So-net無料ブログ作成
検索選択
前の10件 | -

最新情報

※※ 最新情報 ※※

■海外旅行
バリ島ニュージランド旅行~序章篇~

バリ島旅行記2016
ニュージーランド旅行記2016
フィリピン「シキホール島・ドゥマゲティ」旅行記

■国内旅行
最後の急行「はまなす」最後のブルトレ「北斗星」乗車記
北陸新幹線乗車記(日本鉄道完乗タイトル奪還)
銀色の寝台特急カシオペア乗車記
北海道新幹線新函館北斗開業及び札幌市電乗車記

■鉄道関連
新函館北斗駅を実地検証する
北海道新幹線新函館北斗開業を検証する
北陸新幹線の今後の展開
三江線の沿線をクルマで走ってみた

自動車関連
フィットにバックカメラ取り付け
フィットのバックカメラ追加改造
フィットにハンズフリーフォンを取り付け
フィットのバックカメラ再追加改造
フィットで車内泊
フィットで車内泊~実践編

■最近買ったもの
ソフトバンクColor Life5(401PM)の不満点
愛用手帳「ダイゴーの手帳E1014」
ポメラDM25
電子レンジで温める湯たんぽ「ゆたぽん」

野球関連
2014年マリーンズ総括と来年の展望
2015年マリーンズ総括
広島東洋カープ25年ぶりの優勝
2016年マリーンズを振り返る



■政治経済関連
自衛隊は平和防衛隊に名前を変えよう
憲法96条、両議院過半数で発議に反対
大阪都構想に関する私見

■競馬関連
オルフェーヴル
オークス馬とダービー馬の対戦成績
朝日杯FSと阪神JFを同日開催、阪神カップはを2歳上G1に
拙作競馬Website厩戸光明伝

■資格関連
独学で合格☆ファイナンシャルプランナー2級取得記

第2種冷凍機械責任者合格記
第2級陸上及び航空特殊無線技士ダブル合格記
危険物取扱者乙種全類取得記(Z作戦計画)


■その他
高齢者運転標識に異議あり
風呂場用冬は暖房、夏は送風
追悼・大瀧詠一 



共通テーマ:blog

三江線の沿線をクルマで走ってみた [鉄道]

sanko000.jpg
 JR西日本三江線。その名を聞いても、どこにあるのか知っているのは鉄道ファンか地元の人だろう。三江線は広島県三次市と島根県江津市を結ぶ全線108kmの陰陽連絡線である。中国随一の大河、江の川に沿って建設された。ただし戦前に南北両端が開業してからしばらく放置され、中間部分が完成して全通したのは1975年とあまりにも遅かった。そのころには完全にクルマ社会になっていて、せっかく全通した三江線は見向きもされない状況であった。それがわかっていながら建設されたのは、島根県出身の大政治家の働きかけがあったのでは、と個人的に思っている。
 路線は江の川に沿って建設されたので、三次と江津間の最短距離を結んでおらず、広島-松江はおろか、広島-浜田はもちろん、三次ー江津の都市間輸送さえ利用する価値のない線であった。開業以来、ごく僅かの臨時列車を除き、定期の優等列車の運転がなく、普通列車の直通運転すら当初は運転されなかった。運転本数は現在一日5本で、車両も小型のディーゼルカーの単行運転である。
 こんな低需要の線が廃止を免れていたのは、沿線の道路が未整備であると判断されたからだ。しかしながら最近はそれも解消されつつある。近年、地球温暖化の影響で集中豪雨が日本列島各地を襲うようになった。この三江線もたびたびその被害に遭い、長期間の不通が余儀なくされていた。その際はバス代行運転を行うわけだが、多少の時間を要するとはいえ、バスで交通機能しているということは、実のところ道路整備がされているという事実を証明していることに他ならない。過去復旧に1年以上かかったこともあったが、特に不便であるとの声はなかった。あっても沿線に人口が少なすぎて声にならなかったのだろう。
 三江線にさらに致命的な弱点があるとすれば、沿線に温泉とか世界遺産とか風光明媚な場所とか、偉人の足跡とか観光名所になりうる施設などが全くないことである。
 JR西日本の見解は概ねこんな感じだ。
「三江線は都市間連絡としては機能せず、観光需要もなく、地域輸送にしても、過疎化で人口が減り、先に期待のもてない状況だ。鉄道は大量高速輸送でこそその真価を発揮できる。現在の三江線は鉄道の施設を維持するだけの需要はない。道路整備も確実に進んでいるので、この際三江線は廃止し、沿線自治体がバスなどの公共交通を考えていただきたい」
 しかし地元は納得しなかった。三江線の利用客が少ないのは、列車本数が少なすぎるからだ、行政としても回数券に補助金を出したり、住民に啓蒙運動して利用を促進し、(無理矢理作った)観光スポットを旅行客にアピールするから運転本数を増やしてほしいとJRに懇願した。そこまでいうならと、JR西日本は実験的に代行バスの本数を増やし需要を喚起してみた。鉄道は本数を増やしたくても、設備がそのように対応できないのだ。実験は無惨なもので、本数を増やしても乗客は増えなかった。沿線の人はクルマをすでに持っているので、わざわざ時間のかかるバスに乗らない。ローカル線の客はクルマを持たない高校生が主力である。それも少子化で子供の数が減っており、バイク通学や学校がバスを用意すれば、鉄道の必要性もなくなってしまっていた。
 JR西日本は「これでわかっただろう」と廃止やむなしをやんわりと口にした。しかし地元は三江線活性化協議会を立ち上げ、2011年から総額7600万円の予算を投じて、何とか乗客を増やそうと取り組んだ。しかし利用者の減少に歯止めがかからない。沿線自治体は「まだまだ活性化の取り組みを行う余地があるのではないか」といった趣旨の意見が出されているようだ。
 地元の本音ははっきりしている。どうやったって三江線の乗客は増加しない。だからできるだけ長い期間JR西日本に運行をお任せしたいのである。最大の目的は輸送需要があることではなく、鉄道を失うことによるステータスの維持なのだ。だから年間数十億の赤字がでるのが確実な三江線の経営を引き受けるつもりはないのだろう。地元自治体が共同でバスを運行すれば、その百分の一の赤字ですむ。結論はそこに落ち着くしかないのだが、時間を稼いでいるのだろう。
 そしてついに、2016年9月30日、JR西日本が廃止日を2018年4月1日とする廃止届を国土交通省中国運輸局に提出した。これで三江線の廃止は免れないものとなった。日本鉄道全線完乗者としては寂しい限りだが、これも時代の流れである。三江線には別れを告げに行こうと思った。
 実は筆者が三江線に乗ったのは1985年8月。当時はまだ国鉄の運営で、国鉄時代に乗ってそれ以降乗っていない数少ない線の一つだ。当時の三江線の記述は以下のようになっていた。

------------------------
江津6:50(三江線325D)9:53三次
 6時に起きた。駅前の旅館を出発。江津では列車を乗り間違えるところであった。
 三江線は2両編成のキハ47。乗車率は各ボックスに一人ずつというところ。
 しかし空は曇。だんだん混んできた。石見川本でまた車内は閑散となった。9時頃また客が増えた。沿線を流れる江川もさして興味がなくなった。
 終着の三次は乗り換え駅で大きい。文庫本と鮎寿司を買って、駅の写真を写そうと思ったが面倒になってやめた。
------------------------
 あまりに簡潔な記録である。だが今見直すと、なかなか味のある記録である。まず、当時は2両編成だったということ。乗車率はボックスに1人程度だから、単行では厳しいとの判断で、当時はそれなりに客が多かったのだろう。だんだんと混んできて石見川本で空いたということは、江津からこの方面への通勤通学需要があるのだろう。石見川本の少し先の浜原までは戦前に開通している。古くからの集落が存在するのだろう。ただし災害で不通になるのはこのあたりが多い。9時頃客が増えたとあるが、これは沿線の要所である口羽に到着したことを示す。ここからは戦後しばらくして開通した古い区間である。それまでの記述が全くないのは新しい線でトンネルが多く、おそらく眠っていたのだろう。ここからは三次方面への旅客流動がある。この線は江の川に沿って走る。従って江の川を見飽きて興味がなくなるのは当然だ。三次は広島内陸部の主要都市で芸備線と連絡する大きな駅だ。

 そんなもう一度三江線に乗ってもいいのだが、今回はクルマで三江線沿道を走ることにした。道路の整備状況を確認するのが第一の目的。第二の目的は三江線で最も有名なポイント、といっても鉄道ファン限定だが、宇都井駅をじっくり眺めるためである。宇都井駅はトンネルとトンネルの間にある高架駅で、地上5階分の高さにある「天空の駅」と呼ばれている。もし鉄道で行ったら、この駅で降りてしまうと2時間は手持ちぶさたになってしまう。だからクルマで行こうというわけである。
IMG_3414.jpg
↑三次駅
 2016年2月27日午前10時43分、筆者は三次駅にいた。ここからクルマを走らせて、江津駅を目指す。方針としてはできるだけ三江線に沿った道を走ることにしていたが、やむを得ないときはこの限りではないとした。江の川を渡る箇所が道路と鉄道が離れていることが多く、浜原ダムを回避するため、三江線は道路から大きく離れるところがあるからだ。
sako01.jpg
sanko02.jpg
 10時50分、出発進行。しばらくして堤防を降りれば三江線の沿道を走れるのに、うっかりそのまま直進。結果として三江線の対岸の国道375号線を走ることになった。ようやく橋を見つけた。狭く古い橋で対向車がくればやっかいなことになるが杞憂だった。三江線の踏切を渡ると、右側に所木駅がみえた。ここからはしばらく線路を見ながら走った。
IMG_3415.jpg
↑所木駅
sanko04.jpg
sanko04.jpg
 式敷駅を過ぎると、三江線は江の川を斜めに横断し対岸に移る。筆者のクルマはそのまま進んだが、当面橋がないことに気づき、途中で引き返し、式敷駅手前にあった橋を渡った。
 また三江線に寄り添うことになった。しかし線路は香淀駅を過ぎるとまたも江の川を渡り、対岸に移った。また橋まで戻って対岸に移るかと思ったが、クルマはそのまま直進し、国道375号線を進んだ。
IMG_3417.jpg
↑斜めに江の川を渡る三江線
 しばらくすると橋があったので左折し、三江線との合流を目指した。目の前に作木口駅があった。
IMG_3418.jpg
↑バス停のような江平駅
sanko05.jpg
sanko06.jpg
 しばらく走って左折し、この地にふさわしくないほどの立派な高架橋で線路を越える。高架橋の下には口羽駅がある。このあたりは三江線沿線随一の集落となっている。
sanko07.jpg
 カーナビにだまされてしばらく県道7号線を直進していたが、やがて間違いに気づいてUターン。
 三江線は口羽を出るとすぐに川を渡る。しかし伊賀和志という人名のような駅を過ぎると、また川を渡る。この口羽からは昭和50年代に開通した新しい路線で、トンネル、高架橋が多用されて最短距離を結んでいるからだ。
IMG_3419.jpg
↑口羽-伊賀和志間の鉄橋は新しい
 したがって筆者は橋を渡らず、そのまま江の川の左岸を進んだ。この道はグーグルマップによると県道294号線というらしいが、ただの田舎道である。
sanko08.jpg
 T字路を左折すると、山と山の間にT字型の高架橋が見えた。「天空の駅」宇都井駅である。時間は正午を迎えていた。駅周辺はそれなりに民家があるが、人影がない。雨が降ってきた。駅の直下の空き地にクルマを止め、雨宿りするように駅舎に入る。駅舎といってもただの階段である。エレベーターはない。5階建てのビルに相当する高さまで階段を駆け上がらねばならない。
IMG_3456.jpg
↑宇都井駅遠景
IMG_3454.jpg
↑宇都井駅
IMG_3459.jpg
↑宇都井駅反対側
IMG_3429.jpg
↑駅入り口
IMG_3434.jpg
↑階段
IMG_3437.jpg
↑あと26段
IMG_3438.jpg
↑最上階待合室
IMG_3439.jpg
↑時刻表
 やがて最上階に着いた。アルミサッシを開けるとそこはホームだった。右を見ても左を見ても線路の先はトンネルが口を開けている。鉄道ファンには有名な駅なので訪問者は多く、書き込みノートも置かれている。
IMG_3443.jpg
↑駅名標
IMG_3445.jpg
IMG_3442.jpg
↑駅の両端はトンネル
IMG_3444.jpg
IMG_3440.jpg
↑駅から下を望む
IMG_3448.jpg
↑書き込みノート
 次の列車到着までは1時間以上あるので、ここを立ち去ることにする。
sanko09.jpg
 県道294号線を進み、JA島根おおち大和支所を右に曲がって、江の川を渡り、再び国道375号線を進む。険しい川岸を三江線と国道が平行して走る。右手には潮温泉大和荘がある。しかし観光地としては魅力に欠けるのか人影が見あたらない。
sanko10.jpg
sanko11.jpg
 それにしても人気がない。民家はあるのだが、人の姿が見えないのである。いたとしてもいったい何の仕事をしているのか。農業か林業か。商業施設もないに等しい。まるで昭和から時が止まっているようだ。
sanko12.jpg
 潮発電所を過ぎると三江線は右手に進み、川を離れて山を目指す。浜原ダム湖を避けるためである。しかし道路はそのまま直進し、ある程度川沿いを進んでから、トンネルに入った。しばらくしてクルマは国道を離れ、三江線沿いの道を進んだ。粕淵駅に立ち寄ってから、線路に寄り添って進む。明塚、石見簗瀬、乙原、竹、木路原、石見川本、因原、鹿賀、石見川越、田津、川戸といった駅を通り過ぎる。
IMG_3462.jpg
↑粕淵駅
sanko13.jpg
sanko14.jpg
sanko15.jpg
 13時23分鹿賀駅を過ぎたところに線路越しに小さな滝が見えた。それを写真に撮り、しばらく進むと汽笛が聞こえてきた。しばらく進むと、単行の気動車が現れた。江津を12時34分に出発した浜原行きである。全く意図していたわけではないが、絶妙のタイミングで列車の走行動画を撮ることができた。残念なのはクルマのフロントガラス越しなので、不鮮明であることだ。
IMG_3464.jpg
↑小さな滝が見える

↑ちょうど列車がやってきた
 石見川本は高等学校が、川戸には江津市役所支所があるほどの集落だが、その他の駅は1日10人以下しか利用客がいない。JRのローカル線は高校通学生の利用客が多いものだが、この三江線は開通当初から本数が少なく、スクールバスが幅を利かせているので、利用客が少ない。
sanko16.jpg
sanko17.jpg
sanko18.jpg
 この先の線路沿いの道は行き止まりとなるので、江の川を渡り、川平駅の手前の橋を渡り、再度線路と合流した。ここから先は道路が線路に全体の半分ぐらいしか並行していなかった。終点の江津のひとつ手前の江津本町駅を右手に通り過ぎる。駅前には何もないが、しばらく走ると民家が密集している。
 14時2分、国道9号線バイパスを潜り、14時7分終点の江津駅に到着した。小ぎれいになった三次駅と異なり、国鉄時代から変わらぬ江津駅のたたずまいだ。これで約3時間20分の三江線を巡る旅は終わった。
IMG_3466.jpg
↑江津駅
 三江線沿線を実際に走ってみての感想だが、道路は十分整備されているし、将来の人口を考えても、交通弱者の対策としては、タクシー会社の委託によるマイクロバスの運行、中高校生に対してはスクールバスで対応可能と思われる。沿線には起爆剤になりそうな観光地もない。したがって廃止は妥当であると確信した。
 ただ口羽-浜原間の線路は新しく、鉄筋コンクリート造りの高架橋もあって壊すにも費用がかかる。それに宇都井駅という鉄道ファンにとっては垂涎の駅もある。そこでこの区間は保存鉄道として残し、台湾の烏来台車のような小型エンジンによるトロッコ列車や、ペダル走行による車両など、遊戯観光施設として利用するのはどうだろう。壊すよりもその方が価値があると思う。

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:旅行

2016年マリーンズを振り返る [野球]

 前年2015年は3位に入り、クライマックスシリーズのファーストステージを突破したマリーンズ。投手陣は涌井、石川の両先発。内、西野、益田の救援陣。打撃陣は今江がFAで楽天に移籍し、層が薄くなったとはいえ、キューバの大砲デスパイネが残留し、前年3割を打った清田、俊足の荻野、首位打者経験のある角中、高卒新人の平沢の加入で刺激を受けた鈴木、正捕手の座をほぼ確保した田村。それに福浦、井口のベテランが固める。さらに巨人にさらわれたクルーズの代役として、韓国プロ野球にいたナバーロを獲得し、打線強化を目指した。
 しかしナバーロが銃刀法違反で謹慎処分を受け、それでやる気をなくしたがどうかわからないが、復帰後も守備で怠慢プレーが目立ち、しかもそれを補う打棒を安定的に発揮しなかった。
 投手陣では、いつもは秋口にしか投げられなかった内が開幕から救援陣の一角を占めて、終盤の反撃を撃退した。先発では涌井は圧倒的な投球はなかったものの、石川が防御率1点台で前半を折り返すなどエース的存在にのし上がった。これにこの年から加入したスタンリッジが試合を作る投球で、彼らが3本柱となった。しかしそれ以外の投手は投げさせてみないとわからず、新人関谷やオープン戦で存在感を示した二木に大きな期待をかけるというのは無理というものであった。しかしここ数年ずっと失点が得点を上回り、防御率も4点台だったことを考えると、チーム防御率3.66は大幅に改善されたといえる。これは伊東監督と落合投手コーチの功績といっていいだろう。
 打撃陣では角中がほぼシーズン通して打率首位の活躍ぶりで、鈴木が3割、2軍では好成績も一軍では実績のなかった細谷も3割をマークするなど春先は打線が好調だった。しかし細谷がすぐに化けの皮が剥がれ、鈴木も夏場になると打率が降下した。デスパイネは期待通りの長打力を示し、チームの危機をたびたび救った。ただ、大砲は彼だけなので、相手チームにとって威圧感がなく、打線がつながらないとすぐに得点欠乏症になってしまうのは、もはやマリーンズの伝統的な病気といえるだろう。ちなみにチーム本塁打数80本は12球団最下位であった。
 シーズンでもっとも痛感させられたのは、選手層の薄さだろう。確かに前述した選手は活躍はしたのだが、その脇を固める選手や故障者の穴埋めをする選手の力量があまりに劣っていた。143試合を戦うには故障者が出ることは避けられず、実際に投手陣では内が故障し、クローザーの西野が戦線離脱すると、ご自慢の救援陣が一気に崩壊した。
 打線にしてもデスパイネ、角中を除けば、鋭いスイングが見られず、さりとてバントがうまいわけでもなく、足技を使えるわけでもなかった。もちろん何試合かは気力が充実して、逆転や圧勝もあったものの、とにかく持続しなかった。井口、福浦といったベテランも40歳を越え、往年の活躍を期待するのは無理というものだった。
 シーズン当初は首位だったが、やがてソフトバンクに抜かれ、独走を許した。交流戦ではソフトバンクに次ぐ2位で食らいついていったが、交流戦後に日本ハムが14連勝で一気に差を詰め、オールスターの頃には3位に落ち着いていた。
 この年の下馬評では長距離砲イデホがメジャーリーグに去ったとはいえ、選手層の厚いソフトバンクホークスが圧倒的に高く、これに二刀流のスーパースター大谷翔平のいる日本ハムファイターズがこれに続き、他のチームは決め手に欠いて3位争いという声が多かった。実際にこの通りの展開となり、ソフトバンクと日本ハムが競り合いを続け、マリーンズは4位以下のチームにはそこそこ戦い、2位ソフトバンクとは12.5ゲームとも4位西武とは8ゲームと大きな差のある3位を確保した。
 ソフトバンクと日本ハムとの競り合いは、終盤までもつれ、大谷の神懸かり的活躍もあって日本ハムが抜け出し優勝した。
 マリーンズは最終的に3位が確定し、チームの功労者であるサブローの引退試合は気楽な消化試合のお祭り的雰囲気で無事に開催できた。
 シーズンが終わり、石川が最優秀防御率、角中が首位打者を獲得した。デスパイネも打点王の可能性があったが、怪我での欠場が響いた。
 マリーンズとしてはお家芸の短期決戦で、ソフトバンクと日本ハムを撃破するしか、シーズンの不名誉を回復するしかなかった。過去、マリーンズはファーストステージの敗退がないこと、3位からの日本一の実績があること、故障者続きだった救援陣に人材が戻りつつあることなどをより所にして、ソフトバンクとのファーストステージに挑んだ。第1戦は先発に涌井を立て、初回に本塁打2発で先制するも、終盤に内が四球を連発しで3対4で敗北。第2戦は再び初回に本塁打で先制するも、終盤に救援陣が守りきれず、1対4で敗退した。持てる戦力からすると善戦したといえるが、結局のところ選手層の薄さはどうすることもできず、マリーンズは球団史上初めてファーストステージ敗退を記録することになった。ジンクスだけでは勝ちようがなかったのである。
 来期の展望だが、契約の切れたデスパイネが残留するのかもわからず、監督続投の条件として戦力の補強を要求した伊東監督だが、約束通り戦力補強がなされるのかどうかは不透明だ。第一、親会社のロッテが前年からお家騒動続きで、球団経営の情熱を失っているように見えるのが気がかりだ。球団自身は営業努力もあって、観客動員数はV字回復を果たした。回復をさらに持続するには、優勝を期待させるだけの戦力を整えることだろう。

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:スポーツ

ニュージーランド旅行記2016 [旅行]

まえがき
筆者はヴァージンオーストラリア航空夜行便でバリ島からブリスベーンに向かっていた。
バリ島での旅行記は下記を参照
バリ島旅行記2016

この旅行の動機については下記参照
バリ島ニュージランド旅行~序章篇~


1.まずはブリスベンへ
5月1日(日)
 午前3時頃起こされた。背もたれがほとんど傾かないので、通勤電車で居眠りしているのと同じであり、首が痛くなって起きる。ほとんど眠れなかった。
 バリ島時間で午前3時とはいえ、オーストラリアはバリとは+2時間の時差があるのでもう5時なのだ。
 5時30分、オーストラリアブリスベン空港に着陸。外は雨である。
 乗り換えは厳重な保安検査はあったが、入国カードの提出はなかった。ポケットのものは全部出し、さらにシャワールームのようなカプセルの中で両手をあげてスキャンされる。2回受けた。左肩と右腿に異常があるらしい。最終的には手動で検査。
 エスカレータを上がると、出発エリアだ。設備は一通り揃っている。Wifiも使えるので、自宅にメール連絡。木製の大きな椅子は外人向きか。脚のせのあるソファーが人気がある。ここで3時間ほど待つことになる。免税店をざっと見て、食事をどうするか迷う。さっきのフライトで食事がでたのでそれほど腹は減っていない。今食べてしまうと、機内食を食べられなくなるかもしれない。行ったり来たり右往左往して結局食べず、出発する73Aゲートの近くで居眠りした。
s-IMG_4327.jpg
↑ブリスベン空港出発待ちエリア
s-IMG_4326.jpg
↑出発ゲート
s-IMG_4329.jpg
↑雨のブリスベン
 このヴァージンオーストラリア航空ではデルタ航空のマイルが付くはずだ。元に戻って同航空の乗り換え窓口にやってきたものの、先客が2名おり、搭乗時刻の8時45分を過ぎ、時計は9時を指していたので、ここで手続きするのは諦めて、出発ゲートに戻る。
 機内に乗り込み、席に座ると、前には韓国人のグループがいる。今回の席はこの旅行で唯一の窓際である。
 飛行機は9時33分にB737-800は離陸した。雨で窓が濡れているので動画は上手く撮れなかった。
 ニュージーランドの入国カードを書き、とりあえず大まかなドライブルートを確定した。ふと座席のポケットを見ると「MENU」とあるではないか。どうやらこのフライトの機内食は有料らしい。これを知っていればブリスベンで何か食べていただろう。クライストチャーチに着いたら、食事、デルタ航空マイルの付加、携帯電話の購入とデータSIMの購入。それらが終わってからレンタカー営業所に行かねばならない。クルマを走らせられるのは16時30分になるかもしれない。そうするとホテル到着は21時頃になるかもしれない。ホテルのチェックインが22時以降の場合は連絡が必要なのでいずれにせよ携帯電話の契約は必要だ。
 ニュージーランド時間13時15分、機内でようやく水にありついた。コーヒーも無料のようだが、すき腹に飲むのは悪いのでやめた。
 隣の男性は機内食を頼んでいた。パンを残している。そのパンをもらおうかとも思ったがここは辛抱だ。
 14時15分、これまでひたすら海の上を飛んできたが、下界には陸地が見えた。ニュージーランド島である。自然のままの山容でその美しさに息をのむ。
 まもなく、下界は農地に変わった。円形に区画されたところや、競馬場のダートコースのようなところも点在している。
 14時35分、クライスチャーチ空港に着陸。5分後に31番スポットに接岸した。
s-IMG_4333.jpg
↑ひたすら海の上を飛ぶ
s-IMG_4339.jpg
↑やがて南島の山岳部へ
s-IMG_4344.jpg
↑まもなくクライストチャーチ
2.クライストチャーチからレンタカーに乗る
 入国審査ではかなり並んでいて、私の荷物はがっらすきのコンベアをグルグル回っていてすぐに取り出せる状態だった。時すでに15時20分。検疫は係官が少なく時間がかかった。ニュージーランドは農業国なので植物食品の持ち込みに神経をとがらせている。
 税関は何も申告はないが、手荷物の機械検査に時間がかかった。
 まずはニュージーランドでスマホを使うためのSIMを入手する。しかし日本から持ってきた自分のスマホSH01Fにニュージランドの電話会社のSIMを入れても電波をとらえることができなかった。もしかすると日本の電話会社のスマホはSIMフリーでも海外のSIMは受け付けないのかもしれなかった。昨年フィリピンに行ったときは世界標準機のNexus5だったので問題なかったのだ。はじめはヴォーダフォンに持ち込んでだめで、となりのSPARKでもだめだった。後から考えればローミングの設定を変えればいけたのかもしれないが、その時はそんなことを考える余裕はなかった。
 バリ島で道に迷った経験から、スマートホンは必須だと思ったし、ホテルその他への連絡手段としても電話が必要だ。私は現地でのスマホ購入に踏み切ることにした。どうせなら以前から注目していたファーウエイのいいのがほしかったが、ヴォーダホンのカウンターにはサムスンしかなく、その中でも2番目に安いのを選んだ。トラベラー用のデータ3GBを含むSIMが49ドル。それを含めての支払いが298ドルであった。
samsung-galaxy-j2-2.jpg
↑購入したSAMSUNG GALAXY J2
 レンタカーを借りる前に腹ごしらえ。アメリカでレンタカーで走った経験から、外国では沿道にレストランがそれほどあるわけではないことを知っていた。空港で食べることにする。ベーコンと目玉焼きのサンドイッチにカフェラテ。これで遅い昼食、いや朝食は完了だ。
s-IMG_4348.jpg
↑朝食兼昼食
 買ったサムスンのGALAXY J2はシステムの言語を日本語に設定できない。すなわち技術適合がなされていないので本来日本で使えないことになる。パソコンにつなぐことで日本語化ができるようだが、それができなければWifi専用機となりそうだ。後日わかったことだが、このGALAXY J2は安っぽい造りでカメラの性能も劣るものの、動作は日本のスマホに比べて安定していた。韓国製を見下していた自分であったが、これは大きく蒙を啓かせた。
 とりあえず栄養補給はできたので、すぐ近くにあるAVISレンタカーのブースに向かった。日本で発行された予約確認書を見ることなく、パスポートとクレジットカードだけで手続きが進んだ。保険はフルカバーにした。これがあとで役に立つことになる。
s-IMG_4349.jpg
↑クライストチャーチ空港ビル
 ブースでキーを渡され、歩いてレンタカーの駐車場に向かう。17時00分、クルマとご対面。今回のクルマは茶色だった。予約時にはカムリを指定していたはずだが、カローラであった。しかしあまりに後部座席の足下が広かったので、これはカムリだと思っていた。ここまでの走行距離は12483km。鍵はスマートキーで、ポケットにキーを入れたままでボタンを押すだけでエンジンが始動する。ドアロックもポケットにキーを入れたままでドアノブを引くだけで解除される。変速機はもちろんオートマチック。Dレンジを右に倒せば、1速から5速まで任意に選択できる。
s-IMG_4350.jpg
↑レンタカーとご対面
s-IMG_4979.jpg
↑足元が広い後席
s-IMG_4351.jpg
↑速度計
s-DSC_0301.jpg
↑ラジオ(タッチパネル)
s-IMG_4981.jpg
↑バックモニターも付いている
s-IMG_4980.jpg
↑カーナビは日本語対応
 借りたGPSはフロントガラスに吸盤で張り付けるタイプで日本語に設定できる。音声案内も日本語。ただしグーグルで翻訳したように変な感じの日本語である。
 17時15分、クルマを走らせる。ニュージーランドは日本と同じ左側通行。ワイパーと方向指示機のスイッチの位置も日本と同じである。中国人のためか「KEEP LEFT」というシールが速度計の下に貼られているし、シフトレバーにもその表記がある。
 空港を出てすぐにラウンドアバウトすなわち環状交差点がある。とにかく右側に環状部を走るクルマがあれば譲る。ルールはこれだけである。あと信号が赤でも左折可とか、対向の場合、日本と逆に左折より右折車が優先というのもあるが、その場面に出くわさなかった。
 ニュージーランドでは日本のような高架立体交差の高速道路はほとんどなく、一般国道をハイウェイと称している。平面交差のある街は70キロ制限となるが、道路の両脇にある100キロの制限標識を過ぎると、高速道路となる。実際は120キロで流れているようだ。もちろん交差する道路は皆無ではないし、自転車で走っている人や、歩いている人が全くいないわけではないけど、広い路側帯と防風林が両脇にあるおかげで、全く危険を感じない。日本とほぼ同じ面積でありながら人口300万人のニュージーランドならではである。
 走るほどに黄昏から暗闇に変わっていった。ニュージーランドの案内標識は小さいのが道路脇にあるだけで視認性が悪い。ただし、日本のように広告看板が全くないので、非常に景観がいい。環境に敏感なニュージーランドらしくていいので不満としないことにする。
 国道1号線をひたすら南下する。道路は基本的に対面交通片側1車線だが、適度に追い越し車線があるので、あまり問題ではない。
 クルマの加速は十分で追い越しでも遅れをとることはない。ただし自分はまだこの国の運転に慣れていないので、基本的に左車線を走り追い越しはしなかった。私は目的地に到着するまでこのクルマをカムリだと思っていたので、やはり中型車は違うなどと納得していたのである。
 筆者は日本でもレンタカーでカローラを利用することが多い。外装、内装はそれほど優れてはいないが、実に運転しやすいクルマだ。世界のベストセラーだけのことはある。エンジンは1800CCでクルマのサイズは大きいので、もしかすると日本では3ナンバーになるかもしれない。
 内装は速度計、回転計、水温計、燃料計と配置された真ん中に液晶表示があり、ここにシフトポジションや距離計ABと通算、外気温が表示される。わからないのは「CRUSING RANGE 553km」という表示。これは最後まで意味がわからなかった。シガーライターの他に、USBポートとAUX端子がある。
 ナビこそ付いていないが、ラジオ等はタッチパネルで操作する。もっぱらFMを聴いた。FM TEXTに対応していて演奏している曲名が表示される。さすが英語圏のニュージーランド、聴いていて楽しくなるような選曲だ。
 ブルートゥースもあるようだが今回は使用しなかった。
 まもなくGPSナビが電池がなくなったと表示。クルマを停めてシガーライターから電源をとる。どうやら内部の電池が消耗し充電できなくなっているようだ。
 18時25分、沿道にケンタッキーフライドチキンを見つけ反射的に入る。これがどのあたりか知らないが、外国ではレストランを見つけたときに入っておかないと食事にありつけないのはアメリカで経験済みだ。
 客は意外に多く、どちらかというと柄が悪そうだ。インディビジュアルメニューの3ピースを選んだ。飲み物は紙コップを渡されて、レジの前で自分で注ぐ。世界どこにでもあるケンタッキーフライドチキンだが、どうも日本のに比べて味が落ちるような気がする。ニュージーランドでは鶏肉の需要は低いのか。そう思ったりした。付け合わせの量が多く、ポテトとパンは残して鞄に詰め込んだ。
s-IMG_4354.jpg
s-IMG_4355.jpg
↑世界各地にあるケンタッキーフライドチキン
 1号線をひた走っていたクルマはまもなく79号線への分岐を迎えた。それはうまく行ったが、その後間違って未舗装の道路に入ってしまった。日本と違って滑りやすく、ハンドルが取られそうになった。ナビが示した代替ルートはこのまま直進だったが、身の危険を感じたので、スイッチターンして元の場所に戻った。
 79号線は丘陵地を走る。街頭も民家もほとんどなく暗闇の中をひた走る。ナビがなければ不安に感じていただろう。ただ対向車が結構頻繁にあって、ハイビームとロービームの切り替えが面倒である。対向車がいる場合ハイビームではまぶしいので、パッシングで注意するのは日本と同じである。
 右折して8号線に入るとさらに山深くなった。いったい世界のどこを走っているのか、という気分になった。
 まもなくオレンジ色の弱い光に包まれたテカポの街が見えた。20時44分、予約していたGodley Hotelに到着した。ここまで224.4Km走った。東京から浜松くらいの距離だ。走行距離は約3時間半。
 今回の予約はアップルワールドを通したので、バウチャーを見せるだけだ。ただし宿帳には記入する必要がある。ホテルはレセプションを含め、長屋が数軒並んでいる形式である。
 キーはカード式である。今回もバスタブがあってありがたい。ドライヤーは引き出しにあった。ダブルベッドとシングルベッドがある。ダブルベッドに寝ることにした。冷蔵庫と湯沸かし器、無料のコーヒーと茶がある。ただし客室金庫はない。空調はないが、温水暖房と電気毛布がある。バルコニーがあって、ここから湖を眺めることができる。ただし今は夜なので何も見えない。ふと空を眺めると満天の星だ。こんなにたくさんの星を見たのは初めてだ。見てすぐそれとわかるほどのくっきりした天の川を見たのもおそらく初めてだろう。
s-IMG_4357.jpg
↑Godley Hotelに到着
s-IMG_4358.jpg
s-IMG_4359.jpg
s-IMG_4360.jpg
↑部屋
 このテカポで2泊している間に、下着を洗濯するつもりだった。バリに滞在中いつも鞄に入れている洗濯用のロープや石鹸を持ってくるのを忘れているのに気づいていた。自分の部屋で洗濯ができないので、ここのホテルのラウンドリーを利用するつもりだった。しかしランドリーサービス用のチェックシートがない。どうやらサービスはないらしい。狼狽していると洗濯機と乾燥機はあるらしい。さっそくそれがある場所を確認しにいった。石鹸が2ドル、洗濯が2ドル、乾燥が4ドルとのことであった。仮に乾かなくても部屋にはアイロンがある。洗濯機の利用は21時までということだが、どうやら中国人が規則を無視して、乾燥機を回していた。まあこれは大目にみよう。
 ホテルの前にはガソリンスタンドがあり売店もあるのだが閉まっていた。ありとあらゆる店は閉まっていた。無事到着を記念してビールを飲もうと思ったのに残念だ。
 ここで新たな問題が発生した。ホテルのバウチャーを入れていたファイルをなくしたことに気づいたのだ。ホテルのバウチャーはあとはクライストチャーチを残すのみで、これはスマホからメールをアクセルすることで入手できるから問題はないが、ファイルの中には国際免許証が入っているのだ。念のために、クルマの中も探してみたけどなかった。しかしホテルのバウチャーを渡したので、少なくともそこまで持っていたことになる。だからおそらくはレセプションにあるものと推定された。しかしここのレセプションは22時で閉まってしまい、確認することができない。
 悶々とした気持ちで0時30分に寝る。不安からか気持ちが高ぶっているのかなかなか眠れなかった。
s-IMG_4363.jpg
↑写真では再現できてませんが満天の星空でした

3.テカポ散策
5月2日(月) 曇後雨後晴
 7時30分起床。まずはレセプションへ。果たしてファイルは昨晩ここで忘れていたのだ。洗濯をするのに2ドル硬貨が必要なので両替した。
 まずは石鹸を買う。ガチャガチャのように硬貨を差し込んでレバーで押し込むと黄色い箱に入った石鹸が落ちてきた。
 洗濯機もドラム式で乾燥機とそっくりだ。欧米ではこのドラム式が主流である。下が洗濯機上が乾燥機である。間違えないように硬貨を入れてスタート。
s-IMG_4376.jpg
↑石鹸の自販機
s-IMG_4377.jpg
↑買った石鹸
s-IMG_4378.jpg
↑上が乾燥器下が洗濯機
 洗濯している間に、すぐ近くにある「善き羊飼いの教会」という小さな教会まで歩く。ちょうど日の出を迎えるところだった。曇っているので日差しが弱いが、いい角度で撮ろうとしたら逆光になってしまう。それよりも次々と現れる中国人のせいで、なかなか人を写さずに撮ることができない。ちなみに自撮り棒を使っている人はほとんど中国人である。
s-IMG_4405.jpg
↑日の出の「善き羊飼いの教会」
 洗濯は終わっていたので、乾燥機に入れ、朝食に行く。今回のプランは朝食が付いていないので、別料金となる。中国人のツアー客が利用したと思われるバイキングをそのままいただくことにする。料金は26.5ドル。
 9時に食堂が閉まるので、少し急いで食べた。ヨーグルトの種類が豊富だった。食料自給率の高いニュージーランドだけにどれもおいしい。
s-IMG_4410.jpg
↑別料金の朝食バイキング
 スマホをいじっていろいろ情報を得る。スマホが使えるようになったのは便利だが、特にYahooをアクセスしてしまうと、今見なくていいような記事をついつい読んでしまう。結果として無駄な時間が生じてしまっている。本日の予定はテカポ湖周辺を観光し、夜は星空ツアーに参加することになっている。
 再びラウンドリーへ行く。乾燥終了3分前だった。洗濯物を取り出すと、完全に乾いていた。昔一人暮らししているときに、乾燥機は金ばかりかかって乾きも悪いと思っていたが、45分も作動させれば乾くらしい。今まで私は長期間の旅行では、部屋で洗濯して、ロープで部屋干ししていたが、自分で洗濯するよりも、このようにコインランドリーを使った方が時間を有効に使えることがわかったのは収穫だった。
s-IMG_4373.jpg
↑ホテル外観
s-IMG_4374.jpg
↑ホテルの前の道路クライストチャーチ方面
s-IMG_4375.jpg
↑ホテルの前のガススタ
 10時頃再び外出。少し小高い丘から湖を眺めることにする。なんだか荒れ地のような殺風景な道を登ると確かに民家越しに湖が見えた。水の色はエメラルドのようなで実にきれいだ。しかし逆光なので写真に撮るとこの異なった色になる。残念なことだが、このカメラには対応策はない。そもそもこれが眺めのいい場所なのかどうかも疑問だ。入り口にCowans Hill Walkwayとあっただけで、途中に何の標識もないし、誰もいないのである。しかしここ以外に高台となると、山の上しかない。そこは簡単に登れるようなものではなく、やはりここなのだろう。ガイドブックには距離は3km、一時間半とあるが、とてもそんなに歩いていない。釈然としない気持ちで丘を降りる。
s-IMG_4417.jpg
↑変哲もない道を登る
s-IMG_4419.jpg
↑紅葉の民家を抜ける
s-IMG_4421.jpg
↑何か看板があって入れない
s-IMG_4423.jpg
↑殺風景な道を歩く
s-IMG_4427.jpg
↑民家越しに湖が見えた
 次に湖畔を歩いてみた。湖畔といっても遊歩道があるわけではなく、足場の悪い石ころだらけの場所を歩かねばならない。何度も撮影を試みるが、どうしてもこの目で見た絵にならない。私は諦めた。
s-IMG_4475.jpg
s-IMG_4470.jpg
↑湖畔は写真と印象が異なる
 さらに歩くと牧羊犬の銅像が見つかった。バウンダリー犬の像である。開拓時代の放牧地で策のない境界線(バウンダリー)を守った犬たちの働きをたたえて1968年に作られた。ここには人が集まっている。中国人も多いが、日本人もいる。さっきの教会とこの銅像をバックに記念写真を撮るのが観光客のお約束だからだ。やはりここも人のいない瞬間を撮るのは難しい。
s-IMG_4479.jpg
↑バウンダリー犬の像
s-IMG_4483.jpg
↑常に周りに人がいる
s-IMG_4488.jpg
↑再び「善き羊飼いの教会」
s-IMG_4485.jpg
↑寄付金はこちらへ
s-IMG_4487.jpg
↑教会内部
 橋を渡ってホテルに戻る。銘板によると、この橋は2015年11月に開通したという。道理で新しいはずだ。橋の板には寄付者と思われる個人団体の名前が刻まれている。その数は橋の全長に対して全体の4分の1程だ。
s-IMG_4394.jpg
↑ホテルに向かう橋
s-IMG_4393.jpg
↑橋の板には
s-IMG_4392.jpg
↑寄付者の名が刻まれている
 昼食は山の上の天文台に併設されたアストロカフェに決めていた。車に乗り込み、ナビに従ってそこに向かうと、門があった。しかし閉まっていた。門があるとは聞いていなかったので、何かの間違いだろうと、そのまま直進した。どうやらひたすらテカポ湖湖畔を北上するだけで、何もなさそうであった適当なところで引き返す。ただし湖はきれいだったので写真を数枚撮った。
s-imgs4504.jpg
↑テカポ湖
 いったんホテルに戻ったが、やはりアストロカフェは諦めきれず、もう一度おなじ道を走った。門の看板をよく見ると、風が強い日にはゲートを閉鎖するとある。そういえば今日はカメラの三脚も倒れるほど風が強い。あとで聞いた話では風速20m以上になると封鎖するらしい。ニュージーランドともなると、風速15mは当たり前で、風に乗った小石が飛んできて窓ガラスを割るらしい。確かにそれは危険だ。また、天文台は私有地にあるので自動車で行く場合は門の先の料金所で5ドルを徴収される。1時間ほどかかる徒歩では無料だが、風の強い日に登れないのは同様だ。
s-IMG_4507.jpg
↑天文台へは本日通行止め
 昼食は湖畔KOHANという日本食レストランに行くことにした。日本のガイドブックは必ずといっていいほどこの店を勧めている。特に「サーモン丼は絶品だ」と記載されている。私は海外ではなるべく日本食は食べない主義だが、そこまで書かれては行かない理由はない。当初予定では夕食はここだったが、昼食に変更した。
 店に入ってみると、日本人ばかりかと思ったら、欧米人、中国人の方が多く、大まかにいってそれぞれ3分の1の割合で利用しているようだ。20ドルのサーモン丼を注文するのは芸がないと思ったので、スペシャルと書かれた25ドルのイクラサーモン丼にした。結果的には失敗だった。サーモンがふた切れしかなかったからだ。サーモンの味だが、確かに評判通りで美味しい。養殖らしいが天然と変わらないような気がする。
s-IMG_4512.jpg
↑日本食レストランKOHAN
s-IMG_4517.jpg
↑窓からの景色
s-IMG_4518.jpg
↑イクラサーモン丼
 同じ建物のレストランの反対側には土産物店がある。どうせあとで買うのも面倒なのでここで買うことにする。しかし、あとでわかったことだが、このテカポの土産物店はクライストチャーチ市内に比べて、特にTシャツで5割ほど高いようだ。売り子が商売熱心なわけである。しかしそんなことも知らないので数点おみやげを買った。ニュージーランドでは一般的なのはクレジットカードの支払いの場合1.5%の手数料を取ることが認められることだ。それは知らなかったので、手数料を惜しんで、ここは現金で払うことにした。
s-DSC_0307.jpg
↑買った傘はすぐに壊れた(要注意)
 もう時刻は15時を回っていた。星空ツアーは17時にデスクに顔出ししなければならない。それまでにできることとして選んだのは、テカポスプリングスなる温泉である。しかし日本のような温泉ではなく、水着を着て男女関係なく入る屋外温水プールである。地下から沸いた温泉かどうかも知らない。
 15時35分過ぎにテカポスプリングスに着いた。空は暗くなり今にも雨が降り出しそうだ。夜に星が見えるのか心配になってきた。25ドル支払う。ロッカーは別料金で3ドルだ。水着は持ってきているが、タオルはポケットに入っていた日本手ぬぐいで代用した。
large.jpg
↑テカポスプリングス(宣伝用写真)
 着替えてプールに入ってみる。少し寒い。水温はおそらく35℃前後で日本の温泉の感覚からするとぬるすぎる。プールに使っている状態ではついたてが邪魔して湖が見えない。湖を見るには立っていなければならない。これはちょっと看板に偽りありというところだ。しかし日本の温泉でも湯船につかると外が見えないところなどゴマンとある。だからこれは大きな問題ではないだろう。
s-IMG_4519.jpg
↑テカポスプリングス入口
s-IMG_4521.jpg
↑そこからの景色
 白人の女性は大胆なビキニを着用している。防水の写ルンですを持ってきているが、やはり何の許可もなしに撮ることはできず、偶然を装って撮るしかない。
 そのうちに雨が強く降り出した。写ルンですで撮った写真は暗くて露出不足でほとんど見れたものではなかった。湯温が低く急速に体温が奪われそうなので撤退する。ちょうど入れ替わりに20代の日本人男性2人組が入ってきた。
s-FH000013.jpg
↑写ルンですで撮った写真
 ニュージーランドは一日の間にも四季があるという。晴れたと思ったら雨が降り、気温が上がったと思ったら下がる。このテカポは晴天率が極めて高いところで、それゆえに天文台があるのだが、今日は雨だ。

3.マウントジョン天文台
 ホテルに戻り、星空ツアーのデスクのあるEARTH&SKYに顔を出したのは17時。ちなみにEARTH&SKYはGodleyHotelと同じ棟にあり、私の泊まっている407号室とは歩いて20秒程度のところである。ちなみに昼食を食べた湖畔KOHANも歩いて30秒。こんなに便利なホテルに泊まったのは前例がない。
 デスクの向こうには青いシャツを着た日本人女性が座っている。本日のツアーは21時に集合。ただし今も雨が降っているし、ツアーは確約されたものではないとのことであった。そうした情報をもらってホテルに戻る。
 昼食が14時前と遅かったのでまだ腹が減っていない。部屋でテレビを見た。NHK WORLDが写る。弘前の桜を取り上げていた。
 さて夕食にしようと外に出ると、店がぞろぞろと閉め始めていた。もう開いているところならどこでもいいという感じで、韓国料理の店に入った。客はおらず、BGMだけがむなしく鳴り響いていた。あとで3人組の客が入ってきたが、閉店が近いことを理由に断ったようだ。
 ビビンバは本日は用意できないということなので、豚肉の味噌炒めにした。意外や意外これが美味しかった。このテカポには日本食の湖畔とこの韓国料理の店の他に中華料理もあるが、ここは日本食が圧勝である。欧米人にとっては韓国料理は未知なものだし、中国人がわざわざ中華料理を食べるのは少数派だろう。やはり日本ブランドは衰えてはいないというところか。
s-IMG_4530.jpg
↑豚肉の味噌炒め
 店を出るとほとんどの店が閉まっていた。このあたりは夜でも賑やかだったバリ島と違うところである。
 21時10分、再びEARTH&SKYにやってきた。
s-IMG_4536.jpg
↑受付カウンター
s-IMG_4535.jpg
↑マオリ族のオブジェ
 すでに青い外套を着た長岡氏という天文台の研究員兼案内人が、人数のチェックをしていた。続々と参加者が集まりだした。これは日本人専用のツアーで、この組は17名だそうだ。ほとんどが夫婦ものだが、女性同士もいる。男性3人組もいる。また女性一人もいる。男性一人は3人だけだ。
 別組の16名と合わせ33名のツアーはマイクロバス2台で21時30分に出発した。この星空ツアーは風の強い日のみキャンセルとなる。雨で星空が見えない場合は、天文台の施設を見学することになる。星のマークのネックレスとダウンジャケットと太陽電池付きの赤いLEDライトが渡される。LEDライト以外は貸与である。赤いLEDにしているのは天体観測の支障のない弱い光にするためで、クルマも天文台に近づくとヘッドライトを消す。テカポ村は人口500名程度の小さな村。しかし観光のおかげで税収は潤っているだろう。村人も天体観測に協力して、外灯もなく、家の明かりも観測に妨げのないように弱いオレンジ色としている。
 天文台に着いた。真っ暗である。しかしこうしないと星空を見るための目慣らしができないのである。もちろんフラッシュは厳禁である。スマホのライトも白いのでダメ。周りが全く見えない状態で分厚いダウンジャケットを着るのは難儀であった。肝心の星空はやや雲に隠れているもののほぼ満天の星空だ。夕方には雨が降っていたことを考えればこれは奇跡に近いだろう。
 標高の1500m天文台。だんだん寒くなってきた。ホットチョコレートがふるまわれた。なお、このツアーではフラッシュ撮影が禁止されているので、写真が残っていない。ツアーの詳細については下記写真にリンクされているページを参照していただきたい。
earthandsky.jpg
↑マウントジョン天文台ツアー
 まずは肉眼で星空の解説。まずは南十字星である。南十字星は4つそれぞれ明るさが違い、紛らわしいニセ十字もあって意外とすぐにはわからないらしい。「印象的な名前」の中尾倫太郎(ただし漢字名は不明)ガイドはレーザポインタを使って解説してくれる。
 南十字星はケンタウルス座のα星とβ星という明るい2つの星を目標に氏この二つの星の延長線に十字の頭が来る。これを目標にするのが発見のコツらしい。地球の南極点の延長線には星がないため、南極星というのは存在しない。おおまかにいって南十字星の柱を下に4.5倍したところが南極点となる。また南十字星の柱の延長線とα星β星の垂直2等分線の交点でもいい。
 あとはシリウス、アンタレス、大マゼラン星雲、天の川の解説。木星の衛星は望遠鏡で観測した。望遠鏡は意外に見にくいものである。
 このマウントジョン天文台は惑星探査専門の天文台という。火星に人類が移住することは可能だと述べた。ドライアイスを大量にまき、温暖化させ極の氷を溶かす。そこに植物を送り込んで光合成させ酸素を作る。そこまでして火星に住む人類は果たしているのだろうかという気がする。私はロボットによる惑星開発が現実的なような気がする。
 星空は一つ一つの星の解説を聞いていれば、退屈することはないだろうが、こちらは寒くなってきた。
 23時ににツアー終了。
 23時半に部屋に戻る。またもやスマホで遊んでしまい、寝たのは1時となった。隣の人のいびきが気になったが、すぐに眠れた。

4.マウントクック
5月3日(火) 晴
 7時15分起床。今日はマウントクックを見に行くので冬支度をする。持ってきたステテコを着用。ダウンジャケットも持ってきた。
 まずは朝食。ちょっと離れたところにある「RUN76」という店に入った。ここに来たのはインターネットで調べたテカポおすすめコースに入っていたからだ。
s-IMG_4550.jpg
↑RUN76
s-IMG_4548.jpg
s-IMG_4543.jpg
↑店内
 カンタベリープレートとカフェラテを選ぶ。番号札をもらう。料理が運ばれた。これが26ドルとは高い気がしたが、地元の食材を使っているという言葉を信じて納得することにした。
 これを食べていると日本人の若者3人組が入ってきた。地球の歩き方を持っているのですぐわかる。
 私はスマホで粘っていたので彼らの方が先に出た。彼らも当然スマホをもっている。遠目でみたところどうやらLINEをやっているようである。
 しかし料理が終わっても札が片づけられないのは何故だろう。続きがあるのだろうか。それはいわないと出ないのか。外国ではこんなことでも考えさせられる。
s-IMG_4549.jpg
↑カンタベリープレート
s-IMG_4545.jpg
↑カフェラテ
 隣接したスーパーマーケットで水とビスケットを買う。これは昼食はおそらくマウントクックで食べることになるので、軽いものにしたのである。それと持ってきたはずのサングラスが鞄になかったのでこのスーパーで購入。安っぽい黒い袋に入れてくれた。ニュージーランドは日差しが強く、直線道路が続くので、ドライブにサングラスは必需品だ。
 ATMでさらに150ドル引き出す。1回3ドルの手数料が取られるが、日本円の現金両替よりレートがいいらしい。スルガ銀行のキャッシュカードは海外で使えるので、この旅行のためにあらかじめ入金しておいたのである。ここのATMは日本語表示を選択できる。
s-IMG_4555.jpg
↑ATM
 9時10分にチャックアウト。追加料金はない。ちょうど観光バスがやってきた。漢字で「JTB旅物語ニュージーランドベストハイライト9日間」の札がかけられていた。まさしく日本のゴールデンウィークに合わせたツアーである。
s-IMG_4557.jpg
↑JTB旅物語ニュージーランドベストハイライト9日間」
s-IMG_4556.jpg
↑ホテルに横付けされたクルマ
 クルマを走らせる。8号線を北上。3.4キロ走ったところでジョギングしている男と遭遇する。こんなところで走るとは気持ちがいいだろうが何かあったらどうするのだろう。みたところ最小限の装備しかしていなかった。
 羊がいる。牛がいる。そう、ここは牧畜の国ニュージーランドだ。
s-IMG_4560.jpg
↑ニュージーランドの道
 9時35分、プカキ湖が見えた。その美しさに「うわ~」と声を上げた。反対車線にマウントクックが見える休憩所があった。しかし入り口を通りすぎてしまい、やむえず道路上をスイッチターン。カーナビに「できる時、法律上のUターンをして下さい」と変な日本語怒られた。
s-IMG_4564.jpg
↑プカキ湖
 休憩所にはすでに中国人のツアー客が先乗りでたむろしていた。彼らもおそらくマウントクックを目指すのだろう。
s-imgs4585.jpg
↑休憩所から見るマウントクック
 続いて10時頃、8号線展望所にやってきた。観光パンフレットで見たことのある風景だ。天気が良くマウントクックはよく見え、これ以上は望めないだろう。しかしここでも逆光で記念写真は苦労する。
s-IMG_4594.jpg
↑8号線展望所からみるマウントクック
 さらにクルマは北上し、11時にマウントクックトレッキングの出発点ホワイト・ホース・ヒル・キャンプ場White Horse Hill Camp Groundに着いた。本当はここから少し離れた地域の拠点にあるDOCビジターセンターで有料マップを手に入れたかったが、結果としてそれは必要なかった。
s-IMG_4607.jpg
↑マウントクックを目指して走る
s-IMG_4608.jpg
↑ホワイト・ホース・ヒル・キャンプ場
 ここまで106.3kmの走行。外気温は17度とある。この気温であれば、ダウンジャケットは不要どころか、汗をかいてしまうだろう。
 11時10分、靴紐を堅く締めて、フッカーバレートラックHooker Valley Trackのトレッキングを開始する。案内表示によると片道1時間半の行程だ。
s-IMG_4610.jpg
↑トレッキング開始
 歩き始めてまもなく、着てきたジャケットは暑くて、ジャケット横のチャックを開いた。
 道は基本砂利道で橋のところは板となる。吊り橋が3カ所あり、狭い上に結構揺れる。20人以上は超過重量となる。
 ところどころにルックアウトポイントがあり、そこではマウントクックがよく見える。中国人は記念撮影ばかりしている。
 天気はいいので不満を述べるのは間違いなのだが、常に逆光なのは写真撮影上具合が悪い。太陽の動きを見ると夏になれば、天頂寄りに太陽が通るので順光となるだろう。ただその時は気温が上がりすぎて、雨またはかすむ可能性がある。何しろこのマウントクックは年間のうち晴天は140日前後しかないという。今日は強運を喜ぶべきだろう。
s-IMG_4615.jpg
↑トラッキング途上の湖
s-IMG_4617.jpg
↑緩い階段もある
s-IMG_4647.jpg
↑吊り橋を渡る
 中国人ばかりいると書いているが、日本人も多い。さすがにゴールデンウィークで今年は休日の並びがいいので、遠方の旅行が好調だそうだ。高齢者は団体や、ガイドをつけての人が多いが、自由旅行の人も結構いる。かくいう私もその一人だ。男性一人で来てるのも5人はいた。同類はどこにでもいるものである。
s-IMG_4651.jpg
↑まもなくマウントクック
 12時25分、小さな湖が見えたと思ったらそこがトレッキングの終着だった。ここから先は登山用の装備がないと入ることができない。テーブルに座って記念撮影。フラッシュがうまく光ったが、顔がテカってしまった。そして食事。スーパーで買った水とキットカット。それとニュージーランドで人気のクッキー。買ったビスケットは量が多く、森永マリーのようなシンプルな味なので飽きてしまい、半分以上残してしまった。
s-IMG_4652.jpg
↑ここがトラッキングの終点
s-IMG_4655.jpg
↑少々わびしい食事
 水辺に降りる。風が強く、寒さを感じる。しかしマウントクックの眺めはよく、座ってしまうとなかなか腰が上がらなかった。
s-IMG_4676.jpg
↑水辺に降りる
s-IMG_4680.jpg
↑水辺から見るマウントクック
 いつまでもそうしていても仕方がないので13時15分に出発。下りはさすがに足が速く、14時25分にキャンプに戻った。驚いたのはこのあたりの携帯電話の電波状況でほとんど4Gの電波を拾っていた。いったいどこにアンテナがあるのだろう。
 今夜はどこに泊まるのか未定だった。クライストチャーチに近づく形でルートを選定。8号線を南下し、海岸沿いのオアマルで泊まることにした。

6.オアマルへ
 15時10分に出発。
 北斗の拳に出てくるような山を見ながら小高い丘をひたすら走る。対向車も追ってくるクルマも少ない。時々通り過ぎる街も至って小規模だ。しかし小規模でも必ずあるのがガソリンスタンドである。
 16時30分、左に曲がり8号線と分かれる。
s-IMG_4719.jpg
↑ダム湖を左手に
s-IMG_4731.jpg
↑こんな道をひたすら走る
 名も知らぬ町の路肩に停める。歩き疲れたのか疲労していて眠気に襲われた。こんな時は休むに限る。ドアをロックして、シートを後ろに倒した。
 再び走り続ける。17時00分、2度目の休憩。休憩所とおぼしき駐車場に停めているクルマは私だけだった。近くにダムが見える。もしかしてこれまで左手に見ていたのはダム湖かもしれない。
 17時15分、KUROWを通過。このあたりはワインの産地らしい。KUROWは日本の「苦労」のように発音するのかと思うと面白い。
 まもなくオアマルOamaru市内に入った。一応、地球の歩き方に載っているモーテルをナビに入力したのだが、見当違いのところを案内された。
 道の真ん中に銅像がある市内の中心部をUターン。このあと食事をするので、中心部を離れるほどレストランは少ないだろうと考え、最初に見つかったモーテルに入ることにした。モーテルはVACANCYと赤い文字で点灯していれば空き室があるという意味になる。
 18時20分、Bella Vista Motelにクルマを停めた。観光案内所のようなレセプションにはニューヨーク・メッツなどで活躍した吉井元投手のような顔をした中国人が座っていた。館内設備の他、観光ポイントなどを説明してくれた。
 部屋は2階にある17号室をあてがわれた。このモーテルの特徴はドアがなく、廊下に面したサッシから出入りする点である。もちろんチェーンはないし、カーテンをしなければ外から丸見えである。ただ設備は優秀である。コーヒー紅茶用の湯沸かし器はもちろん電子レンジやトースター、ナイフフォーク皿の食器類もある。そうなるとスーパーでビーフを買って豪快にステーキを食べたいと思ったが、フライパンがない。
 浴室はシャワーのみでガラス戸で仕切られている。暖房便座はないが、部屋の上部に電熱ヒーターがある。それと珍しいのはタオルかけにヒーターがあることだ。
 部屋の空調は壁の低いところに埋め込まれている。一応の温度調節はできるようだが、オン/オフを繰り返すのでかなりうるさい。
s-IMG_4749.jpg
↑オアマルのホテル
s-IMG_4747.jpg
↑裏口のような入口
s-IMG_4738.jpg
↑室内
s-IMG_4740.jpg
↑室内設備
 とにかく食事である。ところがレストランがなかなか見つからない。ホテルの近くにあるマクドナルドとタイ料理レストラン、Fish&chips、SUBWAYとアイスクリーム屋。それとホテルに併設されたちょっと高級すぎるレストランだけだった。というかまだ19時にもなっていないというのに、ほとんどの店が閉まっていた。オアマル市は人口1万3千人。それくらいの人口しかないのだからある意味当然である。
 カウントダウンという大きなスーパーマーケットがあるので入ってみる。明日の朝食や晩酌用のワインを確保したい。入り口の長いスロープにはバイクに乗ったちょっと老けた不良少年2人組がいて「hello」と声かけてきた。当然無視した。
 ニュージーランドの本格的なスーパーは初めてだ。チーズやベーコンの種類が豊富だ。ただ価格は日本とあんまり変わらないようだ。牛乳は小さなパックはなく、最低でも1リットルだった。
 10個以下の買い物客が並ぶExpressというレジに並ぶ。レジの若い女性はチンというベルを鳴らした。ワインを買っているので年齢確認におばさんがやってきた。年齢は?50歳です。fifteenではなくfiftyである。
s-IMG_4758.jpg
s-IMG_4756.jpg
↑スーパーマーケット
 歩き疲れたので、結局最初に見つけたタイ料理のレストランに入ることにした。先客が一人いたのも安心材料だった。
 応対してくれたのはタイ人とは似ても似つかぬ、ディープパープルのイアン・ペイスのような顔をした眼鏡をかけた女性だった。お冷やはワインボトルに入れて持ってきた。最初に持ってきたのは半分しか入っていなかったので、改めて別のを持ってきた。タイ料理はトムヤンクンしか知らないのでそれにした。それとジャスミンライス小とシンガービールを頼んだ。トムヤンクンは辛くてあまり美味しくなかった。辛さをいやすためにライスを食べている感じだ。昨日は韓国料理、今日はタイ料理と、ニュージーランドに来たのに何のこっちゃわからないということになった。
s-IMG_4762.jpg
↑ワインボトルに入った水
s-IMG_4763.jpg
↑ビール
s-IMG_4764.jpg
↑トムヤンクン
s-IMG_4765.jpg
↑タイ料理レストラン
 ちょっと驚いたのは請求額だった。37.5ドル。トムヤンクンが25ドル、ジャスミンライスが3ドルなのはわかっている。しかしビールが9.5ドルとは高すぎないか。出されたのは小瓶で700円弱である。消費税の15%はニュージーランドの場合内税である。サービス料もここでは取られないだろう。レシートをもらっておけばよかった。
 20時15分ホテルに戻った。ワインとチーズとクルミの実で晩酌する。ワインは半分残した。0時前に寝る。
s-IMG_4767.jpg
↑晩酌用食材
6.オアマルからクライストチャーチへ
5月4日(水) 曇
 8時起床。港を望むオアマルルックアウトポイントという高台まで走る。往復約5キロの手軽なジョギング。ハーフパンツとTシャツでは寒気を感じる。ここの季節は秋なのである。
s-IMG_4772.jpg
↑市内中心部
s-IMG_4774.jpg
s-IMG_4782.jpg
↑白い建物が並ぶ
 ここオアマルはオアマルストーンという良質の石灰岩が産出しており、それを使った建物が市内に立ち並んでいる。ジョギング中も白い建物をみる度に撮った。ただそれぞれのいわれは予備知識がないのでわからない。走っていると踏切に出くわし、その近くに駅があった。ホームは3両程度の長さで、掲示された時刻表によると一日5本程度しかこない。
s-IMG_4784.jpg
↑踏切
s-IMG_4789.jpg
↑駅舎
s-IMG_4790.jpg
↑窓の内側に時刻表
 そのような歴史的建築物を抜けて、急坂を登る。このあたりは住宅地となっている。
s-IMG_4791.jpg
↑道を真っ直ぐに歩き
s-IMG_4796.jpg
↑坂を登った
 結構な急坂で体力を消耗した。Lookoutという展望地にたどり着いた。クルマが3台ほど停まっている。海に向かって歩いていると、犬に軽く吠えられた。まだ朝早いということもあってか、観光客はおらず、地元の人の犬の散歩道となっている。
s-IMG_4806.jpg
↑たどり着いた展望地
s-IMG_4803.jpg
↑有名都市の方向を示す
 確かにいい眺めで、地元の入り江を思わせる。しかし朝日が逆光で写真を撮ると海に浮かぶボートが真っ黒になってしまう。このニュージーランドの観光は終始逆光に祟られた。
 この地点は緯度は南緯45°6′39″。日本の北海道の稚内をちょうど赤道で対称にしたようなところ場所だ。ここはオーストラリアはもちろんアフリカの最南端喜望峰より南にある。これより南に行くにはニュージーランドをさらに南下するか、南米チリに行くしかない。おそらく自分の生涯で地球上の最も南に位置していることになるだろう。
s-imgs4809.jpg
↑オアマルLookout
 ホテルに戻る途中、歩道で親指を道路に突き出して立つ女性がいた。これはヒッチハイクのサインだ。アメリカでは禁止されているがニュージーランドでは認められているのか。
s-IMG_4815.jpg
↑ホテルに戻る
 シャワーを浴びて、荷造りをしてチャックアウト。ところがGPSナビを忘れていた。ベッドの上に置いてあった黒い毛布の上に、黒いGPSナビの入れ物があったので、カメレオンと同じ現象が生じていたのだ。もう一度鍵を借りて取り戻した。
 10時15分に出発。ここまでの距離。
 オドメータ13067km
 空港を出発してからの距離584Km
 テカポからの距離320.3km
 国道1号線を北上する。FMトランスミッターを持ってきたので、それにMP3プレイヤーを接続してBGMとした。地元のFMもいいが、聞き慣れた音楽を海外で聞くのもいい。太陽に向かって走っているので眩しい。サングラスを買っておいてよかったと思う。
 11時20分、オアマルから84.2km走ったティマルTimaruで給油。看板にはZとある。ニュージーランドではセルフ給油と聞いていたが、実際は店の人がやってくれた。料金は併設されているコンビニに給油機の番号を告げて支払う。
s-IMG_4820.jpg
↑給油したガススタ
 11時30分予期せぬことが起きた。追い越しをかけたときに、対向車からはねた小石がフロントガラスの右隅に当たり、ひびが入ってしまったのだ。車両保険は入っていて、しかもAVISは大手なので対応は大丈夫だと思うけど、不安な問題が生じた。
s-IMG_4832.jpg
s-IMG_4826.jpg
↑ヒビの入ったフロントガラス
 やがて筆者と同じ茶色のカローラが現れて追い抜いていった。運転手は初老の男性で、自分のペースに合っているのでこのクルマについて行くことにした。
 13時00分、Rollestonというところのマクドナルドを見つけたので休憩兼昼食。マクドナルドはまあ世界共通のフォーマットだが、ニュージーランドではナプキンはロール状であるなど、細部では異なる点もある。
s-IMG_4833.jpg
s-IMG_4836.jpg
↑マクドナルドで昼食
 レンタカー事故の事例などをスマホで調べていたので、出発は14時00分になった。
 14時45分、予約していたHEARTLAND HOTELに着いた。看板が小さく、しかも反対車線にあったので、回り道してホテルに入った。ホテルといってもモーテルでこの通りにはモーテルが林立している。
 オドメータ13319km
 空港を出発してからの距離835.8Km
 テカポからの距離133.9km
 ここはアップルワールドでなく直接予約していた。モーテルとはいえクルマは離れたところに置かざるを得なかった。
s-IMG_4845.jpg
↑ホテルに到着
 モーテルは一つの棟に宿泊設備が集中しているのでなく、宿泊部屋はいくつかの棟に分かれている。あてがわれた部屋はレセプションの真前である。カーテンを閉めないと丸見えなのは昨日のホテルと同じである。ドアはノブがなく、ノッカーのような取っ手を引くことで閉める。
 部屋は広く、キングサイズのダブルベッドがひとつと、窓際にソファーがふたつ。クッションが柔らかく座り心地がいい。テーブル付きの椅子とデスクもある。アメニティも高級ぽい。バスタブもちゃんとある。すこし古びているが高品質だ。クーラーらしきものはなく、温水ヒータのようなものがある。
 Wifiは名前と部屋番号をパスワードにして利用できる。いつも同じのを利用するよりも安全性は高いのでこれは評価できる。
 総じて中々いいホテルを選んだようだ。
s-IMG_4849.jpg
s-IMG_4850.jpg
s-IMG_4848.jpg
↑ホテルの部屋

8.クライストチャーチ観光
 15時00分に外出する。日が暮れるまでの短い時間だがクライストチャーチの市内観光する。まずは観光用の路面電車が走っているので、その停留所を目指すことにする。クライストチャーチは2011年の2月に大地震に襲われ、歴史ある建物が数多く倒壊した。その崩壊箇所は更地になってとりあえず駐車場で使っているところが多いが、数少ないところでは再建工事が始まっているようだ。しかしまた半壊状態な建物を壊しているところもあり、フェンスに囲まれて解体を待つ姿は痛々しい限りだ。
s-IMG_4855.jpg
↑ホテルの前の通り
s-IMG_4857.jpg
s-IMG_4858.jpg
↑歩行者信号用押しボタン
s-IMG_4859.jpg
s-IMG_4860.jpg
↑外見は普通でも立ち入り禁止の建物が多い
s-IMG_4865.jpg
↑空き地では再建工事が始まっている
s-IMG_4869.jpg
↑ニュージーランドのパトカー
s-IMG_4866.jpg
↑トラムの停留所
 停留所にやってきたものの、電車がなかなか現れず、線路沿いを中心部に向かって歩いた。
 クライストチャーチは自転車がよく走っている。レンタル用の自転車もいくつか提供されており、QRコードから専用アプリをダウンロードすることにより30分までは無料、それ以上は課金というシステムになっているらしい。
s-IMG_4925.jpg
↑レンタル自転車
 トラムは地元の足ではなく、完全に観光客に特化したもので、車両の真ん中はオープンデッキになっている。さらに商店街の店先のギリギリを通ったり、アーケードの下をくぐり抜けるといった趣向を凝らしている。あえてスピードを出さず、終電装置もレトロなポール式を採用している。
s-IMG_4870.jpg
↑ニューリージェントストリートは店のギリギリを通る
s-IMG_4874.jpg
↑この先のアーケードを目指し
s-IMG_4878.jpg
↑アーケード内に電車が停まる
 観光用なので、秋になると17時頃に運転を終えてしまう。トラムの運賃は20ドル。これを買っておけば一日何度でも乗れるが、今は時刻は16時10分であと50分しか乗れない。しかし一回りするのは十分な時間だろう。
 アーケードの下にある駅に止まっている電車に乗り、年季の入った車掌から切符を購入する。この電車に乗って元の駅に戻るまで乗り続けることにした。このトラムに乗れば、ニューリージェントストリート、カセドラルスクエア、震災後にコンテナを仮設商店街にしたリ・スタート、追憶の橋、カンタベリー博物館と観光スポットを素早く巡ることができるのだ。
 8人ほどの客を乗せて出発。40分ぐらいで一巡りする。
s-IMG_4881.jpg
↑電車に乗り込む
s-IMG_4916.jpg
↑オープンデッキに座る
s-IMG_4892.jpg
↑リ・スタート
s-IMG_4905.jpg
↑カセドラルスクエア
s-IMG_4908.jpg
↑チェスに興じる人たち
s-IMG_4921.jpg
↑ニューリージェントストリートに戻る
 ニューリージェントストリートのKIWIというおみやげ屋に入る。全体的にテカポの店より安い。店員のおばさんも愛想がいい。
s-DSC_0308.jpg
↑お土産のぬいぐるみ
 地震で崩壊したカセドラル大聖堂の跡地を見に行ったあと、カードボード・カセドラルという仮説大聖堂に足を向けた。この建物は日本人建築家坂茂が設計した。もう暗くなっているし、道路を隔てての撮影となるのであまりいい絵にならなかった。
s-IMG_4928.jpg
↑倒壊した大聖堂
s-IMG_4934.jpg
↑仮大聖堂
s-IMG_4937.jpg
↑中でミサ?をやっていた
s-IMG_4938.jpg
s-IMG_4947.jpg
↑街の中のオブジェ
 夕食はホテルザ・ジョージの中にあるペスカトーレ・レストランに行くことにした。ここまでニュージーランドならでは食事は全くしていないので、最後の晩くらいはラム肉料理で締めたい。
 ホテルザ・ジョージに着いて、レストランに入った。そこがペスカトーレだと思ったがそうではなくて、50 BISTROというホテル内で中級のレストランだった。ワインはロゼにして、前菜は省略。スープは日替わりにして、メインはラム肉のステーキにした。あとはパンを持ってきてくれと頼んだ。欧米ではパンと水はただ、と思っていたからである。
s-IMG_4965.jpg
↑ホテルザジョージ
s-IMG_4958.jpg
↑日替わりスープ
s-IMG_4959.jpg
↑ラム肉のステーキ
s-IMG_4960.jpg
↑パン
s-IMG_4961.jpg
↑コーヒー
s-IMG_4964.jpg
↑左手下層の灯りが50 BISTRO
 結構人気のあるレストランらしく筆者が飲み食いしている間にどんどん客が増えた。料理は見た目に多少の奇抜さがあるものの、とても美味しかった。人気があるはずである。パンはごく普通のを持ってくると思っていたが、ちょっと凝ったパンであった。すっかり満腹でとても勧められるようにデザートいただく余地はない。
 ちょっと離れたところに一人の白人の女性客がいた。楽しそうにギャルソンと会話している。一緒に食事したいと思った。
 ホテルに戻る。Twitterで時間つぶしのあと風呂に入る。
s-IMG_4966.jpg
↑当時のガソリンの価格
s-IMG_4976.jpg
↑ニュージーランドの通貨

9.いったんシンガポールへ
5月5日(木) 曇
 6時45分、枕元の日本ではほぼ見かけないTEACの目覚まし時計にあるUSBポートに差したSAMSUNGスマホの目覚ましが鳴って起きる。
 シャワーを浴びて頭を洗い、白いものが目立つ無精ひげを剃った。
 朝食は昨日買ったオートミールを食べ、何故か冷蔵庫にあった牛乳とインスタントコーヒーを飲む。オートミールとかビスケットは歯にカスが残るのが難点だ。
 このところ忘れ物を連発しているので念を入れて確認した。
 居心地のいいホテルなのでもう一日ぐらいいたいがそうはいかない。8時にチェックアウトする。
 はじめは空港と逆方向にあるZというガソリンスタンドを目指した。しかし市内方向は渋滞していた。歩道には通学の学生が歩いている。女子学生は緑のジャケットにタータンチェックのスカートで品性がある。小学生はスケートボードに乗っているのが多い。
 脇道に入ってコの字でターンするも、右折禁止でできず元の道を再び走り、ナビの指示通りに走ってようやく空港に向かった。途中BPで給油。ニュージーランドはセルフもあるが、入れてくれる場合もあるらしい。今回は2回入れてくれた。燃料計がなかなか満タンに針が指さず結構焦る。
 ナビの指示がどうもおかしい気がしたので、道路標識の通りに走った。確かに空港に近づいたが、途中で標識を見失って、わけのわからないところに出てしまった。やっぱりナビの指示通りが正しいのかと思い、そのようにしたが、空港からどんどん離れていき、どうやら重機のレンタル業者に向かっていた。ナビにクライストチャーチと英字を打ち込むのは面倒なので、スマホのグーグルマップに頼った。さっき通った道であった。環状交差点を間違えずに右に曲がれば、クルマを借りた場所に戻ってきた。
 オドメータ13341km
 空港を出発してからの距離857.7Km
 オアマルからの距離273.7km
 クルマを借りたときのおばさんが立っていた。小石が飛んできてフロントガラスが割れたと説明すると、「よくあることだ」という感じで処理してくれた。名前と電話番号、E-MAILアドレスとサインするだけでよかった。何やら複雑な権利が書かれているようだが私の英語力では理解できなかった。こんなトラブルもあろうかと、大手のレンタカーAVISを選んでよかった。さらば茶色のカローラ!でもEメールを聞かれたということは、もしかすると請求があるかもしれないとあとになって考えた。なにしろクレジットカードの番号はAVISがわかっているのでいくらでも請求できるからだ。
 チェックインカウンターには誰も並んでおらず、数分で手続き完了。預けた二つの荷物は関空まで届けられることを念押しした。
s-IMG_4983.jpg
↑空港出発ロビー
 ニュージーランドの出国申請書を記入。観光客の場合、名前とパスポート番号国籍を書くだけで、サインすら必要でない。
 保安検査はシンガポール航空の乗組員が優先。私よりあとに並んでいた中国人がそれを無視し、先に並んでいたことを暗黙の理由に前にいたアルバニア人を追い越した。ほとんど並ぶこともなく順調だった。ただペットボトルはだめで、飲んでから廃棄せよと言われた。喉は乾いていないが少しだけ飲んで捨てた。
 9時40分出国審査。34番ゲートに向かう。免税店のほか簡単な飲食設備だけ。あとはゲーム機があった。自販機の横を抜けるとVIEWING Deckというのがあったのでいってみる。ガラス張りの眺めの悪いデッキには警備員が二人座っているだけだった。事実上、喫煙室として使っているみたいだ。
s-IMG_4990.jpg
↑珍しい自販機
s-IMG_4987.jpg
↑出発ゲート
s-IMG_4992.jpg
↑ゲームコーナー
 乗り込みが始まっているゲートの前で、家に電話する。まだまだ前払いの通話料金が残っているので自宅に電話する。ちょうど朝食を食べているところだった。こっちの事情を知らないからこちらが長電話しようとしても切ろうとする。
s-IMG_4996.jpg
s-IMG_4999.jpg
↑飛行機に乗り込む
 10時30分に乗り込む。機体はB777-200ERで3列X3。後ろに座席がなく、トイレも近い。隣は30代の白人夫婦。男はキウイがちりばめられたシャツを着ているからニュージーランド人ではないかもしれない。
 まずはドリンクが振る舞われた。ジンを頼んだが通じなかった。ジンはティーに、ウォッカはウォーターに聞き間違えられやすい。しようがないので赤ワインにした。
 12時30分機内食。フィッシュを選んだ。タイガービールにバニラアイスクリーム、チーズですっかり満腹になった。
s-IMG_5002.jpg
↑1回目の機内食
 ここでトイレに行く。13時30分、シドニー上空。隣の女性がB6程度の手帳に細かい文字でなにやら記録を始めた。その後男性も同じことを始めた。何者だろうか?
 かく言う私も機内ではポメラで旅行記の記述に専念した。どうやらバリ島は今日明日で書けそうにない。
 16時00分、飛行機がオーストラリアのど真ん中アリススプリングス上空に差し掛かったところで、時計をシンガポール時間に合わせる。ちょうど現地では12時00分である。あと5時間。ニュージーランドからシンガポールまで10時間とは長く感じる。
 14時00分ようやく隣の男がトイレに行った。女性はまだだ。あれだけアップルジュースを飲んでいるのに膀胱が大きいのか。
 15時00頃2度目の機内食。チキンを選んだ。チョコレートケーキが美味だった。再びワインを飲む。
s-IMG_5008.jpg
↑2度目の機内食
 トイレは結局4回行った。前の男は電子辞書をさわっている。電子辞書に「見出し語」という日本語を見つけた。彼は日本人だとわかった。
 赤道を越えた頃、16時40分、まもなくシンガポールに着陸とアナウンス。
 ニュージーランド時間ではもう20時40分である。アルコールも入り、さすがに眠い。着陸態勢では電子機器も使えないので、目を瞑り瞑想する。
 17時19分にチャンギ空港に着陸した。
s-IMG_5010.jpg
↑シンガポールに到着
10.シンガポール市内へ
 シンガポールではバリ島やニュージーランドで手に入れることができなかったNOKIAの端末を入手すべく、シンガポールに一時出国し、地下鉄で市内まで行くことにしていた。
 入国カードの滞在先はホテルに泊まらないので「TRANSIT SIGHTSEEING」と書いた。係官は帰りの航空便名を書いていた。
 こうして受託手荷物はそのままに、身軽な格好でシンガポール市内に向かうことにした。市内へ出るには地下鉄に乗るのが一番早い。シンガポールのSuicaといえるEZ-LINKは最終使用から8年を経過しているので、チャージは失効していた。改めて購入するために窓口に並んだ。中国人は機械で切符を買うのに慣れていないので、窓口に並んでいる。しかし窓口の人に「機械で買え」と怒られていた。
 その点私はez-LINKをスムースに買えた。12ドル。しかしシンガポールに来る機会は今後もそれほど多くない。ez-LINKを買うよりも普通乗車券を買うほうが無駄にならない。ちょっと考えが足りなかった。
 18時20分、地下鉄に乗った。隣に立っているビジネスマンをみると、LINEをやっている。胸にはブラックベリーを入れている。言語はタイ語のようであった。
 バリ島、ニュージーランドでもそうだが、スマホを使っているのを横目で見ると、一番多いのはメッセージ、その次にゲーム。そして動画である。これは日本でもあまり変わりがない。
 3回の乗り換えでFarrer Parkに着いた。シンガポールの地下鉄は日本と同じで乗り換え通路が長く、かなり歩かされる。ここに来たのは近くにあるムスタファセンターという何でも屋があって携帯電話が安いと聞いたからだ。万引き防止のため店外で鞄のチャックをインシュロック。店内に入ると、電話屋はすぐに見つかったが、品ぞろえが薄すぎる。スマホにしても大して多くない。これは期待はずれと思いつつも、店内を偵察した。むしろ食品の方が主力なのでは感じてしまうほど充実していた。低級百貨店というところか。
s-IMG_5014.jpg
↑ムスタファセンターのある通り
 失意のうちにムスタファセンターを出ると、目の前に携帯電話屋があった。そこにはNOKIAがあった。ついに見つけたとショーウィンドーを見る。しかし欲しいNOKIA301がない。隣も店にもNOKIAがあったが、そこにもなかった。大橋巨泉に似た店員に聞いてみた。すると彼はそれは古いモデルだといい、NOKIA230がおすすすめだ、と言った。しかしこれは使える電波はGSMのみで3Gには対応していないのではないかと思った。彼は手持ちスマホで「NOKIA230 vs 310」と入力し調べてくれた。すると230は3Gには対応していないことが明らかになった。しかし彼は粘った。私のソフトバンクのSIMを抜き取って、230に挿入し、電波を受信できるとアピールした。それは日本で使えることを保証できるものではない。しかしNOKIAの携帯電話を単にさわってみたい気持ちがあったし、日本で使えないと分かっても、ヤフオクで売却すればいい。第一何も買わなかったら、わざわざシンガポールに来た意味がない。そのように考えて私は購入に踏み切った。120シンガポールドルだった。日本円なら約9000円。カウンターの中に入って、クレジットカードのPINを入力した。
 20時40分、Farrer Parkを後にする。シンガポールの電車は座席が少なく、真ん中は撤去されている。帰りは別ルートで帰った。シンガポール地下鉄の地上駅では昔の風呂屋の脱衣場のように天井に大きな扇風機がある。
s-IMG_5017.jpg
s-IMG_5020.jpg
↑シンガポール地下鉄の車内
 駅に着いた。EZ-LINKの残高を確認。13.28ドル。結局これは失効することになりそうだ。スカイトレインでチャンギ空港ターミナル3に到着。
 シンガポールを出国。わずか5時間ほどの滞在だった。チャンギ空港は旅客の利便性を考慮して、保安検査は各ゲート前で行われていて、出国するといきなり免税店で買い物ができる。
 22時30分、プライオリティパスの使えるラウンジに入った。ビュッフェがあるのでビール付きの食事。だがそれほど食べなかった。
s-IMG_5025.jpg
s-IMG_5024.jpg
↑ラウンジで休憩
 それにしても眠い。クライストチャーチの時間からすればもう3時か4時なのだ。徹夜しているのと同じだ。目をつむってしまうと眠ってしまいそうだ。寝過ごして、飛行機に乗り遅れては大変なので、早い目にゲートに移動することにした。ゲートにいれば、航空会社の人が起こしてくれるだろう。そんなわけで17番ゲートに移動。関空に向かう便なので、日本人が過半数。しかも家族連れが多い。深夜だというのに子供たちは元気だ。
 0時25分、すでに保安検査が始まっている。ソファーに座り、買ったNOKIAの端末を使ってみる。最近のスマホではできなくなった電源オフ状態でからのアラームが鳴る。次に空港の無料Wi-Fiの登録。コード番号がSNSで受信できた。これでソフトバンクSIMが外国で他の端末で使えるのが分かった。
 もう少しいろいろ試したいが、もう出発時刻である。1時頃乗り込んだ。
 40H席。隣はタイ人の女性。パスポートでそれがわかった。機材はA330-300。
 1時20分、機体は動き出した。ここまで書いたところで眠気全開。耳栓にアイマスクをして眠りに入った。
s-IMG_5026.jpg
↑機内は日本人が多い

11.関西空港に到着
5月6日(金)
 日本時間6時45分。男性客室乗務員に左肩を叩かれた。機内食の時間である。朦朧とした意識の中、サーモンを選んだ。鮭の照り焼きは大きな固まりでこれは結構うまかった。隣のタイ人もそれを食べていた。
s-IMG_5028.jpg
↑機内食
 食べて目が覚めたので旅行記の執筆。
 8時15分、あと30分で着陸とのアナウンス。ここからは電子機器は使えない。機内でかつては禁煙の表示をしていたところは、そんなことは当然だろうといわんばかりにplease turn off electronic devices(電子機器の電源を切って下さい)という表示になっている。予告通り、右手に和泉山脈を望みながら、8時44分関西空港に着陸。
 ここで隣のタイ人が日本語で「シンガポールはお仕事ですか?」と声をかけられた。キーボードを叩いていた私を日本のビジネスマンだと思っても無理からぬこと。しかし彼女にとっては勇気がいることだったろう。「タイは日差しが強いです」。私がサムイ島に行ったことがあるというと、「日本人はあまり有名でないでないところにどんどんいくのですごいです。私はそんな勇気はなくてありきたりのところばかりです」と言っていた。もっと話をしたかったが、8時52分に接岸し話は終了。
 9時7分に入国。日本に帰ってきた。筆者の29回目の海外旅行はここに終了した。
 荷物が出てくるのを待っている間、スマホと携帯電話のセット。スマホはSIMが裏表逆に挿入されていた。もしかするとニュージーランドで動かなかったのはそのせいかもしれなかった。携帯電話はバリ島ではあれほど何回もSIMの再挿入を繰り返したのに、あっさりと電波を捕まえた。NOKIAに入れて使えるようにしたのがよかったのか。せっかくソフトバンクにどなりこもうと思ったのに、そうせずにすんだ。
 9時30分税関突破。衣類を入れた方の鞄を開けさせれた。中には食べかけのビスケットが入っていて「おみやげですね」といわれた。携帯電話については何も聞かれずホッとする。
s-IMG_5035.jpg
↑関西空港に帰ってきた
 南海電車でりんくうタウンへ。外は雨が降っている。駅の近くのシークルというショッピングセンターにある「りんくうの湯」へ行く。一度ここに来たかったのである。長旅の疲れを癒すのにちょうどいい機会だ。
 荷物は預かってくれた。客は5人程度だが、旅行者は少ないようだ。しかし帰るときにフロントを見ると10数個のトランクを見たから、あとからきたのかもしれない。素利用で620円、フルセットで970円の価値はあるとは思う。ただ泉質は平凡である。
s-IMG_5039.jpg
↑りんくうの湯
 自宅に戻ったのは12時過ぎだった。

12.ニュージーランドの印象
 ニュージーランドの滞在はわずか4日であった。本当はクイーンズタウンとかミルフォードサウンドとか行きたかったのだが、レンタカーに乗ることは既定路線だったので、クライストチャーチからクルマで無理なく行ける、テカポとマウントクックに絞った。テカポの星空は昼間に雨が降って星が見えるがどうか心配だったが杞憂に終わった。さすが晴天確率の高いテカポだと感心した。マウントクックの秋は晴天の確率が低いのだが、これもいい天気だった。1時間半のトラッキングなんて何ともなかった。海外旅行の場合、再訪が難しいので、天候に恵まれたのは幸運だった。あとはクライストチャーチの市内観光。半日しか観光できなかった主要なところは回ることができた。レンタカーから見た風景の美しさは忘れられない。ニュージーランドの魅力が十分に濃縮された旅行だった。ただ食事面はニュージーランドらしい料理を食べていないのでそれは心残りであった。

↓今回のニュージーランド旅行を15分でまとめた動画


バリ島ニュージランド旅行~序章篇~

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:旅行

バリ島旅行記2016 [旅行]

まえがき
 この旅行に行くことになった動機は「バリ島ニュージランド旅行~序章篇~」を参照して下さい。
バリ島ニュージランド旅行~序章篇~

1.まずはシンガポールへ
2016年4月27日(水) 雨
 仕事を終えた筆者は、トラブルに巻き込まれないように素早く帰宅し、関西空港に向かった。
 シンガポール航空の出発カウンターはH。列はさほどではなく、21時半に搭乗手続き完了した。まだ出発まで時間があるので3階を歩くも店は全て閉まっていた。
s-IMG_3815.jpg
↑関西空港出発カウンター
 入出国管理を突破するといよいよ日本を出国。ここからは日本であって日本ではない。免税店をブラブラ歩く。エミュレーツ航空のパイロットが札幌銘菓ロイズの生チョコのマイルドココアをまとめ買いしていた。口コミで美味しいことが広まっているのだろう。このマイルドココアだけが極端に減っていた。
2092_2.jpg
 その他誇らしげに「日本製」と貼られた電気炊飯器が並べられていた。この頃になると中国人の爆買いが収束していたので、物色する人はまばらだった。免税店巡りに飽きたのでシャトルで41番ゲートに向かいスマホで時間つぶし。Wifiが使えるがまことに遅い。床に目を落とすと、カーペットが汚れている。中国人の仕業か。
s-IMG_3818.jpg
↑「日本製」の電気炊飯器
 22時50分に機内に乗り込む。中の4列席の右側。隣はめがねをかけたシンガポーリアンの女性3人組。
 離陸前におしぼり。さすがシンガポール航空はサービスがいい。USB充電は当然としてヘッドホンは無料だし、機内設備も充実している。持ち込みDVDを見るための端子まである。
s-IMG_3821.jpg
↑飛行機に乗り込む
s-IMG_3823.jpg
↑充実の機内設備
 いつの間にか飛行機は離陸し、0時にはワインとピーナッツで乾杯した。といっても一人旅なのでグラスを持ち上げただけだ。旅立ちはうれしいものである。不安もあるが不安は押し殺すように酔って、まもなく眠りについた。
s-IMG_3826.jpg
↑ピーナツで乾杯

4月28日(木)
 日本時間3時50分。なにやらざわついて起こされる。アイマスクと耳栓効果で眠りは深かった。しかし眠いのは眠い。
 トイレは6分待ち。続いて機内食。ひざまずいたアテンダントが何を言っているのか聞き取れなかった。隣の女性客が「ソーセージ」と言ったので私もそうした。しかしワゴンにはなかったらしく座席に届けられたのは4時45分だった。
s-IMG_3827.jpg
↑機内食
 結果的にはソーセージにしてよかった。オムレツとポテトフライ。フルーツ。マーガリンでなくバターだった。アップルジュースはグラスだった。
 女性客には量が多いらしく残していた。もったいない話だ。世界の食料品の3分の1は食べられずに廃棄されているという。自分の老後の生活を考えたとき、残飯は家庭菜園の肥料にできないかと考える。
 機内照明が消えて、5時5分にシンガポールチャンギ空港に着陸。

2.シンガポールからバリ島へ
 まずはターミナル内無料Wifiのセッテング。スマホから電話番号を入力してSMSに送られてくるコードを入力すれば完了。
s-IMG_3828.jpg
↑チャンギ空港に到着
s-IMG_3830.jpg
↑床のパターン
s-IMG_3833.jpg
↑ターミナル内の日本庭園
 ターミナル2の店はこれから開店するところであった。ここでNOKIAなどの通話専用の携帯電話を手に入れるつもりだった。しかし家電売場にはスマホしかなく、しかも高かった。XPERIAが割と人気があるようだ。
s-IMG_3835.jpg
↑上から見た土産物店
 腕にはめていた電波時計の合わせ方がわからなかった。カシオのサイトをみると、説明書をダウンロードするには腕時計の裏の四角に囲まれた4桁の数字を入れよとあった。この数字が小さくてとても読みにくく、ダウンロードにとても時間がかかった。もう筆者も若くない。これからの旅行は老眼鏡か虫眼鏡が必要だ。
 時計を合わせるのに時間がかかり、バリ行きの保安検査が始まってしまった。7時20分にF50ゲートに向かった。保安検査はさほど厳重ではなかった。財布はポケットに入れたままでも反応せず。
 保安検査を終えるとガラス張りの部屋で待つ。ここには喫食設備などない。
 7時50分に乗り込む。さっきと同じエアバスA330-300だか微妙にシートピッチが狭いようだ。
s-IMG_3839.jpg
↑飛行機に乗り込む
s-IMG_3840.jpg
↑乗り込んだ飛行機
 座席は右通路側だ。隣はTシャツハーフパンツの白人男性で、私が座ろうとすると、軽く「ナウ」と言って先に座った。
 機体は8時35分頃に離陸したと思われる。はっきりしないのはその前に眠ってしまったからである。
 9時15分に機内食。今回はソーセージでなくシーフードを選んだ。ピリ辛で眠気覚ましにちょうどよい。
s-IMG_3841.jpg
↑機内食
 その後はインドネシアのガイドブックを読み、今日の行動を決定する。まずは両替してエアポートタクシーでウブドに向かうことにした。
 10時15分、間もなくバリデンパサールに到着するとのアナウンス。左後ろの日本人は花村満月の「惜春」を読んでいた。
 半時間後、飛行機の車輪が降りて、飛行機は雲の中に突っ込んでいった。バリ島が右手に見えた。10時53分、海に浮かぶ小舟に白波が寄せるのが見えると、デンパサール空港に着陸した。
s-IMG_3844.jpg
↑窓から見るバリ島(通路側から撮影)
s-IMG_3849.jpg
↑デンパサール空港に到着
s-IMG_3851.jpg
↑ターミナルビル
s-IMG_3852.jpg
↑床のパターン
s-IMG_3854.jpg
↑手荷物受け取り待ち
 手荷物はなかなか出てこず、スマホをいじる。無料のWifiがなかなか動作が安定せず、辛うじて自宅にメールを送れた。荷物をピックアップできたのは11時45分と遅かった。
 両替は空港のレートは悪いので1万円だけ両替した。1円=115ルピーである。大ざっぱにいって日本円の100倍と考えていい。
 まずはホテルを予約していたウブドまで移動しなければならない。はじめはホテルから送迎してもらうことを考えたが374000ルピーということだった。約3700円と高かったので、エアポートタクシーにしたのだ。事前情報では250000ルピーのはずだった。
 エアポートタクシーのチケットブースは到着ゲートを出てすぐにある。元々離れたところにあったのだが、タクシーの客引きが激しいのでここに移ってきたようだ。
 でも場所が違うように思えたので、いったん外に出た。タクシーの客引きを振り払うのが大変だ。
 やはりエアポートタクシーはここにしかなく、ウブドまで行ってくれというと、「フォーハンドレット・サウザント・ルピー」と言われた。つまり400000ルピーだった。これならホテルに送迎してもらった方がよかった。
s-IMG_3860.jpg
↑タクシーチケット売り場
s-IMG_3861.jpg
↑タクシーチケット
 売店を迂回するように外に出ると、青いポロシャツを着た運転手が待っていた。彼は荷物を引き取るとトランクに乗せた。チップを稼ぐつもりだろう。
 バリ島の天気はいい。私は英語は得意でないので会話が続かず、すぐに眠たくなった。
s-IMG_3863.jpg
↑ウブドを目指す
 バリ島は上空から見ると翼を閉じた鶏のような形をしている。バリ島の中心地デンパサールは、その鶏の足の付け根にある。筆者が目指すウブドは足からやや上にある腹の辺りになる。
 1時間半ほど走っただろうか。狭い道に入ったと思ったら、そこがウブドであった。予約していたChamplung Sari Hotelは猿の住むモンキーフォレストの近く、ウブド中心部の南端に位置する。急な坂を下り、もう一度登るとホテルがあった。運転手はチップを公然と要求。そのとき持っていた最も小額紙幣が20000ルピーだったのでそれをあげた。高い運賃に余計なチップで私のバリ島の印象は悪くなった。

3.ウブド散策と舞踊鑑賞
 Champlung Sari Hotelは南国らしい開放的な雰囲気で、客室はコテージとして独立している。レセプションで手続きしていると、ウェルカムドリンク。ただのオレンジジュース。一気に飲み干す。今回はアップルワールドで予約していたのでバウチャーを見せ、宿帳に書くだけだ。
 ペルボーイが部屋に案内してくれる。ちゃんと門があって外にバルコニーもある。
 ドアは内側の鍵もキーを使って閉める珍しいタイプ。これは初めて見た。バスタブがあるのはいい。ただしヘアドライヤーがない。あと客室金庫もない。
 タオルがどこにあるのかと思ったら、ベッドの上に鶴の形に畳んであった。さすが芸術の島バリ。芸が細かい。
s-IMG_3880.jpg
↑ホテル入口
s-IMG_3874.jpg
↑コテージの門
s-IMG_3875.jpg
↑さらにドアがある
s-IMG_3872.jpg
↑タオルはこんな感じ

 とりあえず外出する。外は暑い。日本の7月のようだ。ホテルに面している道路はモンキーフォレスト通りという名で、一方通行で比較的交通量が少ない。しかしバイクが多いので渡りにくい。レストラン、サークルKのようなコンビニ、観光案内所、伝統工芸品など何でもありそうだ。この旅行ではノキアの音声専用端末を手に入れるという目的があった。そんなわけで電話屋を探すが、この通りにはなかった。
s-IMG_3881.jpg
↑モンキーフォレスト通り
s-IMG_3882.jpg
↑サークルK
 徒歩圏内で行ける観光地としてまずはウブド王宮に行く。何やら工事中で興ざめしたが、あとで聞いた話ではこれは葬式の準備らしい。
s-IMG_3883.jpg
s-IMG_3895.jpg
↑ウブド王宮
 その後また北上し電話屋を探す。持ってきた「地球の歩き方」の地図は誤りが多いので、王宮近くの観光案内所に入る。地図は有料のようだ。カウンターの人に無料のはないかと聞くと、広告だらけの冊子を手に取り、このページを見よと、地図を示した。
 もうすぐ郊外に出ようかという丘を越えるところに、辛うじてAppleの店があったが、それだけだった。フィリピンでは電話屋は簡単に見つかったのにどういうことだと思いながらも、とにあえず本日の電話購入は諦めることにした。
s-IMG_3901.jpg
↑唯一のappleショップ
 プリ・ルキサン美術館PURI LUKISAN MUSEUMに入る。手持ちの古いガイドブックには入場料が50000ルピーとあるが実際は85000ルピーであった。その物価上昇の感じからするとさっきのタクシーチケットが値上がりになっていても不思議ではないと考えた。
 美術館は一つ一つ丁寧に見ていくと時間がかかる。最後の方は飽きたが、まあバリ美術はこういうものだというのはわかった気がする。木琴のような楽器を館の前で演奏していた。
s-IMG_3899.jpg
s-IMG_3905.jpg
s-IMG_3906.jpg
s-IMG_3917.jpg
↑プリ・ルキサン美術館
 今夜ウブドクロッド集会場でバリ舞踊があるのでそれに行くことにして、まずは腹ごしらえだ。日本語メニューがあるというDIANという店にした。日本式にA、B、Cセットがあって、私はBにした。計量カップのようなコップに紅茶が入っていて驚く。料理は要するにフライドチキンだった。しかしなかなかの味でこれが400000ルピーだからむしろ安いといえる。
s-IMG_3952.jpg
s-IMG_3953.jpg
↑本日の夕食
 少し早いが集会場にやってきた。地球の歩き方によると、ここで舞踊を披露するのはリッタデウィとし「リッタ・デウィはウブドで一番ホットな公園を見せてくれると評判。伝統舞踊やコンテンポラリーの踊り手として国内外で活躍中の女性舞踊家デウィさんが率いる新進気鋭のグループでメンバーはスターぞろい」とある。チケットは門の露天で売っている。大きな札しかなかったので、おじさんのポケットマネーからお釣りが払われた。
 開演は19時30分と時間があるので、サッカー場まで歩く。サッカー場とはいっても空き地に芝生というか雑草が生えているだけだ。しかしここは子供たちが実際にサッカーをしているから紛れもなくサッカー場である。
 多くの店の前の道端にはお供え物の花が落ちている。今でもバリ島の人々にとってバリ・ヒンドゥの信仰は生活の一部となっているのだ。
s-IMG_3947.jpg
↑お供え物の花
s-IMG_3939.jpg
↑朽ち果てた公衆電話
s-IMG_3940.jpg
↑奇妙な形をした土産物

 18時50分、集会場に入る。入り口にいた女の子が、筆者の帽子に小さな水仙のような花をつけてくれる。
 舞台裏を通って客席へ。客席は黒いパイプ椅子。先客は白人の夫婦二人だけだ。しかし前列は予約の紙が貼っていたので、まだ来るはずである。 講演の開始時刻が近づき、最終的には20人ぐらいの客だった。これはきっと少ないほうだろう。
s-IMG_3957.jpg
↑ステージ
s-IMG_3959.jpg
↑客席
 19時30分、腰巻きをつけた男性の楽団がガムランという民族音楽を奏でだした。
 最初はペンデットという女性4人組による花まき踊り。歌舞伎の三番叟のようなものか。続いてはバリスという青年男子の戦士の踊り。肩を上に上げ、足をがに股にして、歌舞伎の六法を踏むような動きをする。その次にレゴン・クラトンとい女性3人による優美な踊り。最初にチョンドンという女官を演じる一人の女性が踊り、そのあとにラッサム王とランケサリ妃を扮する女性二人が踊る。最後の女性4人の踊りは分からないが、頭に動物の耳のようなものをつけていたからトペンの一種かもしれない。踊りには物語があるのだが、日本舞踊のそれも理解できない私が、バリ舞踊のそれを理解できるはずはない。ただカッと見開いた瞬きもしない目の動き、ピンと伸ばしたまま複雑な動きをする指先。バリ舞踊の魅力は理解できた。見るだけの価値はあったと思う。20時20分に終了。
s-IMG_3962.jpg
s-IMG_3969.jpg
s-IMG_3970.jpg
↑バリ舞踊(動きがないと面白くない)
 観劇の帰りにコンビニでアンカーというビールとKACANG KULITという南京豆と胃腸を整えるためのブルーベリーヨーグルトを買った。
 部屋でそれを食べる。南京豆を剥くと日本のそれのように甘皮がない。食べるのは便利だが味は少し落ちる。
 まもなく酔いが回って、疲れた身体を横たえた。
s-IMG_3971.jpg
↑晩酌用食材

4.バリ島をバイクで駆ける
4月29日(金) 晴
 7時起床。朝食はレセプションとは反対側の別棟で、ドアは昆虫や小動物の進入を避けるために常時閉まっている。朝食用のクーポンを渡す。
 窓際の席は白人観光客に占領されていたので、中段に落ち着く。ヨーグルトが見あたらないが、一通りのものはそろっているし、味も十分だ。
s-IMG_3983.jpg
↑朝食会場
s-IMG_3982.jpg
↑ビュッフェの朝食

 部屋に戻ると、ベルボーイに声を掛けられた。日本語が少しできるようだ。今日は自転車で散策するつもりだったので、レンタル自転車の店はどこにあるかと聞いた。この下のモンキーフォレストの下にあるといったが、ウブドは坂が多いので自転車よりバイクがおすすめだ、そのバイクなら一日600000ルピーだと説明した。
 その後ロビーで地図を開いていると、またそのベルボーイがやってきて、観光ならタクシーを雇った方がいい、と言ってきた。
s-IMG_3985.jpg
↑ロビー
 検討の結果、バイクを借りることにした。周辺の散策よりもバイクで遠くまで行こうという話になった。しかしほぼ一本道で行けるキンタマーニは明日オプショナルツアーで行くので却下。デンパサール方面は渋滞に突っ込みに行って事故をもらうと嫌なのでこれも却下。結局世界遺産の棚田ジャテルウィを目指すことにした。ただ問題は地図で見てもかなり複雑なルートを通る必要があるということだ。この筆者のスマホ契約ではインドネシアではローミングができないので使えない。つまりはグーグルマップが使えない。慣れない外国で道路標識も十分でないバリ島で目的地まで行き着けるのか不安に感じていた。
 10時15分、バイクに乗って出発。バイクというよりスクーターで、青いホンダのVARIOという車種だ。排気量は125ccらしい。ヘルメットは貸してくれた。免許の確認はしなかった。そもそも免許は必要ないのかもしれない。インドネシアは左側通行なので、さほど違和感がない。ただしクルマの運転は荒いので注意しなければならない。s-IMG_3986.jpg
↑借りたバイク(HONDA VARIO)
s-IMG_3989.jpg
s-IMG_4001.jpg
s-IMG_4002.jpg
s-IMG_4006.jpg
s-IMG_4007.jpg
s-IMG_4008.jpg
s-IMG_4014.jpg
↑沿道風景(どこなのかは不明)
s-DSC_0131.jpg
↑使ったGPSロガー
 最初は順調だったが、途中で怪しくなって、引き返した。あとでGPSロガーを見てみると、Mengwi付近のかなりいいところまで行っていた。そのまま西に向かえば目的地にたどり着いたかもしれない。
 引き返しを決めたのはいいが、今度は来ていた道が分からなくなった。かなり北のサンゲェSangheに近づいてようやく誤りに気づいた。ガソリンはもともと半分しか入っていなかったので、給油した。並んでいるバイクのあとについて待つ。給油は店の人がやってくれる。インドネシアは産油国なのでガソリンは安い。ガススタでトイレも借りる。便器の外に水を溜めた桶がある旧式だった。
s-IMG_4009.jpg
↑ガススタ
 14時15分頃、クモンKumonの水色の看板を見かけた。日本の算数塾はインドネシアまで進出しているのか。
s-IMG_4013.jpg
↑算数塾KUMON

 完全に迷子になりどうしようもなくなり、近くの携帯電話屋に駆け込んだ。やっぱり電話は諦めていなかったので、まずはNOKIAの端末があるか聞いた。するとNOKIAよりSAMSUNGがおすすめだとスマートホンを持ってきた。通話専用のはないのかと聞くと、中国製のがあった。試しに手持ちのSOFTBANKのSIMを入れてみた。画面が乱れ、電波を捕まえれないようだ。
 最後にここの現在位置を聞いた。彼はスマホのグーグルマップを起動させた。現在地はたちどころにわかり、ウブドまでの道も分かった。意外に近くにいる。その地図をカメラに撮った。これで帰れる。チップをあげて退散。
s-DSC_0293.jpg
↑筆者はここにいた
 まもなくタクシーでウブドに来るときに通った道にでた。これでほぼ間違いない。
 もう15時だが朝食で隠し持ってきたチーズを口にしただけで、ほとんど何も食べていない。COCOMARTというスーパーを見つけた。そこでトーストと牛乳、アイスクリームで栄養補給。ここで問題発生。スクーターの鍵穴をふさぐシャッターが開かなくなったのである。実はこのシャッター機能のあるバイクに乗るのは初めてだ。解除方法は悩まされた。10分ほど悩み、キーについている六角形の型をキー穴に差し込んで回せばいいことがわかった。
s-IMG_4018.jpg
↑入ったスーパー
s-IMG_4015.jpg
↑初体験のシャッター付き鍵穴

 問題は解決したが、渋滞に遭遇。車がバックしようとしているのに、我先にとクルマがすり抜けていくのが原因だった。誘導員もいるがまるで役に立っていない。
 その5分後モンキーフォレストにやってきた。そうホテルに帰ってきたのである。
 情報によるとここからやや離れたところにあるプリアタンPeliatanに電話屋が並んでいるというので行ってみた。ある確かにある。ただしSAMSUNGの看板をあげているのが多い。NOKIAと書いている店に入ってみる。お目当てのNOKIA301はなく低級の105しかなかった。これは日本では使えないのがはっきりしている。結局バリ島では目的のNOKIA端末は見つからなかった。
s-IMG_4028.jpg
↑唯一NOKIAがあった店
バリバイク.gif
↑無駄が多い本日のバイクの動き(ループしてます)
 16時40分ホテルに戻る。その足でモンキーフォレストの猿を見る。猿は人見知りはしないので近づいてくる。

↑モンキフォレストの猿
 このホテルにはプールがある。かなり深いのと浅いのがある。深いのは水が常に補給されて、温泉の源泉掛け流しのような状態である。白人のグループがプールサイドでくつろぐのを横目で見ながら、ひたすら背泳ぎで泳ぐ。20分ほど泳いだ。プールからあがるとさっきのグループからシャッターを依頼された。
s-IMG_3975.jpg
s-IMG_3977.jpg
↑ホテルのプール

 風呂に入って、19時前に町に繰り出す。モンキーフォレストを通り過ぎたところにあるPETANIで夕食。Pork RibとGoatCheese。それと赤ワイン。これが結構旨かった。目の前にステージがあるが、今日のシンガーは来ないのか片づけられようとしていた。
s-IMG_4050.jpg
s-IMG_4051.jpg
↑本日の夕食
s-IMG_4048.jpg
↑演奏されることのなかったステージ
 スーパーで買い物して21時15分ホテルに戻る。
 BINTANというビールとアーモンドで晩酌。日付が変わる前に寝る。

s-IMG_4054.jpg
s-IMG_4053.jpg
↑スーパーの品揃え
s-IMG_4039.jpg
↑夜のウブドの街(刺青屋)

5.キンタマーニなどバリ島観光ツアー
4月30日 曇
 7時前に起きた。ソフトバンクの携帯電話の電源が切れていた。おかしいと思って再投入すると、SIMカードが入っていないとのこと。しかし何度も抜き差ししたものの、ダメだった。もしかすると、昨日、携帯電話屋で中国製の安い端末にSIMを挿入したことにより、おかしな情報が書き込まれたのかもしれなかった。
 説明を忘れていたが、筆者の携帯電話は2台持ちで、1台は格安SIMの入ったスマホ、もう1台は音声通話のみのソフトバンクのガラケーである。格安SIMの場合、海外でのローミングができない(と思う。もしできたら教えてほしい)ので、海外でプリペイドSIMを買って、現地の電話会社の電波を捕まえる。ガラケーの方はソフトバンクのままローミングで使う。電話料金が高いし、着信でも料金が発生するので、これは緊急用としている。
 8時15分にチェックアウト。
 今日はVELTRA社を通じて「ブサキ寺院+ティルタエンプル+ゴアガジャ遺跡 パワースポット貸切観光ツアー<現地ガイド日本語可/キンタマーニ高原絶景レストランのインドネシア料理食べ放題ランチ>」ツアーを予約してあった。バリ島のヒンドゥー教に関する主要な観光スポットとキンタマーニ高原を巡り、空港まで送ってくれる。特に私はバリ島に行ったらキンタマーニに絶対に行こうと決めていた。その理由は簡単で名前が非常に印象的だからである。男ならば絶対行かねばと思った。
バリ島観光.gif
↑この日の観光ルート
 8時25分、ツアーのガイドさんに流暢な日本語で話しかけれた。
 ツアーの客は私だけで、つまり貸し切りツアーである。運転手さんとガイドさんはどちらも男性。ガイドさんはブリーさんという。「魚のブリで覚えて下さい」とのことだった。いや本当の発音は違うのだが、覚えやすいのでそうしてもらっているという。
 ウブドのモンキーフォレスト通りを北上する。一昨日昨日と散々歩いたところだ。
 クルマはスズキのAPVという車種で、これはスズキが東南アジア向けに開発したもので日本では走っていない。このバリ島ではごくまれにドイツ車や韓国車を見かける程度で、ほとんどすべてといっていいほど日本車だ。ただしオートマチックミッション車はまだ普及しておらず、一昨日のタクシーも今日の送迎車もマニュアルミッション車だ。
s-IMG_4056.jpg
↑スズキAPV
 8時40分、まずはゴア・ガジャ遺跡Goa Gajahにやってきた。
「ゴア・ガジャ」は「象の遺跡」という意味であるが、バリ島には象は生息しておらず、動物の象を指すだけではなく「大きいもの」も意味することから、「大きな洞窟」と名付けられたという。
 細い階段を下ると泉が見えた。バリの人たちはここで身を清めるのだという。しかし水の流れがないので苔で満たされ汚れている。
s-IMG_4062.jpg
↑身を清める泉
s-IMG_4073.jpg
s-IMG_4068.jpg
↑洞窟
 続いて顔の形をした洞窟の中に入る。香の臭いがたちこめる。その奥の方にお地蔵さんのような彫刻がある。それには赤、黒、白の布が掛けられている。この赤黒白はヒンドゥー教で重要な色で、それぞれ次のような意味がある。
赤  BRAHMA ( ブラフマ )
     火と創造の神様  生き物を作る

 黒  VISNU ( ヴィシュヌ )
     水と維持・繁栄の神様  生き物を守る

 白  SIVA ( シヴァ )
     風と破壊の神様  生き物が増えすぎないように破壊する
s-IMG_4072.jpg
↑お地蔵さん?のようなもの

 境内には大きな木がある。その木には精魂が宿っているという。こういった信仰は日本の民間信仰と同じだ。
 白人の観光客は腰巻きを巻いている。この腰巻きはサロンといって、こういった神聖な場所では肌を露出することは厳禁なので、短パンを履いている人はこれを身に付けさせられる。
s-IMG_4075.jpg
↑何の木がわからないけど大きな木

 9時24分、ティルタウンプル寺院 pura tirta Empulに着いた。ティルタエンプル寺院(ティルタウンプル寺院・Tirtha Empul)は、ウブドの北、タンパクシリンにある寺院で「聖なる泉が沸く寺院」として、有名である。伝説によるとこの寺院に沸く泉は962年に発見され、魔王マヤ・ダナワと戦ったインドラ神が、大地を杖で突き不老不死の水アメルタを沸きださせた場所とされている。
s-IMG_4106.jpg
↑入口にある貸し出し用のサロン
 寺院の外には、寺院内に沸く泉の水を引いた沐浴場があり、祭礼の時には多くのヒンドゥー信者がここで沐浴(ムルカット・清めの沐浴)をし、寺院でお祈りを捧げる。また、この泉から沸く聖水は、無病息災の力があると信じられており、ペットボトルやポリタンクを持って聖水をいただきに来る人も多くいる。
 バリの人たちにとってはパワースポットであり、実際腰まで水に浸かりながら、湧き出た聖水を浴びている。合計20箇所くらいで水が湧き出ているが、それぞれで叶えられる願いが違うという。
s-IMG_4092.jpg
s-IMG_4097.jpg
↑沐浴場
 別のところでは地元の人たちが何か祈祷をしている。白い衣装はバリ人の正装だが、ヒンドゥー教の僧侶もそれを着るという。ちなみに僧侶はここでは暮らしておらず、必要な時にやってくるという。この場所には我々観光客は入れない。
s-IMG_4099.jpg
↑只今祈祷中
s-IMG_4100.jpg
↑立ち入り禁止の看板
 ふと山の上を見ると、立派な近代的な建物がある。これは大統領の別荘だそうで、小泉元首相もここに招待されたという。
s-IMG_4104.jpg
↑大統領の別荘
 10時、SW AGROという観光向けのコーヒー農園にやってきた。ここではコーヒーの無料試飲がある。しかし最大の目玉はジョコウネココーヒーだろう。私は全く予備知識がなかったのだが、ジョコウネココーヒーとはluwak coffee(ルアク・コーヒー)ともいわれていて、完熟したコーヒーの実を食べた野生のジャコウネコの糞から採取される、未消化のコーヒー豆から作られたコーヒーである。ジャコウネコが食べたコーヒーの実の果肉部分は消化されるが、コーヒー豆になる種子の部分は消化されずに糞とともに排出される。このコーヒー豆がジャコウネコの腸内の消化酵素や、腸内細菌による発酵作用によって、独特な香りと味わいになるという。メスよりもオスの方が高く、また飼育されたネコより野生の方が高いのだそうだ。ちなみにネコといってもジャコウネコはイタチに近い。ジョコウネココーヒーは東京で飲むと1杯8000円はするという。
s-IMG_4117.jpg
s-IMG_4119.jpg
↑ジャコウネコ
s-IMG_4121.jpg
↑これがジャコウネココーヒー
 しかしここでは約500円で飲めてしまう。ちなみにオスだと800円だが、そこまではいらないと思ったのだ。
 眺めのいいテラスで小分けされたコーヒーを飲む。筆者はコーヒーとか紅茶は大好きなので、全部飲んだ。だが中には甘いのもあって閉口した。
s-IMG_4131.jpg
s-IMG_4134.jpg
↑小分けされたコーヒー
 さてジャコウネココーヒーはサイホンにより抽出される。これは本格的だ。飲んでみると、さすがにコクがあって美味しい。問題があるとすれば、あくまでウンコなので特に女性に抵抗があるのではということ。この農園は日本人ご用達らしく、他にも3グループほど日本人観光客がやってきている。3人の年配の女性グループはジャコウネココーヒーを飲んでいた。気にしない人は気にしないのだ。
s-IMG_4139.jpg
↑ジャコウネココーヒー
 ブリさんと少し話をする。最近は日本人観光客がめっきり減って、仕事が減ったという。職を変えようかと弱気なことをいっていた。これは自分にはどうすることもできない。
s-IMG_4141.jpg
↑ブリーさん登場
 インドネシアのスマホがサムスンが多い。ブリーさんのはマイクロソフト、つまりノキアである。彼はミクロソフトと言っていた。あと日本ではほとんど見かけないブラックベリーも健闘している。
 さてジャコウネココーヒーをお土産にと思ったが、やはり元がウンコと知った時点で特に母などは拒絶反応をするのが目に見えていたので購入を見合わせた。
kintamani.jpg
↑いよいよキンタマーニへ
 さらにクルマを走らせた。11時、ついにキンタマーニにやってきた。 このあたりは標高1500m。涼しく感じる。Batur Tengah通りにある展望台からバトゥール山が見え、麓にはバトゥール湖が広がる。バトゥール山は富士山に似ている。これは絶景といっていいだろう。しかし物売りのオバサンがうるさく興ざめする。徹底無視する。しかしガイドさんが彼女から果物を買って、私にくれた。ブリーさんによるとキンタマーニとは「北にある湖」という意味らしい。この湖はバリの人々の水甕である。
s-IMG_4157.jpg
s-IMG_4164.jpg
↑ここがキンタマーニだ
s-IMG_4171.jpg
s-IMG_4172.jpg
↑物売りから買った果物
 11時49分、ブサキ寺院pura besakihにやってきた。五重の塔のような建物があって何か日本の寺院と雰囲気が似ている。それもそのはず、ブサキ寺院は、もともと8世紀ごろまでは仏教徒の修行の場であったという。隆盛を極めて衰退した後、20世紀に入った頃から復興が進んでバリヒンドゥー教の聖地となり、多くのバリ人の心のより所となった。今も重要な祭典などもこの寺院で行われ、お供え物を頭に乗せて参拝する人が絶えない。その賑わいを見るためにバリ島の代表的な観光地となっているのだ。
 ここでは午前中に行ったゴア・ガジャでもそうであったが、バリのヒンドゥー教で信じられている破壊神シヴァ、繁栄神ヴィシュヌ、創造神ブラフマのヒンドゥー三大神が中心に祀られている。それぞれの神を意味する白、黒、赤の3色の幟がはためいている。この日も何か分からないが法事のような行事があるらしく、どこかの家族か一族か祈りを捧げていた。
s-IMG_4188.jpg
↑プサギ寺院
s-IMG_4209.jpg
↑お供え物
 バリ島の人は日本人と同じでお祭り好きだなと感じた。ブリーさんによると、最近はバリ人も会社勤めの人が増えて休みが取りにくくなり、こうした行事が平日にやりにくくなってきたという。これは日本も同じだ。
 またここは特に神聖な場所であるので、異教徒の私はジーパンであってもサロンを巻くことになっている。これはガイドさんが用意してくれていた。12時17分にそこを去った。
s-IMG_4182.jpg
↑寺院外ではサロンを売っている
 12時37分、Mahagiri Panoramic Resort & Restaurantにやってきた。ブリーさんによると「田圃を見ながら食事できます。大統領もお気に入りです。」と言っていた。昼食は出発後にキンタマーニかここかどちらでも選べる融通の利くツアーで、私はこちらを選んだというわけだ。
s-IMG_4218.jpg
↑レストラン入口
 席は一人掛けのテラス席が用意されていた。ウエイトレスがやってきて飲み物は何になさいますかと聞く。コーヒーと紅茶はツアー料金に入っていて無料だがそれ以外は有料なのだ。私はミックスジュースを頼んだ。ツアーの説明ではインドネシア料理ということで、ナシゴレンやミーゴレン、チャンプルやサテといったものである。ビュッフェなので好きなだけ皿に盛っていい。まあ無難な味で特筆すべきところはないが私には十分である。隣はオランダ人の夫婦。何故かこのレストランは白人と日本人が中心で、中国人が少ない。道理で上品な感じがするはずだ。このままこの路線を続けて欲しいものだ。
s-IMG_4219.jpg
↑店内
s-IMG_4231.jpg
↑料理
 さて景観だがなんといっても棚田が見事だ。棚田は日本にも存在するが、このバリ島は温暖な気候と豊富な水のおかげで年間に3度稲を収穫できる三期作にできる。だからほとんどの時期で青々とした稲を見ることができる。ただし、棚田の見栄えをよくするために、三期作とするのは農家にとっては負担になるので、政府が補助金を支給しているという。
s-IMG_4222.jpg
s-IMG_4236.jpg
↑棚田
 13時37分に出発。
 対向車が来たらどうするの、という感じの細い山道を下り、トゥガナンTengananにやってきた。ここはバリ島の原住民が渡来した仏教やヒンズー教に改宗するのを拒んだ人々が、集団を形成して、異教徒との交流を避けて生活していたところだ。ただ、時の流れは逆らいようもなく、この村だけで自給自足の生活は難しくなり、周辺のバリ人との混血が進み、村人の生活も変わらなくなっている。
s-IMG_4241.jpg
↑細すぎる道
s-IMG_4256.jpg
s-IMG_4255.jpg
↑トゥガナン
 村は階段状に建物が造られていて、全体として素朴な雰囲気である。ただテレビアンテナは立っているし、おそらく携帯電話も持っているだろうし、子供はバイクを乗り回している。村の人口は減っているらしく、静かな雰囲気である。
 この村の収入源はアタと呼ばれる籐製品や、ダブルイカットと呼ばれる独特の高級織物である。しかしここで売られているものは値札はなく、おそらく観光客にはふっかけるつもりなのだろう。実際あまり売る気はないらしく、その商品の多くは埃をかぶっていた。薄い木の皮にキズをつけて黒曜石で色づけした巻物は、村人でデモンストレーションしてくれている。バリ島の地図やバリヒンドゥのアイコンなどが描かれていて、食指が動いたが、どうせふっかけられるだろうし、一度見ただけでどこにいったかわからんという多くの土産物のひとつになる可能性大なので、写真を撮るにとどめた。
s-IMG_4250.jpg

↑バリマップを作った
 本来のツアーの日程では、このあとはどこか適当なレストランで食事をしてからバリ舞踊を観劇して、ホテルへ送ってもらって終了となる。しかし私の日程は22時発の飛行機に乗らねばならず、20時に空港に着いていなければならない。そもそもバリ舞踊はすでに見たし、夕食は空港のラウンジで済ますつもりだった。
 海沿いの道を走りながら、ブリーさんは「どこに行きましょうかね~」という。このままだと17時前に空港に着いてしまう。私はバリ島の最南端の岬に行くことを提案したが、そこに行く時間はないという。それに提携している店があるので、どこでも自由に行けるというわけではないらしい。
 そこで考えたのがマッサージである。バリ島といえば、特に女性の間ではエステが人気がある。私は男性なので肌の荒れは、歳のせいだと簡単に片づけられるので全く気にしないが、まあマッサージならいい時間つぶしなるのではないかと、ブリーさんに提案して了承された。
 クルマが走っているところは、バリ島随一の主要幹線道路で夕方ということもあって渋滞気味である。バス停は何故か駅のプラットホームのように高いところにある。
 16時45分、それでも時間が余るので、ギャラリアという免税店に寄ることにした。かつてはこうした免税店はブランド物を買い漁る日本人女性であふれていたが、今や中国人だらけで日本人はいるのかどうか分からない状態だ。免税店であるので、地元の人は買い物できず、航空券とパスポートを示し登録する必要がある。
 免税といっても高級品なのでTシャツ一枚買っただけだった。これがバリで買った唯一の土産物となった。
 ここでは30分の買い物した。
s-IMG_4280.jpg
↑バリ島のギャラリア
 ギャラリアからわずか3分走ったところでクルマが停まった。どうやらここでマッサージをするらしい。Galuh Bali Spaという店であった。
 入り口は日本の鳥居のようになっていて、JCBカードが使える。つまりターゲットは日本人であることを示している。こういうところは清潔で安心感はあるが、品質は中級程度であることが多い。
 マッサージは一番安い60分コースにした。今から思えば90分にしてもよかったが、ブリーさん達を早く解放させたいと思ったのだ。
 料金は先払いである。クレジットカードのブランドはJCBしか表記されていなかったが、ブリーさんが何でも使えるはずといったとおりの結果で、VISAでも全く問題なかった。
s-IMG_4293.jpg
↑入口
s-IMG_4281.jpg
↑待合
s-IMG_4286.jpg
↑日本語の注意書き
s-IMG_4287.jpg
↑マッサージのベッド
 ブリーさんに写真を撮ってもらったりして待っているうちに、マッサージ担当者とおぼしき女性が現れた。
 ベッドとシャワーのある小部屋に案内されると、ガウンに着替える。盗難防止のため、着替えはロッカーに入れ、鍵は身につけておく。マッサージ中は身動きがとれないので、これは必要な措置だろう。
 マッサージ自体は平凡で、日本で受けたタイ式マッサージの方が利いている感じがする。技術からすると4500円という値段設定は高い印象だ。マッサージを終えるとシャワーを浴びた。しかしヘアドライヤがないので、その旨をつたえると、別の部屋に連れて行ってくれた。ただしブラシがないので、手櫛となりヘアスタイルは絶望的になった。
 18時39分、ブリーさんお待たせしましたと、クルマに乗る。
 19時前空港着。ブリーさん達に別れを告げた。もう少し感動的なお別れをしたかったが、非常に素っ気ないものになった。
s-IMG_4295.jpg
↑ここでブリーさんとお別れ

6.さらばバリ島
 デンパサール空港はヒンドゥー教のイメージなどないほど、とても近代的だ。
s-IMG_4299.jpg
↑出発ゲート
 ヴァージンオーストラリア航空のブリスベン行きのカウンターはすでに長蛇の列ができている。
 ようやく筆者の番が来た。このヴァージンオーストラリア航空のブリスベン経由のクライストチャーチ行きは、Tripstaという代理店を経由して手配した。メールには、「この領収書とパスポートをチェックインカウンターにお示しください」とある。しかしこの日本語が係員が読めるのかと疑問に思っていた。案の定、係員は英語のはないのかという。こんな場合に備えて、出発前にヴァージンオーストラリア航空のウェブサイトにアクセスして英文搭乗者情報を印刷してあった。しかし私が英語の部分と予約番号を指し示すことで理解できたらしく、英文資料は出番がなかった。
s-IMG_4301.jpg
↑出発カウンター
 チェックインが完了したのは19時55分。空港に来てから1時間を経過していた。
 保安検査と出国審査を抜けてセキュリティーエリアへ。非常にきらびやかで、シンガポールのチャンギ空港よりは落ちるものの、関空よりは雰囲気は上だ。
s-IMG_4298.jpg
↑ターミナルビル内
 紙幣はすべて日本円に両替した。バリ島ではみやげを買うつもりはなかったので、本屋でニュージーランドの道路地図を書った。小銭をここで一部を残してすべて使い、残りはクレジットカードで払った。ここで買った地図は、現地ではGPSナビやスマホが活躍したので出番がなかった。
s-IMG_4303.jpg
↑この日の為替レート
 20時45分、中2階にあるラウンジに入った。プライオリティパスの使えるラウンジは今やお金を払えば利用できるところであり、高級感は全くなくなってしまった。しかしこれはある意味当然である。
 さてここでは食事をするつもりだった。しかし昼食を食べ過ぎたせいかあまり食欲がわかず、少し食べただけにとどまった。
s-IMG_4306.jpg
s-IMG_4305.jpg
↑ラウンジ
 ここでは何をしていたのか思い出せない。書き物をしていたような気もするし、繋がりの悪いWifiに悪戦苦闘しながらスマホをいじっていたのかもしれない。
 21時35分、10番ゲートにやってきた。ゲートにはおそらくオーストラリア人と思われる人たちが椅子に座ったり、床にジベタリアンしながら待っている。家族連れも多い。
 飛行機は沖止めでランプウェイバスで移動する。ちょうど私のところでバスは満員となってしまい、立って待っていなければならなかった。深夜とはいえ発着数が多く、業務用車両が右に左に動いている。
 待つこと15分、やってきたバスに乗る。
 暗闇にVirsinの赤い垂直尾翼が浮かんでいた。タラップは2本あって、私は後ろから乗るように指示されていた。
s-IMG_4314.jpg
↑ヴァージン航空機
 機体はボーイング737-800で左右3列ずつ。筆者は通路側で右隣は赤ちゃんを連れた若い夫婦であった。窓側の男性が子供を抱き、母親は希望者に配られたWifi端末で機内エンテを楽しんでいた。
 機内は消灯し紫色の光が妖しく輝いていた。22時15分に離陸した。
 機内はほぼ白人という感じでまるで異物のような日本人は私だけのようであった。
 一秒でも早く寝たい気分だが、飲み物のサービスが始まるまで座席を倒すこともできない。
 23時に機内食。朦朧とした意識の中で食べた。
s-IMG_4315.jpg
↑白人が目立つ機内
s-IMG_4316.jpg
↑機内食
 食べ終わるとすぐに睡眠に入った。
 さらばバリ島。

 続きは「ニュージーランド旅行記2016」をお読み下さい。
ニュージーランド旅行記2016


7.バリ島の印象
 筆者は2009年の極東ロシア旅行記に書いたように、バリ島への航空券を購入しながら「求めているものがそこにない」という理由で、キャンセルした経緯がある。それなのに何故バリ島に興味を持ったかといえば、2015年のフィリピン旅行がきっかけだ。そこで一緒に泊まった日本人客から「バリ舞踊は見るべき価値がある」と言われたからだ。それ以来「そうなのか」と思いつつバリ島へ行く機会を伺っていたのだ。
 そうして、やってきたバリ島だが、最初に割高なエアポートタクシーに乗ったので、もう一つ印象が悪かった。しかし時間が経つとなかなかいいところだと思うようになった。昼間は暑いが夜は涼しいし、物価が安い。左側通行や宗教的概念など何か日本とよく似たところがある。インドネシアで最初にリゾート開発された島なので、観光客を扱い慣れているので、リゾートで長期滞在にも適していると思われる。その芸術性に魅せられて白人の移住者も多い。正直、筆者もここで暮らしてもいいとも思った。
 ただクルマの運転が荒いのと、社会インフラが清潔感に欠けることが難点だ。それに医療の面はどうしても不安を感じてしまう。さらにブリさんによると地震は結構あるらしい。やはり暮らすとなると日本人は日本で暮らすのが一番いいようだ。
 当初予定にはなかったことであったが、バイクで走り回ったのは面白かった。結局目的地には到着しなかったが、どうしても到着しなければならないところではなく、とりあえずの目標だったから問題はない。帰国後、125CCのスクーターの魅力にとりつかれ、購入を検討することとなった。
 このバリ島旅行はニュージーランドの日程を削ってでも来た価値はあったと思う。次回は豪華なリゾートホテルでのんびりしたいものだ。海辺でデッキチェアに座り、トロピカルアイスティーを飲みながら本を読む。そんなことを夢想している。



nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:旅行

バリ島ニュージランド旅行~序章篇~ [旅行]

barinzl.jpg
↑左=バリ舞踊 右=ニュージランドテカポの夜空

 2016年5月の大型連休はとてもいい並びになった。
 4月     5月
 29日 30日 1日 2日 3日 4日 5日 6日 7日 8日
 金  土  日  月 火  水 木  金  土  日
 昭          憲  み こ

 すなわち、5月2日と6日を休めば、10連休という空前の長期休暇が実現するのだ。これを利用して海外旅行に行くことにした。それも行ったことのない遠くへ行きたい。有力候補はニュージーランドであった。南半球は5月は秋であり紅葉が綺麗だろうし、日本と同じ左側通行なのもレンタカーを利用する上で気楽だ。ヨーロッパはISのテロに巻き込まれる危険があることから除外した。南米は10連休でも日程的に不十分だ。前年の12月には所属長の許可を得て、有給休暇の申請をした。ところが2016年の会社のカレンダーが発表され、5月7日土曜日は出勤日となっていた。これでは10連休にならない。その日を追加で休むのも考えた。しかし、長期休暇でいきなり出社して連日働くよりも、何とか頑張って出社して、次の日休んだ方が体調も維持しやすい。さらに帰国が集中する8日は航空券も高いだろうし、逆に4月29日よりも前に出発すれば少しは安くなるはずだ。また万が一滞在が延びた場合も対処しやすい。そんなわけで4月28日、5月2日、6日の3日間の休みを申請し了承を得られた。これでも9連休で壮大な旅行となろう。
 さてニュージーランドに行くことは決めたが、どのようにして行くかは決めてはいない。もっとも一般的なのは成田空港からニュージーランド航空の直行便を利用することだ。成田を18時30分に出発してオークランド経由でニュージーランド南島の拠点クライストチャーチには翌日の11時25分に着く。航空運賃は22万円前後だったと思う。中国南方航空の利用だと10万円台であったが、あの中国人と一緒に夜間飛行して快適な旅行になるはずがないという理由で選択枝になかった。同様にジェットスターのようなLCCの利用は意外と安くなかったことと、乗り遅れなどのリスクが高いのでこれを利用しないことにした。
 ただ成田発が遅い夕方というのは時間がもったいない気がした。筆者は関西人なのでできるだけ関空を利用したいという気持ちもあった。正規航空会社でもっと便利なのはないのか。
 考えているうちに、シンガポール航空を利用することを思いついた。シンガポール航空の接客設備がいいのはよく知られるところだ。これを利用する以上、シンガポール経由となるのは必然となる。だがそれがかえって好都合であることがわかった。
 筆者はインドネシアに行ったことがなかった。いや正確にいうとあるのだが、そこはインドネシアであってインドネシアではなかったのだ。どういうことかというと、筆者が行ったのはインドネシアのビンタン島だからだ。ビンタン島はシンガポールの対岸にある島で、シンガポールが主導して観光開発を進めたリゾート地だ。地元民とは接触しないようになっているし、シンガポールドルもそのまま使える。いわゆる治外法権的な島だ。だから、インドネシアビザを取得して入国したものの、まるでインドネシアに来たという実感はなかった。
 そんなわけでインドネシアに行くことにした。インドネシアでもっとも有名な観光地はバリ島で、最大の島ジャワ島であれば、経済的の中心でもある首都ジャカルタ、古都ジョグジャカルタというのが知名度の並びだろう。ジャカルタはISのテロがあったから除外、ジョグジャカルタもイスラム教徒の多い場所だから除外。ヒンドゥー教のバリ島なら大丈夫だろう。バリ島では数年前に白人の観光客相手に爆弾テロがあったが、海辺ではなく内陸部に泊まれば大丈夫そうな予感があった。
 バリ島に行くことはこうして決まった。バリ島のどこに行くかだが、バリ舞踊鑑賞は絶対にはずせないところだ。バリ島内陸部にウブドという都市があり、そこは古来芸術の都として機能していたという。宿泊はそこですることにした。またバリ島の北部にはキンタマーニという非常に魅力的な名前の山があるという。そこを含めたオプショナルツアーに参加することにした。
 またせっかくシンガポールに行くのだから、市内に出て、安い携帯電話あれば買おうと思った。当時使っていたソフトバンクのガラケーは使いにくく違うのが欲しかったからである。このガラケーについては当ブログでも記事を書いた。とにかく小さくて基本機能の充実したガラケーはもはや日本には存在しないのである。
 ニュージーランドはそこだけでも本来9日間でも足りないところである。北島のウエリントン、南島のクイーンズタウン、ミルフォードサウンドなどは諦め、南島最大の都市クライストチャーチ、夜空のきれいなテカボ、南島最高峰のマウントクックに絞ることにした。
 大まかにいって4月にバリ島、5月にニュージーランドという日程になった。また宿泊費をできるだけ抑えるため飛行機は夜行便を多用することにした。

※※※※日程※※※※

4月27日
 夜、関空を出発(シンガポール航空)

4月28日
早朝シンガポール着
昼過ぎ バリ島着
ウブド散策 宿泊

4月29日
ウブド周辺観光

4月30日
キンタマーニ高原オプショナルツアー
夜バリ島を出発(ヴァージンオーストラリア航空)

5月1日
朝オーストラリア・ブリスベン着
夕方ニュージーランド・クライストチャーチ着(ヴァージンオーストラリア航空)
レンタカーにてテカポに移動
夜テカポ着 宿泊

5月2日
昼、テカポ周辺散策
夜、テカポ星空ツアーに参加

5月3日
レンタカーでマウントクックまで移動
トレッキングにてマウントクックまで接近


(悪天候でマウントクックが見れない場合は変更となるため宿泊地は未定)

5月4日
レンタカーにてクライストチャーチへ移動
昼過ぎクライストチャーチ着
クライストチャーチ市内観光
宿泊

5月5日
午前クライストチャーチを出発(シンガポール航空)
夕方シンガポール着
シンガポール市内散策
深夜シンガポールを出発(シンガポール航空)

5月6日
朝、関空に到着

 航空券はシンガポール航空は航空会社から直接購入した。Denaトラベルでも同じ額面だったが、旅行会社を通すとキャンセルした場合、旅行会社にも手数料が必要なので損するからである。ヴァージンオーストラリア航空は逆に直接購入するよりも、Tripeという旅行会社を通した方が安かったのでそこを利用した。この会社はヨーロッパにあるらしく、支払いはユーロクレジットカードの手数料もこちらが支払うことになるらしい。予約画面は自動翻訳らしく日本語の表示がときどきおかしく、不安に感じた。しかし発行された航空券の予約番号をヴァージンオーストラリア航空の予約サイトに入力すると自分の名前が出てきたので安心した。
 バリ島の2泊とテカポの2泊は、日本の旅行代理店アップルワールドを利用した。これも直接予約するより安かったからである。クライストチャーチのホテルは直接予約の方が安かった。よく海外のホテルは個人情報入力時にセキュリティーがかかっていないことがあるので注意を要するが、予約したホテルはそんなことはなかった。
 5月3日の宿泊地はわざと決めなかった。ニュージーランドではモーテルが発達しているので「VACANCY」のネオンサインのあるホテルに入ればとりあえず泊まれるのである。
 このような準備を2月頃に終えて、出発の日を待つことになった。
BNZルート.gif

バリ島旅行記2016
ニュージーランド旅行記2016

時間がないので動画だけ見る
ニュージーランド旅行2016
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:旅行

広島東洋カープ25年ぶりの優勝 [野球]

 2016年プロ野球セントラルリーグ優勝は広島東洋カープだった。前年15勝した前田健太がポスティングシステムでアメリカに去り、戦力低下が予想され、Aクラスはともかく優勝は難しいのではないかというのが下馬評だった。
 例年、カープは交流戦を苦手にしていたが、他のセリーグの各チームが軒並み負け越す中、11勝6敗で乗り切った。4月に2000本安打を達成した新井は絶好調で、鈴木誠也という若手のスラッガーが飛び出した。緒方監督が彼の活躍ぶりを表現した「神ってる」は名文句になった。野手陣は前述の新井が、投手陣は日米通算200勝を達成した黒田が精神的支柱となった。外国人は広島で長いエルドレッドがまとめた。ジョンソンに野村の左右エースに豊富な救援陣。打線でも中軸を担う菊池、田中、丸の若いセンターライン、故障者が生じても埋まる分厚い選手層。若手、中堅、ベテラン、外国人すべてが噛み合った。前年は不思議な采配も見られた緒方監督も今年は采配がずばりと的中した。
 すべてがいい方向に向かい、他のセリーグのチームが決め手を欠く中、カープは勝ち進んだ。そしてマジック1とした9月10日、東京ドームジャイアンツ戦で優勝を決めたのだった。
 広島市内はカープの25年ぶりの優勝に酔いしれた。横浜市を本拠地にするベイスターズや千葉市を本拠地にするマリーンズが優勝しても、横浜市民や千葉市民がここまで熱狂するだろうか。あと10年時間が経過してもそうはならないだろう。首都圏に属するこの両市は東京の付録のようなものだからだ。もちろんそれぞれの市民には異論があろうが。
 さて、このカープが優勝できた理由は、広島からFAで一旦は出た新井と黒田が「広島を優勝させるために」帰ってきてくれたことが最大の理由だと思うが、彼らとて優勝の望みのない球団であれば、帰ってこなかったと思う。そうなる気持ちにさせたのは、2007年に新人ドラフトで逆指名がなくなり、クジ次第で好素材の選手が入ってくれるようになったことと、2009年に新球場に移転したことだろう。
 新球場はあくまでも広島市の所有だが、その企画立案においてカープ球団が関与し、プロ球団が使用することを前提とする球場であった。内野にも天然芝を敷いた、まるでメジャーリーグのような球場に仕上がった。旧広島市民球場は街の中心部にあって路面電車でのアクセスには便利だったが、遠方からの客を集めるには難点があった。その点新球場は広島駅から徒歩圏内で、JRを使ってより広範囲の集客が可能であった。東京からはるばるやってくるカープ女子の観戦にも便利になったのだ。このカープ女子の存在は営業面で大きなプラスとなった。筆者は思うにカープの赤いユニフォームが女子の心を刺激したのだと思う。これが「青」だったら成功していたかどうか。
 もともと広島は野球の応援スタイルの発祥地であることが多い。外野席からのトランペットによる応援歌演奏もそうだし、紙テープにかわるジェット風船もそうだ。この創造力の高さが、他の球団にないような球団グッズが作られ売れるようになったのだ。2004年の球界再編以来、ジャイアンツ戦のテレビ放映権料による球団ビジネスは崩壊し、球場の入場者とその広告看板、それと球団グッズが球団収入の柱になったのだ。この変化に対応できたカープ球団が次第に収支を好転させ、より選手の年俸に反映できるようになった。例えば黒田は年俸6億円と12球団最高だ。FA選手を引き留めることもできず、流出されるがままだったかつてのカープでは考えられないことであった。
 新球場効果で観客が増え、ドラフトで獲得した好素材を、伝統の育成技術で鍛える。この好循環により次第に戦力の整ったカープに、かつてのスターが戻ってきた。まさに今しかないというタイミングでカープは優勝したのだ。
 「今年だけはクライマックスシリーズはなしにしてほしい」とは短期決戦に慣れない広島ファンの気持ちだが、今の勢いなら、クライマックスはもちろん、日本シリーズも突破するのではないか。
 あまりにも出来過ぎたシーズンなので、来年は反動も大きく、とてもカープの黄金時代の到来とはいかないだろう。でも浮き沈みはしても、一度つかんだカープファンはカープを見捨てたりしないだろう。きっとまた夢を叶えさせてくれる筈だ。

nice!(2)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:スポーツ

独学で合格☆ファイナンシャルプランナー2級取得記 [資格]

s-DSC_0444.jpg
■■ファイナンシャルプランナーとは■■
 世の中、ないと困るものといったら何といってもお金だろう。もちろん空気、水、食べ物、住まい、知恵と勇気も必要だが、それは大災害が起きてどうにもならなくなったときだろう。東日本大震災のような大惨事で家が流出したとしても、お金があれば、すぐに生活を再建できる。平常時で政府が存続する限り、お金があれば何でもできるというのは、暴論かもしれないが、完全に否定することはできないだろう。だから人間は汗を流して働き、お金を稼がなくてはいけないのである。
 そんな大事なお金だが、できれば有効に使いたいのは当然考えることだ。お金でお金を稼ぐのはもっとも効率がいいからだ。しかし、将来自分の公的年金はどの程度もらえれるのか。足りない分の個人年金はどのようなのをいつからすればいいのか。万が一の保険はどうするのか。貯蓄にしても安全性を重視して銀行預金にするのか、高金利を狙って債券を買うのか、またリスクをとって株に投資するのか。また家を買うにしても、どのような返済計画とするのか。相続財産の税負担をできるだけ減らすにはどうすればいいのか。人それぞれに家族構成、収入が異なるので、適切な運用をしている人は果たしてどれくらいいるだろうか。
 そこでお呼びがかかるのかファイナンシャルプランナーだ。いわゆるお金の専門家。稼いだお金をどのように運用するのか助言する仕事で、国家資格となっている。しかし実際こんなことを相談する人がどの程度いるだろうか。ちょっとできる人なら、インターネットで情報を集めれば、適切に運用できるだろう。お金を払ってまでファイナンシャルプランナーに相談しようという人は多くいないだろう。職業として選ぶにはかなりの人脈がではないだろうか。
 だから筆者はファイナンシャルプランナーになりたくて、資格取得を目指すのではない。あくまでも自分の知識として頭に入れておいて、適切に資産を運用するためだ。
 そのファイナンシャルプランナー技能士は独立開業の資格としてよりも、銀行・保険など金融関連企業の社員のスキルアップに使われているのが現状だ。そのためファイナンシャルプランナーはその該当する企業に就職しているか、十分な実績ないと受検できない。ただそれは2級の場合であって、3級は誰でも受けることができる。そして3級に合格すれば2級の受験資格が得られる。
 よって門外漢の筆者は3級から受検することになる。

■■まずは3級に挑戦■■
 ファイナンシャルプランナーの特長は実施団体が二つあり、受験科目も3種類の選択となっているが、どれで取得しても「ファイナンシャルプランナー技能士」を名乗れることである。実施団体は日本FP協会と金財がある。金財はどうやら金融業界向け受験者のようで、自分のような門外漢は日本FP協会から受験するのが一般的らしい。実際、巷で売られている参考書は日本FP協会のが圧倒的に多い。だから受験科目は資産運用提案業務とした。
 3級は学科と実技に分かれている。学科は正誤応答問題と3択問題。実技といっても面接などではなく、源泉徴収票とか預金残高の資料を実際に用いて、適切な提案をする問題で、3級のそれは選択式になっている。
 まずは参考書の購入だ。手頃な資格なので、どれを選んだらいいのかわからないほど種類が多い。「これで合格」とか「この一冊でOK」とか、そういう言葉に惑わされないように、中身を吟味した。そうして選んだのがこの本だった。
「一発合格!FP技能士3級完全攻略実戦問題集」
 そして参考書として
「FP技能2・3級検定頻出用語速習ハンドブック」
 3級合格のあとはすぐに2級を取るつもりなので、参考書は2級3級両用にしたのだ。ちなみに「一発合格!」のタイトルに惑わされたわけではない。念のため。
51a2O2YRVNL._SX350_BO1,204,203,200_.jpg
↑一発合格!FP技能士3級完全攻略実戦問題集
51jVKy+kanL._SX341_BO1,204,203,200_.jpg
↑FP技能2・3級検定頻出用語速習ハンドブック

 そして過去問は「資格の大原」のサイトからダウンロードできるのでそれを利用した。
http://www.o-hara.ac.jp/osaka/syakai/fp/fp_mondai-kaitou_kan.htm
 隙間時間を利用して勉強するにはスマートフォンアプリを利用するのが一番いい。FPは受験者の多い資格なので、多数のアプリがある。無料とうたっていても、アプリ内で購入しなければならなかったりするが、だいたい500円台ぐらいだ。一番有効に活用できたのは「資格の学校TAC」が制作した「オンスクFP3級」というアプリだ。ただただ問題を解いていくだけでなく、ゲーム要素もあるので飽きない。
Screenshot_2016-07-17-09-55-16.png
↑資格の大原のファイナンシャルプランナー過去問
Screenshot_2016-07-17-10-16-45.png
↑スマホアプリ「オンスクFP3級」
 ファイナンシャルプランナーは以下の6つの要素に分かれている。
A.ライフプランニングと資金計画(年金)
B.リスク管理(保険)
C.金融資産運用(金融)
D.タックスプランニング(税制)
E.不動産
F.相続・事業承継

 は国民年金や厚生年金。国民年金は20年間納付しないと受給資格がないとか、遺族厚生年金と老齢基礎年金は併給させるとか、公的年金に関する問題だ。あとはファイナンシャルプランナーとしてできることは何かという知識も問われる。
問題例:
(1) 税理士資格を有しないファイナンシャル・プランナーが、顧客の求めに応じて行う 個別具体的な税務相談は、その行為が無償であれば、税理士法に抵触しない。
(4) 確定拠出年金制度の給付には、老齢給付金、障害給付金、死亡一時金があるが、所 定の要件を満たした場合には、脱退一時金が支給される。
(32) 65歳到達時に老齢基礎年金の受給資格期間を満たしている者が、70歳到達日に老齢 基礎年金の繰下げ支給の申出をした場合の老齢基礎年金の増額率は、( )となる。
1) 18%
2) 30%
3) 42%


 は生命保険、火災保険、傷害保険のように、家の大黒柱の死亡とか、想定外の事故に備える金融商品の知識を問われる。掛けている保険会社が倒産した場合の保険金の支払いはどうなるかといった問題もでる。生命保険に関しては、終身保険、定期保険、養老保険の3種類を確実に理解しておくこと。
(7) 払済保険は、現在契約している生命保険の以後の保険料の払込みを中止し、その時 点での既払込保険料をもとに、元の契約の保険期間を変えずに、元の主契約と同じ種 類の保険(または養老保険等)に変更するものである。
(10) 普通傷害保険は、国内での急激かつ偶然な外来の事故による傷害が補償される保険 であり、海外旅行中に発生した同様の事故による傷害は補償の対象とならない。
(36) 保険期間の経過に伴い保険金額が増加していく逓増定期保険は、( )。
1) 保険金額が増加するに従って、保険料も高くなる
2) 保険金額が増加する一方、保険料は変わらない
3) 保険金額が増加する一方、保険料は低くなる

 は金融資産を運用するための定期預金、国債、株式、投資信託、外貨預金などの知識が問われる。
(13) ETF(上場投資信託)は、上場株式と同様に証券取引所を通じて取引され、成行や 指値による注文も可能である。
(15) 東証株価指数(TOPIX)は、株価水準が高い値がさ株の値動きの影響を受けやすく、 日経平均株価は、時価総額が大きい株式の値動きの影響を受けやすいという特徴があ る。
(44) 米ドル建て外貨預金10,000ドルを円貨に交換する場合、為替レートがTTS=121円、 TTM=120円、TTB=119円のとき、その円貨の額は( )である。
1) 1,210,000円
2) 1,200,000円
3) 1,190,000円

 は所得税、法人税、青色申告などの知識が問われる。所得税は累進課税であること、配偶者控除など所得控除についての理解、法人税で損金算入できるのは何か、消費税の簡易納入者制度の理解。
(18) 勤続年数が20年を超える者が退職手当等を受け取る場合、所得税において、退職所 得の金額の計算上、退職所得控除額は、40万円にその勤続年数を乗じた金額となる。
(20) 納税者が本人と生計を一にする配偶者その他の親族の負担すべき社会保険料を支 払った場合であっても、社会保険料控除として、その支払った金額を総所得金額等か ら控除することができない。
(47) 年末調整の対象となる給与所得者は、年末調整の際に、所定の書類を勤務先に提出 することにより、( )の適用を受けることができる。
1) 雑損控除
2) 寄附金控除
3) 生命保険料控除

 は固定資産税や登録免許税、住宅ローン減税の利用条件など不動産に関する知識だ。
(21) 区分建物に係る登記に記載される区分建物の床面積は、壁その他の区画の内側線で 囲まれた部分の水平投影面積(内法面積)により算出される。
(25) 相続による不動産の取得に起因して所有権移転登記を行う場合は、登録免許税は課 されない。
(53) 都市計画法の規定によれば、市街化調整区域は、( )とされている。
1) すでに市街地を形成している区域
2) 市街化を抑制すべき区域
3) 優先的かつ計画的に市街化を図るべき区域


 は相続税、贈与税に関する知識だ。法定相続人とか税額控除額はよく覚えておく必要がある。
(28) 相続税の課税価格の計算上、初七日や法事などのためにかかった費用は、相続財産 の価額から控除することができる葬式費用に含まれない。
(30) 住宅取得等資金として両親から資金の贈与を受けた場合、「直系尊属から住宅取得等 資金の贈与を受けた場合の贈与税の非課税」の適用と併せて、相続時精算課税制度の 適用を受けることはできない。
(57) アパート等の貸家の用に供されている家屋の相続税評価額は、( )の算式によ り算定される。
1) 家屋の固定資産税評価額 ×(1-借家権割合×賃貸割合)
2) 家屋の固定資産税評価額 ×(1-借地権割合×賃貸割合)
3) 家屋の固定資産税評価額 ×(1-貸宅地割合×賃貸割合)

 3級の学科試験はこの6分野から5問ずつの正誤問題30問と、やや難しい計算問題を含む6分野から5問ずつの3択問題30問の合計60問で構成されている。
 実技は金財が実施する「個人資産相談業務」「保険顧客資産相談業務」、FP協会が実施する「資産設計提案業務」があり、それぞれ問題が異なっている。「資産設計提案業務」の場合、3択問題20問で構成されている。3級の場合、実技とといっても学科と大して内容は変わらず、具体的なキャッシュフロー表とか源泉徴収票、会社四季報、税額速算表、保険契約書などが用いられているだけである。
 勉強法としては、これまで受けた資格試験と大きく変わることはなかった。

1.過去問を予備知識なしにいきなりやる
2.間違えたところを参考書で調べて理解する
3.スキマ時間はスマホアプリで勉強する(今回はオンスクを利用)
4.もう一度過去問をやる
5.再度間違えたところをノートに書き出す。
6.書き出した内容をPCに打ち込み、音声読み上げソフトで録音し、移動時間中に聞く
7.Youtubeに講義のビデオがアップされているのでそれを視聴

 これらを繰り返すことにより、過去問は70%以上は正答できるようになった。勉強時間としては平日2時間、休日4時間を1ヶ月程続けた。ただし、筆者は怠け者なので毎日やっていたわけではない。1ヶ月と書いたが、それはあくまで最初と終わりの期間であって、実際はその半分ぐらいだろう。筆者の場合、小中高と社会科が得意で、その中でも政治経済は得意な方だったし、早くから投資信託や外貨MMFとかを実際に買っていたので、金融の知識は多少はあった。興味のある分野だったので勉強といっても一部復習の要素があったのかもしれない。

■■3級に合格■■
 2015年1月25日、ついに試験日がやってきた。会場は和歌山商工会議所。和歌山市役所の隣にある。受験票には自動車、自転車、バイクの乗り入れ厳禁と書いてあった。しかし日曜日で市役所は休みだし、駐輪場が開放されているのを知っていたので、自転車で行った。
s-KC4A0079.jpg
↑和歌山商工会議所
s-KC4A0078.jpg
↑会場案内
 会場の部屋の割り当てを見ると、2級が圧倒的に多く200人くらいの受検者だ。3級は一番狭い「特別会議室」一部屋だけで、受検者は50名程度だ。このファイナンシャルプランナーの試験はボイラーとか冷凍機器と同じで、その業界に従事する人の持っている知識を証明するためのものとなっているのだろう。2級なら金融業界に2年従事していれば受験できるからだ。
 そんなわけで肩身の狭い3級受験であった。部屋の受験者顔ぶれを見ると、確かに業界に無関係の力試し的な人が多かったが、中には保険関係の人もいるようだ。おそらくいきなり2級を受ける自信のない人が3級を受けているのだろう。年齢は40代が多いようで20代は5人ぐらい。女性も40%ぐらいいる。
 ファイナンシャルプランナーの試験は指定された座席に座ると、解答用紙であるマークシートにははじめから受験番号がマークされている。本人確認は免許証などを机に置いておき、監督官が試験中に巡回して確認する。受験票に写真を貼る必要もないし、何かと手間いらずだ。
 午前中は学科。10時に開始。日頃の勉強の成果が出て30分ほどで終了した。手応え十分で、11時に途中退出した。
 近くのファミリーレストランで昼食。隣の男も何か資格の本を開いていたが、そのページは動いていなかった。
 午後は13時30分から実技。実技といっても前述のように資料を実際に使う点が午前の学科と異なるだけで、学科の知識で解答可能だ。こちらも30分で解答を終えたが、途中退出ができず、目を瞑って過ごした。14時30分に退出。
 試験の模範解答はその日の夕方にFP協会のウェブサイトに公開される。試験問題は持ち帰りができて、書き込みもできるので、答え合わせが可能だ。
 結果は学科が75点、実技が85点。合格点は60点だから、余裕で合格した。
 約一ヶ月後、3級の合格証書が届いた。これで2級の受験資格が得られたので、早速5月の試験を申し込んだ。

■■最初の挫折■■
 さて2級を申し込んだのはいいが、勉強はなかなか手を付けなかった。実のところ、過去問すら見ておらず、試験問題がどのようなものかも知らなかった。資格取得に関するサイトをみても、「2級は3級と出題範囲は同じ。よって3級の知識で合格可能」と書かれていて、そのように認識していた。せいぜい正誤問題が4択になったぐらいだ、と軽く考えていたのだ。
 実際に過去問をやり始めたのは、試験の11日前であった。

 2級の学科は4択問題60問。以下の6分野から各10問ずつ出題される。
A.ライフプランニングと資金計画(年金)
B.リスク管理(保険)
C.金融資産運用(金融)
D.タックスプランニング(税制)
E.不動産
F.相続・事業承継

問題はこんな感じだ。

後期高齢者医療制度(以下「本制度」という)に関する次の記述のうち、最も適切なものはどれか。
1.後期高齢者医療広域連合の区域内に住所を有する70歳以上のすべての者は、本制度の被保険者となる。
2.本制度の被保険者の配偶者で、年間収入が180万円未満の者は、被扶養者として後期高齢者医療給付を受けることができる。
3.被保険者が受給する公的年金から徴収される本制度の保険料は、全国一律の保険料率によって算定される。
4.本制度の被保険者が保険医療機関等の窓口で支払う医療費の一部負担金の割合は、原則として、現役並み所得者は3割、それ以外の者は1割とされている。


 3級との大きな違いは、3級の場合は半数が○×正誤問題なので、1問間違えても、それだけで済むが、2級の場合は1問の中の4つの記述のいずれも、正誤を把握している必要がある。つまり、1問のボリュームが3級の4倍あるのだ。それに記述にしても、法律のように堅物だし、どれも正しそうだし、どれも間違っているような選択肢が用意されている。要するに難度が高い。確かに出題範囲は3級と同じだが、何故そうなるかを理解していなければ、正答できないのだ。つまり3級はうろ覚えでもなんとかなるが、2級はそうではない。筆者は舐めてかかっていたのだ。

 まずは3級受験時の知識の記憶だけで過去問をやってみる。この試験の解答時間は2時間だが、やっぱり難しく、フルに頭を使わないとだめで、解答時間は制限時間ギリギリだった。正答率は40%。ほとんど何もやっていない状態でこの数字。あと10日で合格点の60%まで伸ばせるだろうか。いや過去問は80%できないと、本番では60%の合格点に届かないのは経験的にわかっている。そうなると実力を2倍に引き上げないといけない。時間的に間に合うだろうか。

 過去問をこなしつつ、スキマ時間の学習用としてスマホアプリを導入した。アプリはいくつか試したが、もっとも役に立ったのは、
どこトレシリーズFP2級学科試験過去問題集」であった。
過去問と予想問題を合わせて2664問の正誤を答えていく。実際の試験は前述したように4問1組なのだが、スマホアプリで考えた場合、そのような形式よりも、単に正誤問題とした方が実力を養成しやすい。もちろん分野別の正解率や、問題の解説。間違えた問題だけ演習するといったこともできる。さらにありがたいのは、試験が実施される度に過去問が更新させることだ。また、相続税の控除額のように現在と過去問では数式が異なる箇所も、現在の式に直されているのも評価できる点だ。FP2級の勉強には必須のアプリといえるだろう。ただ問題が膨大なのでいくつか解答に誤りがあるのが残念だ。これで400円はお値打ちである。
Screenshot_2016-07-09-13-52-29.png
Screenshot_2016-07-09-13-52-59.png
↑FP2級学科試験過去問題集

 アプリと過去問の正答率は平均70%で試験本番に挑むことになった。時間がなかったので、実技は問題を見ただけで全く勉強しなかった。今回は学科さえ通ればいいと思っていたのだ。

 2015年5月24日、ファイナンシャルプランナー2級の試験は、和歌山市の旧市街地にある西和中学校で実施された。最寄りのバス停からは歩いて15分ほどとちょっと不便なところにある。
s-KC4A0085.jpg
↑西和中学校
s-KC4A0086.jpg
↑座席案内
 試験会場は中学校の教室。筆者も中学生だった時期があった。あの頃と教室の雰囲気はこぎれいになっているとはいえ、それほど変わっているわけではない。机の中に教科書を置きっぱなししている奴はおそろく勉強しない奴なのだろう。黒板には日付と日直。その左手には学級委員の名前。クラスの出席番号は、筆者の頃は男女別だったが、今は男女混合になっている。
 そうした懐かしさをかみしめながら試験は始まった。全く手も足もでないという感じではなかった。運が良ければ通っているだろう。時間いっぱいまで粘って、退室した。
 午後の実技は全く勉強していないので勝算はない。でも学科の知識があれば答えられる問題も多い。しかし2級の実技は記述式なので、すべての解答を埋めることはできなかった。
 その日の夕方、公式ウエブサイトに解答速報が掲載されたので、答え合わせした。

2015年5月
試験 結果  得点 配点 正答率
学科 不合格  33 60  55%
実技 不合格  46 100  46%

分野別正答数
A B C D E F
7 4 8 5 5 4

 判定は不合格であった。学科は合格までに必要な得点はわずか3点。11日間しか勉強していなかった割には健闘した方でないかと思うし、次回合格への手応えも感じた。実技は散々だったが、過去問を全くやっていないので、これは当然であった。分野別正答数をみると、金融が得意な反面、保険と相続が弱い。強化する点はここだと認識し、再び9月にある試験の受検申し込みをした。

■■奇跡の一部合格■■
 勉強は9月に入ってから本格的に始めた。例のスマホのアプリは空き時間でちょこちょこやったが系統的な勉強は全くしていなかった。覚えたことを忘れない程度にやっただけだ。
 2級用の問題集は購入せず、5年15回分の過去問を繰り返した。やってみると、不動産と相続の得点が低い。3回ほど繰り返したが、その傾向は変わらず、この分野に関しては、重要事項を書き出したノートは膨大になった。大原のサイトでダウンロードできる過去問集は問題と正解だけで解説はないので、自分が納得するまで、グーグルで不明な事項を検索して理解に努めた。面倒な作業ではあるが、これくらいのことをしないと合格はおぼつかないだろうと考えた。
Screenshot_2016-01-06-07-40-30.png
↑FPの解説サイトはいくらでもある

 最終的には過去問は70%程度の正答率で本番に挑むことになった。スマホアプリも同じような数字だ。もう少し正答率を上げたかったが仕方がない。ただ今回もとりあえず学科が合格すればいいという考えで挑んだので、実技は近年の過去問を1回、それも途中で投げ出した。中途半端に時間を割くのなら、学科に賭けた方がいい。実技の自信はまるでなかった。
 2015年9月13日。試験は和歌山ビッグ愛という紀勢本線の貨物駅跡地に建設された高いビルで施行された。試験会場は12階でそれなりに眺めがいい。
s-DSC_0055.jpg
↑ビック愛からの眺め
s-DSC_0057.jpg
↑試験会場
 まずは学科。ちょっと迷った問題があったが、何とか滑り込みで合格できたのではないかという手応え。30分ほど早く退室する。
 昼食をとりながら、答え合わせをする。自信を持って解答したところが間違えていて、不安になった。最後のあがきで、実技のポイントをチェックした。
 自信のない実技ではあったが、前回よりも学科の勉強を積み重ねたので、皆目見当がつかないということはない。ただ解答が記述式なので、計算間違いがあっても気がつかない。実技は時間が45分しかなく、最後の方は時間がなく焦った。最後の3問はヤマ勘で解答した。自分の解答を持ち帰りの問題に写し取る時間もなかった。

 その日の夕方、公式ウエブサイトに解答速報が掲載されたので、答え合わせした。

試験 結果  得点 配点 正答率
学科 不合格  35 60  58%

A B C D E F
7 3 5 9 7 4


 なんと合格までわずか1問足らずで不合格。分野別の正答数を見てみると、保険がわずか3問の正解。税制が9問正解したもののカバーできなかった。保険に関しては多くの勘違いをしていた。
 地震保険では、地震による津波を原因とする建物の損壊等の損害については補償の対象とされない。
 これを「不適切」としてしまったのだ。正解は「適切」なのだ。

 1.家族傷害保険は、保険契約締結時における所定の範囲の親族が被保険者となり、保険契約締結後に記名被保険者に誕生した子は被保険者とならない。
 2.交通事故傷害保険は、自動車や自転車などの交通事故による傷害のほか、エレベータやエスカレーターの搭乗中に生じた事故による傷害も補償の対象となる。

 この二つはどちらも適切か迷った。結果は1を適切と判断して失敗した。正解は2であった。
 とにかくあと1問正解していれば、合格だっただけに、悔しさがこみ上げてきた。
 実技の方は、実際の解答が不明な上、配点があるので、この速報の時点ではわからなかったが、おそらく合格点に達していないだろうと思われた。
 1ヶ月後、試験主催者から合否判定書が送られてきた。

2015年9月
試験 結果  得点 配点 正答率
学科 不合格  35 60  58%
実技 合格   62 100  62%

 なんと実技が合格していた。ほとんど勉強していなかったのに、合格するとは奇跡以外何物でもない。実はこのFP2級は学科の合格率は25~43%程度だが、実技は50~65%と高いのだ。難易度は実技の方が低いのは確かだが、それにしても合格とは驚いた。実技の一部合格は2年間有効だ。
 これで勉強は学科だけに絞れる。同時に、何としてもFP2級は合格しなければならなくなった。
 実技試験免除を申請して次の試験の願書を提出した。

■■まさかの敗北■■
 過去問の演習とアプリだけでは合格できなかった。対応策として、ファイナンシャルプランナーに関する知識の理解を深めるため参考書を購入した。
 ポイントがクマのイラスト入りで説明されていてわかりやすい。何といっても文字より絵である。人間のパターン認識能力は特殊で、コンピューターでは点の有無という膨大なデジタル情報から解析しなければ、これは何なのかわからないが、人間はヒトの顔に対して特別なコンピュータ化できないような記憶力を持つ。だから勉強にマンガやイラストを用いるのは理にかなっている。
51Br-jlzslL._SX350_BO1,204,203,200_.jpg
↑スッキリわかるFP技能士2級・AFP(FP協会対応)
 実際の勉強は12月中旬から始めた。買った参考書をさっと一回読み、過去問に挑む。今までわけがわからないけどとにかく覚えていた項目も、何故そうなるのか理解することにより、記憶が定着する。
 参考書には試験で引っかかりやすいポイントも指摘している。例えば、細菌性食中毒は国内旅行保険も海外旅行保険も補償されるが、通常の傷害保険は補償されない。地震噴火津波の被害は、国内旅行保険は補償されないが、海外では補償される、といった具合である。

 正月休みも精力的に勉強に取り組んだ。過去問は4年分12回を3回やった。あまり古いのをやっても誤った情報を頭に入る可能性があるからだ。さらに間違えた問題をピックアップし、間違えた回数の多いところが自分の弱点だから、多い順に並べてリストを作成した。これを何度も音読して記憶していった。
 そうした努力の甲斐あって、間違えた問題も8割の正答率が得られるようになった。スマホアプリの2000問を越える膨大な問題もどうにかこなし、80%以上の正答率とした。
 1月に入ってから仕事が忙しくなり、帰宅が遅くなって勉強時間が確保できなくなってきたことだ。夜の10時から勉強をするのは並大抵ではない。鉛筆を持ったとたんに眠たくなってしまう。
 試験前日の土曜日はほぼ一日勉強した。この当時は体調がよく、頭も冴えていたが、覚えることが多すぎて頭が爆発しそうだ。似たような数字が並ぶので記憶が混乱する。
 最後にテキストをじっくり読んだ。試験前日なので睡眠不足を避けるため、苦手とする不動産と相続を残して0時には寝た。
 2016年1月24日、去年3級を取得した商工会議所が今回の試験会場。
 10時に試験が始まった。思ったよりも難しい。特に不動産はこれまでほとんど出ていなかった路線価が出題されていた。昨日、不動産を復習しなかったツケが回った。手応えはギリギリ合格に届いたかどうかというところであった。
 大相撲で琴奨菊が優勝するのを見届けてから、ウェブサイトを開いて解答速報を見る。なんと得意の金融で5問しか正答できず、また不動産は3問の正解と惨敗。前回に続き、合格に一問足らずの35問の正解に留まり不合格となった。

2016年1月
試験 結果  得点 配点 正答率
学科 不合格  35 60  58%

A B C D E F
6 8 5 6 3 7

 それにしても今回は順調に準備し、かなりの自信があったのに悔しい結果だ。結局のところ実力不足ということか。知らぬ間に部屋呑み用の焼酎を飲み干していた。

■■4度目の挑戦で■■

 再挑戦の機会は2016年5月となった。試験の申し込みは受付開始後すぐにした。気合い満点といったところだが、一向に勉強を始める気配はなかった。3月には北海道新幹線の初乗り、4月5月の大型連休にはにはバリ島・ニュージーランドに行ったりしていたからだ。筆者の場合、忘れないうちに詳細な旅行記を書いているからその分勉強ができないことになるのだ。それに仕事の忙しさはまだ続いていて、残業した平日はとても勉強する気にならなかった。
 過去問だけでは通用しないので、3月末に分厚い問題集を買った。しかしこれは一部を少し読んだだけで、ほとんど活用しなかった。
51gWNuWX5aL._SX350_BO1,204,203,200_.jpg
↑みんなが欲しかったFP2級の問題集
 そんなわけでほとんど勉強しなかった。やったのはスマホアプリで、これはかなり熱心にやった。外出先はもちろん家の中でもこればっかりやった。おかげで全問題に対する正答率は85%を越えていた。
Screenshot_2016-05-22-08-39-46.png
↑アプリの正答率は上がった
 本格的な勉強を始めたのは、試験日の2日前の夜からだった。過去問は1回やってみただけ。ここまで過去問を徹底重視して勉強してきたが、その成果は必ずしも上がっていないので、方針を変えて、参考書をよく読んで広く浅く知識を取得することにした。もちろんこれまでの勉強で作成した要点ノートも活用した。
 この2日間の勉強時間はおそらく15時間を超えていただろう。
 
 2016年5月22日。試験日がやってきた。会場は前年と同じ西和中学校。これまでのファイナンシャルプランナーの試験はどれもそうだが、受験者の半数は女性だ。
 10時に試験開始。前に座っている男はギリギリに部屋に入ったのに、早々と退室した。余程自信があるのだろう。問題のレベルは過去4回の中でもっとも平易な印象だ。筆者は何とか戦ったが、いくつか自信のない問題があった。でも手応えは前2回とそう変わらなかった。いくら考えても仕方がないので試験終了30分前に退室した。
 夕方、解答速報が発表された。手応えが前回とほぼ同じだったので緊張しながら、そして祈るように、答え合わせを進める。

2016年5月
試験 結果  得点 配点 正答率
学科 合格   37 60  62 %

A B C D E F
4 9 7 9 4 4

 天晴れ。得点は37点。合格点を1点上回った。年金、不動産、相続が各4点と冴えなかったが、保険と税制でそれぞれ9点を取り、合格を決めた。保険は最初は苦手だったが、徹底的に学習した成果が最後になって実を結んだのだ。

■■試験を終えて■■

 一ヶ月後、表彰状のような立派な合格証が送られてきた。3級の申し込みをしたのは2014年の11月で2級の合格証を手にしたのは2016年の6月。志してから取得まで約20ヶ月の長期間を要したことになる。
 筆者は3級を含めて5回目の受検で、ようやくFP2級に合格できた。わずか1点差での不合格が2回続けてあり、もう少しまじめに勉強していれば、3回目ぐらいで合格していたかもしれない。しかし、このファイナンシャルプランナーの印象は、個々の問題の難度はそれほど高くないが、とにかく範囲が広い。その広いが故に知識の蓄積が必要だったのだろう。それと丸暗記ではこの資格は太刀打ちできない。しっかり理解しておく必要がある。そのためには過去問だけではだめで、自分にあった参考書が読むべきだ。
 今回の試験ではスマホアプリが大活躍した。過去問に取り組む前に、このアプリと参考書あるいはウェブサイトで調べるを組み合わせることで基礎レベルはできそうに思える。
 ファイナンシャルプランナーの勉強をしておかげで、年金、保険、税制、相続などの知識が身につき、当初の目的は果たせそうだ。この知識を老後に生かしていきたい。
fp2.jpg
↑合格証
nice!(2)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:資格・学び

新函館北斗駅を実地検証する [鉄道]


 北海道新幹線の最大の問題点はこの新函館北斗駅の位置であろう。なんと函館空港の方が函館市中心部に近いのである。しかも東京方面からの到着した客は階段の上り下りしなければ、函館方面へも札幌方面にも行くことができない。なぜこのような不便な構造にしたのか理解しがたい。
s-IMG_3635.jpg
s-IMG_3636.jpg
↑この階段を延々と登る

 函館駅とはこだてライナーという電車が結んでいる。しかし全て最速15分で走る快速ではなく、各駅停車もはしり、これだと20分以上かかる。乗り換えも不便な上に、時間もかかる。時間的な不利を補うだけの魅力的な車両なら納得もするが、車両は通勤用のロングシート。
s-IMG_3685.jpg
s-IMG_3687.jpg
↑はこだてライナー

 新函館北斗駅周辺に魅力的な観光地があれば救われるが、大沼公園と駒ヶ岳以外はないに等しいのだ。
 この問題だらけの新函館北斗駅を検証するために待ち時間を1時間とっていた。
s-IMG_3638.jpg
↑歓迎!!
 駅前に降りる。駅舎こそとても立派である。しかし駅前はというと商業施設はレンタカーの営業所だけで、普通の民家がポツポツとあるだけだ。そのレンタカーですら客集めに苦労しているようだ。
s-IMG_3664.jpg
s-IMG_3654.jpg
↑立派な西側駅舎
s-IMG_3661.jpg
↑閑古鳥のレンタカー
s-IMG_3678.jpg
↑東側駅舎
s-IMG_3675.jpg
↑ここからは荒涼とした風景
s-IMG_3649.jpg
s-IMG_3646.jpg
↑イベントをやっている
s-IMG_3665.jpg
↑何のキャラクター?
s-IMG_3662.jpg
↑メディアも取材リハーサル中
s-IMG_3666.jpg
↑ホームを眺める人々
s-IMG_3671.jpg
↑入場券を求める人々

 しかしまだ開業2日目ということで、地元や函館市民の関心は高く、駅の入場券の売り上げは上々だ。それと周辺自治体の屋台も賑わっている。AKBみたいな女性アイドルが訳のわからない歌を歌っている。
 ここでイカめしとげそ揚げを買って昼食とした。さらに日本酒も買った。
 銅像があるので、地元出身の著名人かと思ったら「北斗の拳」のケンシロウ様であった。地元出身の著名人としては歌手の三橋三智也がいて、顕彰碑がある。
s-IMG_3648.jpg
↑三橋三智也の顕彰碑

■新函館北斗駅の検証と今後
 開業二日目だから新幹線初体験組で盛り上がっているが、開業効果は1ヶ月もたないだろう。
 今後、JR北海道はじめ自治体がいろいろ考えるだろうが、はじめから予想された劣勢に対して、現状の対応ではあまり多くは望めないかもしれない。
free.jpg
↑新函館北斗駅、函館駅、函館空港の位置関係

 元々函館市はこの新函館北斗からミニ新幹線で函館駅に乗り入れることを望んでいた。函館駅のリニューアルの際、それを見込んで函館市は相当な資金を投入した。しかしJR北海道は曖昧な回答をしたもののその意志はなく、逆に函館と新函館北斗間は北海道新幹線札幌開業の際にはJRと経営分離する意向であると表明した。つまり、将来は函館駅はJRの駅ではなくなるのである。このような未来図でJR北海道と函館市が友好的な関係を築けるわけがない。
 そこで提案だが、函館市は新幹線とのタイアップはあきらめ、函館空港との連携を深めてはどうか。実は函館は国際的に知名度が上がりつつある。北海道にしては幕末の歴史に彩られた街で、五稜郭という日本唯一の洋式城郭や世界有数の夜景、豊かな海産物、そして湯ノ川温泉もある。その湯ノ川温泉から市電をわずかに延長すれば函館空港に到着する。今や日本の観光業は外国人を無視できない。今は団体客として来日している彼らも、リピーターとなれば個人旅行となるだろう。その際、バスよりも走っている線が見える路面電車の方がわかりやすく、その利用を選択する人が多いだろう。通学需要のある函館高専経由で路線を設定すれば、長期的に見て建設費は回収できるはずだ。空路と市電3日乗車券をタイアップで発売する。インパクトは新幹線にはかなわないが、多くの観光客、函館市民にとって喜ばれることだろう。
函館市電延長.jpg
↑筆者の函館市電延長案

 新幹線との連携を考えるならば、木古内での連絡を考えた方がいい。どうせ階段での乗り換えならば時間がたいして変わらないからだ。高性能気動車を導入して快速運転すれば、新函館北斗経由と5分差くらいまで詰められる。ここは道南いさりび鉄道の路線だから、株主である北海道、周辺自治体の収入にも寄与する。途中駅の上磯は本来の北斗市中心部に近い。ここは思い切って「北斗南」に駅名を改称して、特撮ヲタクの関心を集めれば面白い。ちなみに北斗と南はウルトラマンエースである。
4104bc5a.jpg
↑北斗と南(円谷プロ)
 この施策はそれなりに有効であるものの、せっかく多額の予算を投じて建設した新函館北斗駅の荒廃を招く。北斗の拳のケンシロウ様に「お前はもう既に死んでる」と言わせて、いっそ新幹線唯一の「秘境駅」として売り出すか。なかなか名案はないが、それでも仙台以北あるいは秋田方面から登別、札幌に行くには選択肢の一つになりうる。現状の配線を変更してでも、同一ホーム乗り換えを徹底することにより、乗客の減少を最小限に抑えられるはずだ。
 また客が少ないのを嘆くのであれば、需要のある貨物輸送に活路を見いだしてはどうか。北海道新幹線の車両だけでも、グランクラスの反対側の先頭車を空っぽにして、旅客輸送を諦める。このスペースを宅配業者に買い取ってもらい、荷物輸送に利用してもらうのだ。年間契約にし、荷物の積み卸し設備負担や積載物爆発による責任は宅配業者とする。これでもおそらく航空便よりも安いコストで荷物輸送ができるはずだ。あるいは日本郵便に買い取ってもらい、郵便車を復活させてもいいだろう。いやAmazonはすでに狙っているかもしれない。
 また旅客輸送にこだわるのであれば、グランクラスよりさらに上のスイートルームにしてもいい。1車両を借り切って旅行するのは、関西のチブチンには通用しないが、東京の見栄っ張りであれば、成功するのではないか。これは札幌開業時でも通用する手だ。
 さらにはこだてライナーで失う時間に見合う魅力的な車両にするのも手だ。蒸気機関車が一番インパクトがあると思うが、保守コストが高いのが難点だし、何のために電化をしたのかわからない。それならば、松山市の坊ちゃん列車のように、蒸気機関車のレプリカで運転してはどうだろう。坊ちゃん列車は蒸気機関車のような形をしたディーゼル駆動で、独自の機能で転車台なしで転換できる。これは軽量な路面電車仕様だからできることだ。ここでは電気駆動の蒸気機関車とし、それを列車の両端に連結するプッシュプルの形態を取る。しかし蒸気機関車にパンタグラフはサマにならないので、後位に連結した機関車にパンタグラフを上げる。これなら目立たないだろう。この新函館北斗と函館間の連絡列車は札幌開業後も使われる。例え15分でも満足感が得られれば、敢えてそれ目当ての客も来るだろう。
s-IMG_1627.jpg
↑松山の坊ちゃん列車
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:旅行

北海道新幹線新函館北斗開業及び札幌市電乗車記 [旅行]

この旅行記は筆者の日本鉄道全線完乗記録を維持するために、北海道新幹線新青森-新函館北斗と札幌市電西4丁目-すすきの間の乗車記である。筆者の居住地は和歌山だが、乗車記は東京から始めさせていただく。

■夜行バスで青森へ
 2016年3月26日土曜日。北海道新幹線が開業したこの日、東京駅八重洲口バスターミナルにいた。22時30分発のラフォーレ号青森駅行きに乗る。通路側にはカーテンがあり、プライバシーが保てるようになっている。またACコンセントがあるのでスマホの充電ができる。
s-IMG_3587.jpg
↑青森行きラフォーレ号
s-IMG_3588.jpg
↑座席にはコンセント付き
s-IMG_3590.jpg
↑カーテン付きでプライバシーが保てる
 やや酩酊していたので消灯と同時に眠った。
 断続的に目を覚ました。脚の置き場に困り、投げ出したり、膝を曲げたりする。
 翌日、定刻8時5分青森駅着。
s-IMG_3591.jpg
↑青森駅に到着
s-IMG_3592.jpg
↑JR青森駅
 青森から8時23分発の奥羽線に乗り新青森へ。新青森で朝食のつもりだったが、まだ時間が早く飲食店はほとんど閉まっていた。駅の周りにはまだほとんど開発されていないから当然である。この点はまだ青森駅の方が充実している。かろうじてビュープラザの横のカフェが開いていたので、トーストとミルクのモーニング。ビュープラザはJR東日本の旅行会社だが、この月末で閉店するという。終着駅でなくなって需要がなくなるからだろう。
s-IMG_3593.jpg
↑青森駅改札
s-IMG_3596.jpg
↑普通列車で新青森へ
s-IMG_3601.jpg
↑唯一開いていたカフェ

■北海道新幹線に乗る
 新青森9時6分発のはやぶさ95号に乗る。いよいよ今回の最大目的である北海道新幹線の乗車である。記念撮影組は多いものの、乗車率は20%程度で、はっきりいって苦しい立ち上がりである。新函館北斗までノンストップ。奥津軽今別駅で3線軌道の合流のところの動画撮影に成功。
s-IMG_3609.jpg
↑祝開業
s-IMG_3614.jpg
↑期待に膨らんだ新青森駅ホーム
s-IMG_3619.jpg
↑さあ乗り込もう
s-IMG_3622.jpg
↑車内座席
s-IMG_3629.jpg
↑車内販売
 車掌による車窓案内。この線は観光路線なのである。筆者は左側に座っていたが、右側の方が海が見えてきれいなようだ。ただし防音壁がじゃまである。「カメラ等のお忘れ物が多くなっております」とのアナウンスは、後ろの女性客が「開業一日目なのに」と突っ込まれていた。
 新函館北斗に到着。
s-IMG_3633.jpg
↑新函館駅ホーム
s-IMG_3634.jpg
↑新函館北斗駅に到着

この新函館駅のついての検証は別の記事を参照してほしい。

新函館北斗駅を実地検証する
http://umayado.blog.so-net.ne.jp/2016-04-16

■スーパー北斗で白老へ
 スーパー北斗に乗る。指定された3号車は乗車率20%。しかし私の横には先客がいた。どうやらタイ人らしく北海道レイルパスを持っていた。
s-IMG_3690.jpg
↑スーパー北斗車内
 狭い座席でイカめしといかげそで一献やっていると、検札があった。しかし切符がない。これはエラいことだ。確かにこの座席を座るときに、タイ人の女性が先に座っていたので、ここは私の席だと主張するのに、その切符を見せたので、持っているのは間違いない。しかしどこにもないのである。
s-IMG_3694.jpg
↑大沼から駒ヶ岳を望む

 とりあえず、気が晴れないが、食事を先に済ませる。イカめしもげそも美味しかったけど、この先どうすればという気持ちで不安になった。長年旅をしている筆者だが、きっぷをなくして再発行の経験はない。
s-IMG_3691.jpg
↑いかげそ揚げ、イカめし、地酒
 さてトイレに立って、もう一度チェックすると、ズボンの脇に切符が挟まっていた。検札を待ってもらっていた車掌にこれを持って行った。別に大した問題ではなさそうな感じでスタンプを押してくれた。
 登別で降りて、普通列車に乗り換えて白老へ。このあたりは北海道にしては人口が多い。地域の拠点となっているらしく、ダイソーもある。
s-IMG_3698.jpg
↑登別到着
s-IMG_3703.jpg
↑普通列車に乗り換え
s-IMG_3707.jpg
↑白老駅
 ここに来たのはアイヌ民族博物館に行くためだ。アイヌに関する知識は皆無だからだ。入場料は800円と意外に高い。しかしアイヌの踊りを見れるので人件費がかかっているのでやむを得ない。特に笛の演奏は聴いたことのない音色でおもしろかった。客は8割が中国人だ。ツアーガイドが翻訳している。
s-IMG_3713.jpg
s-IMG_3714.jpg
s-IMG_3715.jpg
↑アイヌ文化博物館
 知識はアイヌ博物館の展示物で得た。機織りは特におもしろかった。わかりやすく配置されているが、もう少し充実させることができるのではないか。そこでこの地に国立のアイヌ文化博物館が2020年を目標に建設されることが決まった。アイヌのグッズ売店は閑古鳥が鳴いていた。私も何も買わなかった。
s-IMG_3727.jpg
↑北海道の牛乳は旨い
s-IMG_3728.jpg
↑ポロト湖を望む
 帰りに近くにあるポロト温泉に入る。400円を払って温泉に入る。温泉は黒褐色でよく暖まった。客はほとんど地元客で、「北海道新幹線はだめだな。乗車率20%だって。宇都宮に停めないとだめだな」と言っていた。確かに前途多難な船出であることは同感である。

■札幌市電に乗る
 16時5分発の特急すずらんに乗る。この後札幌に向かい、札幌市電の新規開通区間に乗り、20時00分新千歳空港出発のピーチ航空に乗ることになっていた。乗ってから乗り換え案内を検索するとかなり厳しいスケジュールであることがわかった。しかし何とかなるだろうとも思った。
20151220161121.jpg
↑札幌市電新規開通区間
 札幌に到着すると、速攻で地下鉄に乗り大通公園へ。札幌の地下鉄は東京や大阪ほど本数は多くなく、待ちくたびれる。ようやく電車に乗って、一駅乗る。たった一駅で200円。ICOCAが使える。
 市電停留所の出口を目指す。地上に出るとそこは繁華街であった。ここに来たのは札幌市電が環状線化するため数100m延長し、全線完乗を目指す身としては当然乗車しなけれなならないのだ。この延長部分は本来は道路の中央を走る線路が両端に敷設されている。おそらく日本では最初の試みであるため、辻には警備員が立って交通整理をしている。
s-IMG_3737.jpg
↑西四丁目電停から新規開通区間を望む
 外回り電車に乗り、すすきのに向かう。気が焦っているので信号待ちでもイライラする。
s-IMG_3743.jpg
s-IMG_3745.jpg
↑すすきの着
 すすきのからは地下鉄に乗る。ここはタイミング良く乗れて、札幌駅に着いたのは18時45分。走って走ってICOCAタッチで18時50分発のエアポート快速に乗れた。車内はロングシート。通勤でも使うことを考えるとこれでいいのかもしれない。大きな荷物のある航空旅客にも都合がいい。

■思わぬ展開に驚愕
 新千歳空港に着いたのは19時27分。ピーチ航空のチェックインカウンターを探すも事前に情報を仕入れておらず、2階出発階の逆方向に行ってしまった。やがて「ピーチ航空関西空港行きのチェックインはただいま終了いたしました」とのアナウンス。これはエラいことである。警備の人に場所を聞くと、1階のピーチのカウンターは到着カウンターにあるという。
s-IMG_3764.jpg
↑ピーチ航空のチェックインは到着ロビーにある
 急いで行ってみると、すでに誰もいなかった。日程表には確かに「30分前までにチェックインをお願いします」と明記されている。チェックインしなければ、搭乗の意志なしとみなされ、すでに払った航空運賃は没収となる。
 明らかにこちらの旗色は悪いが、同じように乗り遅れた男性とともに、警備員に交渉した。出発5分前に現れたピーチの職員は「あしからずご了承下さい」とのことであった。
 なんと迂闊なことだ。ピーチ航空が30分前のチェックインが厳守であること、またチェックインカウンターが到着フロアにあること、さらに千歳空港の構造に精通していれば、例え空港駅から3分と短くても、ジョギングで鍛えた筆者の脚なら間に合っていただろう。残念な気持ちで一杯であった。
chitose.jpg
↑黄=実際に歩いたルート 赤=はじめからここを走っていれば間に合っていた
 もう大阪方面への航空便はない。東京行きの20時40分発全日空に空席がある。これに乗ると22時20分に羽田空港に着く。ここから夜行バスで大阪または和歌山に行けないかと調べたが、23時00以降に出発する夜行バスはいずれも翌日の8時前の到着となってしまう。残りはタクシーかレンタカーだが、前者はあまりにも高額な料金、後者は不眠不休で運転しないといけないので、走行中の事故の可能性が高いし、それがなくても次の日の仕事に悪影響が確実だ。これでは明日の出社は不可能だ。
 上長に明日の休暇を申請した。まずは今夜の宿の予約。千歳駅前のルートインを確保した。続いて大阪便だが、ピーチはこりごりと思い全日空にしたら普通運賃48500円だった。いくらなんでも高いということになり、結局12時55分発のピーチにした。これでも26500円だ。
 こうなったらもあわてることはない。JRで千歳駅に向かい、駅高架下の白木屋で一杯やった。もう21時を回っているが、夕食はまだだったのである。
s-IMG_3748.jpg
↑失意の一杯
 チェーン店の居酒屋だから味は全く期待していなかったが、こうゆう無難な居酒屋は必要だ。
 22時30分過ぎにルートインホテルにチェックイン。
 大浴場で汚い汗を流して、酩酊気味だったこともあって0時過ぎには寝た。

■失意の帰郷
 朝起きたら8時40分を回っていた。
 10時発の送迎バスで新千歳空港へ。今度こそ遅れてたまるかと、チェックインを試みるもエラー。チェックイン開始は11時25分からでまだ1時間以上ある。
s-IMG_3763.jpg
↑ホテルの送迎バス
 会社の同僚に迷惑をかけたので、大量におみやげを買った。無難なところでロイズのチョコレートにした。
 チェックインはスマホの画面に表示されるバーコードをセンサに読み込ませるだけで搭乗券が発行されあっけなく終了。
s-IMG_3767.jpg
↑搭乗した飛行機

 12時15分に保安検査に向かう。長蛇の列で秋田行きの客が数人取り残されていた。ピーチ航空ですらこのままだと間に合わないということで、ゲートが変更された。昨日頑張ってもらった警備員が元気に働いている。
 ピーチ航空のA320-200は定刻12時55分に動き出した。乗客はほぼ満員。窓際の席をあてがわれた。最近離着陸のデジカメ使用が解禁されたのだ。喜んで動画撮影する。13時10分に離陸。千歳基地の全容を初めて見た。これはこれでうれしかったが、今や航空写真はグーグルアースで簡単に見れる。感動が薄れたのは事実だ。
 定刻に関西空港に到着。自宅についたのは16時半だった。

●反省
この旅行の主たる交通費

日本航空関西-羽田 ¥13,190
高速バス東京-青森 ¥8,000
ピーチ航空札幌-関西 ¥17,790
JR乗車券青森-函館 ¥7,660
JR特急券新青森-新函館北斗 ¥4,650
JR特急券新函館北斗-登別 ¥1,340
自由席特急券白老-札幌 ¥1,130
ホテルルートイン千歳 ¥6,000
ピーチ航空札幌-関西 ¥26,290

本来なら57760円で行けるはずが、わずか3分の遅刻で32290円も余計な交通費がかかってしまった。それだけではない。千歳市の居酒屋での出費や職場へお土産を買ったので、出費は4万円近くに膨らんだ。実に当初の70%もの出費増となった。日本鉄道完乗のタイトルは維持したものの、後味の悪い結果となった。
 今後はこれを授業料だと思って、事前の情報収集に抜かりがないようにしたい。
 
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:旅行
前の10件 | -