといわざるを得ない。ここから札幌方面や函館方面への乗り換え需要で9割をまかなうしかないだろう。
 「新函館北斗」という駅名にも疑問を感じる。元々は新函館という仮名称で建設されていた。しかし駅の所在地のある北斗市から「北斗の名を入れて欲しい」という要望があり、このような名称になった。けれども、そうであれば「新」を付ける必要があるだろうか。「函館北斗」の方が語感も字面もいいし、たった一文字でも少ない方が宣伝上何かと便利なはずである。
 第2は青函トンネルで高速運転できない点である。青函トンネルは新幹線を通す規格で作られたが、開業時点では新幹線が盛岡までしか開業していなかったので、暫定的に在来線で利用していた。ところが在来線の貨物利用が当初予想よりも多く、一日20往復が設定されている。近年はトラック運転手が人手不足で鉄道貨物が見直され、増発の声が大きくなっている。しかもフェリーと違って天候に左右されない強みで、荷主の信頼も高い。それに対して旅客輸送は北東北と函館あるいは札幌間の地域輸送が中心で顕著な需要はない。寝台特急カシオペアは数少ない東京ー札幌間の長距離需要であるが、これは青函トンネル内の機関車の問題もあって廃止が決まっている。つまり旅客輸送は新幹線、在来線はほんの一部の回送列車、臨時列車を除いて貨物列車が中心という構図になる。
 貨物列車はコンテナを積載して運行される。高速運転する新幹線とすれ違ったとき、コンテナが脱落しないかという懸念がある。この懸念は民主党政権時に突然出されたもので、何やら政治的な意図が感じられるが、確かに実験すらしていない。
 さらに貨物列車は夜間にも運行される。首都圏対札幌圏の貨物輸送を考えた場合、青函トンネルを深夜に通過するのが最も効率がいい。現にそのように運行されている。ところが新幹線は0時から6時までは列車の運行を止め、その間は保守時間に当てることで、安全性が担保されている。貨物列車を今まで通り運行しながら、高速運転に必要な保守工事ができるのか。まして青函トンネルは車輪の幅が異なる新幹線と在来線を共用するため3線軌道となっている。共用部分の片側のレールが偏磨耗することによる、高速運転の安定性の確保できるかは未検証だ。さらに新幹線の常用速度は260km/h、貨物列車は100km/hだ。待避設備のない青函トンネルで追突事故が起きないようにするには今までの信号システムでは対応できない。よって当面の解決策としては在来線の最高速度である140km/hの基準で保守し、その速度で新幹線を走らせるしかない。そして運行しながらコンテナ落下対策としてトンネル中央に遮風壁を設け、追突を避けるための信号システムの開発、さらに高速運転の保守ノウハウを蓄積して、新幹線を200Km/h程度まで速度を向上させるしかないだろう。
 第3に函館市の人口が30万人弱と少ないことだ。観光都市としては日本有数の実力を持つこの都市も、北海道の玄関が函館港から千歳空港に移ってからは経済都市としての地位が低下している。昨年開業した北陸新幹線の場合は人口40万人を越える金沢市と富山市が控えており、かなりの需要が期待できるのと対照的である。
 第4の問題は新函館北斗駅の乗り換えである。前述したように、新函館北斗駅周辺には大して見るべきものはなく、函館あるいは札幌への乗り換えを便利にするのは、重要な課題といえ、JR北海道は九州新幹線の新八代駅のような同一ホームで乗り換えられるような構造にすると発表していた。ところがJR北海道は東京方面から到着した新幹線は同一ホーム側へ転線せず、最終列車を除いてすべて階段を使っての乗り換えになると発表した。東京方面行きは在来線の長万部方面からも函館方面からも同一ホーム乗り換えが可能とはいえ、東京から来た客をがっかりさせるような設備にするのか理解に苦しむ。しかもこのホームの配列では、新幹線が札幌まで開業して場合も、東京方面は同一ホームで乗り換えできないことになる。東京や札幌から函館への需要は間違いなくあるのだから、2面4線の新幹線ホームの真ん中に中線の在来線を設置する形態にするべきだろう。冬季の積雪での混乱を最小限に抑えるためにできる限り、お互いの影響をなくす形態にしたのだろうが、このあたり、JR九州とJR北海道のセンスの違いを感じさせる。
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 この新函館北斗駅の中途半端な構造のために、勝機が見えてきたのが道南いさりび鉄道だ。道南いさりび鉄道は北海道新幹線が開業に伴い、経営分離させる木古内-五稜郭間の第3セクター鉄道だ。現在木古内-函館間は特急で45分弱。各停でも60分の所要時間だ。もしこの特急の速度で運転できる快速を設定すれば、新函館北斗まで行かず、木古内で降りて、道南いさりび鉄道に乗り換えた方が、15分ほど時間はかかるものの、新函館北斗経由よりも安く函館に移動できる。しかも沿線の上磯駅と清川口駅は北斗市の実際の中心地であり、その需要も取り込める。北斗市としては辺境で将来性もはっきりしない新函館北斗駅よりも、道南いさりび鉄道を快速運転する方が大多数の市民が便利になると考えるだろう。導入予定の気動車はJR北海道から譲渡された旧式な低性能な車両らしいが、ここは高速気動車を導入すれば、かなりの利用者がいるはずだ。地域輸送だけに甘んじるはずだった道南いさりび鉄道は都市間輸送という安定需要を得ることになるだろう。
 第5の不安は、JR北海道の鉄道運営能力の問題である。車両火災や保守点検不備による脱線事故など、経営陣の再三の再発防止宣言にも関わらず、JR北海道のトラブル続きは目を覆いたくなるほどだ。厳しい経営状態と気象条件があるとはいえ、これは言い訳にするべきではない。在来線ならともかく、新幹線は運行側の責任による死亡事故ゼロという記録を1964年以来継続中だ。もしJR北海道が事故を起こすことになれば、金看板に大きくキズをつけることになる。しかも青函トンネルは新幹線と貨物列車の混合交通という初めての試みだ。例え死亡事故がなくても、たびたび停まるようであれば、世間の非難は集中することになるだろう。
 北海道新幹線は函館暫定開業では、JR北海道にとっては赤字を生み出す存在でしかない。その埋め合わせのために、辺境の不精算路線は廃止を余儀なくされると予想される。しかしそのような犠牲を払ってでもその間に高速運転のノウハウを蓄積し、札幌開業に生かさないと、全通すれば長期間で見れば黒字になるはずの北海道新幹線が赤字となってしまうだろう。JR北海道の奮起に期待したい。


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留萌本線の想い出 [鉄道]

 JR北海道は留萌本線の廃止を検討しているという。留萌本線と聞いてどこにあるか見当のつく内地の人は多くはいないのではないか。沿線に観光名所もなく、しかも過疎化が進んでいる。廃止を打診された沿線自治体も「廃止やむなし」という雰囲気である。
 このように存続には厳しい情勢の留萌本線に、管理人は1993年7月10日と11日に乗車している。当時の日記を読み返してみると、なかなか細かい描写をしていて面白いので、若干の手直しをして、公開することにした。
題して、「留萌本線の想い出」





留萌本線の想い出


 風がでて寒くなってきた。今19時10分で辛うじて明るさがあるが、太陽は地平線の向こう側。クルマもスモールライトを点灯している。
 19時40分深川に到着。乗車時間20分。こんな短距離に特急を利用するのはワイド周遊券利用者の特権だろう。
 暗闇が夕焼けを支配しつつある。高緯度とはいえ地元和歌山とさほど変わらぬ日没時間の感覚だ。しかし40分ぐらい日が長いようだ。
 「五十番」という中華料理店で夕食。塩バターラーメンは少ししつこいものの美味しかったが、量が多くてスープを残してしまった。舌を火傷してしまったこともある。テレビ阪神-読売戦は阪神有利を伝えている。これは好ましい状況でもう少し見ていたかったが、発車時刻も近付いているので20時00分に店を出る。
 深川駅に戻ると、ちょうど3番線に私の乗る留萌行の単行ディーゼルカーが入線してきた。ホームはかなり人が待っていたので、私はボックスの反対側に座らねばならなかった。
車両 留萌線4933D キハ40 719
 この列車は留萌方面の最終列車である。もちろんワンマン列車。20時24分発。
 もう外は真っ暗で景色は見えない。こんな時間では乗り潰しを目的とした鉄道ヲタクは乗っていない。彼らは景色が見えないと気に入らないらしい。私はむしろこの終列車にこそローカル線の真の姿が見えるような気がする。この列車の乗客が必ず用事があって乗っているからである。観光的要素は微塵もない。観光客もいない。
 北海道独特の「明りの全くない」車窓に目を向けることなく、読書する。
 21時22分留萌到着。ここで15人降りて11人乗ってきた。
 ここからは海沿いを走っているようだが波の音が聞こえない。空の色と同じ黒い海である。しかしこれほど黒い海を見たのは記憶にはない。
 終着の増毛までで6人降りて、残りは終着駅まで深川から増毛まで乗り通したのは私だけであった。21時51分定刻着。客はそれぞれのいるべき場所に向かった。駅に残ったのは私だけ。駅前は寿司屋の看板だけが明るく、それと多田商店というところが商業施設である。駅本屋を右に折れると行き止まりの線路の仮想延長線上にある空き地がある。猫がいる。しばらく私と目が合った後駅本屋の方向に逃げた。さらに進むと道路が右手に急カーブしていて、カーブの向こう側に防波堤があって黒い海が横たわっている。冬場のここの波涛は凄まじいという。せめてその片鱗でも味わおうとしばらくたたづんでいたかったが、発車時刻が迫っている。タクシーもない(列車到着後には1台待っていたが)こんなところで立往生しては大変だ。
 駅本屋はボロだが別棟のトイレは新築されたようで、場違いなほどきれいだ。しかもBGM付きで「オリーブの首飾り」がかかっていた。
 列車内には乗客はいない。この列車は留萌行で深川行ではない。これは明日の留萌始発の深川行に仕立て上げるため、つまり車両運用のためで、旅客流動を考慮してのことではない。
 結局私と緑と白のラグビーのジャージのような服を着た女の子と2人だけであった。彼女も知らない間に降りていた。定刻22時19分に到着。
 出札業務も終わっていて運転士が運賃を収受した。
 窓口には6時15分発の列車に対しては出札業務を行なわない、という貼紙があった。これで私は増毛駅の入場券を買うのを諦めねばならなかった。増毛駅の入場券は「毛が増える」ということであやかり入場券として隠れた人気があり、増毛駅が無人駅となってからは留萌線の唯一の有人駅である留萌駅で発売されているはずであった。
 留萌市内の地図がなかったので、予約していたホテルニューカクセンの位置がわからない。勘で適当に歩いていたがホテルにたどり着けなかった。駅前に派出所があったが人は居なかった。
 そこでカードの入らない故障した公衆電話からホテルに位置を確認した。ここの電話ボックスは2つ並んでいたが、ひとつはヤンキー兄ちゃんが使っていた。私が電話ボックスに近付くと「びっくりしたよう」と驚いていた。
 ここからも右と左を間違えて警察署の方に歩いてしまい、迷いに迷ったが、結局23時00分にホテルに着いた。今日は歩き疲れた。脚が棒になっているのを実感できた。
 旭川で買った駅弁のイクラとウニのところを肴に北海道限定のビールを飲む。
 寝たのは0時をまわっていた。

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↑ホテルから見た留萌市内
 翌日、5時15分起床。カーテンを閉め忘れた窓からの日差しで4時00分頃目が覚めていた。
 今日は留萌線で深川に戻る。睡眠不足でモウロウとしている。こんな状態では留萌線は居眠り確実だ。まだテレビは放映しておらず、36チャンネルではNTT札幌と字幕にあるテストパターンで時報を告げている。
 朝食は昨日の旭川の駅弁の御飯。6時00分にホテルをでる。
 昨日見た貼紙の内容に反して、駅員が窓口業務を行なっており、増毛駅の入場券を買った。これは私は1枚で十分だったが、すっかり剥げあがった父とその友人用に6枚買った。
 開いていないはずの窓口が開いている。今日はラッキーかもね。と思った。
 6時15分発の深川行は改札正面の1番線に到着していて、5人の乗客を乗せて発車。
車両 留萌線4920D キハ40 719
 予想通り昨日最後に乗った車両と同じである。
 峠下まで快速運転。ここで5分停車し列車対向。まだ6時40分だが昼間のように明るい。真布手前で樹海を抜け水田が広がる。石狩沼田で3人乗車。1972年に廃止された札沼線の跡が見えるかと思ったがそれらしきものは見えなかった。
 秩父別で3人乗車。ここまでくれば深川まであと2駅だ。この秩父別という名前からして、このあたりは埼玉の秩父からの入植者が開拓したのだろう。
 次は北一己。これは「きたいちゃん」と読む。今書いているカナ漢字変換ソフトVJE-β2.5は「期待ちゃん」と変換した。もちろん難読駅名だが、車内放送でどう聞こえるのか秘かに楽しみにしていた。ワンマンカーてテープ放送なので女性の声だ。聞いてみた感じは、聞き慣れぬせいか少し笑いがこみ上げてきた。私は「きたいっちゃん」に聞こえる。同じように車内放送の駅名で笑ったのは函館線の倶知安(くっちゃん)がある。
 ともあれ深川に到着。特急ライラック2号で札幌に向かった。

終わり

追記:「周遊券」「公衆電話」「VJE-β」といった言葉がすごく懐かしく響きました。もう22年も前のこと。でも1970年の人が22年前を見たとすれば、まさに激変でしょう。それからすると人類の進歩が緩やかになっているのかもしれませんね。
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北陸新幹線乗車記(日本鉄道完乗タイトル奪還) [鉄道]

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【序章】
 2015年3月14日、北陸新幹線の長野ー金沢間が開業した。日本鉄道完乗記録保持者(詳細はこの記事を参照)としては、当然乗車してタイトルを奪還したいところである。開業日は混雑しているだろうから、それを避け、その翌週に乗車することにした。
 北陸新幹線開業と同時に並行在来線がJRから経営分離分割され、第三セクターの「しなの鉄道」「えちごトキめき鉄道」「あいの風とやま鉄道」「IRいしかわ鉄道」がその運営に当たることになった。管理人の全線完乗定義では、運営会社が変更されても再乗の対象としないのだが、今回は金沢ー長野間を新幹線と在来線で往復して乗り比べることにした。
 北陸新幹線開業と同時に、富山地方鉄道が運営する路面電車が、新装なった富山駅ビル内に直接乗り入れることになり、富山駅前電停から約200m延長されることになった。これは新線開業扱いだから、当然乗車対象となる。
 また高岡市の路面電車を運営していた加越能電鉄が、2002年に万葉線株式会社に経営譲渡していた。前述したように、この場合は筆者の完乗定義から再乗の対象外であるから、放置していた。しかし2014年3月29日、高岡駅停留所が駅ビル内に移転し、営業距離が100m延びた。つまり管理人の日本鉄道完乗記録はこの時点で剥奪されていたことになる。しかしあまりに短い距離なので、本人も重要視せず、他人にはそんな細かいことを説明せず「俺は日本の鉄道に全て乗った」と自慢していた。つまりこれは民法上、虚偽表示に該当するものであろう。
 これを避けるためには、万葉線にも乗車する必要がある。ただ全区間乗る必要はなく、延長された区間を対象とした。
 また鉄道に乗るだけでは愛想がないので、高岡市で観光することにし、初代加賀藩主前田利家の長男、利長の菩提寺である瑞龍寺の参拝と、高岡市出身の漫画家藤子F不二夫展が高岡市美術館で開催されているのでそれを観覧することにした。
 ところが、当初予定していた日帰りでは、観光時間を捻出できないことがわかった。北陸新幹線を夕方以降に乗れば、それは可能なのだが、初めて乗る鉄道は明るいうちに乗りたい。
 そこで大阪から金沢まで夜行バスを利用することにした。ところが2月末に予約しようとすると、すでに満席であった。座席が4列の青春ドリームな空席があるのだが、年寄りには狭いシートはつらい。仕方がないので、
金沢には前泊することにした。大まかな日程は次のようなものになった。

今回の日程
3月20日(金)
大阪からサンダーバードで23時30頃金沢着

金沢宿泊

3月21日(土)
金沢から北陸新幹線かがやきで長野へ

長野からしなの鉄道北しなの線で妙高高原

妙高高原からえちごトキめき鉄道妙高はねうまラインで直江津へ

直江津からえちごトキめき鉄道日本海ひすいラインで泊へ

泊からあいの風とやま鉄道で富山へ

富山市内線乗車

あいの風とやま鉄道で高岡へ

高岡市内観光=瑞龍寺、藤子F不二夫展

あいの風とやま鉄道IRいしかわ鉄道で金沢へ

土産物購入
金沢からサンダーバードで大阪へ

和歌山に帰宅

【まずは金沢へ】
 少々あわただしく仕事を片づけ、早い目に帰宅して夕食。風呂に入らず、阪和線で大阪駅に向かった。
 大阪駅の発車メロディーはやしきたかじん氏の「やっぱ好きやねん」となって1年近く経過し、他の環状線の駅にも導入させることになった。
 大阪を題材にした名曲としては、「やっぱ好きやねん」の他にはBOROの「大阪で生まれた女」、上田正樹の「悲しい色やね」があり、この3曲をもって、大阪三大ブルースだと自分では思っているし、異論のない方も多いだろう。ところが、この2曲は発車メロディーに採用されていないのである。「悲しい色やね」にふさわしい弁天町が「線路は続くよどこまでも」、「大阪で生まれた女」がふさわしい鶴橋が「ヨーデル食べ放題」なのである。おそらく権利関係で実現しなかったのだろうが、納得のできないところである。ただ新今宮がドヴォルザークの「新世界」は秀逸な選曲で、利用者も好評のようだ。
 北陸本線の列車は大阪駅の最も北側にある11番線から発車する。これは新装される前からそうで、この11番線は長距離旅行客が多く、他のホームと異なる雰囲気を呈していた。新装されてからは、さらに豪華な雰囲気となっている。
 酒とつまみを買い込み、特急サンダーバード金沢行きに乗り込む。
 指定席に座る。JR西日本の特急らしく、グレードの高いシートだ。特徴としては、前の座席の背面にあるテーブルの他に、肘掛けにもドリンク用テーブルがあることだ。
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↑サンダーバード車内
 新大阪、京都、堅田と乗客を増やし、最終的には50%程度の乗車率だった。
 ほぼそのままの乗客で金沢に着いた。北陸新幹線開業に伴い、サンダーバードは全列車金沢止まりとなった。富山方面に向かうには金沢で北陸新幹線に乗り換えることになる。乗客の流れを見てみると、約半数が新幹線に向かっているようである。まだまだ関西ー富山間の流動は無視できないほど大きい。乗り換えは乗客に不便を強いることになるが、金沢駅の乗り換えは上越新幹線の越後湯沢乗り換えに比べて抵抗が少ないのではないだろうか。新幹線の乗車時間も短く、「横に動くエレベータ」のような感覚だ。ここは無理してホーム上乗換しなくてもいいように思った。
 金沢駅前は新幹線開業に合わせ立派になった。金沢市は駅前はホテルが多く立ち並ぶが、商業施設は駅から離れているのが難点だ。現在地下にある北陸鉄道の金沢駅から繁華街のある香林坊を経由して野町まで地下鉄を建設するのはどうだろう。いいアイデアだが、誰がお金を出すのかが問題だ。
 予約していたホテルエコノ金沢に到着。風呂に入ってさっぱりして明日に備える。

【いよいよ北陸新幹線】
 早い目に起きて、バイキングの朝食。ここの朝食の特長はカラオケボックスによくあるソフトクリームが食べられることだろう。
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↑朝からソフトクリーム
 金沢駅。木を組み合わせた鼓門の前で記念撮影する人が多数。これは新幹線開業前からあったのだが、そのときはそのような人はいなかった。おそらくこれは新幹線効果であろう。
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↑金沢駅前名物「鼓門」
 北陸新幹線は従来どおり長野止まりの「あさま」の他、停車駅を絞って速達を目指した「かがやき」と北陸地区を千鳥停車する「はくたか」、金沢と富山間のみを往復する「つるぎ」が設定された。
 北陸新幹線の金沢開業はタブーを犯した。それは初めて新幹線列車の愛称に音読みが採用されたのである。「はくたか」がそれに該当する。訓読みを採用すれば「しろたか」になってしまう。別な愛称も考えられたが、「はくたか」は既に地元で定着していることから、音読み解禁となったのだろう。これは仕方がないとして、リニア新幹線も含めて新幹線愛称は和名に今後ともこだわってほしい。サンダーバードなんて真っ平御免である。
 開業からまだ1週間しか経っていないので、おのぼりさんが徘徊している。記念入場券も売れているようだ。乗客もざっと3分の1ぐらいが初体験組のように思える。そこかしこでカメラを向けている。特に新幹線の先頭車は人気が高い。
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↑この先頭車の撮影が人気
 グランクラスにしても本来想定される重役クラスの客ではなく、鉄道ヲタクが多いようであった。それは結構なのだがグリーン車の価値が落ちてしまっているような気がする。特に北陸新幹線はビジネス客が少ないので顕著である。グランクラスが本当に必要なのは東海道新幹線であろう。
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↑かがやきの乗車券特急券
 かがやき504号東京行きは定刻7時47分に約30%の客を乗せて発車した。
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↑車両デッキ
 7号車指定席は3列+2列の一般的な座席である。全席にコンセントが備わっている。立派なACコンセントだが今後はタブレットが主流になるから、USBジャックの方が利便性が高いだろう。座席そのものは前夜に乗ったサンダーバードの方がよかった。しかしさすがは最新式の新幹線。スラブ軌道はほとんど揺れを感じさせない。なるほど新幹線はうなぎで在来線はあなごなのかもしれない。
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↑かかがき車内
 富山で80%の乗車率となった。富山ー東京間は航空便が存在するが、金沢よりも東京に近い富山は、新幹線の圧勝が予想された。たぶんそのせいで乗客が多いのだろう。富山県は富山空港への投資はほとんど行わなかった。しかし富山県庁の東京出張は飛行機を利用することになっているという。それは航空会社が安い運賃を設定したためと、空港の利用率を上げて廃港をさけるためだろう。マイレージや国際線との乗り換え、あるいは横浜方面へは飛行機の方が便利な場合があるので、空路はなくなりはしないだろう。
 新幹線はトンネルが多い。景色に見とれていても、すぐに防音壁とトンネルに阻まれてしまう。トンネル走行中は電波が届かない。スマホ中毒者にはつらいものだろう。いずれは改善されるだろうが、東海道新幹線が全線で電波が届くようになったのはつい最近だ。北陸新幹線が対応させるのは5年ほど先だろう。
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↑景色は一瞬しか見えない
 まだ雪の残る飯山を通過し、8時53分長野に到着した。金沢発車から1時間強しか経っていない。まさに新幹線の威力だ。
 北陸新幹線の将来性などの検証は別のコラムを立ち上げたいと思う。

【しなの鉄道北しなの線】
 長野では観光をせず、在来線を乗り継いで金沢に戻る。まずは9時22分発の「しなの鉄道北しなの線」に乗る。スノーボードを担いだ客などいて、4両編成でも混雑している。飯山線が分岐する豊野を過ぎるといきなり山岳線の趣に早変わりする。車両は国鉄時代から活躍している115系だ。モーターの唸る音など完全に昭和の記憶だ。第三セクター開業すると、新たに新車を導入したりするものだが、115系をそのまま使い続けるのも、鉄道ヲタクを刺激するかもしれない。あるいは国鉄時代の塗装に変えてしまうのも、映画のロケに使われて有名になるかもしれない。ものは考えようなのである。
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↑しなの鉄道の車両
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↑山間部は雪が残る信濃路
 終点妙高高原でスノボ客は降りた。
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↑妙高高原駅着

【えちごトキめき鉄道】
 3分の接続でえちごトキめき鉄道妙高はねうまラインに乗る。2両編成ロングシート車。
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↑えちごトキめき鉄道の車両はほぼJR東日本

乗客は10数人。おそらく北陸新幹線の並行第三セクターの中でも最も乗客が少ないだろう。左窓には妙高山がその雄大な姿を見せている。
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↑妙高山を望む

二本木のスイッチバックは健在だ。20数年前、筆者が初めてこの線に乗ったのは真夜中だった。突然、列車がバックし驚いたのを思い出す。
 北陸新幹線が接続する脇野田改め上越妙高駅からはそこそこ乗客が乗ってきた。ここの駅名に上越を入れるかどうかずいぶん議論された。確かに所在地は上越市にあるのだが、上越新幹線と混同される懸念があった。最終的にはJR東日本の決断により上越妙高となった。ここはJR東日本と西日本の境界駅なのだが、乗務員交代は長野で行われている。ならば長野を境界駅とすればいいのだが、そうすると並行在来線は別会社となるため、JR東日本は長野-直江津間を存続させる義務が生じてしまう。上越新幹線との誤乗防止は上越妙高行きを設定しないことで対応するのだろう。
 そんな上越妙高駅だが新幹線開業に合わせて、乗り換えの利便性を高めるために線路の付け換えが行われている。

↑線路付け替え部
 乗客が徐々に増えていって直江津着。ここでは56分の待ち合わせ。昼食時間に当てることにした。駅前のハイマートというホテルの2階にある多七というレストラン。めぎす丼は結構いけていた。
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↑直江津駅
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↑めぎす丼
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↑めぎす丼を直江津名物にしようとしているみたい

 第三セクターは地域輸送が主力で連絡運輸は限定的にしか行われていない。従って長野から金沢まで第三セクターを乗り継いで乗車券を買うことができない。途中下車もできないだろうから駅に降りる度に買うしかないと思ったし、また自動券売機は富山が最以遠になっていたし、別に深い考えもなく、2080円払ってボタンを押した。すると切符には「2日間有効」とあった。つまり途中下車は可能であることを示している。それなら窓口に並んで高岡若しくは金沢行きの乗車券を買えば、少しは安く買えたかもしれない。どうせ3セクは途中下車前途無効だと思いこんでいた自分が悪いが、もう少し調べておけばよかった。あとで調べてみると、越後鉄道と富山鉄道は直江津からは富山までしか連絡運輸をしておらず、結局この買い方をするしかなく、しかも安いことがわかった。
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↑2日有効の乗車券

●途中下車利用
直江津(1200円)泊(2220円)金沢=3420円
●実際に買った切符
直江津(2080円)富山(360円)高岡(820円)金沢=3260円
 複雑な運賃制度なので遠距離逓減制が利いていないようだ。
 11時50分発の泊行のワンマンカーは離れた1番線から発車する。交流直流が混在する電化設備の利用を避けるため単行の気動車が使われる。車両は新しい。オールクロスシートでシートピッチも広い。
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↑ワンマンカー車内
 北陸本線は高速向きに作られている。ほんの1ヶ月前までは越後湯沢行きの特急が疾走していたのだ。しかし今は巨大な設備だけが残りちんまりした車両が走る。貨物列車も走っているが、山陽本線に比べその本数は遙かに少ない。
 景色は日本海と中央アルプス北限を望み最高だ。速度は新幹線に完敗だが、景色は完勝だ。展望車がほしい。地域輸送だけではじり貧確実だ。新幹線で来てもらって、帰りの一部だけでも利用してもらおうと思ったら、展望車や食堂車を連結するべきだ。それらには別途利用料金を徴収するが、スマホを利用した決済システムを採用すれば経費を圧縮できるだろう。
 糸魚川では30分ほど停車する。幹線時代の長いホームにはベンチがあるだけで、売店もなく、かつての栄光を示すのみだ。取り壊すのもお金がかかるが、無駄な固定資産税を払うことになる。いや3セクは県の所有だから無税なのか。
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↑糸魚川で長時間停車
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↑今や無駄に長いホーム

【あいの風とやま鉄道】
 えちごトキめき鉄道日本海ひすいラインは県境の市振から先があいの風とやま鉄道となるが、この付近の拠点である泊で接続を行う。同一線路に縦列停車して二つの会社の車両が並ぶ。これは少しでも乗り換えを便利にするためだが、同一線の場合、追突防止のために進入速度が遅くなる。とやま鉄道の車両が見えているのに一向に近づいてこない。
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↑縦列停車する列車

 19分の待ち合わせで13時47分に泊を発車した。まるでJR西日本のような茶系統の車内。それもそのはず、これは西日本の521系そのものなのだ。それだけでなく、とやま鉄道はIC乗車券ICOCAもまもなく使えるようになる。各駅にはICチャージとセンサーがカバーを掛けて置かれている。
 泊からは石動までは沿線人口が多い。有人駅も多い。このあたりは駅間距離が長いから、おそらく何駅か新設されるだろう。IC乗車券は無人化への布石なのだろう。
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↑ICOCAまもなく導入

【富山市内線はあっけなく】
 14時34分富山着。富山には富山地方鉄道の市内線、すなわち路面電車があるが、電停は駅から少し離れていた。しかし富山駅の高架化に合わせて、駅ビル内に電停を新設され、ビル内に引き込む分だけ路線が約200m延長されたのだ。延長されたのは北陸新幹線の開業日3月14日であった。
 まだ工事が続く富山駅内の改札を抜け、わずかに歩いて右に曲がると路面電車が待っていた。雨に濡れることなく乗れるのは便利だ。クルマの利便性に勝つにはこれくらいのことはしないとだめだ。これはバスにも言えることである。
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↑高架下にある富山駅電停
 撮影のため1本遅らせた。電車に乗ると駅前広場をぐるんと回り、元々「富山駅前」と称していた「電鉄富山前・エスタ前」に着いた。自分と同類なのか、ここで降りた客がいた。しかし200mで運賃200円は高いのでしばらく乗ることにした。さらに3つめに桜橋という停留所で降りた。そこがどこなのかさっぱりわからなかったが、堀の中に観光屋形船が浮かんでいた。歩いて富山駅まで戻る。

↑富山市内線延長区間
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↑桜橋電停
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↑堀に屋形船が浮かぶ
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↑新装なった富山駅

【高岡観光】
 15時13分発のとやま鉄道で高岡へ。
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↑あいの風とやま鐵道の乗車券
 車内は混んでいて座ることができなかった。15時30分高岡着。高岡駅は橋上駅化された。しかし駅舎は新幹線駅となった新高岡の方が立派だろう。高岡駅を南に10分ほど歩き、瑞龍寺に行く。ここは加賀前田藩の2代目前田利長の菩提寺だ。財力のある前田氏らしく立派な伽藍を備え、国宝も存在する。宗派は曹洞宗なので禅寺である。禅宗の寺は回廊が特徴で、全体として簡素な造りだ。仏像も小ぶりなのが多い。形よりも実践を重んじているわけだ。
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↑高岡山瑞龍寺

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↑伽藍
 住職が面白い講義をしている。座って聴きたいところだが時間がないので読経して退散する。
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↑本堂
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↑炊事場
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↑控えの間(電気掃除機で掃除中)
 御朱印帳は本堂ではなく、拝観料を払った小屋で書いてくれる。あらかじめ渡しておくと書いてくれるらしいが、私はお参りしてから書いてもらうのが当然だと思っているのでできるだけ避けている。
 寺の山門から直線で15分ほど歩けば、前田利長廟がある。しかし私はそこに行かずに、高岡市美術館に行くことにした。期間限定で「藤子F不二雄展」をやっている。藤子F不二雄はここ高岡市出身なのだ。
 美術館は16時30分に閉門する。それほどの距離ではないが歩いて行くと間に合わない。私はタクシーを奮発することにした。しかしタクシーは寺の門前はもちろん、流しは拾えなかったし、高岡駅南口には1台もなかった。北口には数台常駐していた。
 福祉タクシーという黒いミニバン型のタクシーに乗った。スライドドアは自動に開いた。車椅子の場合はリアゲートが開いて、リフトで上がるようだ。高齢化が進む日本社会ではあと10年ほどでタクシーはハイブリッドもしくは電気自動車になり、車体はミニバンになるだろう。
 駅からは1キロほどしか離れていない。ふだんならこんな近距離のタクシーは絶対乗らない。料金は790円。16時24分に着いた。ぎりぎり間に合った。
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↑高岡市美術館
 入場料は1200円。藤子氏の原画が見えたし、ドラえもんは自分も幼少の頃単行本を揃えていたので懐かしく思えた。展示物は30分もあれば見えた。グッズはもう一つデザインが良くない。ドラえもんが中心だが、もう少し他のも欲しいところだ。クリアファイルだけ買った。もう17時の閉館時間だ。
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↑買ったクリアファイル
 高岡市役所の前を通る。「祝・北陸新幹線開業」は当然として、「かがやき新高岡停車」の垂れ幕がある。垂れ幕の下には小さく「一日1往復」とある。今は速達性を重視しているので、ほとんど通過しているかがやきだが、中心部から離れた新高岡駅が認知されれば、あと数年もすれば、新高岡全列車停車となるだろう。掲示板には迷い犬の情報もある。
抑留犬
柴犬 メス 5歳程度 茶色 小型 2月15日捕獲
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↑高岡市市役所
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↑抑留犬の掲示
 歩き疲れたわけではないが臑が痛い。
 志貴野中学校前電停から万葉線に乗る。万葉線は高岡市の路面電車だが、どちらかというとローカル私鉄が間違って路面を走っている感じだ。1時間に4本と、路面電車にしては少ない。17時41分発まで13分ほど待った。
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↑志貴野中学校前電停
 車内アナウンスは新湊出身の落語家がやっている。この万葉線は前述の富山市電のように、駅ビルに乗り入れるように路線が変更されている。わざわざ万葉線に乗ったのはそのためだ。
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↑ビル内の高岡駅電停
 17時55分発のとやま鉄道で金沢へ。いつの間にかIRいしかわ鉄道にはいつの間にか入っていた。せっかく乗ったいしかわ鉄道だが、何の印象もなく18時25分金沢着。
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↑IRいしかわ鉄道乗車券
 それにしてもこの長たらしい第3セクターの社名は何とかならないだろうか。管理人としては以下のような名前に変更を希望する。

現名称          希望名称      理由
しなの鉄道        信濃鉄道  漢字の方が格好がいい
えちごトキめき鉄道   越後鉄道  エッチ後トキめきってなんかセンスない
あいの風とやま鉄道  富山鉄道  富山地方鉄道の愛称は「地鉄」だから問題ないはず
IRいしかわ鉄道     石川鉄道  なんか文句ある?IRの意味は。

もしかしたら登録商標の権利関係でシンプルな名前にできなかったのかもしれない。

【帰宅の途に】
 大阪行きのサンダーバード44号は19時43分発。この間に食事をするつもりだったが、どこも混雑しており、吉野家の牛丼にせざるを得なかった。その代わり車内で一杯するための酒の肴を増やした。
 お土産は百番街で調達した。芝の笹寿司、中田屋のきんつば、俵屋のきなこ飴、諸江屋の落雁。
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↑金沢のお土産
 サンダーバードは少しでも安くするため自由席にした。また車端の座席を確保して充電用のコンセントを利用したかったのである。
 買った地ビールは旨かったが、量が物足りない。
 車内は食べる、眠る、ぼんやりする以外何もすることなく過ごした。
 大阪駅から阪和線に乗り換え、自宅に着いたのは0時10分。居眠りしたせいでなかなか眠れず、追加でビールを飲んだ。
 こうして筆者の日本鉄道全線完乗記録は再び認定されることになった。
 2015年は仙台地下鉄東西線が開業する。また乗りにいかないと、認定は取り消されることになる。そのときはまた乗りにいくことになる。この旅行記の読者が日本に何人いるのか知らないが、その時をお楽しみにお待ちくださいませ。
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在りし日の国鉄大阪駅 [鉄道]

 1979年から1981年頃の国鉄大阪駅の風景を集めてみました。当時は経済的な理由で、白黒フィルムで撮影していました。
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↑大阪駅駅名票
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↑8番線の153系新快速
当時の大阪駅は今のような華やいだ雰囲気はなかった。ただ列車が発着していただけだった。
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↑キハ47
福知山線はまだ電化されていなかった。朱色の気動車が快速だった。
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↑DD51
普通列車は機関車牽引の客車仕立ても珍しくなかった。
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↑キハ58系急行と特急雷鳥
当時の山陰線は特急は少なく急行が主力だった。特急の絵入りヘッドマークが走り始めていた。
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↑EF61牽引の貨物列車
貨物なのに蒸気発生装置が作動していて煙が上がっています。
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↑大阪駅東側
左手に新阪急ホテル。このあたりの風景は今と変わりがないような気がします。
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↑EF58
写真からは単行か牽引かわかりません。確か当時はあかつきなど関西発九州ブルトレもEF58が牽引していました。
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↑キハ82とクハ455
キハ82が山陰特急「まつかぜ」か「はまかぜ」、クハ455が北陸方面電車急行「ゆのくに」。懐かしい組み合わせです。
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↑急行ゆのくに
 自分が撮った写真でもベストの出来です。白黒なのでわかりませんが、クリームとピンクの塗装です。クロスシートの電車急行。デッキがあって車内は落ち着きがあり、近郊型のセミクロスシートよりもゆったりとしていました。しかし特急車両に比べて中途半端な存在で、やがて消えていった。昭和40年代なら通用したんでしょうが。まあ昭和遺産ですね。
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↑485系特急雷鳥
JRとなった今でも485系は走っている。回転リクライニングシートに固定窓という基本仕様は今の特急と変わらないから、まだ通用していているのだろう。
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↑湘南色113系
当時の東海道線の普通列車はこれだった。クロスシート部はお互いの膝がつくぐらい狭く、快適とはいえなかった。確かグリーン車も連結されていた気がするけど、ドケチな関西人には金を払ってまでちょっといい席に座る感覚が理解できなかったらしい。でも今なら混雑している新快速に連結すれば増収になるような気がする。でもわざわざ車両を新造するリスクはJR西日本としては負いたくないだろう。
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↑環状線ホームに到着する奈良行き快速
当時は青帯の新快速がブルーライナーと呼ばれていたのに対して、奈良行き快速は「春日塗り」といわれる橙帯を巻き、オレンジライナーと呼ばれていた。もっともマニアがそう呼んでいただけであって一般人は、奈良方面へはこの快速に乗らず、近鉄を利用していたようだ。
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↑ホームからみる丸ビル
東京の丸ビルは丸の内にあるからそう呼ばれる。大阪の丸ビルは形が丸いからそう呼ばれた。当時の関西ではビールの消費量などの目安として「丸ビル何杯分」とかよくメディアに登場した。当時はこのようにホームからよく見えて、屋上の電光掲示板は注目されていたが、周辺に高いビルが建って埋没してしまい、今は掲示板はない。大阪駅ビルを建設中だったので大きなクレーンがある。アクティ大阪と名付けられ、大丸百貨店が入居した。今は北側に伊勢丹の入ったビルが建設されて、陳腐化が目立つ。
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↑スユ44
まるで貨物車のようだが、郵政省所有の客車である。といっても有害貨物車ワキ8000とほぼ設計を同一にするものだ。当時の郵便物はこのような鉄道郵便車で運ばれるのが普通であった。
スユ44について

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↑急行ゆのくにと103系
これは1981年頃の写真。103系は宝塚行きのカナリアイエロー。国鉄としては新車を用意して、阪急電車に対抗しようとしたのだが、コイルバネで同じロングシートでも居住性が劣悪で、阪急の敵ではなかった。福知山線が阪急に対抗できるようになったのは、車両の改善とスピードアップを果たした平成に入ってからである。

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↑三ノ宮行き特急雷鳥
当時は北陸方面の特急雷鳥が三ノ宮からも発着していた。国鉄末期のあの頃、限られた予算で何とかして客を増やそうとしていたのだろう。平成以降は神戸発着のスーパー雷鳥が存在した。
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トワイライトエクスプレスに乗ってきた [鉄道]

 2013年11月のある日、自宅でくつろいでいると、上野ー青森間を走る寝台特急「あけぼの」が来春に臨時列車化するとのニュースを目にした。それは予想されたところであったが、次のニュースには遂にそうなるのか、という思いであった。

トワイライトエクスプレス再来年春廃止。カシオペアも廃止へ。

 大阪から札幌まで運行するトワイライトエクスプレスは、再来年の春に北陸新幹線の開通すれば金沢ー直江津間の経営がJR西日本から切り離されると、運賃収入が半分に減ってしまうので、その廃止は十分あり得た。1989年からの運行で車両も老朽化しているからだ。しかしカシオペアはまだ車歴も10年を越えたばかりである。それまで廃止するとはどういうことかと怒りを覚えた。
 カシオペアはともかく、とにかくトワイライトエクスプレスに乗りたくなった。廃止日が近づけば、チケット入手が難しくなるからだ。
 ところでトワイライトエクスプレスは大阪から札幌に向かう下りの方が人気がある。
 第一の理由は後方を眺望できるスイートルームが下りの場合しか最後尾にならないからだ。札幌から大阪に向かう上りは、逆編成になる五稜郭と青森の間を除いて、機関車の直後に連結される。鉄道ファンでもあのDD51とかEF81といった機関車のグロテスクな顔を見続ければ嫌気がさすだろう。五稜郭ー青森間こそ真後ろに連結されるが、そこは青函トンネルの闇の中を走るので、そこは別に眺望など必要のないところだ。スイートルームのある車両を転車台にかければ問題は解決するかといえば、そうではなくて、そうすると、スイートルーム以外のロイヤルルームが、日本海を背に山側を向いてしまう。JR西日本とては苦渋の決断だっただろう。ただこの問題は,スイートルームの切符が入手できた運のいい人たちでなければ関係のない話だ。
 第二の理由は下りの夕食時は羽越線北上中で、ちょうど日本海の夕陽が沈む頃で、「トワイライト」にふさわしい時間帯になるのに対して、上りは登別から函館に向かって走行中なり、眺望が格落ちになる点だ。
 第三の理由は、下りは大阪出発直後に食堂車がランチタイムで本格的な食事ができるのに、上りはティータイムでスイーツぐらいしかないことだ。
 このように下り重視のトワイライトエクスプレスではあるが、上りには下りにはない特典もある。まず、JR北海道のウェブサイトで空席状況を確認できることだ。ただし確認できるのはBコンパートメントに限られる。
 二つ目は北海道の大地を見ながらティータイムがあること。ランチのような本格的な食事はできないと前述したが、逆に懐には優しいといえる。
 三つ目は下りに比べ乗車時間が長い点だ。トワイライトエクスプレスは日本一長い距離を走る列車だ。ただ走る線路が微妙に異なるため、下りが1495.7km、上りが1508.5kmとなっていて、下りの運行時間は22時間なのに対して、上りは22時間50分を要する。その中でも長い時間の方に乗れるのは正真正銘の日本一で、これはお得な感じがする。
 四つ目は敦賀-近江今津間のループ線を通ることだ。これは上り線にしかループ線が存在しないから、より長い距離を走る。よって数分時間を要するのだが、走った来た線路を真下に望むループ線を体験できるのは、これもお得感がある。
 五つ目は敦賀での機関車交換が見れることだ。もっともそのおかげで乗車時間が長いのだが。
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↑上りの方が距離が長い理由1(函館付近)
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↑上りの方が距離が長い理由2(敦賀付近)
 下りの入手難は予想できたので、JR北海道のウェブサイトを確認して上りの空いている日を探した。その結果12月6日の土曜日に出発することにした。
 近所のみどりの窓口に並ぶ。まずはA寝台ロイヤルを依頼。結果は満席。次にB寝台のソロを依頼。個室に越したことはない。ここも満席だった。仕方がないのでB寝台コンパートメントにした。コンパートメントといっても、4人部屋に簡単なドアがあるだけで、昔ながらの開放式寝台と変わらない。当然、鍵もかからず、無防備性も抜群だ。こんな代物が6300円もする。東横インなら場所によるが5000円でそこそこ快適で朝食までついている。寝台特急の客が減るのは当然である。
 同室になる人がどんな人かわからないが、まあいいだろう。どうせ鉄道ヲタクだろうが、そうした人と話をするのも悪くない。
 ただし、夕食は12000円もするフランス料理のフルコースディナーを奮発する。さらに飲み物としてワインを飲むことになるから、より高くつくことだろう。食堂車で食事するにはこのディナーにするしかない。しかも3日前までにみどりの窓口でディナー券を購入する必要がある。材料の無駄をなくすため、これはやむを得ないだろう。
 そうこうするうちに、会社の業務の都合で前日の金曜日も休めることになった。そこで朝一の飛行機で札幌に飛び、有名な旭山動物園に行き、登別温泉に泊まることにした。

第1日 12月6日(金)
 平日の関西空港快速。通勤客が多くて満員だった。
 家のパソコンから印刷したEチケットのバーコードでチェックイン。航空の世界ではもはや乗客がIT機器を持っているのが前提になっているようだ。
 池上彰の「日本の選択」という本を買って、8時00分発の全日空1711便に乗り込む。機材はB737-700。ほぼ満員である。
 8時10分南に向かって離陸。神戸空港、甲子園球場、大阪空港を眼下に望み、8時20分には琵琶湖を目にした。ここからは雲の上を飛び、本を読んでいると、あと10分で着陸態勢に入りますとのこと。なんと飛行機は速い。
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↑苫小牧上空
 9時38分に千歳空港に着陸。気温3度のアナウンス。駅で「旭山動物園きっぷ」を買う。7900円。札幌しか途中下車ができないが、普通乗車券と特急券より2000円は安い。
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↑新千歳空港駅へ降りる
 10時19分発の快速エアポートに乗る。発車まであと20分はある。駅をたむろしていると、5両編成の列車はたちまち満員となった。快速といっても札幌から先は特急スーパーカムイとして運転されるので、特急用の車両である。札幌で向きを変えるので、座席方向に迷う。前の人が方向を変えたので進行方向に座ることにした。
 外の天気は晴れ渡り、日陰に雪が残っている。北広島では立席も出る。
 札幌着。前後のお客様とお話の上、座席の向きを変えて下さいとのアナウンス。
 岩見沢を過ぎると銀世界となり、太陽もどこかに消えた。
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 12時25分旭川着。旭川駅に来るのはほぼ20年ぶり。木材を多用した洒落た駅舎に改装されていた。壁材の木材に寄付者の名前がローマ字で書かれている。
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↑旭川駅構内
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↑壁材のネームプレート
 道路に雪が積もっている。雪も降っている。昼食は軽くファーストフードですます。
 旭山動物園行きのバス停は西武百貨店の東にある。屋根のあるところに人が集まってる。
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↑動物園行きバス停
 13時8分、20人の客を乗せてバスが発車した。旭川電気軌道のノーステップバス。地元の利用者、それも区間利用者も多い。雪国は歩きにくいし、自転車も使えないし、クルマも不安だし、バスやタクシーの需要が高いのだろう。
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↑バス到着
 バス停は○○十条四丁目という感じ。計画都市の多い北海道ならではである。
 急に近代的なテーマパークみたいな建物が近づいたら、そこが旭山動物園だった。平日なのでカラガラ。雪も降っている。13時46分着。
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 まずはペンギン館へ。陸上では寒いせいか動きが悪い。ただし水中では活発だ。客は中国人が多く、半分はそうみたいだ。マナーは良さそうだから台湾人か香港人かもしれない。
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 次にアザラシ館。行動展示の原点。旭山動物園の最大の目玉。縦のチューブ内をアザラシが上下に動く。実際、これが一番おもしろかった。いい動画が撮れた。反面、静止画はいいのが撮れなかった。

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 ホッキョクグマは同じ動きしかしないのでおもしろくない。タヌキも同様である。
 チンパンジーを見ていると、「蛍の光」が流れ、閉門10分前の放送。オランウータンは見れなかった。
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 あわてて土産物の熊のマスコットを買い、15時30分過ぎに退園。
 帰りのバスは16時00分発。途中の利用者も多く、車内は満員となった。
 16時40分、旭川駅到着。海鮮丼のような駅弁を買って、16時55分発の特急スーパーカムイに乗る。指定席のUシート以外はほぼ満席だ。
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 駅弁を食べると眠たくなった。札幌からは快速となる。客が入れ替わり、通勤電車となる。
 南千歳に5分遅れの19時5分着。旭山動物園きっぷはこの南千歳までなので、ここから登別までの乗車券と特急券を買う。2380円であった。
 特急すずらんは思ったよりも利用が多い。労働問題の本を読んでいる女性の横に座った。苫小牧を過ぎると乗車率は半分になった。
 20時00分登別着。凝った駅名票があったりして観光客を意識しているが、駅の営業は19時30分で終了して無人化している。
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↑登別駅
 登別温泉行のバスは実に接続よく20時04分発が停まっていた。ありがたい。3名の客を乗せて出発。途中、中登別で一人乗っていた。20時10分、BGMが流れ、厚生年金病院を過ぎると登別温泉バスターミナルに着いた。運賃は330円だった。
 登り坂の商店街を歩く。土産物店はまだ開いている。コンビニエンスストアーも2軒。中国人がたむろしている。セブン-イレブンで部屋飲み用の酒とさきイカを買い込む。少ないながらも居酒屋やスナックもある。ターミナルから歩いて5分のところに今夜泊まる滝本インがあった。
 酒を飲む前に、風呂に入りたい。滝本インは有名な第一滝本館の廉価版ホテルで本館の向かいにある。
 部屋は暖房が利いている。温泉地なので部屋に蒸気パイプが通っている。このホテルの1階にも浴場があるのだが、ここはなんとしても第一滝本館に行くべきだろう。浴衣に着替えて出発。たださすが冬の北海道で浴衣掛けでは寒い。
 浴衣を着ているだけで、何のチェックもなく、エスカレーター2本とエレベーターで大浴場にたどり着いた。これなら上着さえ脱いでいれば、怪しまれなくタダで温泉に入れるであろう。
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↑第一滝本館館内
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↑男湯入口
 ロッカーは貴重品のみで無料。タオルは部屋のを持ってきたが、ここにも備えられているし、バスタオルもある。脱衣は籠に置く。
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↑脱衣場のロッカー
 1300坪という敷地に10種類ほどの温泉がある。どの湯もすばらしい。おもしろいのは歩行湯であろう。プールもあるが水着を持ってきていないので入れない。
 ホテルに来る前に買った酒では足りないと思い、Seice martという北海道限定のコンビニエンスストアーで唐揚げと氷結を買う。
 買った日本酒はあまり美味しくなかった。
 23時頃寝る。

第2日 12月7日(土)
 6時40分起床。酒を飲んだ割にはよく眠れた。
 7時00分過ぎ、このホテルの1階にある大浴場に向かう。誰もいなかった。夜の利用者も数えるほどみたいだ。宿泊者は本館の大浴場に行くから当然である。
 泉質は同じなのでのんびりできてよい。ただし湯温がやや低い。
 7時40分、2階レストランで朝食。和洋折衷のバイキング。すでに10人くらいの先客がいた。昔ほどがっつり食べられない。それでも鮭と納豆にご飯、シリアルにコーヒーを平らげた。
 再び本館の大浴場へ。中国人のツアー客でロビー前はごった返している。
 朝風呂は外の景色が見える。外からもこちらがみえるだろうが、おそらくこちらのあれも見えるのではないか。
 温泉の源泉らしき地獄谷が見える。まるで火山の噴火口みたいだ。
 露天風呂にある「金蔵の湯」というのが一番良かった。
 9時30分に風呂をあがり、出発準備。
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↑滝本イン外観
 ホテルのシャトルバスに乗る。わずか500円で札幌まで送ってくれるのだ。このホテルを選んだ理由のひとつでもある。高速バスの半分以下、JRの3分の1だろう。ただし、バスは満員で私が乗ったときには3席しか空いていなかった。ただ予約制なので乗りはぐれることはない。定刻も3分前、9時57分にバスは出発した。お客は団体客のようにも見える。
 10時45分、名の知らぬ殺風景なPAに到着。自販機に非常用の手回し充電器が備えられている。
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↑シャトルバス
 11時45分、札幌駅に到着。
 まずは腹ごしらえ。駅ビルとなっているJRタワーの6階へ。麻ほろラーメンという数量限定ラーメンを食べる。外で5人ぐらい待った。あっさりとこってり。こってりを選んだ。麺は堅くそれほどの特徴はなかった。980円。
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↑麻ほろラーメン
 次にJRタワーの展望台にあがる。700円。想像以上にいい眺めだった。私としては札幌競馬場と札幌ドームが目を引いた。スマホのパノラマ撮影を多用した。
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↑札幌競馬場を望む
 窓に向かってソファーがある。読書や勉強している人がいる。有料の客なので文句はない。
 男子トイレもガラス張りだ。しかしこれは初めてではない。韓国か台湾かどこかで経験した。
 次はお土産購入。北海道といえば「白い恋人」が定番。しかし筆者は六花亭だ。バターサンドを買い込む。
 そろそろトワイライトエクスプレスの出発時間だ。みどりの窓口でまだ買っていなかった、和歌山までの乗車券を買う。ダメもとで個室が空いていないか確認。なんとロイヤルA寝台が空いているという。価格差は約1万円。3秒ほど考えて、Bコンパートメントから変更することにした。B寝台券はクレジットカードで買ったので、和歌山で組戻し手続きを取ることになる。つらつらと考えてみると、オークションで高値で売るつもりが、売れなかったので払い戻したのではないだろうか。
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↑奇跡的にA寝台をゲット
 13時50分、札幌駅4番線に上がる。トワイライトエクスプレスはまだ入線していない。しばらくすると重連のDD51に牽引された緑色の客車が入線してきた。動画撮影に余念がないのは私だけではない。特に機関車をバックに撮影しているのは多い。私もセルフタイマーで撮りたかったが、ひっきりなしに人が現れるので諦めた。
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↑函館まではディーゼル機関車
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↑サロンカーのエンブレム
 さて、私のロイヤルA寝台は1号車の後ろの方の5号室である。3畳ぐらいの狭いスペースにソファー兼ベッド。スイッチ一つでソファーがダブルベッドに変身する。小さなクローゼットとシャワールーム。シャワールームには洗面台とトイレもある。これに乗るのは最後の機会だと思うので写真を撮りまくる。
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↑A寝台ロイヤル室内
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↑テレビの上にはドライヤーがある
 筆者が設備についてくどくど説明するより「ほどちゃんの島 - 寝台列車」を見ていただく方がいい。おそらくこのサイトを見れば、日本の寝台列車の知識は完璧だろう。(残念ながら閉鎖されたようです_| ̄|○」)A寝台個室ロイヤルはこちら。

http://hodo.travel.coocan.jp/s/burutore/twex/royal2/index.htm
 
 14時5分札幌駅出発。出発後、ウェルカムドリンクとしてワインが振る舞われる。
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↑ウエルカムドリンク
 15時00分、ティータイムで食堂車へ。私を含めて客は3人だけ。クラフティとミルクティーを賞味。
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 ラウンジカーを覗いてみる。全席日本海側を向いていて、すばらしい眺望だ。ちょうど有珠山が見えてきた。他の寝台も覗いてみる。B個室は満員のはずなのに半分しか埋まっていない。洞爺あたりで乗り込んでくるのだろうか。Bコンパートメントに至っては、8割以上空いている。これでは1部屋独占できる。
 部屋に戻り、スマホで遊ぶ。
 17時30分、食事の用意ができたとのこと。食堂車へ。12000円のフランス料理ディナー。事前の予約が必要である。私以外に2組の客。モヒカン刈りなどしているが、富裕層とお見受けした。
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↑鴨のフォワグラのテリーヌ リンゴのコンポートとポルト酒のゼリー添え
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↑ベーコン風味の冬かぶらのスープ
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↑メルーのオーブン焼き 根セロリ風味
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↑黒毛和牛のステーキとトリュフを使った付け合わせ二種
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↑生姜とパイナップル、ココナッツのアンサンブル シャンパンゼリー、生姜とパインのシャーベット、ココナッツのムースとダクヮーズ
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↑ミルクティー
 飲み物は別で、シャンパンが1200円とワインが800円。いずれもグラスである。
 アホみたいに高い料理だが、確かに美味しかった。
 再びラウンジに行ってみる。見知らぬ客同士話をしている。コンビニかスーパーで買ってきた刺身を食べている強者もいる。リピーターならそういうやり方もあろう。たしかにあのディナーは生涯一度で十分だ。
 部屋に戻る。自慢げに「今トワイライトエクスプレスのロイヤルA寝台に乗っている」とメールを連続送信した。
 五稜郭で機関車の付け換え。上り列車はここから青森の間のみスイートが最後方となり、スイートルームが後方の視界を楽しめる。それ以外はずっと機関車を見続けることになる。鉄道ファンならともかく一般人には耐えがたい難業だろう。本来なら転車台に方向転換すべきだが、そうするとロイヤルルームが山側向いて走ることになる。解決策は電源車の一部をスイートにするしかない。
 19時45分、青函トンネルに突入。当たり前だがトンネルは景色がないので面白くない。吉岡海底駅を通過しているのと、最深部を示す青い光だけわかった。20時00分最深部を通過。
 20時42分、機関手交代のため停車。何故かアナウンスは運転手と言っていた。
 21時00分、パブタイムで食堂車へ行く。少々混んでいて4人席へ座った。ソーセージとプレミアムビール。それぞれ900円と600円。ちょうど青森駅に停まっていた。やはりせっかく食堂者に乗っているのだから、走っているときに食事しないと雰囲気が盛り上がらない。意識してゆっくりと食べた。やがて隣の2人席に妙齢の女性が座った。声をかけるには距離がありすぎる。彼女は明らかに退屈している。
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↑ソーセージとプレミアムビール
 部屋に戻りシャワーを浴びて、ベッドメイクする。ちょうど真ん中に段差がある。枕を一番上にしても足が壁に当たる。ちょっと長さは不足か。
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↑ベッドが完成
 23時10分、ベッドの上で大瀧詠一氏の名作「さらばシベリア鉄道」を歌う。個室っていいね。しかし、まさか、大瀧氏がその年の年末に亡くなるとは、その時は思いもしなかった。
 0時00分頃寝る。


12月8日(日) 曇
 3時50分頃目が覚めた。列車は新津の手前だ。ここで最初の停車となる。こんなところで降りる客はいないだろうが、その理由を知りたい。
 そこからわずかに眠っただけで、6時30分前「おはようございます」のアナウンス。直江津到着。ここからJR西日本の管轄となり、車掌も沿線案内に熱心となる。
 朝のシャワーを浴びる。シャワーの利用時間は20分と制限されているが、まだ15分は残っている。
 7時30分、朝食のため食堂車に行く。1575円の高級フランス料理だ。パンはしっかり食べた。ここでコーヒー2杯を飲み、さらに部屋に戻ってからも運んで来てもらった。コーヒーはポットに入れて部屋に持ってきてくれる。胃は荒れているだろう。
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↑最初はこんな感じ
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↑これがメインディッシュ
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↑デザート
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↑ルームサービスのコーヒー
 8時50分、梁の鉄骨が無骨で薄暗い金沢駅に着いた。もういつでも新幹線がやってきても大丈夫だ。もう線路もひかれているように思える。
 8時57分、読売新聞の販売アナウンス。我がロイヤルクラスは無料で振る舞われる。一面は「秘密保護法成立」である。国民の知る権利が奪われるとの論評が多いが、これからの日本は外交面で勝負しなければならない。そこで重要な秘密が漏れるのは得策ではない。したがって私は基本的に賛成であり、この成立は近隣国へのメッセージとなるだろう。
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↑この日の朝刊
 ウンコをしたくなって5号車に向かう。部屋にもあるのだが、小便が跳ね返るほどチャチな便器なので、ここは本格的な洋式でしたくなったのだ。
 それを終えたのは9時30分。ちょうど食堂車ではスタッフが食事をしていた。パスタを食べていた。厨房が3人、給仕が4人である。
 その後ちょっとしたハプニング。自分の部屋で1号車5だと思って、カードキーを挿入すると、別の家族がいた。そこは2号車5だったのだ。あわてて何も言わずにドアを閉めた。カードキーには何も書いていないし、こうしたミスは自分だけではないはずだ。
 10時24分、北陸トンネルに突入。10時36分敦賀着。ここで降りる。機関車の付け換え。もうカメラのバッテリーは切れる寸前だ。このカシオのカメラは補正技術はすばらしいものがあるが、操作性とUSBジャックが独自なので、充電に専用ケーブルが必要という難点があるのが残念だ。
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↑機関車交代
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↑スイート車が姿を現した
 車掌の疋田ループ線の解説。一部録り逃がした。伊吹山が薬草の産地としても有名とのこと。知らなかった。
 11時40分、琵琶湖畔と屏風のようにそびえる比良連峰を通る。そこを過ぎるとなんだか曇ってきた。
 12時00分大津京でサンダーバードに抜かれる。芦原温泉に続き本日2回目である。トワイライトエクスプレスは速く走るのが能ではないのでこれでいいのである。
 睡眠不足なのに眠気を感じないのはコーヒーのせいかトワイライトに興奮しているのか。
 新大阪は東側にできた新ホームに移行している。
 12時54分35秒、定刻の12時53分よりわずかに遅れて大阪駅に到着。トワイライトに縁のなさそうな人たちがカメラの放列。私も負けじとまだバッテリーが健在な携帯電話のカメラで撮影。
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↑大阪駅に到着
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↑カメラの列が待ち受ける
 これで私のトワイライトエクスプレスの旅は終わった。乗ってみての感想だが、まずは「また乗ってみたい」ということだ。車両の老朽化が進んでいるとのことだが、大切に手入れされているせいか、もともとレトロなデザインのせいか、ほとんど古さを感じさせない。足回りはどうかわからないが、あと10年は使えそうだ。
 食堂車のウエイターに、「もう無くなるというので乗りに来た」というと「まだ正式発表はされてませんよ」といっていた。確かに廃止報道は新聞社のスクープであって、JRからは何も発表されていない。
 ただし私はこのトワイライトエクスプレスは時刻表に乗る列車としては、北陸新幹線金沢開業時に廃止されると思っている。おそらくこの車両を使って、JR西日本管内の九州の「ななつ星」のようなクルーズトレインを設定するのではないかと思う。
 廃止されるまでにはまた乗るつもりだ。こんどはロイヤルではなくB寝台で。

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有人改札がなくなった [鉄道]

 写真は筆者がよく利用しているJR西日本の駅である。かつては裏が白色の切符は駅員のいる通路を通ればよかったのだが、つい最近それがなくなった。自動改札と窓口の空間には固定式の柵がある。したがって自動改札の対応した切符がないと、改札の通過ができないことになる。
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 そこで疑問なのだが、裏が茶色でも自動改札に対応していない、例えば青春18きっぷのような企画きっぷはどうなるのだろうか。駅員がいれば、切符を確認して手動で自動改札のゲートを開くという手段がある。しかしこの駅は駅員がいない時間帯があり、その時どのように対応するのだろうか。
 筆者は2つのパターンで対応していると推定した。
1.すべての企画きっぷが自動改札に対応した。
2.駅員のいない時間帯は切符を自動改札に挿入しなくても利用できる。

まず1については、青春18きっぷについては、5枚ばら売りに戻せば、簡単に対応できる。現状のように1枚を1人5回か複数人同一行程の場合は、改札機の仕様変更もさることながら、改札通過はひとり1枚が原則のため、対応できないだろう。金券ショップ対策のため現状にしたのに、わざわざバラ売りにするとは思えない。あるとすれば利便性向上の見返りで値上げするしかないだろう。また車内補充券の問題があるので、すべての切符を自動改札への対応するのは不可能である。
次に2だが、「裏が白色のきっぷはそのままお通りください」などの表示がない。テレビカメラとマイクがあれば、遠隔操作で改札の開け閉めができるが、この駅にはそのような設備がない。車内補充券などはそもそも自動改札に入らない。
おそらくこういうことだと思われる。自動改札の左端にある白い部分に、切符と利用者を写すカメラとマイクが据え付けられるのだろう。常時駅員のいる大きな駅からリモート操作して、切符の有効無効を判断して、改札の開け閉めをするのだろう。試しに駅員のいない時に、切符を入れずに改札を通れるかどうか確認すると、果たして何の反応もしなかった。カメラが据え付けられるまで暫定的に、自動改札の機能を切っているわけである。
 それにしても暫定とはいえ「そのままお通り下さい」という案内はないのは不親切といえるのではないだろうか。
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北陸新幹線が開業すると [鉄道]

 2014年度北陸新幹線が金沢まで開業する。東京ー金沢間は現状の越後湯沢で北越急行経由のはくたかに乗り換えるより、1時間短縮の2時間半で結ばれる。膨大な人口を要する首都圏と直結することによる経済効果に地元は期待している。
 しかし次のような弊害がある。
・新幹線に並行する在来線がJRから経営分離されること。
経営分離される在来線が地域利用のみとなるため経営が苦しくなること
・とりわけ北越急行の経営が一気に悪化すること
・今まで大阪からサンダーバードで乗り換えなしで行けた富山が金沢乗り換えとなること

 新幹線と並行する長野から金沢のうち、長野-妙高高原間はしなの鉄道、妙高高原ー直江津間と直江津ー市振間を新潟県が主導する第3セクターの「越後ときめき鉄道」、市振ー倶利伽羅が富山県が主導する「あいの風とやま鉄道」、倶利伽羅ー金沢間は石川県が主導する「IRいしかわ鉄道」が運営することになっている。
 長野ー妙高高原のうち飯田線が分岐する豊野以北は閑散線区なので廃止も検討されたが、雪国特有の事情と地元の反対もあって存続と決まった。直江津ー妙高高原間は妙高山など観光資源もあり、上越市内を走り一定の需要があり、また新幹線駅が途中の脇野田駅に設置されるとあって存続の意志が表明されていた。新幹線駅に寄り添うように線路の付け換えも行われ、新潟方面への乗り換えを容易にする配慮がなされる。
 直江津-金沢間は日本海縦貫線の一部をなす貨物列車の重要路線であり、沿線人口も多いことから、これを廃止することはできない。しかし特急料金を稼げる都市間輸送は新幹線に移行し、地域輸送に徹するしかない。貨物列車の為に高規格な線路と電化設備を維持し、除雪費用も手を抜くわけにいかない。旅客輸送に関しては高価な交流電車をやめ、気動車で運転するようだ。県ごとに運営会社が分割されるので、それぞれの運賃の合算となり、通しで買った場合、新幹線と大して変わらないものになるだろうし、短距離で運営会社をまたいでしまう場合など、割高となってしまう。例えば飯田ー長野間はしなの鉄道を使うよりも新幹線の方が特急料金を支払っても少し高いだけとなり、長野新幹線の上田ー長野間と同じ現象が起きるであろう。
 線路使用料を支払って貨物列車を走らせるJR貨物にしても、それぞれの運営会社に運賃を支払うことから、何も利点がないにも関わらず、コスト高となってしまう。
 通しで運営した方が新幹線との競争力もある程度確保できて、地域輸送にも貢献できるのに、そうしなかったのは、第3セクターが上下分離形式運営され、インフラを県が買い取り、運営会社に貸与することで、固定資産税などを減免し、運行コストを抑えるためだ。しかし将来的には道州制が導入され、県の合併も視野に入ってくるだろう。ここは県同士、知恵を出し合って共同で運営会社を設立できなかったかと思ってしまう。確かに運営コストは下がるが攻めの経営ができないので、増収策が限られたものになる。最後は国に泣きつくつもりかもしれないが、結果的には国民負担を意味するので、まずは地元で何とかする意識を持ってほしいものだ。
 鉄道は雪に強いので、クルマよりも信頼を寄せる住民が多く、北陸地方では乗客が少ないとはいえ、自治体が補助金を出しても維持するのは合理的な理由がある。ただ地元客だけでは先細りは目に見えている。九州新幹線開通で経営分離された肥薩おれんじ鉄道は2013年より食堂車の運転が始まる。北陸本線もいい眺めなのだから、食堂車や展望車を連結するべきだ。今の技術なら電車や気動車でもそうした車両を牽引できるだろう。こうした方策は青い森鉄道や、IGT銀河鉄道でも当てはまる。
 北越急行は北陸新幹線が開通すると一気に経営が悪化する。2013年現在、東京から金沢に向かうには、上越新幹線の越後湯沢で北越急行を通過する特急はくたかを利用するのが最速だ。しかし北陸新幹線が開通すれば、東京から金沢まで乗り換えなしだ。どれだけ運賃を安くしても、乗り換えの手間と所要時間の壁を乗り越えられないだろう。北越急行の沿線人口は希薄で、地域輸送だけではとても黒字になる見込みがない。北越急行は特急はくたかで稼いだ現金100億円を運用し、50年は損失補填できるとうたっている。けれども長大トンネルが多いことや高速運転で線路水準が高い分、保守管理費が高くつき、おそらく40年持つのが関の山だろう。
 北越急行の場合、両端の直江津ー犀潟及び六日町ー越後湯沢間がJR東日本の路線であることも不利だ。直江津以西から越後湯沢方面の旅客流動を考えた場合、JR東日本としては自社だけで移動できる長岡経由を利用させたいからだ。直江津方面から新潟への連絡は、越後ときめき鉄道となる現在の脇野田駅から新潟行きの特急が設定されると予想される。特急のスピードにもよるが、北越急行経由の約15分程度の差でしかない。北越急行としてはこの時点で特急車両は売却して、一般車両による快速が運転されているだろう。快速の車内設備で、割高な運賃に両端のJR運賃が加算されるわけだから、競争上不利となる。
 ただし沿線で一番の人口を要する十日町市への連絡を考えた場合、JR東日本とすれば北陸新幹線の飯山から自社の飯山線で十日町まで乗ってもらったとしても所要時間で、北越急行と太刀打ちできないし、前述した北陸方面からの需要よりも、上越新幹線を利用する首都圏からの乗客の方が圧倒的に多いから、北越急行と連携を模索するだろう。
 将来、北越急行の内部留保が尽きて、経営が立ちゆかなくなれば、JR東日本は利用客の少ない飯山線の十日町ー越後川口間を廃止して、北越急行の経営に乗り出すかもしれない。難工事の末に開通させて高規格に作られた北越急行を、JR東日本が見捨てるとは思えない。
 北陸新幹線金沢開業でもっとも不利益を被るのは、大阪方面から富山まで直通する利用者だろう。開業前は大阪から富山までサンダーバードに乗れば、乗り換えなしで行けたのに、サンダーバードが金沢で運転打ち切りとなるために、そこでの乗り換えが強いられるからだ。しかも九州新幹線の新八代のように在来線と同一ホーム乗り換えできず、利用者は階段の上り下りをしなければならない。JR西日本としては自社が運営する北陸新幹線に乗ってもらいたいだろうし、富山までの利用者は金沢までの利用者の半分ぐらいと思われるし、いずれ金沢以西も第三セクター化されるのに、同一ホーム乗り換え構造にするための投資をするはずはない。
 わずか15分の短縮時間のために、乗り換えの手間がかかり、運賃料金も上がるとあっては富山の人々は釈然としないだろう。高岡に至っては、新幹線の駅が現高岡駅よりも南の城端線との交点に設置される。これまでより利便性は下がるのは間違いない。
 在来線を運営する第三セクターとしては、サンダーバードの富山までの延長運転や、自社車両による快速運転が対抗措置として考えられる。しかし倶利伽羅で運営会社が分断され、運賃が割高となる上に、スピードで対抗するのは不可能だ。金沢でサンダーバードの乗り換えを同一ホームすれば対抗も可能だが、運営会社が違うために改札を設ける必要があるだろうから、結局別のホームへの移動となろう。
 つまり関西-富山間は、おそらく同一ホーム乗り換えか軌間可変車両の導入となるであろう北陸新幹線の敦賀開業まで不便なままとなる。今後は乗り換えなしで行ける首都圏経済の割合がより高まることになるだろう。これは金沢も同様である。
 その昔、北陸から新潟方面は江戸時代の西回り航路の影響で関西経済圏だった。つい最近まで夜行急行きたぐにが毎日走っていたし、かつては寝台特急つるぎもあった。また昼間の特急雷鳥は6時間以上のロングランで大阪ー新潟間を運転していた。これは三国山脈と碓氷峠が関東と新潟・北陸方面の交流を阻んでいたからだ。それが昭和初期に上越線が開通してから、徐々に首都圏との交流が増え、上越新幹線開通で新潟は完全に関東圏に組み込まれた。北陸地方もおそらく同様の現象が起きるだろう。少子化で人口減が進む我が国はより人口の多い地域への依存度が高まり、首都圏以外の地域の衰退はより激しさを増すだろう。独自の文化を持つ関西圏もその例外ではないだろう。

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