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バリ島旅行記2016 [旅行]


1.まずはシンガポールへ
2016年4月27日(水) 雨
 仕事を終えた筆者は、トラブルに巻き込まれないように素早く帰宅し、関西空港に向かった。
 シンガポール航空の出発カウンターはH。列はさほどではなく、21時半に搭乗手続き完了した。まだ出発まで時間があるので3階を歩くも店は全て閉まっていた。
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↑関西空港出発カウンター
 入出国管理を突破するといよいよ日本を出国。ここからは日本であって日本ではない。免税店をブラブラ歩く。エミュレーツ航空のパイロットが札幌銘菓ロイズの生チョコのマイルドココアをまとめ買いしていた。口コミで美味しいことが広まっているのだろう。このマイルドココアだけが極端に減っていた。その他誇らしげに「日本製」と貼られた電気炊飯器が並べられていた。この頃になると中国人の爆買いが収束していたので、物色する人はまばらだった。免税店巡りに飽きたのでシャトルで41番ゲートに向かいスマホで時間つぶし。Wifiが使えるがまことに遅い。床に目を落とすと、カーペットが汚れている。中国人の仕業か。
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↑「日本製」の電気炊飯器
 22時50分に機内に乗り込む。中の4列席の右側。隣はめがねをかけたシンガポーリアンの女性3人組。
 離陸前におしぼり。さすがシンガポール航空はサービスがいい。USB充電は当然としてヘッドホンは無料だし、機内設備も充実している。持ち込みDVDを見るための端子まである。
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↑飛行機に乗り込む
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↑充実の機内設備
 いつの間にか飛行機は離陸し、0時にはワインとピーナッツで乾杯した。といっても一人旅なのでグラスを持ち上げただけだ。旅立ちはうれしいものである。不安もあるが不安は押し殺すように酔って、まもなく眠りについた。
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↑ピーナツで乾杯

4月28日(木)
 日本時間3時50分。なにやらざわついて起こされる。アイマスクと耳栓効果で眠りは深かった。しかし眠いのは眠い。
 トイレは6分待ち。続いて機内食。ひざまずいたアテンダントが何を言っているのか聞き取れなかった。隣の女性客が「ソーセージ」と言ったので私もそうした。しかしワゴンにはなかったらしく座席に届けられたのは4時45分だった。
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↑機内食
 結果的にはソーセージにしてよかった。オムレツとポテトフライ。フルーツ。マーガリンでなくバターだった。アップルジュースはグラスだった。
 女性客には量が多いらしく残していた。もったいない話だ。世界の食料品の3分の1は食べられずに廃棄されているという。自分の老後の生活を考えたとき、残飯は家庭菜園の肥料にできないかと考える。
 機内照明が消えて、5時5分にシンガポールチャンギ空港に着陸。

2.シンガポールからバリ島へ
 まずはターミナル内無料Wifiのセッテング。スマホから電話番号を入力してSMSに送られてくるコードを入力すれば完了。
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↑チャンギ空港に到着
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↑床のパターン
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↑ターミナル内の日本庭園
 ターミナル2の店はこれから開店するところであった。ここでNOKIAなどの通話専用の携帯電話を手に入れるつもりだった。しかし家電売場にはスマホしかなく、しかも高かった。XPERIAが割と人気があるようだ。
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↑上から見た土産物店
 腕にはめていた電波時計の合わせ方がわからなかった。カシオのサイトをみると、説明書をダウンロードするには腕時計の裏の四角に囲まれた4桁の数字を入れよとあった。この数字が小さくてとても読みにくく、ダウンロードにとても時間がかかった。もう筆者も若くない。これからの旅行は老眼鏡か虫眼鏡が必要だ。
 時計を合わせるのに時間がかかり、バリ行きの保安検査が始まってしまった。7時20分にF50ゲートに向かった。保安検査はさほど厳重ではなかった。財布はポケットに入れたままでも反応せず。
 保安検査を終えるとガラス張りの部屋で待つ。ここには喫食設備などない。
 7時50分に乗り込む。さっきと同じエアバスA330-300だか微妙にシートピッチが狭いようだ。
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↑飛行機に乗り込む
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↑乗り込んだ飛行機
 座席は右通路側だ。隣はTシャツハーフパンツの白人男性で、私が座ろうとすると、軽く「ナウ」と言って先に座った。
 機体は8時35分頃に離陸したと思われる。はっきりしないのはその前に眠ってしまったからである。
 9時15分に機内食。今回はソーセージでなくシーフードを選んだ。ピリ辛で眠気覚ましにちょうどよい。
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↑機内食
 その後はインドネシアのガイドブックを読み、今日の行動を決定する。まずは両替してエアポートタクシーでウブドに向かうことにした。
 10時15分、間もなくバリデンパサールに到着するとのアナウンス。左後ろの日本人は花村満月の「惜春」を読んでいた。
 半時間後、飛行機の車輪が降りて、飛行機は雲の中に突っ込んでいった。バリ島が右手に見えた。10時53分、海に浮かぶ小舟に白波が寄せるのが見えると、デンパサール空港に着陸した。
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↑窓から見るバリ島(通路側から撮影)
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↑デンパサール空港に到着
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↑ターミナルビル
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↑床のパターン
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↑手荷物受け取り待ち
 手荷物はなかなか出てこず、スマホをいじる。無料のWifiがなかなか動作が安定せず、辛うじて自宅にメールを送れた。荷物をピックアップできたのは11時45分と遅かった。
 両替は空港のレートは悪いので1万円だけ両替した。1円=115ルピーである。大ざっぱにいって日本円の100倍と考えていい。
 まずはホテルを予約していたウブドまで移動しなければならない。はじめはホテルから送迎してもらうことを考えたが374000ルピーということだった。約3700円と高かったので、エアポートタクシーにしたのだ。事前情報では250000ルピーのはずだった。
 エアポートタクシーのチケットブースは到着ゲートを出てすぐにある。元々離れたところにあったのだが、タクシーの客引きが激しいのでここに移ってきたようだ。
 でも場所が違うように思えたので、いったん外に出た。タクシーの客引きを振り払うのが大変だ。
 やはりエアポートタクシーはここにしかなく、ウブドまで行ってくれというと、「フォーハンドレット・サウザント・ルピー」と言われた。つまり400000ルピーだった。これならホテルに送迎してもらった方がよかった。
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↑タクシーチケット売り場
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↑タクシーチケット
 売店を迂回するように外に出ると、青いポロシャツを着た運転手が待っていた。彼は荷物を引き取るとトランクに乗せた。チップを稼ぐつもりだろう。
 バリ島の天気はいい。私は英語は得意でないので会話が続かず、すぐに眠たくなった。
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↑ウブドを目指す
 バリ島は上空から見ると翼を閉じた鶏のような形をしている。バリ島の中心地デンパサールは、その鶏の足の付け根にある。筆者が目指すウブドは足からやや上にある腹の辺りになる。
 1時間半ほど走っただろうか。狭い道に入ったと思ったら、そこがウブドであった。予約していたChamplung Sari Hotelは猿の住むモンキーフォレストの近く、ウブド中心部の南端に位置する。急な坂を下り、もう一度登るとホテルがあった。運転手はチップを公然と要求。そのとき持っていた最も小額紙幣が20000ルピーだったのでそれをあげた。高い運賃に余計なチップで私のバリ島の印象は悪くなった。

3.ウブド散策と舞踊鑑賞
 Champlung Sari Hotelは南国らしい開放的な雰囲気で、客室はコテージとして独立している。レセプションで手続きしていると、ウェルカムドリンク。ただのオレンジジュース。一気に飲み干す。今回はアップルワールドで予約していたのでバウチャーを見せ、宿帳に書くだけだ。
 ペルボーイが部屋に案内してくれる。ちゃんと門があって外にバルコニーもある。
 ドアは内側の鍵もキーを使って閉める珍しいタイプ。これは初めて見た。バスタブがあるのはいい。ただしヘアドライヤーがない。あと客室金庫もない。
 タオルがどこにあるのかと思ったら、ベッドの上に鶴の形に畳んであった。さすが芸術の島バリ。芸が細かい。
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↑ホテル入口
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↑コテージの門
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↑さらにドアがある
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↑タオルはこんな感じ

 とりあえず外出する。外は暑い。日本の7月のようだ。ホテルに面している道路はモンキーフォレスト通りという名で、一方通行で比較的交通量が少ない。しかしバイクが多いので渡りにくい。レストラン、サークルKのようなコンビニ、観光案内所、伝統工芸品など何でもありそうだ。この旅行ではノキアの音声専用端末を手に入れるという目的があった。そんなわけで電話屋を探すが、この通りにはなかった。
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↑モンキーフォレスト通り
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↑サークルK
 徒歩圏内で行ける観光地としてまずはウブド王宮に行く。何やら工事中で興ざめしたが、あとで聞いた話ではこれは葬式の準備らしい。
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↑ウブド王宮
 その後また北上し電話屋を探す。持ってきた「地球の歩き方」の地図は誤りが多いので、王宮近くの観光案内所に入る。地図は有料のようだ。カウンターの人に無料のはないかと聞くと、広告だらけの冊子を手に取り、このページを見よと、地図を示した。
 もうすぐ郊外に出ようかという丘を越えるところに、辛うじてAppleの店があったが、それだけだった。フィリピンでは電話屋は簡単に見つかったのにどういうことだと思いながらも、とにあえず本日の電話購入は諦めることにした。
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↑唯一のappleショップ
 プリ・ルキサン美術館PURI LUKISAN MUSEUMに入る。手持ちの古いガイドブックには入場料が50000ルピーとあるが実際は85000ルピーであった。その物価上昇の感じからするとさっきのタクシーチケットが値上がりになっていても不思議ではないと考えた。
 美術館は一つ一つ丁寧に見ていくと時間がかかる。最後の方は飽きたが、まあバリ美術はこういうものだというのはわかった気がする。木琴のような楽器を館の前で演奏していた。
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↑プリ・ルキサン美術館
 今夜ウブドクロッド集会場でバリ舞踊があるのでそれに行くことにして、まずは腹ごしらえだ。日本語メニューがあるというDIANという店にした。日本式にA、B、Cセットがあって、私はBにした。計量カップのようなコップに紅茶が入っていて驚く。料理は要するにフライドチキンだった。しかしなかなかの味でこれが400000ルピーだからむしろ安いといえる。
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↑本日の夕食
 少し早いが集会場にやってきた。地球の歩き方によると、ここで舞踊を披露するのはリッタデウィとし「リッタ・デウィはウブドで一番ホットな公園を見せてくれると評判。伝統舞踊やコンテンポラリーの踊り手として国内外で活躍中の女性舞踊家デウィさんが率いる新進気鋭のグループでメンバーはスターぞろい」とある。チケットは門の露天で売っている。大きな札しかなかったので、おじさんのポケットマネーからお釣りが払われた。
 開演は19時30分と時間があるので、サッカー場まで歩く。サッカー場とはいっても空き地に芝生というか雑草が生えているだけだ。しかしここは子供たちが実際にサッカーをしているから紛れもなくサッカー場である。
 多くの店の前の道端にはお供え物の花が落ちている。今でもバリ島の人々にとってバリ・ヒンドゥの信仰は生活の一部となっているのだ。
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↑お供え物の花
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↑朽ち果てた公衆電話
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↑奇妙な形をした土産物

 18時50分、集会場に入る。入り口にいた女の子が、筆者の帽子に小さな水仙のような花をつけてくれる。
 舞台裏を通って客席へ。客席は黒いパイプ椅子。先客は白人の夫婦二人だけだ。しかし前列は予約の紙が貼っていたので、まだ来るはずである。 講演の開始時刻が近づき、最終的には20人ぐらいの客だった。これはきっと少ないほうだろう。
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↑ステージ
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↑客席
 19時30分、腰巻きをつけた男性の楽団がガムランという民族音楽を奏でだした。
 最初はペンデットという女性4人組による花まき踊り。歌舞伎の三番叟のようなものか。続いてはバリスという青年男子の戦士の踊り。肩を上に上げ、足をがに股にして、歌舞伎の六法を踏むような動きをする。その次にレゴン・クラトンとい女性3人による優美な踊り。最初にチョンドンという女官を演じる一人の女性が踊り、そのあとにラッサム王とランケサリ妃を扮する女性二人が踊る。最後の女性4人の踊りは分からないが、頭に動物の耳のようなものをつけていたからトペンの一種かもしれない。踊りには物語があるのだが、日本舞踊のそれも理解できない私が、バリ舞踊のそれを理解できるはずはない。ただカッと見開いた瞬きもしない目の動き、ピンと伸ばしたまま複雑な動きをする指先。バリ舞踊の魅力は理解できた。見るだけの価値はあったと思う。20時20分に終了。
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↑バリ舞踊(動きがないと面白くない)
 観劇の帰りにコンビニでアンカーというビールとKACANG KULITという南京豆と胃腸を整えるためのブルーベリーヨーグルトを買った。
 部屋でそれを食べる。南京豆を剥くと日本のそれのように甘皮がない。食べるのは便利だが味は少し落ちる。
 まもなく酔いが回って、疲れた身体を横たえた。
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↑晩酌用食材

4.バリ島をバイクで駆ける
4月29日(金) 晴
 7時起床。朝食はレセプションとは反対側の別棟で、ドアは昆虫や小動物の進入を避けるために常時閉まっている。朝食用のクーポンを渡す。
 窓際の席は白人観光客に占領されていたので、中段に落ち着く。ヨーグルトが見あたらないが、一通りのものはそろっているし、味も十分だ。
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↑朝食会場
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↑ビュッフェの朝食

 部屋に戻ると、ベルボーイに声を掛けられた。日本語が少しできるようだ。今日は自転車で散策するつもりだったので、レンタル自転車の店はどこにあるかと聞いた。この下のモンキーフォレストの下にあるといったが、ウブドは坂が多いので自転車よりバイクがおすすめだ、そのバイクなら一日600000ルピーだと説明した。
 その後ロビーで地図を開いていると、またそのベルボーイがやってきて、観光ならタクシーを雇った方がいい、と言ってきた。
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↑ロビー
 検討の結果、バイクを借りることにした。周辺の散策よりもバイクで遠くまで行こうという話になった。しかしほぼ一本道で行けるキンタマーニは明日オプショナルツアーで行くので却下。デンパサール方面は渋滞に突っ込みに行って事故をもらうと嫌なのでこれも却下。結局世界遺産の棚田ジャテルウィを目指すことにした。ただ問題は地図で見てもかなり複雑なルートを通る必要があるということだ。この筆者のスマホ契約ではインドネシアではローミングができないので使えない。つまりはグーグルマップが使えない。慣れない外国で道路標識も十分でないバリ島で目的地まで行き着けるのか不安に感じていた。
 10時15分、バイクに乗って出発。バイクというよりスクーターで、青いホンダのVARIOという車種だ。排気量は125ccらしい。ヘルメットは貸してくれた。免許の確認はしなかった。そもそも免許は必要ないのかもしれない。インドネシアは左側通行なので、さほど違和感がない。ただしクルマの運転は荒いので注意しなければならない。s-IMG_3986.jpg
↑借りたバイク(HONDA VARIO)
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↑沿道風景(どこなのかは不明)
 最初は順調だったが、途中で怪しくなって、引き返した。あとでGPSロガーを見てみると、Mengwi付近のかなりいいところまで行っていた。そのまま西に向かえば目的地にたどり着いたかもしれない。
 引き返しを決めたのはいいが、今度は来ていた道が分からなくなった。かなり北のサンゲェSangheに近づいてようやく誤りに気づいた。ガソリンはもともと半分しか入っていなかったので、給油した。並んでいるバイクのあとについて待つ。給油は店の人がやってくれる。インドネシアは産油国なのでガソリンは安い。ガススタでトイレも借りる。便器の外に水を溜めた桶がある旧式だった。
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↑ガススタ
 14時15分頃、クモンKumonの水色の看板を見かけた。日本の算数塾はインドネシアまで進出しているのか。
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↑算数塾KUMON

 完全に迷子になりどうしようもなくなり、近くの携帯電話屋に駆け込んだ。やっぱり電話は諦めていなかったので、まずはNOKIAの端末があるか聞いた。するとNOKIAよりSAMSUNGがおすすめだとスマートホンを持ってきた。通話専用のはないのかと聞くと、中国製のがあった。試しに手持ちのSOFTBANKのSIMを入れてみた。画面が乱れ、電波を捕まえれないようだ。
 最後にここの現在位置を聞いた。彼はスマホのグーグルマップを起動させた。現在地はたちどころにわかり、ウブドまでの道も分かった。意外に近くにいる。その地図をカメラに撮った。これで帰れる。チップをあげて退散。
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↑筆者はここにいた
 まもなくタクシーでウブドに来るときに通った道にでた。これでほぼ間違いない。
 もう15時だが朝食で隠し持ってきたチーズを口にしただけで、ほとんど何も食べていない。COCOMARTというスーパーを見つけた。そこでトーストと牛乳、アイスクリームで栄養補給。ここで問題発生。スクーターの鍵穴をふさぐシャッターが開かなくなったのである。実はこのシャッター機能のあるバイクに乗るのは初めてだ。解除方法は悩まされた。10分ほど悩み、キーについている六角形の型をキー穴に差し込んで回せばいいことがわかった。
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↑入ったスーパー
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↑初体験のシャッター付き鍵穴

 問題は解決したが、渋滞に遭遇。車がバックしようとしているのに、我先にとクルマがすり抜けていくのが原因だった。誘導員もいるがまるで役に立っていない。
 その5分後モンキーフォレストにやってきた。そうホテルに帰ってきたのである。
 情報によるとここからやや離れたところにあるプリアタンPeliatanに電話屋が並んでいるというので行ってみた。ある確かにある。ただしSAMSUNGの看板をあげているのが多い。NOKIAと書いている店に入ってみる。お目当てのNOKIA301はなく低級の105しかなかった。これは日本では使えないのがはっきりしている。結局バリ島では目的のNOKIA端末は見つからなかった。
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↑唯一NOKIAがあった店
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↑無駄が多い本日のバイクの動き(ループしてます)
 16時40分ホテルに戻る。その足でモンキーフォレストの猿を見る。猿は人見知りはしないので近づいてくる。

↑モンキフォレストの猿
 このホテルにはプールがある。かなり深いのと浅いのがある。深いのは水が常に補給されて、温泉の源泉掛け流しのような状態である。白人のグループがプールサイドでくつろぐのを横目で見ながら、ひたすら背泳ぎで泳ぐ。20分ほど泳いだ。プールからあがるとさっきのグループからシャッターを依頼された。
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↑ホテルのプール

 風呂に入って、19時前に町に繰り出す。モンキーフォレストを通り過ぎたところにあるPETANIで夕食。Pork RibとGoatCheese。それと赤ワイン。これが結構旨かった。目の前にステージがあるが、今日のシンガーは来ないのか片づけられようとしていた。
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↑本日の夕食
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↑演奏されることのなかったステージ
 スーパーで買い物して21時15分ホテルに戻る。
 BINTANというビールとアーモンドで晩酌。日付が変わる前に寝る。

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↑スーパーの品揃え
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↑夜のウブドの街(刺青屋)

5.キンタマーニなどバリ島観光ツアー
4月30日 曇
 7時前に起きた。ソフトバンクの携帯電話の電源が切れていた。おかしいと思って再投入すると、SIMカードが入っていないとのこと。しかし何度も抜き差ししたものの、ダメだった。もしかすると、昨日、携帯電話屋で中国製の安い端末にSIMを挿入したことにより、おかしな情報が書き込まれたのかもしれなかった。
 説明を忘れていたが、筆者の携帯電話は2台持ちで、1台は格安SIMの入ったスマホ、もう1台は音声通話のみのソフトバンクのガラケーである。格安SIMの場合、海外でのローミングができない(と思う。もしできたら教えてほしい)ので、海外でプリペイドSIMを買って、現地の電話会社の電波を捕まえる。ガラケーの方はソフトバンクのままローミングで使う。電話料金が高いし、着信でも料金が発生するので、これは緊急用としている。
 8時15分にチェックアウト。
 今日はVELTRA社を通じて「ブサキ寺院+ティルタエンプル+ゴアガジャ遺跡 パワースポット貸切観光ツアー<現地ガイド日本語可/キンタマーニ高原絶景レストランのインドネシア料理食べ放題ランチ>」ツアーを予約してあった。バリ島のヒンドゥー教に関する主要な観光スポットとキンタマーニ高原を巡り、空港まで送ってくれる。特に私はバリ島に行ったらキンタマーニに絶対に行こうと決めていた。その理由は簡単で名前が非常に印象的だからである。男ならば絶対行かねばと思った。
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↑この日の観光ルート
 8時25分、ツアーのガイドさんに流暢な日本語で話しかけれた。
 ツアーの客は私だけで、つまり貸し切りツアーである。運転手さんとガイドさんはどちらも男性。ガイドさんはブリーさんという。「魚のブリで覚えて下さい」とのことだった。いや本当の発音は違うのだが、覚えやすいのでそうしてもらっているという。
 ウブドのモンキーフォレスト通りを北上する。一昨日昨日と散々歩いたところだ。
 クルマはスズキのAPVという車種で、これはスズキが東南アジア向けに開発したもので日本では走っていない。このバリ島ではごくまれにドイツ車や韓国車を見かける程度で、ほとんどすべてといっていいほど日本車だ。ただしオートマチックミッション車はまだ普及しておらず、一昨日のタクシーも今日の送迎車もマニュアルミッション車だ。
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↑スズキAPV
 8時40分、まずはゴア・ガジャ遺跡Goa Gajahにやってきた。
「ゴア・ガジャ」は「象の遺跡」という意味であるが、バリ島には象は生息しておらず、動物の象を指すだけではなく「大きいもの」も意味することから、「大きな洞窟」と名付けられたという。
 細い階段を下ると泉が見えた。バリの人たちはここで身を清めるのだという。しかし水の流れがないので苔で満たされ汚れている。
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↑身を清める泉
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↑洞窟
 続いて顔の形をした洞窟の中に入る。香の臭いがたちこめる。その奥の方にお地蔵さんのような彫刻がある。それには赤、黒、白の布が掛けられている。この赤黒白はヒンドゥー教で重要な色で、それぞれ次のような意味がある。
赤  BRAHMA ( ブラフマ )
     火と創造の神様  生き物を作る

 黒  VISNU ( ヴィシュヌ )
     水と維持・繁栄の神様  生き物を守る

 白  SIVA ( シヴァ )
     風と破壊の神様  生き物が増えすぎないように破壊する
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↑お地蔵さん?のようなもの

 境内には大きな木がある。その木には精魂が宿っているという。こういった信仰は日本の民間信仰と同じだ。
 白人の観光客は腰巻きを巻いている。この腰巻きはサロンといって、こういった神聖な場所では肌を露出することは厳禁なので、短パンを履いている人はこれを身に付けさせられる。
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↑何の木がわからないけど大きな木

 9時24分、ティルタウンプル寺院 pura tirta Empulに着いた。ティルタエンプル寺院(ティルタウンプル寺院・Tirtha Empul)は、ウブドの北、タンパクシリンにある寺院で「聖なる泉が沸く寺院」として、有名である。伝説によるとこの寺院に沸く泉は962年に発見され、魔王マヤ・ダナワと戦ったインドラ神が、大地を杖で突き不老不死の水アメルタを沸きださせた場所とされている。
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↑入口にある貸し出し用のサロン
 寺院の外には、寺院内に沸く泉の水を引いた沐浴場があり、祭礼の時には多くのヒンドゥー信者がここで沐浴(ムルカット・清めの沐浴)をし、寺院でお祈りを捧げる。また、この泉から沸く聖水は、無病息災の力があると信じられており、ペットボトルやポリタンクを持って聖水をいただきに来る人も多くいる。
 バリの人たちにとってはパワースポットであり、実際腰まで水に浸かりながら、湧き出た聖水を浴びている。合計20箇所くらいで水が湧き出ているが、それぞれで叶えられる願いが違うという。
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↑沐浴場
 別のところでは地元の人たちが何か祈祷をしている。白い衣装はバリ人の正装だが、ヒンドゥー教の僧侶もそれを着るという。ちなみに僧侶はここでは暮らしておらず、必要な時にやってくるという。この場所には我々観光客は入れない。
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↑只今祈祷中
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↑立ち入り禁止の看板
 ふと山の上を見ると、立派な近代的な建物がある。これは大統領の別荘だそうで、小泉元首相もここに招待されたという。
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↑大統領の別荘
 10時、SW AGROという観光向けのコーヒー農園にやってきた。ここではコーヒーの無料試飲がある。しかし最大の目玉はジョコウネココーヒーだろう。私は全く予備知識がなかったのだが、ジョコウネココーヒーとはluwak coffee(ルアク・コーヒー)ともいわれていて、完熟したコーヒーの実を食べた野生のジャコウネコの糞から採取される、未消化のコーヒー豆から作られたコーヒーである。ジャコウネコが食べたコーヒーの実の果肉部分は消化されるが、コーヒー豆になる種子の部分は消化されずに糞とともに排出される。このコーヒー豆がジャコウネコの腸内の消化酵素や、腸内細菌による発酵作用によって、独特な香りと味わいになるという。メスよりもオスの方が高く、また飼育されたネコより野生の方が高いのだそうだ。ちなみにネコといってもジャコウネコはイタチに近い。ジョコウネココーヒーは東京で飲むと1杯8000円はするという。
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↑ジャコウネコ
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↑これがジャコウネココーヒー
 しかしここでは約500円で飲めてしまう。ちなみにオスだと800円だが、そこまではいらないと思ったのだ。
 眺めのいいテラスで小分けされたコーヒーを飲む。筆者はコーヒーとか紅茶は大好きなので、全部飲んだ。だが中には甘いのもあって閉口した。
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↑小分けされたコーヒー
 さてジャコウネココーヒーはサイホンにより抽出される。これは本格的だ。飲んでみると、さすがにコクがあって美味しい。問題があるとすれば、あくまでウンコなので特に女性に抵抗があるのではということ。この農園は日本人ご用達らしく、他にも3グループほど日本人観光客がやってきている。3人の年配の女性グループはジャコウネココーヒーを飲んでいた。気にしない人は気にしないのだ。
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↑ジャコウネココーヒー
 ブリさんと少し話をする。最近は日本人観光客がめっきり減って、仕事が減ったという。職を変えようかと弱気なことをいっていた。これは自分にはどうすることもできない。
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↑ブリーさん登場
 インドネシアのスマホがサムスンが多い。ブリーさんのはマイクロソフト、つまりノキアである。彼はミクロソフトと言っていた。あと日本ではほとんど見かけないブラックベリーも健闘している。
 さてジャコウネココーヒーをお土産にと思ったが、やはり元がウンコと知った時点で特に母などは拒絶反応をするのが目に見えていたので購入を見合わせた。
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↑いよいよキンタマーニへ
 さらにクルマを走らせた。11時、ついにキンタマーニにやってきた。 この当たりは標高1500m。涼しく感じる。バトゥール山は富士山に似ている。Batur Tengah通りにある展望台からバトゥール山が見え、麓にはバトゥール湖が広がる。これは絶景といっていいだろう。しかし物売りのオバサンがうるさく興ざめする。徹底無視する。しかしガイドさんが彼女から果物を買って、私にくれた。ブリーさんによるとキンタマーニとは「北にある湖」という意味らしい。事実、この湖はバリ人の水甕である。
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↑ここがキンタマーニだ
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↑物売りから買った果物
 11時49分、ブサキ寺院pura besakihにやってきた。五重の塔のような建物があって何か日本の寺院と雰囲気が似ている。それもそのはず、ブサキ寺院は、もともと8世紀ごろまでは仏教徒の修行の場であったという。隆盛を極めて衰退した後、20世紀に入った頃から復興が進んでバリヒンドゥー教の聖地となり、多くのバリ人の心のより所となった。今も重要な祭典などもこの寺院で行われ、お供え物を頭に乗せて参拝する人が絶えない。その賑わいを見るためにバリ島の代表的な観光地となっているのだ。
 ここでは午前中に行ったゴア・ガジャでもそうであったが、バリのヒンドゥー教で信じられている破壊神シヴァ、繁栄神ヴィシュヌ、創造神ブラフマのヒンドゥー三大神が中心に祀られている。それぞれの神を意味する白、黒、赤の3色の幟がはためいている。この日も何か分からないが法事のような行事があるらしく、どこかの家族か一族か祈りを捧げていた。
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↑プサギ寺院
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↑お供え物
 バリ島の人は日本人と同じでお祭り好きだなと感じた。ブリーさんによると、最近はバリ人も会社勤めの人が増えて休みが取りにくくなり、こうした行事が平日にやりにくくなってきたという。これは日本も同じだ。
 またここは特に神聖な場所であるので、異教徒の私はジーパンであってもサロンを巻くことになっている。これはガイドさんが用意してくれていた。12時17分にそこを去った。
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↑寺院外ではサロンを売っている
 12時37分、Mahagiri Panoramic Resort & Restaurantにやってきた。ブリーさんによると「田圃を見ながら食事できます。大統領もお気に入りです。」と言っていた。昼食は出発後にキンタマーニかここかどちらでも選べる融通の利くツアーで、私はこちらを選んだというわけだ。
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↑レストラン入口
 席は一人掛けのテラス席が用意されていた。ウエイトレスがやってきて飲み物は何になさいますかと聞く。コーヒーと紅茶はツアー料金に入っていて無料だがそれ以外は有料なのだ。私はミックスジュースを頼んだ。ツアーの説明ではインドネシア料理ということで、ナシゴレンやミーゴレン、チャンプルやサテといったものである。ビュッフェなので好きなだけ皿に盛っていい。まあ無難な味で特筆すべきところはないが私には十分である。隣はオランダ人の夫婦。何故かこのレストランは白人と日本人が中心で、中国人が少ない。道理で上品な感じがするはずだ。このままこの路線を続けて欲しいものだ。
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↑店内
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↑料理
 さて景観だがなんといっても棚田が見事だ。棚田は日本にも存在するが、このバリ島は温暖な気候と豊富な水のおかげで年間に3度稲を収穫できる三期作にできる。だからほとんどの時期で青々とした稲を見ることができる。ただし、棚田の見栄えをよくするために、三期作とするのは農家にとっては負担になるので、政府が補助金を支給しているという。
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↑棚田
 13時37分に出発。
 対向車が来たらどうするの、という感じの細い山道を下り、トゥガナンTengananにやってきた。ここはバリ島の原住民が渡来した仏教やヒンズー教に改宗するのを拒んだ人々が、集団を形成して、異教徒との交流を避けて生活していたところだ。ただ、時の流れは逆らいようもなく、この村だけで自給自足の生活は難しくなり、周辺のバリ人との混血が進み、村人の生活も変わらなくなっている。
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↑細すぎる道
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↑トゥガナン
 村は階段状に建物が造られていて、全体として素朴な雰囲気である。ただテレビアンテナは立っているし、おそらく携帯電話も持っているだろうし、子供はバイクを乗り回している。村の人口は減っているらしく、静かな雰囲気である。
 この村の収入源はアタと呼ばれる籐製品や、ダブルイカットと呼ばれる独特の高級織物である。しかしここで売られているものは値札はなく、おそらく観光客にはふっかけるつもりなのだろう。実際あまり売る気はないらしく、その商品の多くは埃をかぶっていた。薄い木の皮にキズをつけて黒曜石で色づけした巻物は、村人でデモンストレーションしてくれている。バリ島の地図やバリヒンドゥのアイコンなどが描かれていて、食指が動いたが、どうせふっかけられるだろうし、一度見ただけでどこにいったかわからんという多くの土産物のひとつになる可能性大なので、写真を撮るにとどめた。
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↑バリマップを作った
 本来のツアーの日程では、このあとはどこか適当なレストランで食事をしてからバリ舞踊を観劇して、ホテルへ送ってもらって終了となる。しかし私の日程は22時発の飛行機に乗らねばならず、20時に空港に着いていなければならない。そもそもバリ舞踊はすでに見たし、夕食は空港のラウンジで済ますつもりだった。
 海沿いの道を走りながら、ブリーさんは「どこに行きましょうかね~」という。このままだと17時前に空港に着いてしまう。私はバリ島の最南端の岬に行くことを提案したが、そこに行く時間はないという。それに提携している店があるので、どこでも自由に行けるというわけではないらしい。
 そこで考えたのがマッサージである。バリ島といえば、特に女性の間ではエステが人気がある。私は男性なので肌の荒れは、歳のせいだと簡単に片づけられるので全く気にしないが、まあマッサージならいい時間つぶしなるのではないかと、ブリーさんに提案して了承された。
 クルマが走っているところは、バリ島随一の主要幹線道路で夕方ということもあって渋滞気味である。バス停は何故か駅のプラットホームのように高いところにある。
 16時45分、それでも時間が余るので、ギャラリアという免税店に寄ることにした。かつてはこうした免税店はブランド物を買い漁る日本人女性であふれていたが、今や中国人だらけで日本人はいるのかどうか分からない状態だ。免税店であるので、地元の人は買い物できず、航空券とパスポートを示し登録する必要がある。
 免税といっても高級品なのでTシャツ一枚買っただけだった。これがバリで買った唯一の土産物となった。
 ここでは30分の買い物した。
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↑バリ島のギャラリア
 ギャラリアからわずか3分走ったところでクルマが停まった。どうやらここでマッサージをするらしい。Galuh Bali Spaという店であった。
 入り口は日本の鳥居のようになっていて、JCBカードが使える。つまりターゲットは日本人であることを示している。こういうところは清潔で安心感はあるが、品質は中級程度であることが多い。
 マッサージは一番安い60分コースにした。今から思えば90分にしてもよかったが、ブリーさん達を早く解放させたいと思ったのだ。
 料金は先払いである。クレジットカードのブランドはJCBしか表記されていなかったが、ブリーさんが何でも使えるはずといったとおりの結果で、VISAでも全く問題なかった。
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↑入口
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↑待合
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↑日本語の注意書き
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↑マッサージのベッド
 ブリーさんに写真を撮ってもらったりして待っているうちに、マッサージ担当者とおぼしき女性が現れた。
 ベッドとシャワーのある小部屋に案内されると、ガウンに着替える。盗難防止のため、着替えはロッカーに入れ、鍵は身につけておく。マッサージ中は身動きがとれないので、これは必要な措置だろう。
 マッサージ自体は平凡で、日本で受けたタイ式マッサージの方が利いている感じがする。技術からすると4500円という値段設定は高い印象だ。マッサージを終えるとシャワーを浴びた。しかしヘアドライヤがないので、その旨をつたえると、別の部屋に連れて行ってくれた。ただしブラシがないので、手櫛となりヘアスタイルは絶望的になった。
 18時39分、ブリーさんお待たせしましたと、クルマに乗る。
 19時前空港着。ブリーさん達に別れを告げた。もう少し感動的なお別れをしたかったが、非常に素っ気ないものになった。
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↑ここでブリーさんとお別れ

6.さらばバリ島
 デンパサール空港はヒンドゥー教のイメージなどないほど、とても近代的だ。
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↑出発ゲート
 ヴァージンオーストラリア航空のブリスベン行きのカウンターはすでに長蛇の列ができている。
 ようやく筆者の番が来た。このヴァージンオーストラリア航空のブリスベン経由のクライストチャーチ行きは、Tripstaという代理店を経由して手配した。メールには、「この領収書とパスポートをチェックインカウンターにお示しください」とある。しかしこの日本語が係員が読めるのかと疑問に思っていた。案の定、係員は英語のはないのかという。こんな場合に備えて、出発前にヴァージンオーストラリア航空のウェブサイトにアクセスして英文搭乗者情報を印刷してあった。しかし私が英語の部分と予約番号を指し示すことで理解できたらしく、英文資料は出番がなかった。
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↑出発カウンター
 チェックインが完了したのは19時55分。空港に来てから1時間を経過していた。
 保安検査と出国審査を抜けてセキュリティーエリアへ。非常にきらびやかで、シンガポールのチャンギ空港よりは落ちるものの、関空よりは雰囲気は上だ。
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↑ターミナルビル内
 紙幣はすべて日本円に両替した。バリ島ではみやげを買うつもりはなかったので、本屋でニュージーランドの道路地図を書った。小銭をここで一部を残してすべて使い、残りはクレジットカードで払った。ここで買った地図は、現地ではGPSナビやスマホが活躍したので出番がなかった。
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↑この日の為替レート
 20時45分、中2階にあるラウンジに入った。プライオリティパスの使えるラウンジは今やお金を払えば利用できるところであり、高級感は全くなくなってしまった。しかしこれはある意味当然である。
 さてここでは食事をするつもりだった。しかし昼食を食べ過ぎたせいかあまり食欲がわかず、少し食べただけにとどまった。
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↑ラウンジ
 ここでは何をしていたのか思い出せない。書き物をしていたような気もするし、繋がりの悪いWifiに悪戦苦闘しながらスマホをいじっていたのかもしれない。
 21時35分、10番ゲートにやってきた。ゲートにはおそらくオーストラリア人と思われる人たちが椅子に座ったり、床にジベタリアンしながら待っている。家族連れも多い。
 飛行機は沖止めでランプウェイバスで移動する。ちょうど私のところでバスは満員となってしまい、立って待っていなければならなかった。深夜とはいえ発着数が多く、業務用車両が右に左に動いている。
 待つこと15分、やってきたバスに乗る。
 暗闇にVirsinの赤い垂直尾翼が浮かんでいた。タラップは2本あって、私は後ろから乗るように指示されていた。
 機体はボーイング737-800で左右3列ずつ。筆者は通路側で右隣は赤ちゃんを連れた若い夫婦であった。窓側の男性が子供を抱き、母親は希望者に配られたWifi端末で機内エンテを楽しんでいた。
 機内は消灯し紫色の光が妖しく輝いていた。22時15分に離陸した。
 機内はほぼ白人という感じでまるで異物のような日本人は私だけのようであった。
 一秒でも早く寝たい気分だが、飲み物のサービスが始まるまで座席を倒すこともできない。
 23時に機内食。朦朧とした意識の中で食べた。
 食べ終わるとすぐに睡眠に入った。
 さらばバリ島。

7.バリ島の印象
 筆者は2009年の極東ロシア旅行記に書いたように、バリ島への航空券を購入しながら「求めているものがそこにない」という理由で、キャンセルした経緯がある。それなのに何故バリ島に興味を持ったかといえば、2015年のフィリピン旅行がきっかけだ。そこで一緒に泊まった日本人客から「バリ舞踊は見るべき価値がある」と言われたからだ。それ以来「そうなのか」と思いつつバリ島へ行く機会を伺っていたのだ。
 そうして、やってきたバリ島だが、最初に割高なエアポートタクシーに乗ったので、もう一つ印象が悪かった。しかし時間が経つとなかなかいいところだと思うようになった。昼間は暑いが夜は涼しいし、物価が安い。左側通行や宗教的概念など何か日本とよく似たところがある。インドネシアで最初にリゾート開発された島なので、観光客を扱い慣れているので、リゾートで長期滞在にも適していると思われる。その芸術性に魅せられて白人の移住者も多い。正直、筆者もここで暮らしてもいいとも思った。
 ただクルマの運転が荒いのと、社会インフラが清潔感に欠けることが難点だ。それに医療の面はどうしても不安を感じてしまう。さらにブリさんによると地震は結構あるらしい。やはり暮らすとなると日本人は日本で暮らすのが一番いいようだ。
 当初予定にはなかったことであったが、バイクで走り回ったのは面白かった。結局目的地には到着しなかったが、どうしても到着しなければならないところではなく、とりあえずの目標だったから問題はない。帰国後、125CCのスクーターの魅力にとりつかれ、購入を検討することとなった。
 このバリ島旅行はニュージーランドの日程を削ってでも来た価値はあったと思う。次回は豪華なリゾートホテルでのんびりしたいものだ。海辺でデッキチェアに座り、トロピカルアイスティーを飲みながら本を読む。そんなことを夢想している。



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バリ島ニュージランド旅行~序章篇~ [旅行]

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↑左=バリ舞踊 右=ニュージランドテカポの夜空

 2016年5月の大型連休はとてもいい並びになった。
 4月     5月
 29日 30日 1日 2日 3日 4日 5日 6日 7日 8日
 金  土  日  月 火  水 木  金  土  日
 昭          憲  み こ

 すなわち、5月2日と6日を休めば、10連休という空前の長期休暇が実現するのだ。これを利用して海外旅行に行くことにした。それも行ったことのない遠くへ行きたい。有力候補はニュージーランドであった。南半球は5月は秋であり紅葉が綺麗だろうし、日本と同じ左側通行なのもレンタカーを利用する上で気楽だ。ヨーロッパはISのテロに巻き込まれる危険があることから除外した。南米は10連休でも日程的に不十分だ。前年の12月には所属長の許可を得て、有給休暇の申請をした。ところが2016年の会社のカレンダーが発表され、5月7日土曜日は出勤日となっていた。これでは10連休にならない。その日を追加で休むのも考えた。しかし、長期休暇でいきなり出社して連日働くよりも、何とか頑張って出社して、次の日休んだ方が体調も維持しやすい。さらに帰国が集中する8日は航空券も高いだろうし、逆に4月29日よりも前に出発すれば少しは安くなるはずだ。また万が一滞在が延びた場合も対処しやすい。そんなわけで4月28日、5月2日、6日の3日間の休みを申請し了承を得られた。これでも9連休で壮大な旅行となろう。
 さてニュージーランドに行くことは決めたが、どのようにして行くかは決めてはいない。もっとも一般的なのは成田空港からニュージーランド航空の直行便を利用することだ。成田を18時30分に出発してオークランド経由でニュージーランド南島の拠点クライストチャーチには翌日の11時25分に着く。航空運賃は22万円前後だったと思う。中国南方航空の利用だと10万円台であったが、あの中国人と一緒に夜間飛行して快適な旅行になるはずがないという理由で選択枝になかった。同様にジェットスターのようなLCCの利用は意外と安くなかったことと、乗り遅れなどのリスクが高いのでこれを利用しないことにした。
 ただ成田発が遅い夕方というのは時間がもったいない気がした。筆者は関西人なのでできるだけ関空を利用したいという気持ちもあった。正規航空会社でもっと便利なのはないのか。
 考えているうちに、シンガポール航空を利用することを思いついた。シンガポール航空の接客設備がいいのはよく知られるところだ。これを利用する以上、シンガポール経由となるのは必然となる。だがそれがかえって好都合であることがわかった。
 筆者はインドネシアに行ったことがなかった。いや正確にいうとあるのだが、そこはインドネシアであってインドネシアではなかったのだ。どういうことかというと、筆者が行ったのはインドネシアのビンタン島だからだ。ビンタン島はシンガポールの対岸にある島で、シンガポールが主導して観光開発を進めたリゾート地だ。地元民とは接触しないようになっているし、シンガポールドルもそのまま使える。いわゆる治外法権的な島だ。だから、インドネシアビザを取得して入国したものの、まるでインドネシアに来たという実感はなかった。
 そんなわけでインドネシアに行くことにした。インドネシアでもっとも有名な観光地はバリ島で、最大の島ジャワ島であれば、経済的の中心でもある首都ジャカルタ、古都ジョグジャカルタというのが知名度の並びだろう。ジャカルタはISのテロがあったから除外、ジョグジャカルタもイスラム教徒の多い場所だから除外。ヒンドゥー教のバリ島なら大丈夫だろう。バリ島では数年前に白人の観光客相手に爆弾テロがあったが、海辺ではなく内陸部に泊まれば大丈夫そうな予感があった。
 バリ島に行くことはこうして決まった。バリ島のどこに行くかだが、バリ舞踊鑑賞は絶対にはずせないところだ。バリ島内陸部にウブドという都市があり、そこは古来芸術の都として機能していたという。宿泊はそこですることにした。またバリ島の北部にはキンタマーニという非常に魅力的な名前の山があるという。そこを含めたオプショナルツアーに参加することにした。
 またせっかくシンガポールに行くのだから、市内に出て、安い携帯電話あれば買おうと思った。当時使っていたソフトバンクのガラケーは使いにくく違うのが欲しかったからである。このガラケーについては当ブログでも記事を書いた。とにかく小さくて基本機能の充実したガラケーはもはや日本には存在しないのである。
 ニュージーランドはそこだけでも本来9日間でも足りないところである。北島のウエリントン、南島のクイーンズタウン、ミルフォードサウンドなどは諦め、南島最大の都市クライストチャーチ、夜空のきれいなテカボ、南島最高峰のマウントクックに絞ることにした。
 大まかにいって4月にバリ島、5月にニュージーランドという日程になった。また宿泊費をできるだけ抑えるため飛行機は夜行便を多用することにした。

※※※※日程※※※※

4月27日
 夜、関空を出発(シンガポール航空)

4月28日
早朝シンガポール着
昼過ぎ バリ島着
ウブド散策 宿泊

4月29日
ウブド周辺観光

4月30日
キンタマーニ高原オプショナルツアー
夜バリ島を出発(ヴァージンオーストラリア航空)

5月1日
朝オーストラリア・ブリスベン着
夕方ニュージーランド・クライストチャーチ着(ヴァージンオーストラリア航空)
レンタカーにてテカポに移動
夜テカポ着 宿泊

5月2日
昼、テカポ周辺散策
夜、テカポ星空ツアーに参加

5月3日
レンタカーでマウントクックまで移動
トレッキングにてマウントクックまで接近


(悪天候でマウントクックが見れない場合は変更となるため宿泊地は未定)

5月4日
レンタカーにてクライストチャーチへ移動
昼過ぎクライストチャーチ着
クライストチャーチ市内観光
宿泊

5月5日
午前クライストチャーチを出発(シンガポール航空)
夕方シンガポール着
シンガポール市内散策
深夜シンガポールを出発(シンガポール航空)

5月6日
朝、関空に到着

 航空券はシンガポール航空は航空会社から直接購入した。Denaトラベルでも同じ額面だったが、旅行会社を通すとキャンセルした場合、旅行会社にも手数料が必要なので損するからである。ヴァージンオーストラリア航空は逆に直接購入するよりも、Tripeという旅行会社を通した方が安かったのでそこを利用した。この会社はヨーロッパにあるらしく、支払いはユーロクレジットカードの手数料もこちらが支払うことになるらしい。予約画面は自動翻訳らしく日本語の表示がときどきおかしく、不安に感じた。しかし発行された航空券の予約番号をヴァージンオーストラリア航空の予約サイトに入力すると自分の名前が出てきたので安心した。
 バリ島の2泊とテカポの2泊は、日本の旅行代理店アップルワールドを利用した。これも直接予約するより安かったからである。クライストチャーチのホテルは直接予約の方が安かった。よく海外のホテルは個人情報入力時にセキュリティーがかかっていないことがあるので注意を要するが、予約したホテルはそんなことはなかった。
 5月3日の宿泊地はわざと決めなかった。ニュージーランドではモーテルが発達しているので「VACANCY」のネオンサインのあるホテルに入ればとりあえず泊まれるのである。
 このような準備を2月頃に終えて、出発の日を待つことになった。
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続く(現在鋭意執筆中です。乞うご期待。)
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広島東洋カープ25年ぶりの優勝 [野球]

 2016年プロ野球セントラルリーグ優勝は広島東洋カープだった。前年15勝した前田健太がポスティングシステムでアメリカに去り、戦力低下が予想され、Aクラスはともかく優勝は難しいのではないかというのが下馬評だった。
 例年、カープは交流戦を苦手にしていたが、他のセリーグの各チームが軒並み負け越す中、11勝6敗で乗り切った。4月に2000本安打を達成した新井は絶好調で、鈴木誠也という若手のスラッガーが飛び出した。緒方監督が彼の活躍ぶりを表現した「神ってる」は名文句になった。野手陣は前述の新井が、投手陣は日米通算200勝を達成した黒田が精神的支柱となった。外国人は広島で長いエルドレッドがまとめた。ジョンソンに野村の左右エースに豊富な救援陣。打線でも中軸を担う菊池、田中、丸の若いセンターライン、故障者が生じても埋まる分厚い選手層。若手、中堅、ベテラン、外国人すべてが噛み合った。前年は不思議な采配も見られた緒方監督も今年は采配がずばりと的中した。
 すべてがいい方向に向かい、他のセリーグのチームが決め手を欠く中、カープは勝ち進んだ。そしてマジック1とした9月10日、東京ドームジャイアンツ戦で優勝を決めたのだった。
 広島市内はカープの25年ぶりの優勝に酔いしれた。横浜市を本拠地にするベイスターズや千葉市を本拠地にするマリーンズが優勝しても、横浜市民や千葉市民がここまで熱狂するだろうか。あと10年時間が経過してもそうはならないだろう。首都圏に属するこの両市は東京の付録のようなものだからだ。もちろんそれぞれの市民には異論があろうが。
 さて、このカープが優勝できた理由は、広島からFAで一旦は出た新井と黒田が「広島を優勝させるために」帰ってきてくれたことが最大の理由だと思うが、彼らとて優勝の望みのない球団であれば、帰ってこなかったと思う。そうなる気持ちにさせたのは、2007年に新人ドラフトで逆指名がなくなり、クジ次第で好素材の選手が入ってくれるようになったことと、2009年に新球場に移転したことだろう。
 新球場はあくまでも広島市の所有だが、その企画立案においてカープ球団が関与し、プロ球団が使用することを前提とする球場であった。内野にも天然芝を敷いた、まるでメジャーリーグのような球場に仕上がった。旧広島市民球場は街の中心部にあって路面電車でのアクセスには便利だったが、遠方からの客を集めるには難点があった。その点新球場は広島駅から徒歩圏内で、JRを使ってより広範囲の集客が可能であった。東京からはるばるやってくるカープ女子の観戦にも便利になったのだ。このカープ女子の存在は営業面で大きなプラスとなった。筆者は思うにカープの赤いユニフォームが女子の心を刺激したのだと思う。これが「青」だったら成功していたかどうか。
 もともと広島は野球の応援スタイルの発祥地であることが多い。外野席からのトランペットによる応援歌演奏もそうだし、紙テープにかわるジェット風船もそうだ。この創造力の高さが、他の球団にないような球団グッズが作られ売れるようになったのだ。2004年の球界再編以来、ジャイアンツ戦のテレビ放映権料による球団ビジネスは崩壊し、球場の入場者とその広告看板、それと球団グッズが球団収入の柱になったのだ。この変化に対応できたカープ球団が次第に収支を好転させ、より選手の年俸に反映できるようになった。例えば黒田は年俸6億円と12球団最高だ。FA選手を引き留めることもできず、流出されるがままだったかつてのカープでは考えられないことであった。
 新球場効果で観客が増え、ドラフトで獲得した好素材を、伝統の育成技術で鍛える。この好循環により次第に戦力の整ったカープに、かつてのスターが戻ってきた。まさに今しかないというタイミングでカープは優勝したのだ。
 「今年だけはクライマックスシリーズはなしにしてほしい」とは短期決戦に慣れない広島ファンの気持ちだが、今の勢いなら、クライマックスはもちろん、日本シリーズも突破するのではないか。
 あまりにも出来過ぎたシーズンなので、来年は反動も大きく、とてもカープの黄金時代の到来とはいかないだろう。でも浮き沈みはしても、一度つかんだカープファンはカープを見捨てたりしないだろう。きっとまた夢を叶えさせてくれる筈だ。

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独学で合格☆ファイナンシャルプランナー2級取得記 [資格]

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■■ファイナンシャルプランナーとは■■
 世の中、ないと困るものといったら何といってもお金だろう。もちろん空気、水、食べ物、住まい、知恵と勇気も必要だが、それは大災害が起きてどうにもならなくなったときだろう。東日本大震災のような大惨事で家が流出したとしても、お金があれば、すぐに生活を再建できる。平常時で政府が存続する限り、お金があれば何でもできるというのは、暴論かもしれないが、完全に否定することはできないだろう。だから人間は汗を流して働き、お金を稼がなくてはいけないのである。
 そんな大事なお金だが、できれば有効に使いたいのは当然考えることだ。お金でお金を稼ぐのはもっとも効率がいいからだ。しかし、将来自分の公的年金はどの程度もらえれるのか。足りない分の個人年金はどのようなのをいつからすればいいのか。万が一の保険はどうするのか。貯蓄にしても安全性を重視して銀行預金にするのか、高金利を狙って債券を買うのか、またリスクをとって株に投資するのか。また家を買うにしても、どのような返済計画とするのか。相続財産の税負担をできるだけ減らすにはどうすればいいのか。人それぞれに家族構成、収入が異なるので、適切な運用をしている人は果たしてどれくらいいるだろうか。
 そこでお呼びがかかるのかファイナンシャルプランナーだ。いわゆるお金の専門家。稼いだお金をどのように運用するのか助言する仕事で、国家資格となっている。しかし実際こんなことを相談する人がどの程度いるだろうか。ちょっとできる人なら、インターネットで情報を集めれば、適切に運用できるだろう。お金を払ってまでファイナンシャルプランナーに相談しようという人は多くいないだろう。職業として選ぶにはかなりの人脈がではないだろうか。
 だから筆者はファイナンシャルプランナーになりたくて、資格取得を目指すのではない。あくまでも自分の知識として頭に入れておいて、適切に資産を運用するためだ。
 そのファイナンシャルプランナー技能士は独立開業の資格としてよりも、銀行・保険など金融関連企業の社員のスキルアップに使われているのが現状だ。そのためファイナンシャルプランナーはその該当する企業に就職しているか、十分な実績ないと受検できない。ただそれは2級の場合であって、3級は誰でも受けることができる。そして3級に合格すれば2級の受験資格が得られる。
 よって門外漢の筆者は3級から受検することになる。

■■まずは3級に挑戦■■
 ファイナンシャルプランナーの特長は実施団体が二つあり、受験科目も3種類の選択となっているが、どれで取得しても「ファイナンシャルプランナー技能士」を名乗れることである。実施団体は日本FP協会と金財がある。金財はどうやら金融業界向け受験者のようで、自分のような門外漢は日本FP協会から受験するのが一般的らしい。実際、巷で売られている参考書は日本FP協会のが圧倒的に多い。だから受験科目は資産運用提案業務とした。
 3級は学科と実技に分かれている。学科は正誤応答問題と3択問題。実技といっても面接などではなく、源泉徴収票とか預金残高の資料を実際に用いて、適切な提案をする問題で、3級のそれは選択式になっている。
 まずは参考書の購入だ。手頃な資格なので、どれを選んだらいいのかわからないほど種類が多い。「これで合格」とか「この一冊でOK」とか、そういう言葉に惑わされないように、中身を吟味した。そうして選んだのがこの本だった。
「一発合格!FP技能士3級完全攻略実戦問題集」
 そして参考書として
「FP技能2・3級検定頻出用語速習ハンドブック」
 3級合格のあとはすぐに2級を取るつもりなので、参考書は2級3級両用にしたのだ。ちなみに「一発合格!」のタイトルに惑わされたわけではない。念のため。
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↑一発合格!FP技能士3級完全攻略実戦問題集
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↑FP技能2・3級検定頻出用語速習ハンドブック

 そして過去問は「資格の大原」のサイトからダウンロードできるのでそれを利用した。
http://www.o-hara.ac.jp/osaka/syakai/fp/fp_mondai-kaitou_kan.htm
 隙間時間を利用して勉強するにはスマートフォンアプリを利用するのが一番いい。FPは受験者の多い資格なので、多数のアプリがある。無料とうたっていても、アプリ内で購入しなければならなかったりするが、だいたい500円台ぐらいだ。一番有効に活用できたのは「資格の学校TAC」が制作した「オンスクFP3級」というアプリだ。ただただ問題を解いていくだけでなく、ゲーム要素もあるので飽きない。
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↑資格の大原のファイナンシャルプランナー過去問
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↑スマホアプリ「オンスクFP3級」
 ファイナンシャルプランナーは以下の6つの要素に分かれている。
A.ライフプランニングと資金計画(年金)
B.リスク管理(保険)
C.金融資産運用(金融)
D.タックスプランニング(税制)
E.不動産
F.相続・事業承継

 は国民年金や厚生年金。国民年金は20年間納付しないと受給資格がないとか、遺族厚生年金と老齢基礎年金は併給させるとか、公的年金に関する問題だ。あとはファイナンシャルプランナーとしてできることは何かという知識も問われる。
問題例:
(1) 税理士資格を有しないファイナンシャル・プランナーが、顧客の求めに応じて行う 個別具体的な税務相談は、その行為が無償であれば、税理士法に抵触しない。
(4) 確定拠出年金制度の給付には、老齢給付金、障害給付金、死亡一時金があるが、所 定の要件を満たした場合には、脱退一時金が支給される。
(32) 65歳到達時に老齢基礎年金の受給資格期間を満たしている者が、70歳到達日に老齢 基礎年金の繰下げ支給の申出をした場合の老齢基礎年金の増額率は、( )となる。
1) 18%
2) 30%
3) 42%


 は生命保険、火災保険、傷害保険のように、家の大黒柱の死亡とか、想定外の事故に備える金融商品の知識を問われる。掛けている保険会社が倒産した場合の保険金の支払いはどうなるかといった問題もでる。生命保険に関しては、終身保険、定期保険、養老保険の3種類を確実に理解しておくこと。
(7) 払済保険は、現在契約している生命保険の以後の保険料の払込みを中止し、その時 点での既払込保険料をもとに、元の契約の保険期間を変えずに、元の主契約と同じ種 類の保険(または養老保険等)に変更するものである。
(10) 普通傷害保険は、国内での急激かつ偶然な外来の事故による傷害が補償される保険 であり、海外旅行中に発生した同様の事故による傷害は補償の対象とならない。
(36) 保険期間の経過に伴い保険金額が増加していく逓増定期保険は、( )。
1) 保険金額が増加するに従って、保険料も高くなる
2) 保険金額が増加する一方、保険料は変わらない
3) 保険金額が増加する一方、保険料は低くなる

 は金融資産を運用するための定期預金、国債、株式、投資信託、外貨預金などの知識が問われる。
(13) ETF(上場投資信託)は、上場株式と同様に証券取引所を通じて取引され、成行や 指値による注文も可能である。
(15) 東証株価指数(TOPIX)は、株価水準が高い値がさ株の値動きの影響を受けやすく、 日経平均株価は、時価総額が大きい株式の値動きの影響を受けやすいという特徴があ る。
(44) 米ドル建て外貨預金10,000ドルを円貨に交換する場合、為替レートがTTS=121円、 TTM=120円、TTB=119円のとき、その円貨の額は( )である。
1) 1,210,000円
2) 1,200,000円
3) 1,190,000円

 は所得税、法人税、青色申告などの知識が問われる。所得税は累進課税であること、配偶者控除など所得控除についての理解、法人税で損金算入できるのは何か、消費税の簡易納入者制度の理解。
(18) 勤続年数が20年を超える者が退職手当等を受け取る場合、所得税において、退職所 得の金額の計算上、退職所得控除額は、40万円にその勤続年数を乗じた金額となる。
(20) 納税者が本人と生計を一にする配偶者その他の親族の負担すべき社会保険料を支 払った場合であっても、社会保険料控除として、その支払った金額を総所得金額等か ら控除することができない。
(47) 年末調整の対象となる給与所得者は、年末調整の際に、所定の書類を勤務先に提出 することにより、( )の適用を受けることができる。
1) 雑損控除
2) 寄附金控除
3) 生命保険料控除

 は固定資産税や登録免許税、住宅ローン減税の利用条件など不動産に関する知識だ。
(21) 区分建物に係る登記に記載される区分建物の床面積は、壁その他の区画の内側線で 囲まれた部分の水平投影面積(内法面積)により算出される。
(25) 相続による不動産の取得に起因して所有権移転登記を行う場合は、登録免許税は課 されない。
(53) 都市計画法の規定によれば、市街化調整区域は、( )とされている。
1) すでに市街地を形成している区域
2) 市街化を抑制すべき区域
3) 優先的かつ計画的に市街化を図るべき区域


 は相続税、贈与税に関する知識だ。法定相続人とか税額控除額はよく覚えておく必要がある。
(28) 相続税の課税価格の計算上、初七日や法事などのためにかかった費用は、相続財産 の価額から控除することができる葬式費用に含まれない。
(30) 住宅取得等資金として両親から資金の贈与を受けた場合、「直系尊属から住宅取得等 資金の贈与を受けた場合の贈与税の非課税」の適用と併せて、相続時精算課税制度の 適用を受けることはできない。
(57) アパート等の貸家の用に供されている家屋の相続税評価額は、( )の算式によ り算定される。
1) 家屋の固定資産税評価額 ×(1-借家権割合×賃貸割合)
2) 家屋の固定資産税評価額 ×(1-借地権割合×賃貸割合)
3) 家屋の固定資産税評価額 ×(1-貸宅地割合×賃貸割合)

 3級の学科試験はこの6分野から5問ずつの正誤問題30問と、やや難しい計算問題を含む6分野から5問ずつの3択問題30問の合計60問で構成されている。
 実技は金財が実施する「個人資産相談業務」「保険顧客資産相談業務」、FP協会が実施する「資産設計提案業務」があり、それぞれ問題が異なっている。「資産設計提案業務」の場合、3択問題20問で構成されている。3級の場合、実技とといっても学科と大して内容は変わらず、具体的なキャッシュフロー表とか源泉徴収票、会社四季報、税額速算表、保険契約書などが用いられているだけである。
 勉強法としては、これまで受けた資格試験と大きく変わることはなかった。

1.過去問を予備知識なしにいきなりやる
2.間違えたところを参考書で調べて理解する
3.スキマ時間はスマホアプリで勉強する(今回はオンスクを利用)
4.もう一度過去問をやる
5.再度間違えたところをノートに書き出す。
6.書き出した内容をPCに打ち込み、音声読み上げソフトで録音し、移動時間中に聞く
7.Youtubeに講義のビデオがアップされているのでそれを視聴

 これらを繰り返すことにより、過去問は70%以上は正答できるようになった。勉強時間としては平日2時間、休日4時間を1ヶ月程続けた。ただし、筆者は怠け者なので毎日やっていたわけではない。1ヶ月と書いたが、それはあくまで最初と終わりの期間であって、実際はその半分ぐらいだろう。筆者の場合、小中高と社会科が得意で、その中でも政治経済は得意な方だったし、早くから投資信託や外貨MMFとかを実際に買っていたので、金融の知識は多少はあった。興味のある分野だったので勉強といっても一部復習の要素があったのかもしれない。

■■3級に合格■■
 2015年1月25日、ついに試験日がやってきた。会場は和歌山商工会議所。和歌山市役所の隣にある。受験票には自動車、自転車、バイクの乗り入れ厳禁と書いてあった。しかし日曜日で市役所は休みだし、駐輪場が開放されているのを知っていたので、自転車で行った。
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↑和歌山商工会議所
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↑会場案内
 会場の部屋の割り当てを見ると、2級が圧倒的に多く200人くらいの受検者だ。3級は一番狭い「特別会議室」一部屋だけで、受検者は50名程度だ。このファイナンシャルプランナーの試験はボイラーとか冷凍機器と同じで、その業界に従事する人の持っている知識を証明するためのものとなっているのだろう。2級なら金融業界に2年従事していれば受験できるからだ。
 そんなわけで肩身の狭い3級受験であった。部屋の受験者顔ぶれを見ると、確かに業界に無関係の力試し的な人が多かったが、中には保険関係の人もいるようだ。おそらくいきなり2級を受ける自信のない人が3級を受けているのだろう。年齢は40代が多いようで20代は5人ぐらい。女性も40%ぐらいいる。
 ファイナンシャルプランナーの試験は指定された座席に座ると、解答用紙であるマークシートにははじめから受験番号がマークされている。本人確認は免許証などを机に置いておき、監督官が試験中に巡回して確認する。受験票に写真を貼る必要もないし、何かと手間いらずだ。
 午前中は学科。10時に開始。日頃の勉強の成果が出て30分ほどで終了した。手応え十分で、11時に途中退出した。
 近くのファミリーレストランで昼食。隣の男も何か資格の本を開いていたが、そのページは動いていなかった。
 午後は13時30分から実技。実技といっても前述のように資料を実際に使う点が午前の学科と異なるだけで、学科の知識で解答可能だ。こちらも30分で解答を終えたが、途中退出ができず、目を瞑って過ごした。14時30分に退出。
 試験の模範解答はその日の夕方にFP協会のウェブサイトに公開される。試験問題は持ち帰りができて、書き込みもできるので、答え合わせが可能だ。
 結果は学科が75点、実技が85点。合格点は60点だから、余裕で合格した。
 約一ヶ月後、3級の合格証書が届いた。これで2級の受験資格が得られたので、早速5月の試験を申し込んだ。

■■最初の挫折■■
 さて2級を申し込んだのはいいが、勉強はなかなか手を付けなかった。実のところ、過去問すら見ておらず、試験問題がどのようなものかも知らなかった。資格取得に関するサイトをみても、「2級は3級と出題範囲は同じ。よって3級の知識で合格可能」と書かれていて、そのように認識していた。せいぜい正誤問題が4択になったぐらいだ、と軽く考えていたのだ。
 実際に過去問をやり始めたのは、試験の11日前であった。

 2級の学科は4択問題60問。以下の6分野から各10問ずつ出題される。
A.ライフプランニングと資金計画(年金)
B.リスク管理(保険)
C.金融資産運用(金融)
D.タックスプランニング(税制)
E.不動産
F.相続・事業承継

問題はこんな感じだ。

後期高齢者医療制度(以下「本制度」という)に関する次の記述のうち、最も適切なものはどれか。
1.後期高齢者医療広域連合の区域内に住所を有する70歳以上のすべての者は、本制度の被保険者となる。
2.本制度の被保険者の配偶者で、年間収入が180万円未満の者は、被扶養者として後期高齢者医療給付を受けることができる。
3.被保険者が受給する公的年金から徴収される本制度の保険料は、全国一律の保険料率によって算定される。
4.本制度の被保険者が保険医療機関等の窓口で支払う医療費の一部負担金の割合は、原則として、現役並み所得者は3割、それ以外の者は1割とされている。


 3級との大きな違いは、3級の場合は半数が○×正誤問題なので、1問間違えても、それだけで済むが、2級の場合は1問の中の4つの記述のいずれも、正誤を把握している必要がある。つまり、1問のボリュームが3級の4倍あるのだ。それに記述にしても、法律のように堅物だし、どれも正しそうだし、どれも間違っているような選択肢が用意されている。要するに難度が高い。確かに出題範囲は3級と同じだが、何故そうなるかを理解していなければ、正答できないのだ。つまり3級はうろ覚えでもなんとかなるが、2級はそうではない。筆者は舐めてかかっていたのだ。

 まずは3級受験時の知識の記憶だけで過去問をやってみる。この試験の解答時間は2時間だが、やっぱり難しく、フルに頭を使わないとだめで、解答時間は制限時間ギリギリだった。正答率は40%。ほとんど何もやっていない状態でこの数字。あと10日で合格点の60%まで伸ばせるだろうか。いや過去問は80%できないと、本番では60%の合格点に届かないのは経験的にわかっている。そうなると実力を2倍に引き上げないといけない。時間的に間に合うだろうか。

 過去問をこなしつつ、スキマ時間の学習用としてスマホアプリを導入した。アプリはいくつか試したが、もっとも役に立ったのは、
どこトレシリーズFP2級学科試験過去問題集」であった。
過去問と予想問題を合わせて2664問の正誤を答えていく。実際の試験は前述したように4問1組なのだが、スマホアプリで考えた場合、そのような形式よりも、単に正誤問題とした方が実力を養成しやすい。もちろん分野別の正解率や、問題の解説。間違えた問題だけ演習するといったこともできる。さらにありがたいのは、試験が実施される度に過去問が更新させることだ。また、相続税の控除額のように現在と過去問では数式が異なる箇所も、現在の式に直されているのも評価できる点だ。FP2級の勉強には必須のアプリといえるだろう。ただ問題が膨大なのでいくつか解答に誤りがあるのが残念だ。これで400円はお値打ちである。
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↑FP2級学科試験過去問題集

 アプリと過去問の正答率は平均70%で試験本番に挑むことになった。時間がなかったので、実技は問題を見ただけで全く勉強しなかった。今回は学科さえ通ればいいと思っていたのだ。

 2015年5月24日、ファイナンシャルプランナー2級の試験は、和歌山市の旧市街地にある西和中学校で実施された。最寄りのバス停からは歩いて15分ほどとちょっと不便なところにある。
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↑西和中学校
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↑座席案内
 試験会場は中学校の教室。筆者も中学生だった時期があった。あの頃と教室の雰囲気はこぎれいになっているとはいえ、それほど変わっているわけではない。机の中に教科書を置きっぱなししている奴はおそろく勉強しない奴なのだろう。黒板には日付と日直。その左手には学級委員の名前。クラスの出席番号は、筆者の頃は男女別だったが、今は男女混合になっている。
 そうした懐かしさをかみしめながら試験は始まった。全く手も足もでないという感じではなかった。運が良ければ通っているだろう。時間いっぱいまで粘って、退室した。
 午後の実技は全く勉強していないので勝算はない。でも学科の知識があれば答えられる問題も多い。しかし2級の実技は記述式なので、すべての解答を埋めることはできなかった。
 その日の夕方、公式ウエブサイトに解答速報が掲載されたので、答え合わせした。

2015年5月
試験 結果  得点 配点 正答率
学科 不合格  33 60  55%
実技 不合格  46 100  46%

分野別正答数
A B C D E F
7 4 8 5 5 4

 判定は不合格であった。学科は合格までに必要な得点はわずか3点。11日間しか勉強していなかった割には健闘した方でないかと思うし、次回合格への手応えも感じた。実技は散々だったが、過去問を全くやっていないので、これは当然であった。分野別正答数をみると、金融が得意な反面、保険と相続が弱い。強化する点はここだと認識し、再び9月にある試験の受検申し込みをした。

■■奇跡の一部合格■■
 勉強は9月に入ってから本格的に始めた。例のスマホのアプリは空き時間でちょこちょこやったが系統的な勉強は全くしていなかった。覚えたことを忘れない程度にやっただけだ。
 2級用の問題集は購入せず、5年15回分の過去問を繰り返した。やってみると、不動産と相続の得点が低い。3回ほど繰り返したが、その傾向は変わらず、この分野に関しては、重要事項を書き出したノートは膨大になった。大原のサイトでダウンロードできる過去問集は問題と正解だけで解説はないので、自分が納得するまで、グーグルで不明な事項を検索して理解に努めた。面倒な作業ではあるが、これくらいのことをしないと合格はおぼつかないだろうと考えた。
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↑FPの解説サイトはいくらでもある

 最終的には過去問は70%程度の正答率で本番に挑むことになった。スマホアプリも同じような数字だ。もう少し正答率を上げたかったが仕方がない。ただ今回もとりあえず学科が合格すればいいという考えで挑んだので、実技は近年の過去問を1回、それも途中で投げ出した。中途半端に時間を割くのなら、学科に賭けた方がいい。実技の自信はまるでなかった。
 2015年9月13日。試験は和歌山ビッグ愛という紀勢本線の貨物駅跡地に建設された高いビルで施行された。試験会場は12階でそれなりに眺めがいい。
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↑ビック愛からの眺め
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↑試験会場
 まずは学科。ちょっと迷った問題があったが、何とか滑り込みで合格できたのではないかという手応え。30分ほど早く退室する。
 昼食をとりながら、答え合わせをする。自信を持って解答したところが間違えていて、不安になった。最後のあがきで、実技のポイントをチェックした。
 自信のない実技ではあったが、前回よりも学科の勉強を積み重ねたので、皆目見当がつかないということはない。ただ解答が記述式なので、計算間違いがあっても気がつかない。実技は時間が45分しかなく、最後の方は時間がなく焦った。最後の3問はヤマ勘で解答した。自分の解答を持ち帰りの問題に写し取る時間もなかった。

 その日の夕方、公式ウエブサイトに解答速報が掲載されたので、答え合わせした。

試験 結果  得点 配点 正答率
学科 不合格  35 60  58%

A B C D E F
7 3 5 9 7 4


 なんと合格までわずか1問足らずで不合格。分野別の正答数を見てみると、保険がわずか3問の正解。税制が9問正解したもののカバーできなかった。保険に関しては多くの勘違いをしていた。
 地震保険では、地震による津波を原因とする建物の損壊等の損害については補償の対象とされない。
 これを「不適切」としてしまったのだ。正解は「適切」なのだ。

 1.家族傷害保険は、保険契約締結時における所定の範囲の親族が被保険者となり、保険契約締結後に記名被保険者に誕生した子は被保険者とならない。
 2.交通事故傷害保険は、自動車や自転車などの交通事故による傷害のほか、エレベータやエスカレーターの搭乗中に生じた事故による傷害も補償の対象となる。

 この二つはどちらも適切か迷った。結果は1を適切と判断して失敗した。正解は2であった。
 とにかくあと1問正解していれば、合格だっただけに、悔しさがこみ上げてきた。
 実技の方は、実際の解答が不明な上、配点があるので、この速報の時点ではわからなかったが、おそらく合格点に達していないだろうと思われた。
 1ヶ月後、試験主催者から合否判定書が送られてきた。

2015年9月
試験 結果  得点 配点 正答率
学科 不合格  35 60  58%
実技 合格   62 100  62%

 なんと実技が合格していた。ほとんど勉強していなかったのに、合格するとは奇跡以外何物でもない。実はこのFP2級は学科の合格率は25~43%程度だが、実技は50~65%と高いのだ。難易度は実技の方が低いのは確かだが、それにしても合格とは驚いた。実技の一部合格は2年間有効だ。
 これで勉強は学科だけに絞れる。同時に、何としてもFP2級は合格しなければならなくなった。
 実技試験免除を申請して次の試験の願書を提出した。

■■まさかの敗北■■
 過去問の演習とアプリだけでは合格できなかった。対応策として、ファイナンシャルプランナーに関する知識の理解を深めるため参考書を購入した。
 ポイントがクマのイラスト入りで説明されていてわかりやすい。何といっても文字より絵である。人間のパターン認識能力は特殊で、コンピューターでは点の有無という膨大なデジタル情報から解析しなければ、これは何なのかわからないが、人間はヒトの顔に対して特別なコンピュータ化できないような記憶力を持つ。だから勉強にマンガやイラストを用いるのは理にかなっている。
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↑スッキリわかるFP技能士2級・AFP(FP協会対応)
 実際の勉強は12月中旬から始めた。買った参考書をさっと一回読み、過去問に挑む。今までわけがわからないけどとにかく覚えていた項目も、何故そうなるのか理解することにより、記憶が定着する。
 参考書には試験で引っかかりやすいポイントも指摘している。例えば、細菌性食中毒は国内旅行保険も海外旅行保険も補償されるが、通常の傷害保険は補償されない。地震噴火津波の被害は、国内旅行保険は補償されないが、海外では補償される、といった具合である。

 正月休みも精力的に勉強に取り組んだ。過去問は4年分12回を3回やった。あまり古いのをやっても誤った情報を頭に入る可能性があるからだ。さらに間違えた問題をピックアップし、間違えた回数の多いところが自分の弱点だから、多い順に並べてリストを作成した。これを何度も音読して記憶していった。
 そうした努力の甲斐あって、間違えた問題も8割の正答率が得られるようになった。スマホアプリの2000問を越える膨大な問題もどうにかこなし、80%以上の正答率とした。
 1月に入ってから仕事が忙しくなり、帰宅が遅くなって勉強時間が確保できなくなってきたことだ。夜の10時から勉強をするのは並大抵ではない。鉛筆を持ったとたんに眠たくなってしまう。
 試験前日の土曜日はほぼ一日勉強した。この当時は体調がよく、頭も冴えていたが、覚えることが多すぎて頭が爆発しそうだ。似たような数字が並ぶので記憶が混乱する。
 最後にテキストをじっくり読んだ。試験前日なので睡眠不足を避けるため、苦手とする不動産と相続を残して0時には寝た。
 2016年1月24日、去年3級を取得した商工会議所が今回の試験会場。
 10時に試験が始まった。思ったよりも難しい。特に不動産はこれまでほとんど出ていなかった路線価が出題されていた。昨日、不動産を復習しなかったツケが回った。手応えはギリギリ合格に届いたかどうかというところであった。
 大相撲で琴奨菊が優勝するのを見届けてから、ウェブサイトを開いて解答速報を見る。なんと得意の金融で5問しか正答できず、また不動産は3問の正解と惨敗。前回に続き、合格に一問足らずの35問の正解に留まり不合格となった。

2016年1月
試験 結果  得点 配点 正答率
学科 不合格  35 60  58%

A B C D E F
6 8 5 6 3 7

 それにしても今回は順調に準備し、かなりの自信があったのに悔しい結果だ。結局のところ実力不足ということか。知らぬ間に部屋呑み用の焼酎を飲み干していた。

■■4度目の挑戦で■■

 再挑戦の機会は2016年5月となった。試験の申し込みは受付開始後すぐにした。気合い満点といったところだが、一向に勉強を始める気配はなかった。3月には北海道新幹線の初乗り、4月5月の大型連休にはにはバリ島・ニュージーランドに行ったりしていたからだ。筆者の場合、忘れないうちに詳細な旅行記を書いているからその分勉強ができないことになるのだ。それに仕事の忙しさはまだ続いていて、残業した平日はとても勉強する気にならなかった。
 過去問だけでは通用しないので、3月末に分厚い問題集を買った。しかしこれは一部を少し読んだだけで、ほとんど活用しなかった。
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↑みんなが欲しかったFP2級の問題集
 そんなわけでほとんど勉強しなかった。やったのはスマホアプリで、これはかなり熱心にやった。外出先はもちろん家の中でもこればっかりやった。おかげで全問題に対する正答率は85%を越えていた。
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↑アプリの正答率は上がった
 本格的な勉強を始めたのは、試験日の2日前の夜からだった。過去問は1回やってみただけ。ここまで過去問を徹底重視して勉強してきたが、その成果は必ずしも上がっていないので、方針を変えて、参考書をよく読んで広く浅く知識を取得することにした。もちろんこれまでの勉強で作成した要点ノートも活用した。
 この2日間の勉強時間はおそらく15時間を超えていただろう。
 
 2016年5月22日。試験日がやってきた。会場は前年と同じ西和中学校。これまでのファイナンシャルプランナーの試験はどれもそうだが、受験者の半数は女性だ。
 10時に試験開始。前に座っている男はギリギリに部屋に入ったのに、早々と退室した。余程自信があるのだろう。問題のレベルは過去4回の中でもっとも平易な印象だ。筆者は何とか戦ったが、いくつか自信のない問題があった。でも手応えは前2回とそう変わらなかった。いくら考えても仕方がないので試験終了30分前に退室した。
 夕方、解答速報が発表された。手応えが前回とほぼ同じだったので緊張しながら、そして祈るように、答え合わせを進める。

2016年5月
試験 結果  得点 配点 正答率
学科 合格   37 60  62 %

A B C D E F
4 9 7 9 4 4

 天晴れ。得点は37点。合格点を1点上回った。年金、不動産、相続が各4点と冴えなかったが、保険と税制でそれぞれ9点を取り、合格を決めた。保険は最初は苦手だったが、徹底的に学習した成果が最後になって実を結んだのだ。

■■試験を終えて■■

 一ヶ月後、表彰状のような立派な合格証が送られてきた。3級の申し込みをしたのは2014年の11月で2級の合格証を手にしたのは2016年の6月。志してから取得まで約20ヶ月の長期間を要したことになる。
 筆者は3級を含めて5回目の受検で、ようやくFP2級に合格できた。わずか1点差での不合格が2回続けてあり、もう少しまじめに勉強していれば、3回目ぐらいで合格していたかもしれない。しかし、このファイナンシャルプランナーの印象は、個々の問題の難度はそれほど高くないが、とにかく範囲が広い。その広いが故に知識の蓄積が必要だったのだろう。それと丸暗記ではこの資格は太刀打ちできない。しっかり理解しておく必要がある。そのためには過去問だけではだめで、自分にあった参考書が読むべきだ。
 今回の試験ではスマホアプリが大活躍した。過去問に取り組む前に、このアプリと参考書あるいはウェブサイトで調べるを組み合わせることで基礎レベルはできそうに思える。
 ファイナンシャルプランナーの勉強をしておかげで、年金、保険、税制、相続などの知識が身につき、当初の目的は果たせそうだ。この知識を老後に生かしていきたい。
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↑合格証
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新函館北斗駅を実地検証する [鉄道]


 北海道新幹線の最大の問題点はこの新函館北斗駅の位置であろう。なんと函館空港の方が函館市中心部に近いのである。しかも東京方面からの到着した客は階段の上り下りしなければ、函館方面へも札幌方面にも行くことができない。なぜこのような不便な構造にしたのか理解しがたい。
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↑この階段を延々と登る

 函館駅とはこだてライナーという電車が結んでいる。しかし全て最速15分で走る快速ではなく、各駅停車もはしり、これだと20分以上かかる。乗り換えも不便な上に、時間もかかる。時間的な不利を補うだけの魅力的な車両なら納得もするが、車両は通勤用のロングシート。
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↑はこだてライナー

 新函館北斗駅周辺に魅力的な観光地があれば救われるが、大沼公園と駒ヶ岳以外はないに等しいのだ。
 この問題だらけの新函館北斗駅を検証するために待ち時間を1時間とっていた。
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↑歓迎!!
 駅前に降りる。駅舎こそとても立派である。しかし駅前はというと商業施設はレンタカーの営業所だけで、普通の民家がポツポツとあるだけだ。そのレンタカーですら客集めに苦労しているようだ。
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↑立派な西側駅舎
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↑閑古鳥のレンタカー
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↑東側駅舎
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↑ここからは荒涼とした風景
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↑イベントをやっている
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↑何のキャラクター?
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↑メディアも取材リハーサル中
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↑ホームを眺める人々
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↑入場券を求める人々

 しかしまだ開業2日目ということで、地元や函館市民の関心は高く、駅の入場券の売り上げは上々だ。それと周辺自治体の屋台も賑わっている。AKBみたいな女性アイドルが訳のわからない歌を歌っている。
 ここでイカめしとげそ揚げを買って昼食とした。さらに日本酒も買った。
 銅像があるので、地元出身の著名人かと思ったら「北斗の拳」のケンシロウ様であった。地元出身の著名人としては歌手の三橋三智也がいて、顕彰碑がある。
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↑三橋三智也の顕彰碑

■新函館北斗駅の検証と今後
 開業二日目だから新幹線初体験組で盛り上がっているが、開業効果は1ヶ月もたないだろう。
 今後、JR北海道はじめ自治体がいろいろ考えるだろうが、はじめから予想された劣勢に対して、現状の対応ではあまり多くは望めないかもしれない。
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↑新函館北斗駅、函館駅、函館空港の位置関係

 元々函館市はこの新函館北斗からミニ新幹線で函館駅に乗り入れることを望んでいた。函館駅のリニューアルの際、それを見込んで函館市は相当な資金を投入した。しかしJR北海道は曖昧な回答をしたもののその意志はなく、逆に函館と新函館北斗間は北海道新幹線札幌開業の際にはJRと経営分離する意向であると表明した。つまり、将来は函館駅はJRの駅ではなくなるのである。このような未来図でJR北海道と函館市が友好的な関係を築けるわけがない。
 そこで提案だが、函館市は新幹線とのタイアップはあきらめ、函館空港との連携を深めてはどうか。実は函館は国際的に知名度が上がりつつある。北海道にしては幕末の歴史に彩られた街で、五稜郭という日本唯一の洋式城郭や世界有数の夜景、豊かな海産物、そして湯ノ川温泉もある。その湯ノ川温泉から市電をわずかに延長すれば函館空港に到着する。今や日本の観光業は外国人を無視できない。今は団体客として来日している彼らも、リピーターとなれば個人旅行となるだろう。その際、バスよりも走っている線が見える路面電車の方がわかりやすく、その利用を選択する人が多いだろう。通学需要のある函館高専経由で路線を設定すれば、長期的に見て建設費は回収できるはずだ。空路と市電3日乗車券をタイアップで発売する。インパクトは新幹線にはかなわないが、多くの観光客、函館市民にとって喜ばれることだろう。
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↑筆者の函館市電延長案

 新幹線との連携を考えるならば、木古内での連絡を考えた方がいい。どうせ階段での乗り換えならば時間がたいして変わらないからだ。高性能気動車を導入して快速運転すれば、新函館北斗経由と5分差くらいまで詰められる。ここは道南いさりび鉄道の路線だから、株主である北海道、周辺自治体の収入にも寄与する。途中駅の上磯は本来の北斗市中心部に近い。ここは思い切って「北斗南」に駅名を改称して、特撮ヲタクの関心を集めれば面白い。ちなみに北斗と南はウルトラマンエースである。
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↑北斗と南(円谷プロ)
 この施策はそれなりに有効であるものの、せっかく多額の予算を投じて建設した新函館北斗駅の荒廃を招く。北斗の拳のケンシロウ様に「お前はもう既に死んでる」と言わせて、いっそ新幹線唯一の「秘境駅」として売り出すか。なかなか名案はないが、それでも仙台以北あるいは秋田方面から登別、札幌に行くには選択肢の一つになりうる。現状の配線を変更してでも、同一ホーム乗り換えを徹底することにより、乗客の減少を最小限に抑えられるはずだ。
 また客が少ないのを嘆くのであれば、需要のある貨物輸送に活路を見いだしてはどうか。北海道新幹線の車両だけでも、グランクラスの反対側の先頭車を空っぽにして、旅客輸送を諦める。このスペースを宅配業者に買い取ってもらい、荷物輸送に利用してもらうのだ。年間契約にし、荷物の積み卸し設備負担や積載物爆発による責任は宅配業者とする。これでもおそらく航空便よりも安いコストで荷物輸送ができるはずだ。あるいは日本郵便に買い取ってもらい、郵便車を復活させてもいいだろう。いやAmazonはすでに狙っているかもしれない。
 また旅客輸送にこだわるのであれば、グランクラスよりさらに上のスイートルームにしてもいい。1車両を借り切って旅行するのは、関西のチブチンには通用しないが、東京の見栄っ張りであれば、成功するのではないか。これは札幌開業時でも通用する手だ。
 さらにはこだてライナーで失う時間に見合う魅力的な車両にするのも手だ。蒸気機関車が一番インパクトがあると思うが、保守コストが高いのが難点だし、何のために電化をしたのかわからない。それならば、松山市の坊ちゃん列車のように、蒸気機関車のレプリカで運転してはどうだろう。坊ちゃん列車は蒸気機関車のような形をしたディーゼル駆動で、独自の機能で転車台なしで転換できる。これは軽量な路面電車仕様だからできることだ。ここでは電気駆動の蒸気機関車とし、それを列車の両端に連結するプッシュプルの形態を取る。しかし蒸気機関車にパンタグラフはサマにならないので、後位に連結した機関車にパンタグラフを上げる。これなら目立たないだろう。この新函館北斗と函館間の連絡列車は札幌開業後も使われる。例え15分でも満足感が得られれば、敢えてそれ目当ての客も来るだろう。
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↑松山の坊ちゃん列車
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北海道新幹線新函館北斗開業及び札幌市電乗車記 [旅行]

この旅行記は筆者の日本鉄道全線完乗記録を維持するために、北海道新幹線新青森-新函館北斗と札幌市電西4丁目-すすきの間の乗車記である。筆者の居住地は和歌山だが、乗車記は東京から始めさせていただく。

■夜行バスで青森へ
 2016年3月26日土曜日。北海道新幹線が開業したこの日、東京駅八重洲口バスターミナルにいた。22時30分発のラフォーレ号青森駅行きに乗る。通路側にはカーテンがあり、プライバシーが保てるようになっている。またACコンセントがあるのでスマホの充電ができる。
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↑青森行きラフォーレ号
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↑座席にはコンセント付き
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↑カーテン付きでプライバシーが保てる
 やや酩酊していたので消灯と同時に眠った。
 断続的に目を覚ました。脚の置き場に困り、投げ出したり、膝を曲げたりする。
 翌日、定刻8時5分青森駅着。
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↑青森駅に到着
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↑JR青森駅
 青森から8時23分発の奥羽線に乗り新青森へ。新青森で朝食のつもりだったが、まだ時間が早く飲食店はほとんど閉まっていた。駅の周りにはまだほとんど開発されていないから当然である。この点はまだ青森駅の方が充実している。かろうじてビュープラザの横のカフェが開いていたので、トーストとミルクのモーニング。ビュープラザはJR東日本の旅行会社だが、この月末で閉店するという。終着駅でなくなって需要がなくなるからだろう。
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↑青森駅改札
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↑普通列車で新青森へ
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↑唯一開いていたカフェ

■北海道新幹線に乗る
 新青森9時6分発のはやぶさ95号に乗る。いよいよ今回の最大目的である北海道新幹線の乗車である。記念撮影組は多いものの、乗車率は20%程度で、はっきりいって苦しい立ち上がりである。新函館北斗までノンストップ。奥津軽今別駅で3線軌道の合流のところの動画撮影に成功。
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↑祝開業
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↑期待に膨らんだ新青森駅ホーム
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↑さあ乗り込もう
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↑車内座席
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↑車内販売
 車掌による車窓案内。この線は観光路線なのである。筆者は左側に座っていたが、右側の方が海が見えてきれいなようだ。ただし防音壁がじゃまである。「カメラ等のお忘れ物が多くなっております」とのアナウンスは、後ろの女性客が「開業一日目なのに」と突っ込まれていた。
 新函館北斗に到着。
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↑新函館駅ホーム
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↑新函館北斗駅に到着

この新函館駅のついての検証は別の記事を参照してほしい。

新函館北斗駅を実地検証する
http://umayado.blog.so-net.ne.jp/2016-04-16

■スーパー北斗で白老へ
 スーパー北斗に乗る。指定された3号車は乗車率20%。しかし私の横には先客がいた。どうやらタイ人らしく北海道レイルパスを持っていた。
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↑スーパー北斗車内
 狭い座席でイカめしといかげそで一献やっていると、検札があった。しかし切符がない。これはエラいことだ。確かにこの座席を座るときに、タイ人の女性が先に座っていたので、ここは私の席だと主張するのに、その切符を見せたので、持っているのは間違いない。しかしどこにもないのである。
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↑大沼から駒ヶ岳を望む

 とりあえず、気が晴れないが、食事を先に済ませる。イカめしもげそも美味しかったけど、この先どうすればという気持ちで不安になった。長年旅をしている筆者だが、きっぷをなくして再発行の経験はない。
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↑いかげそ揚げ、イカめし、地酒
 さてトイレに立って、もう一度チェックすると、ズボンの脇に切符が挟まっていた。検札を待ってもらっていた車掌にこれを持って行った。別に大した問題ではなさそうな感じでスタンプを押してくれた。
 登別で降りて、普通列車に乗り換えて白老へ。このあたりは北海道にしては人口が多い。地域の拠点となっているらしく、ダイソーもある。
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↑登別到着
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↑普通列車に乗り換え
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↑白老駅
 ここに来たのはアイヌ民族博物館に行くためだ。アイヌに関する知識は皆無だからだ。入場料は800円と意外に高い。しかしアイヌの踊りを見れるので人件費がかかっているのでやむを得ない。特に笛の演奏は聴いたことのない音色でおもしろかった。客は8割が中国人だ。ツアーガイドが翻訳している。
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↑アイヌ文化博物館
 知識はアイヌ博物館の展示物で得た。機織りは特におもしろかった。わかりやすく配置されているが、もう少し充実させることができるのではないか。そこでこの地に国立のアイヌ文化博物館が2020年を目標に建設されることが決まった。アイヌのグッズ売店は閑古鳥が鳴いていた。私も何も買わなかった。
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↑北海道の牛乳は旨い
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↑ポロト湖を望む
 帰りに近くにあるポロト温泉に入る。400円を払って温泉に入る。温泉は黒褐色でよく暖まった。客はほとんど地元客で、「北海道新幹線はだめだな。乗車率20%だって。宇都宮に停めないとだめだな」と言っていた。確かに前途多難な船出であることは同感である。

■札幌市電に乗る
 16時5分発の特急すずらんに乗る。この後札幌に向かい、札幌市電の新規開通区間に乗り、20時00分新千歳空港出発のピーチ航空に乗ることになっていた。乗ってから乗り換え案内を検索するとかなり厳しいスケジュールであることがわかった。しかし何とかなるだろうとも思った。
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↑札幌市電新規開通区間
 札幌に到着すると、速攻で地下鉄に乗り大通公園へ。札幌の地下鉄は東京や大阪ほど本数は多くなく、待ちくたびれる。ようやく電車に乗って、一駅乗る。たった一駅で200円。ICOCAが使える。
 市電停留所の出口を目指す。地上に出るとそこは繁華街であった。ここに来たのは札幌市電が環状線化するため数100m延長し、全線完乗を目指す身としては当然乗車しなけれなならないのだ。この延長部分は本来は道路の中央を走る線路が両端に敷設されている。おそらく日本では最初の試みであるため、辻には警備員が立って交通整理をしている。
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↑西四丁目電停から新規開通区間を望む
 外回り電車に乗り、すすきのに向かう。気が焦っているので信号待ちでもイライラする。
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↑すすきの着
 すすきのからは地下鉄に乗る。ここはタイミング良く乗れて、札幌駅に着いたのは18時45分。走って走ってICOCAタッチで18時50分発のエアポート快速に乗れた。車内はロングシート。通勤でも使うことを考えるとこれでいいのかもしれない。大きな荷物のある航空旅客にも都合がいい。

■思わぬ展開に驚愕
 新千歳空港に着いたのは19時27分。ピーチ航空のチェックインカウンターを探すも事前に情報を仕入れておらず、2階出発階の逆方向に行ってしまった。やがて「ピーチ航空関西空港行きのチェックインはただいま終了いたしました」とのアナウンス。これはエラいことである。警備の人に場所を聞くと、1階のピーチのカウンターは到着カウンターにあるという。
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↑ピーチ航空のチェックインは到着ロビーにある
 急いで行ってみると、すでに誰もいなかった。日程表には確かに「30分前までにチェックインをお願いします」と明記されている。チェックインしなければ、搭乗の意志なしとみなされ、すでに払った航空運賃は没収となる。
 明らかにこちらの旗色は悪いが、同じように乗り遅れた男性とともに、警備員に交渉した。出発5分前に現れたピーチの職員は「あしからずご了承下さい」とのことであった。
 なんと迂闊なことだ。ピーチ航空が30分前のチェックインが厳守であること、またチェックインカウンターが到着フロアにあること、さらに千歳空港の構造に精通していれば、例え空港駅から3分と短くても、ジョギングで鍛えた筆者の脚なら間に合っていただろう。残念な気持ちで一杯であった。
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↑黄=実際に歩いたルート 赤=はじめからここを走っていれば間に合っていた
 もう大阪方面への航空便はない。東京行きの20時40分発全日空に空席がある。これに乗ると22時20分に羽田空港に着く。ここから夜行バスで大阪または和歌山に行けないかと調べたが、23時00以降に出発する夜行バスはいずれも翌日の8時前の到着となってしまう。残りはタクシーかレンタカーだが、前者はあまりにも高額な料金、後者は不眠不休で運転しないといけないので、走行中の事故の可能性が高いし、それがなくても次の日の仕事に悪影響が確実だ。これでは明日の出社は不可能だ。
 上長に明日の休暇を申請した。まずは今夜の宿の予約。千歳駅前のルートインを確保した。続いて大阪便だが、ピーチはこりごりと思い全日空にしたら普通運賃48500円だった。いくらなんでも高いということになり、結局12時55分発のピーチにした。これでも26500円だ。
 こうなったらもあわてることはない。JRで千歳駅に向かい、駅高架下の白木屋で一杯やった。もう21時を回っているが、夕食はまだだったのである。
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↑失意の一杯
 チェーン店の居酒屋だから味は全く期待していなかったが、こうゆう無難な居酒屋は必要だ。
 22時30分過ぎにルートインホテルにチェックイン。
 大浴場で汚い汗を流して、酩酊気味だったこともあって0時過ぎには寝た。

■失意の帰郷
 朝起きたら8時40分を回っていた。
 10時発の送迎バスで新千歳空港へ。今度こそ遅れてたまるかと、チェックインを試みるもエラー。チェックイン開始は11時25分からでまだ1時間以上ある。
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↑ホテルの送迎バス
 会社の同僚に迷惑をかけたので、大量におみやげを買った。無難なところでロイズのチョコレートにした。
 チェックインはスマホの画面に表示されるバーコードをセンサに読み込ませるだけで搭乗券が発行されあっけなく終了。
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↑搭乗した飛行機

 12時15分に保安検査に向かう。長蛇の列で秋田行きの客が数人取り残されていた。ピーチ航空ですらこのままだと間に合わないということで、ゲートが変更された。昨日頑張ってもらった警備員が元気に働いている。
 ピーチ航空のA320-200は定刻12時55分に動き出した。乗客はほぼ満員。窓際の席をあてがわれた。最近離着陸のデジカメ使用が解禁されたのだ。喜んで動画撮影する。13時10分に離陸。千歳基地の全容を初めて見た。これはこれでうれしかったが、今や航空写真はグーグルアースで簡単に見れる。感動が薄れたのは事実だ。
 定刻に関西空港に到着。自宅についたのは16時半だった。

●反省
この旅行の主たる交通費

日本航空関西-羽田 ¥13,190
高速バス東京-青森 ¥8,000
ピーチ航空札幌-関西 ¥17,790
JR乗車券青森-函館 ¥7,660
JR特急券新青森-新函館北斗 ¥4,650
JR特急券新函館北斗-登別 ¥1,340
自由席特急券白老-札幌 ¥1,130
ホテルルートイン千歳 ¥6,000
ピーチ航空札幌-関西 ¥26,290

本来なら57760円で行けるはずが、わずか3分の遅刻で32290円も余計な交通費がかかってしまった。それだけではない。千歳市の居酒屋での出費や職場へお土産を買ったので、出費は4万円近くに膨らんだ。実に当初の70%もの出費増となった。日本鉄道完乗のタイトルは維持したものの、後味の悪い結果となった。
 今後はこれを授業料だと思って、事前の情報収集に抜かりがないようにしたい。
 
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ソフトバンクColor Life5(401PM)の不満点を並べてみた [最近買ったもの]

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↑Color Life5(401PM) by Panasonic

 筆者は最近、20年間利用したauからソフトバンクに乗り換えた。その経緯についてはややこしいので別に譲るとして、購入したガラケー端末パナソニックColorLife5(401PM)の使い勝手について検証した。

 まず、この端末を使って感じたのはメーカーはもはやガラケーの開発に力をいれるのはやめたんだなあということだ。したがって、ここに書くのは不満点だらけだ。

■不満点
1.文字入力にニコタッチが採用されていない
2.SIMカードを挿入しないと全ての機能が利用できない
3.オートパワーオフがない
4.電源OFF状態でアラームが使えない
5.Bluetoothの自動認識ができない
6.キーロックタイマーがない
7.マナーモードタイマーがない
8.電卓に通貨換算とか便利な機能がない
9.ゲームや辞書といった付加機能がない
10.充電がMiniUSBでないのでスマホと互換性がない
11.ミュージックプレイヤーはMP3を再生できない


■良い点
1.バッテリーの持ちがいい

 良い点が一つだけとは情けないが、不満点を一つ一つ検証していこう。
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↑前機種K011との比較

1.文字入力にニコタッチが採用されていない
 筆者は携帯電話の文字入力方式として、ポケベル入力を採用していた。ポケベル方式って何?と思った人はこの項目を読み飛ばしてもいい。簡単にいえば数字の組み合わせにより、一般的なケータイ入力なら「う段」は3回ボタンを押すところが、123456790にア行からワ行を割り当て、次に押す12345にアイウエオの母音を割り当てることにより、濁音半濁音促音以外は2回のタッチで入力できる方式で、ポケベルが絶滅した今となっては「2タッチ入力」とも称せられている。このポケベル入力の欠陥はアルファベットの入力が難しいことだ。1回目に1を押し2回目に12345を押すことでabcde、2回目に2を押し、2回目に12345を押すことでfghijが入力できるのだが、キートップにはそのようにかかれていないので、頭の中でキー位置を覚えている必要がある。これをある程度解消したのが「ニコタッチ」だ。1回目に2を押し2回目に789を押すことでabc、1回目に3を押し2回目に789を押すことでdefを入力するようにしたのである。2のキートップにはabcと書かれている。この書かれている英字を789に割り当てたのだ。こうすると確かにわかりやすい。
 こんな素晴らしい入力方法だが、パナソニック製の端末にしか採用されず、その後スマホの時代になって、アルファベットはフルキーの配置で入力できるので廃れてしまった。だからといって今発売しているガラケーにまで不採用にすることはない。ユーザーの混乱するなどは自己責任である。是非ともここはニコタッチを搭載してもらいたかった。

2.SIMカードを挿入しないと全ての機能が利用できない
 SIMカードを挿入しないで電源を入れると、

 USIM未挿入です。電源OFF後USIMを挿入して下さい

というメッセージが表示され、この先に進めない。つまり、カメラ、目覚まし時計、電話帳のみ使おうとしても使えない。これは端末が使命を終えたあとの有効利用という点からしても不便な仕様といえる。

3.オートパワーオフがない
筆者が今まで使った端末はすべてこの機能が付いていた。主な用途としては、毎日23時に電源オフし、6時に電源オンする。こうすることで電池の消耗を抑え、迷惑メールで目を覚ますことを避けることできる。したがって筆者にはいちいちケータイの電源を切るという習慣がなかったのだ。ところがこの端末は、寝る前に電源を切り、起きて電源を入れるという面倒なことをしなければならなくなった。この機能がないのが筆者の一番の不満点だ。

4.電源OFF状態でアラームが使えない
これも筆者が今まで使った端末では生じなかった問題だ。携帯電話を目覚ましに使っている人は多いと思うし、実は筆者もそうである。これまでの端末は、たとえ電源を切ってあってもアラームを5時にセットしていれば、自動的に電源が入ってアラームが鳴った。ところがこの401PMは電源を入れておかないと、アラームが鳴らないのである。これでは寝ている間も電池を消耗するし、迷惑メールやいたずら電話におびえていないといけない。これを避けるには電波オフモードにするかマナーモードサイレントにすればいいのだが、いちいちそうするのは面倒だ。
 実は今のスマートフォンも同じ問題を抱えている。もしかすると、静寂が必要な環境でアラームが鳴らないようにするために、業界の申し合わせでそうしているのかもしれないが、何も全ての端末でそうすることはない。アラームセット時にそうなることを明示するなど工夫すれば、問題は起きないはずだ。スマホは今後普及していく端末なので仕方のない面があるが、ガラケーまで悪いところをまねする必要はない。

5.Bluetoothの自動認識ができない
1はともかく2、3、4は自分には致命的な欠陥で怒りを覚えたものだが、さらなる欠陥があった。筆者はクルマにBluetoothによるハンズフリー機能を搭載しているのだが(詳しくはこちら)、今までの端末はクルマに乗ったら自動的に認識したのに、端末かカーステ側で設定しないと認識しないのである。いちいち乗るたびにボタンを押すのは面倒この上ない。乗るたびというが、エンジンを切るたびであるから、再設定が面倒で、エンジンを切るのをやめると、アイドリングストップができないので、地球環境にもよくない。全くアホな端末である。
下の写真の左は401PMの画面だが、上の通知アイコンのBluetoothが青くなっているのがわかると思う。これがハンズフリーを手動でつなぐと、黒に変わる。これで使えるのだからそれでいい。けれどもK011は非接続時はBluetoothアイコンが白で繋がったら青に変わるのである。論理的にはK011の表示が正しい。だからもしかすると自分の設定方法が間違っているのかもしれない。もしご存じの方がおられたら教えてもらいたい。

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↑左の401PM右K011の画面比較

6.キーロックタイマーがない
これも気に入らない仕様である。過去の端末であれば時間の多少あれど、キーロックをする時間を設定することができた。ところがこの端末は、フタを閉じるたびにロックされるのである。開けるたびに解除キーを入力しなければならないので面倒くさいことこの上ない。

7.マナーモードタイマーがない
456は致命的な欠陥だが、ここからはあった方がいいのにという機能がないことに対する不満である。
 マナーモードタイマーといっても知らない人が多い。何故ならほとんどの端末に搭載されていないからだ。しかし筆者はこの機能のついた三洋の端末を長いこと使っていて重宝していた。これが便利なのは電車に乗ったときである。電車に乗ったときはマナーモードにしなければならないが、マナーモードを解除するのを忘れ、大切な連絡を聞き逃すことを防止することができるのだ。これが廃止されたのはリサーチの結果利用者がいなかったのか、電源オフからアラームが鳴る仕様と同じ問題が生じるのを避けるためではないかと思ったりする。もやは絶滅した機能で、スマホだとアプリで実現しているのかもしれないが、筆者としては復活してもらいたい機能だ。

8.電卓に通貨換算とか便利な機能がない
 電卓はスマホ、ガラケー問わずもっとも利用率の高い付加機能だ。かつてガラケーの電卓はいろいろな機能を競い合っていた。もう20年以上も前の端末でさえ、割り勘の計算機能があったし、一つ前のauの京セラK011には外国通貨のレートをセットしておけば、簡単に日本円を計算できた。これらはスマホのアプリで既にあるから必要はないとはいえるが、大して電池を消耗するわけではないので、ガラケーにも欲しいところだ。

9.ゲームや辞書といった付加機能がない
 ほとんど利用することはないとはいえ、簡単なゲームすらないとは面白味がなさすぎる。かつてはFMラジオとかついていたものだが寂しい限りだ。

10.充電がMiniUSBでないのでスマホと互換性がない
 FOMA端子が必要である。筆者は専用の充電器をもたず、スマホの充電器に変換ケーブルを持ち歩いている。

11.ミュージックプレイヤーはMP3を再生できない
ほとんど利用することがないとはいえ、ACCしか再生できないのなら、ない方がマシだといえる。

良い点はバッテリーの持ちがいいことだけ。これについては待ち受けなら1週間電源入れっぱなしでも持続可能だ。しかし電池の消耗を抑えるために上記のような機能低下が生じたのだとすれば、歓迎すべきことではない。せっかくいい面があったのに、その機能が継承されないとは、何やら今の日本社会を映し出しているような気がする。すなわち、コストを抑えるために派遣社員を採用したはいいが、技術の継承がなされず、誰でも作れるような製品しかできなくなってしまった日本の製造業である。
 アップルやグーグルの軍門に下らず、ガラケーの統一規格を造るくらいの気概が欲しいところだ。
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第2種冷凍機械責任者合格記 [資格]

■■冷凍機械とは■■
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 食物を腐らせずに保存することや、暑い夏を快適に過ごすことは、長年人類の夢であった。人類は実に長い間、食物の長期保存は干物か燻製にするしかなかった。また高温多湿の日本では夏を乗り切るために風通しのいい家屋にせざるを得ず、そのため冬はすきま風で震えていなければならなかった。古来、冷蔵技術としては、氷を冷暗所に保存するとか、川の水の流れや井戸の水を利用するぐらいであった。その氷も温暖な地域では容易に手に入らないものであった。
 この人類の夢が叶ったのは19世紀に入ってからであった。古来利用されていた氷は、その周囲の熱を奪って冷却するが溶けて水になってしまう。水になってしまうと冷却効果は失われる。氷に食塩を加えるとさらに低温に冷やせることは知られていたが、やはり最終的には水になってしまう。固体から液体、液体から気体のように物質の状態変化に用いられる熱量を潜熱という。水(液体)は0℃で氷(固体)になり、100℃で水蒸気(気体)になる。つまり100℃以下なら液体、それ以上なら気体である。もし細菌の死滅する5℃以下で液体になり、5℃以上で気体になる物質があれば、熱を奪われ液体になっても、気体に変えることができれば、それを繰り返して冷やし続けることができるのではないか。
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↑冷凍サイクル(三基計装のウェブサイトより引用)
 その物質が冷媒であった。当初はアンモニアが用いられた。液体が熱を奪われて気体となり、気体は圧縮されて液体に戻る。圧縮には電気動力が用いられた。こうして20世紀の初頭には冷蔵の基本技術が確立した。しかしまだまだ大がかりな設備が必要で、一般市民が冷蔵技術を利用できるようになるのは20世紀後半以降であった。
 それ以降の発展はいまさら記載するまでもないだろう。冷凍冷蔵庫とエアコンは今やあって当然で、ありがたみも感じなくなっているほどだ。それゆえ工場、事務所、家庭の殆どに設置されていて、その適切なメンテナンスが求められる。
 俗にビルメンテ基本4点セットというのがある。それは「電気工事士」「危険物取扱者乙4類」「2級ボイラー技師」「第3種冷凍機械」の4つの資格のことだ。ビルメンテは比較的高齢者でも求人があり、万が一の失業という非常事態の保険としても使える。管理人はすでに「電気工事士」「危険物取扱者乙全類」「2級ボイラー技師」を取得している。
 もうこれは残りの「第3種冷凍機械」を目指さない理由はないだろう。

■■思わぬ展開■■
 さて第3種冷凍機械の試験は高圧ガス保安協会が実施している。高圧ガス保安協会の実施する資格試験には、一部の難度の高い試験を除き、2通りの方法が用意されている。ひとつは年1回11月に実施される国家試験を受験することだ。受験科目は保安管理と法令だ。もう一つは年2回実施される講習を受講し、その後の検定試験に合格することにより、国家試験の保安管理を免除が免除され、法令の受験のみとすることだ。資格取得にかかる費用は圧倒的に国家試験が安い。受験料は約8000円。要する時間は1日だけだ。しかし講習は3日間を要し、一日でも休むとか途中退場すると、検定受験資格が得られない。講習の約1ヶ月後に検定試験がある。ここまでの費用が2万5千円。さらに合格しても法令のみの国家試験は受験しなければならず、ここでも8千円必要。検定は5日間拘束されて3万3千円。国家試験なら1日で8千円。
 勉強のできる人なら安上がりな国家試験を選ぶだろう。ところがこの国家試験が曲者なのである。検定試験と国家試験の問題は出題範囲は同じとはいえ、難度は遙かに国家試験が高い。合格率20%という数字がそれを物語っている。これに対して検定試験は80%と高い合格率だ。自動車の運転免許の一発試験と教習所の関係に似ている。一発試験をやたらと難しくすることで、教習所で取得するように誘導し、教習所の経営の安定に寄与させているのだ。ことに講習を実施するのは試験を主宰する高圧ガス保安協会だ。国家試験を簡単にすることは、結果的に講習の受講者を減らすことになるので、ほとんどあり得ないだろう。
 なるべく楽に取得したい。そう考えた管理人は講習を受講することに決めた。
 ところがこの高圧ガスの講習は、その業界の社員教育の一環となっているせいか、平日の3日間というのが圧倒的に多いのである。会社勤めの管理人が3日間も有給休暇を取得するのは難儀なことだ。これは先日取得したボイラー2級と同じ現象だ。探してみると一日の休みで済む金土日で講習を実施しているのは岡山と鹿児島のみだった。関西在住の管理人は当然岡山を選んだ。
 そこまで調べておいて、5月の受講受付を待った。
 管理人はうっかりしていて、受講受付開始からかなり経ってから、高圧ガス保安協会のウェブサイトを覗いた。何と、第3種冷凍機械の講習は既に定員に達していて受付が終了していたのである。もう一つの鹿児島も同様だった。次回の講習まで半年待つか、あの難度の高い国家試験に挑戦するか、それともまだ定員に達していない第3種冷凍機械の上位資格である第2種冷凍機械を目指すかである。
 第2種冷凍機械は上位資格だけあって、当然に第3種より難度が高い。保安管理の他に学識という科目が加わり、保安管理もやや出題範囲が広い。しかも検定試験は第3種が保安管理のみ15問に対して、第2種は学識10問に保安管理10問だ。合格点はどちらも60%の正答率だ。だが、第3種が15問中6問まで間違えられるのに対して、第2種は学識、保安管理ともそれぞれ4問しか間違えられない。しかも学識、保安管理両方合格点に達しないといけない。
 ネットで情報収集し検討した結果、「何とかなるだろう」ということになった。締め切り寸前に講習料金を払い込み、第2種冷凍機械の講習を申し込んだ。

■■勉強の開始■■
 受講を申し込んだら、テキストの購入だ。まずは「SIによる上級冷凍受験テキスト」。これは講習の教科書であり、検定試験のみならず国家試験もこのテキストの内容から出題されるので、必ず購入する必要がある。本屋で売られているものでなく、アマゾンで約8000円で購入した(高いですなあ)。
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↑SIによる上級冷凍受験テキスト

 高圧ガス保安協会によると、講習のテキストとして法令集の購入を推奨されていた。しかし法令・規則というものは官公庁サイトからダウンロードできるし、受講経験者の情報で、法規の講習時には要約を記したレジメが配布されることを知ったので、法令集は購入しないことにした。
 それと何といっても資格試験の勉強に必要なのは過去問の演習である。検定の過去問については過去10年分をヤフオクで入手した。送料込みで3000円。届いた品物を見てみると、内容は10年分の過去問集をコピーしたもので、出品者はぼろ儲けであったろう。
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↑過去問集

 SIによる上級冷凍受験テキストは、役人が書いた文章のように堅く、理解しにくいものだった。冷凍機械を扱ったことのない素人の管理人には分かりやすい解説書が必要だった。
 そこで購入したのは「冷凍機械の基礎知識」。内容は難しい数式が出てきたりして、必ずしも初心者向きではないが、図解が分かりやすい。過去問でわからなかったり、間違えたところは、この本を見て理解を深めていった。
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↑「冷凍機械の基礎知識」と過去問集

 このところ資格の勉強でお世話になっているスマホアプリは残念ながら冷凍機械関連のはなかった。需要からすると作ってくれてもよさそうなものだが、今回はこれに頼ることはできない。
 その代わりというわけではないが、PCサイトで冷凍機械に関する専門のサイトが存在する。ECHOLANDというのがそれで、公式の覚え方や要点などが分かりやすくかかれている。冷凍機械責任者を目指すのであれば、絶対にアクセスするべきサイトだ。
 スッカラカンの状態で講習に挑むよりも、ある程度理解しておいた方がいい。しかし参考書を読むのは退屈だ。よっていつものように過去問をいきなりやっていった。学識は公式を覚えれるのが面倒なので、保安管理をまずやっていった。
 この冷凍機械に限らず、高圧ガス協会が管轄する試験は正誤選択式なのだが、選択肢の取り方が変わっているのだ。例として、

問題 以下の設問のうち正しいのはどれか
イ.日本の首都は東京である
ロ.アメリカの首都はニューヨークである
ハ.スイスの首都はジュネーブである
ニ.フランスの首都はパリである

1.イ 2.イロ 3.イハニ 4.イロニ 5.イニ

答えは5である。このように正しい組み合わせを選択肢の中から選ぶので、紛らわしい設問があると誤答してしまう可能性が高くなる。実際は上のような簡単な問題ではなく、どれも正しそうな設問なので迷ってしまうのである。4つそれぞれの正誤なら、一つ間違えても4分の1だが、組み合わせだと4つ間違えたのと同じになってしまう。特に2種では10問しかなく、合格には4問の間違いしか許されてないので、問題をしっかり読んで理解しなければならない。

■■■講習に挑む■■■
 2015年6月12日金曜日。新大阪6時50発の「さくら」に乗って岡山へ。3両しかない自由席は意外に混んでいた。姫路-岡山といった通勤通学の短距離利用もいる。
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↑さくら
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↑新幹線車内(新大阪出発前)
 岡山駅内のドトールコーヒーで時間をつぶす。
 講習会場の岡山商工会議所までの道のりは、意外と遠く、駅から20分ほどかかった。
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↑岡山商工会議所
 講習の初日は法令で2種3種合同だ。併せて100名近くいる。ほとんど男性だが3名ほど女性がいる。講師がいうには、フロン規制が強化されて今回は受講者が増えたという。皆が敬遠する一番前の席が空いていた。
 講習は退屈でたびたび寝落ちしたが、要点は聞き取れた。ただ法令の試験は11月なので気合いが入らない。
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↑講習会場
 予定より早く16時15分に終了。ホテルは商工会議所の隣の岡山シティホテル厚生町を予約してあった。講習生の泊まりも多い。やはり管理人と同じく平日は休めず、遠方から来ているのだろう。
 早起きの疲れと、明日は講義中に寝落ちしないために22時過ぎには寝た。
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↑ホテルの朝食(バイキング)
 翌日から2種3種で会場は別れ、2種講習会場は4階。高校の教室を思い起こさせる小さな部屋ですでに満員だ。女性も一人いる。
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↑2種講習会場
 まず講師が「岡山では9割の人が検定に合格している」といい、いきなり初っぱなから「検定試験は次の範囲から出ます。目次にアンダーラインを引いてください」といって学識と保安技術の各項目にマーカーを引く。講師曰く、講義は予備校のようなもの。国家試験より有利にするのは当然だと言っていた。こういう検定試験は難度を上げて合格率が下がると、翌年は出題者が反省して難度が下がるというのを繰り返している。この年はどうやら楽な方になりそうである。これは幸運だ。
 テキストの解説はこの試験範囲のみ行われた。「ここが大事です」とか「ここから出るとすれば、ここを問題にするしかないですねえ」と言ったところは赤のマーカーにした。
 この講習にあたり、基礎的なテキストを軽く読み、軽く過去問をやって、軽く解説サイトを見ていた。しかしやはり専門の講師の解説は分かりやすい。遠路はるばる講習を受けに来てよかったと思う。
 昼食後はだいたいは睡魔との戦いとなるのだが、昨日の大睡眠のおかげで眠気はなかった。
 最後の30分は試験に出ないが、講師が「運よく通った時のために」知っておくべき重要箇所を読み上げ。違う色のマーカーを入れた。
 16時45分に終了。
 部屋に戻り、テキストの重要箇所に付箋を貼り付ける。鉄は熱いうちに打て、の格言を実践した。

翌日、8時45分講習会場へ。自由席なのになぜか皆同じ席に座る。
 予定通り保安管理。昨日と同じような感じで講習が進む。学識より難しい感じだ。
 11時40分に午前終了。早く終わったのは今日はこの商工会議所で行われる講習が多いからだ。大阪芸大単位取得試験などもあった。
 帰りは少しでも安くするため新幹線ではなくバスにした。両備バスのサイトで予約し、ファミリーマートで高速バスチケットの発券。少々手間取った。
 13時より午後の部。午後はさすがに眠かった。実際寝落ちしたが、講師が終盤にもう一度説明してくれたので助かった。
 講義は基本的に約1時間ごとに15分の休憩があった。理由なく途中退場すると棄権者とみなされ検定試験を受験できない。
 遠方からの受講者が多いということで、16時30分に終了。受講票は朝会場に来たときに提出し、「受講済」の判子を押してもらって、並べれている中から自分の名前の票を見つけて持って帰る。名前、住所、生年月日の個人情報が丸ミエである。
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↑帰りは高速バスを利用
 17時32分、岡山駅西口にバスがやってきた。インターチェンジに入ったのは18時過ぎ。新幹線に乗っていたらもう新大阪に到着している。
 JR難波に到着。高速バスは時間がかかるが、運賃は安い。特に急がなければこれでもいいと思う。ただスマホの充電ができないのは痛い。

■■■冷凍機械のポイント■■■
1.冷凍サイクルのモリエール線図を理解すること
2.計算問題に必要な3つの公式を覚えること
3.蒸発熱は高いほど、凝縮熱は低いほど効率がいいこと

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↑モリエル線図

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↑数式1(ECHOLANDより引用。以下同)
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↑数式2
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↑数式3
ηは”効率”と考えていい
 学習は過去問の繰り返しが基本だった。1回目は40%ぐらいだったが、2回目は60%。しかしなかなか80%までいかなかった。年2回10年分の過去問は学識と保安管理を合わせれば40問あり、一つの問題に4つの設問の正誤を判定する必要があるから、160問を解答するのと同じ労力だ。なかなかのボリュームで挫折しそうになった。学識は120分、保安管理は100分の制限時間。実際そんなにかからないが、それぞれ1時間必要だ。平日2時間の勉強時間では2回やるのが精一杯だ。
 他の資格試験の勉強でも同様だが、過去問を繰り返しているうちに、何度も間違えるところが、自分の弱点なので、そこをノートに書き出して徹底的に暗記する。暗記を確実にするために、ノートに書き出したポイントをパソコンに打ち込み、それを音読ソフト(筆者は詠太を使用))に読み込ませ、それをジョギング中やクルマの中で聞く。これの繰り返しである。
 要するにこの冷凍機械の勉強法としては
1.過去問の演習の繰り返し
2.弱点を把握
3.参考書、Webサイトでなぜそうなるのかを理解する
4.要点を記憶する

 これを繰り返せば、1ヶ月で合格圏内に入れるだろう。
 使った参考書は前述の「冷凍機械の基礎知識」が役に立った。これと過去問集だけで実力はつく。講習の教科書として使っている「SIによる上級冷凍受験テキスト」はとても理解しにくい内容だが、試験範囲が定義されているのでこれを読まないわけにいかない。端から端まで読む必要はないが、過去問に出たところはマークする必要がある。
 Webサイトでは前述のECHOLANDはぜひ押さえておきたいサイトだ。学識の計算問題のコツはここで理解できるはずだ。あと、Yahoo知恵袋で「ミスター高圧ガス」で検索すると、冷凍機械を含む高圧ガス検定試験の疑問質問がいろいろ出ているので参考にしてもらいたい
 このような先達たちの作った良質な情報を活用しながら、勉強すれば、おのずと合格に手が届くはずだ。だからここでわざわざ冷凍機械の理解のコツなどというのは書かないことにする(といって手を抜く)。

●冷凍サイクルの理解
↓三基計装のウエブサイト
http://www.sankikeiso.co.jp/tec_refrigerating.html

●EchoLand-plus.
http://www.echoland-plus.com/

■■■検定試験■■■
2015年7月5日。いよいよ決戦の日がやってきた。
 5時半起床。新大阪から。岡山で講義を受けた以上、試験も岡山まで行く必要があるのだ。
 岡山駅から歩いて商工会議所へ。さすがに2回目は迷わなかった。後から考えればこの「ももちゃり」というレンタルサイクルに乗ればよかった。
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↑岡山にはレンタルサイクルがある
 9時頃到着。すでに80%ぐらいの人が座っている。全体の40%が2冷で残りは3冷だ。私も最終チェック。
 10時に試験開始。学識、乾き度の計算問題が目新しい。傾向的には講習で「ここが出ます」といったところしか出ていないようだ。
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↑試験会場
 ケアレスミスのないように何度も見直し、11時には退出した。保安技術の試験開始は13時。
 12時半には商工会議所に戻った。直前チェックの時間が足りなかった。
 保安管理の試験開始。思っていたよりもややこしかった。もっと直前チェックをしておけばよかった。保安は割と自信があったので安心していたのである。
 それでも学識、保安とも自信のあるのは4問。残りの6問も五分五分の自信があるので、理論的には70%の正答率で合格しているものと思われる。もし落ちたら悲惨である。
 13時50分には退室。まだ40%の人が残っている。
 予定より早く終えたので、バス停近くのチケットセンターで14時半発のバスに変更できないか尋ねた。今回は帰りははじめからバスに決めていて早割で買っていたのである。しかし早割は変更できず、払い戻しと通常料金の差額の合計570円が必要とのこと。それならやめておこうということになった。
 バスターミナルの横には津山線のディーゼルカーが停まっている。国鉄末期に標準色とされた朱色に塗装されている。初めて見た時はどキツく感じたが、今となっては、日本の田舎にとても合っているように思えてしまう。
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↑津山線のディーゼルカー
 15時半定刻に大阪行きのバスは発車した。
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↑今回も帰りは高速バス
 18時半前、大阪空港着。8人ほど降りた。やはり伊丹空港は人気がある。
 難波で降りて、通天閣の麓にあるラジウム温泉で入浴し、新世界で一杯やって帰宅する。
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↑ラジウム温泉

■■保安学識正解発表■■
翌日高圧ガスのウェブサイトで試験の解答が発表された。問題の持ち帰えられるので、自己採点ができる。学識が80点、保安管理が90点。余裕で合格であった。
 後日、検定合格証書が送られてきた。これで国家試験は法令の受験だけですむ。ちなみに検定合格者で国家試験合格者は90%を越えるという。自分としてはほとんど第2種冷凍機械責任者の資格は手にしたと思えた。

■■法令の勉強■■
 国家試験は11月8日。検定試験の合格発表は8月だったから、10月頃まで全く何もせず過ごした。そろそろ勉強しようかなと思って、過去問を物色するが、法令だけというのは存在しなかった。法令だけを扱った参考書としては「冷凍機械責任者受験対策冷凍法令」しかなく、選択の余地がないので、それを購入した。
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↑冷凍機械責任者受験対策冷凍法令
 その本の内容を見てみると、法令、規則について漏れなく記述してあるものの、「ここが間違えやすい」といった試験の役に立つ情報はほとんどなかった。索引の出来も悪いので、わからなかったところの知識補強も難儀だった。勉強中にこの本を開いたのは10回以下だった。よってこれは購入しなくてもよかったと思う。
 もっとも役に立ったのは、岡山での法令講義で無料で配られた冷凍法令規則のレジメだ。これの講義中における書き込みが結果として重要ポイントとなった。何度も言うが、さすが高いお金を払っただけのことがあるのである。過去問に関してはECHOLANDにある第2種法令過去問を繰り返した。平成18年から23年度から6年分を3回繰り返した。最初は45点くらいだったが、3回目には80点ぐらい取れるようになった。法令は20問出題され、合格点は60%。つまり12問の正解でいい。満点を狙う必要はないので、過去問で80%の正解できれば、例え珍奇な問題がでて正解が得られなくても、合格点に達しているわけだ。
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↑役になった法令のレジメ

 法令で重要なのは1日の冷媒製造量や種類によって変化する、保安検査の有無、責任者の選任、高圧ガス保安法の対象とするかどうかなどだ。フロン、アンモニア、その他によって数字は変わるので確実に記憶しておきたい。それと受液器、凝縮器の液漏れ対策や耐震基準の必要となる容量。どの資格試験でも法令に関しては数字がポイントなるが、冷凍に関しては、3トン、5トン、20トン、50トンの冷媒量。第1種冷凍責任者が300トン以上、第3種は100トン以下といった数字。受液器が10000cc、縦置き凝縮器の高さが5m5000リットルといった数字が超重要だ。それと認定機械の場合、保安検査が不要である点や凝縮器のが横置きの場合は耐震基準の対象外であることはありがちな落とし穴である。
 法令については試験前10日間、一日3時間の勉強で対応できた。

■■■国家試験■■■
 2015年11月8日、国家試験当日。高圧ガスの国家試験は年に一度11月のみ。冷凍機械の検定合格証に有効期限はないが、もし不合格の場合は、法令の受験のためだけに1年待たねばならない。この愚を犯さないために、しっかり勉強しておく必要があるわけだ。ちなみ、受験料は法令だけの受験であっても、フル受験と同様に8000円徴収される。さすが高圧ガス保安協会。やることが「高圧的」である。
 国家試験は検定試験の受験地でなくともよい。したがって筆者の地元和歌山で受験が可能だ。
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↑和歌山駅からバスに乗る
 試験会場は和歌山県立星林高校。当日は雨が降っていたので、バスで行った。試験開始は9時30分。9時に訪れると、もう教室は満員だった。受験者はざっとみて200人はいるだろうか。ただし冷凍2種だけでなく冷凍3種、乙種化学、販売士など高圧ガス保安協会の扱っている試験のすべてである。受験者は圧倒的に男性が多く、若いのから年寄りまでいる。筆者のような個人受験よりも、実際に高圧ガスを扱っている会社の社員の方が多い感じだ。
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↑試験会場は星林高校
 筆者の入った教室は、法令のみ受験者ばかりであった。試験開始20分前には参考書を机に置くなといわれ、解答用紙にはすでに受験番号や住所名前が記載されていたので、何もすることがなく窓の外のグラウンドを眺めたりした。
 9時30分試験開始。15分ぐらいでできたが、じっくり見直して、10時15分に出た。自信のないのが6問。これが全部間違えても正解率が70%。十分合格できる手応えで、喫煙者の群がる校門をかき分けながら、バスに乗って帰った。行きもそうだったが、あれだけ受験者がいるのに、バスの利用者はほとんど皆無であった。これから少子化が進み、地方のバスはどうなってしまうのだろう。

■■法令正解発表■■
 翌日高圧ガスのウェブサイトで試験の解答が発表された。早速自己採点すると70点。自信のない問題は全て間違えた。しかし合格点に達していた。何だかんでこれで勝負は終わった。
 合格証書が送られてきたのは翌年の1月7日であった。県の収入証紙3400円分を買って免許を申請。1月28日、ようやく免許証が簡易書留で送られてきた。
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↑合格のお知らせ
受験を申し込んでからこれを手にするまで8ヶ月を要した。ずいぶん取得に時間がかかる資格だった。
■■試験を終わって■■
 こうして2種冷凍機械責任者の資格を得たわけだが、試験が終わって3ヶ月を経過し、覚えたことはすっかり忘れてしまった。もちろん、この資格が必要な仕事に就けば、全くゼロからよりも理解が早いだろうが、今の仕事に応用できるようなことはない。
 勉強することは知識が増えること。毎度のことだが、これは基本的に財産になるはずである。

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↑こんなレトロなケース付き
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↑免許証
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北陸新幹線の今後の展開 [鉄道]

 2015年3月、北陸新幹線が金沢まで延伸し、東京からの観光客の流れ込みが倍増し、概ね好調な滑り出しを呈している。
 反面、大阪方面は富山直通の特急がなくなり、必ず金沢乗り換えとなり、また新幹線は保安検査のため午前6時からしか電車が動かないので、初電に関しては富山からは大阪到着が遅くなるなど弊害がでている。簡単にいえば東京方面は便利になったが大阪方面はむしろ不便になったといえる。
 その北陸新幹線は敦賀まで建設中だ。福井県は金沢開業で羨ましく思ったのか、政権与党自民党を動かして、福井までの先行開業をぶち上げた。ところが認可権を握る国土交通省と運行を担当するJR西日本は難色を示した。その理由として国土交通省は敦賀までの一括開業を前提としていたので、福井駅はホーム1面で側線もなく、周辺には車両基地を設けるスペースを確保していないと述べた。JR西日本はこれに同調したものの、本音は別の理由で反対であったのだろう。つまり福井まで部分開業すると、並行在来線は第3セクターに経営分離される。現状金沢までは乗り換えなしで行ける特急サンダーバードは福井止まりとなり、ここでの乗り換えが強いられることになる。富山は新幹線開業前から東京志向であったので、乗り換えに関してはあきらめもついたが、金沢まで福井で乗り換えとなると、乗り換えなしで行ける高速バスに乗客が逸走する可能性がある。乗り換えの負担を減らすために、同一ホームで乗り換えできるようにする方法があるが、いずれ敦賀まで開業するのに、開業すれば無用となるそのような設備を設けるのは、経営上得策ではない。地元の建設業者や自民党はそのような技術上の問題は理解していないから、今後も「福井部分開業」と声を上げるだろうが、JR西日本は婉曲に断り続けることだろう。
 しかし福井開業は回避されたとしても、敦賀開業はやがてやってくる。敦賀からどのようなルートで大阪に向かうのかまだ決まっていない。これについては後述するとして、とりあえず当分の間、敦賀で乗り換えを強いられるのは既定路線だ。本来はここで在来線の狭軌と新幹線の標準軌を自在に行き来できる軌間可変電車(フリーゲージトレイン)を投入する予定で、JR西日本はその方向で検討していた。しかし先行投入する予定だった九州新幹線長崎線での試験車両が原因不明の故障を発生してしまい、試験が延期されてしまった。日本指折りの豪雪地帯で複雑な軌道変換機構の他に耐寒耐雪機構の必要な北陸新幹線に投入するには時間が余りにもなさ過ぎる。よってフリーゲージトレインの導入は敦賀開業の時点では消滅した。かつて筆者が提案した、敦賀ー金沢間を三線軌道化して在来線車両のまま金沢に向かう案は、中途半端な案として検討させることなく終わったようだ。
 その敦賀では大阪あるいは名古屋から来た在来線の特急と新幹線の乗り換えが強いられる。乗り換えの負担を可能な限り減らすには同一ホームに在来線と新幹線を並べて、乗客の水平移動だけで乗り換えできるようにするのが一番いい。しかしJR西日本が発表したところでは、階段またはエスカレータを利用した上下移動を強いられるとのことである。これは敦賀の新幹線駅が線形の関係で、現状駅の東方に離れたところに、ビルの6階に相当すると高さに設けられるためである。現在地平の在来線からビルの6階分まで登るアプローチ線を設けるのはかなり難しい。だからJR西日本は新幹線の高架駅の真下4階相当分ぐらいの高さでアプローチ線を建設し上下移動してもらおうというわけである。
 確かに利便性は欠けるが、エスカレータの乗り口に改札口を設けられるので、不正乗車は防ぐことができる。また将来北陸新幹線が大阪に延伸した場合でも、小浜方面あるいや名古屋方面への乗り換え手段として利用できるという利点もある。この面倒な乗り換えを嫌って、高速バスへの乗客逸走はある程度はあるだろうが、最小限に抑えることはできると思われる。
 さて敦賀開業により、敦賀市民が便利になるかといえば、必ずしもそうではないのである。現状、敦賀からは在来線特急で米原へ出て、そこから東海道新幹線に乗り換えることにより、東京まで最速約3時間で到達することができる。ところがこの北陸新幹線に乗ったところで、東京までの到達時間はそれより長い3時間10分が予定されている。これは北陸新幹線が整備新幹線で最高速度が260km/hに制限されていることと、山岳部を通過するためにその最高速度すら出ないところがあること、またあちこちの都市を寄るために、直線距離に比して走行距離が長くなっているためである。これに対して米原経由では、米原で1回乗り換えしなければならないとはいえ、運転本数がけた外れで、東海道新幹線の最高速度が275km/hと高いため、乗り換えの不便を帳消しにしてしまう。
 これは福井に置き換えても同様であり、自民党や利権が絡む建設業者や福井先行開業に熱心なのに、地元住民が比較的に冷めているのはそのためである。地元としては建設費負担を強いられた上に、新幹線に並行する在来線の経営を押しつけられ、しかも便利にならないとあってはたまったものではないだろう。もちろん北陸各県や長野方面は大幅に時間短縮になるから、潜在需要の掘りおこしの効果はあるし、東海道新幹線のバイパスという意味を考えれば、敦賀延長は決して無駄とはいい切れない。
 そこで敦賀からの延伸はできるだけ早期に決定する必要がある。
 現在、検討されているルートは以下の4つである。
1.小浜と亀岡を通過し新大阪に至るルート
2.米原まで延ばし、東海道新幹線と連絡するルート
3.米原から湖西線と並行して京都に至るルート
4.小浜と京都を通過し大深度地下で新大阪に至るルート
5.小浜からさらに西に舞鶴を通過し、大阪東部を経由して関西空港に至るルート

 まず、1は全国新幹線整備法で規定されているルートで、いわゆる整備新幹線を図で説明されている場合、第1番目に取り上げられている。全国新幹線整備法成立を推進した田中角栄氏が主張していた「日本列島改造論」に沿った、過疎地の利便性を高めて、国土の均衡ある発展を目指す意向で、沿線最大都市である京都を無視していること、大きく迂回していること、それにともない建設費が高額となることなど、問題が多く、小浜市と亀岡市以外は恩恵を受けないため、評価は今一つである。
 2は最も建設距離が短く、京都を通過するだけでなく、名古屋方面への連絡もいい。また並行在来線もJR西日本のまま運営する可能性が高く、経営分離の問題もおそらく発生しない。いいことずくめのようだが、最大の問題は東海道新幹線がJR東海の経営だということだ。現在、1時間10本以上の過密運転の東海道新幹線に北陸新幹線の入り込む余地はない。それにJR東海は16両編成に統一したい意向で、そんな長物は必要のない北陸新幹線の乗り入れは拒むだろう。ただ、将来リニア新幹線が東京ー新大阪間を結ばれれば、現在のような過密運転が必要なくなり、編成も多様化されるだろうから、乗り入れる余地はある。そのときには名古屋方面への直通列車が運転される可能性もある。
 3はほぼ湖西線と並行するルート。米原ルートよりもやや距離は長くなる。しかし名古屋方面への連絡が悪く、接続する京都でまたJR東海との問題が発生する。
 4はJR西日本から2015年に提案されたルートで1、3の折衷案となっている。小浜を通過しつつ滋賀方面向けてから京都を通過、そこからは大深度地下で新大阪を目指す。この案の利点は、東海道新幹線に乗り入れないのでJR西日本がJR東海に遠慮することなくダイヤを設定できることだ。それに滋賀県を通過しないので、同県と協議する必要がなく、人口が稀少ながらも観光資源がある小浜方面との連絡がよくなり新たな需要を創世できる点がある。問題は京都駅をどのように設置して、新大阪駅でのホームの配置をどのようにするか、それに大深度地下で建設するために高騰する費用をどのように確保するかという点だろう。また迂回経路となることで関西対北陸の速達性が欠けるのも減点材料だ。もっともこの区間は驚異となる航空路線がないので、多少の迂回は考慮する必要はない。
 5は4が発表されてから周辺の自治体から表明されたもので、小浜まで来るなら舞鶴も、そしてどうせ迂回するんだったら、大阪東部を通過して関西空港まで作ってくれという、自治体のエゴ丸出しの案で評価に値しない。だいたい、こんなにあちこちに寄っていては、大量高速輸送の新幹線の意義が損なわれる。結果的に利用されない交通機関になってしまう。
 北陸新幹線の敦賀開業が2022年。リニア中央新幹線の名古屋ー大阪開業が2045年を予定されている。ただリニア中央新幹線の南アルプストンネルの貫通に時間がかかれば、さらに先送りになる可能性がある。なにしろ世界初の本格的磁気浮上鉄道だ。実際に営業してみないとわからないことが多い。仮にリニアが大阪に来るのが2050年になるとすれば、28年間も米原乗り入れができないことになる。それならば小浜経由の別ルートで建設し、大深度地下は京都付近だけにして、新大阪まで二重高架で建設する荒技を用いれば、20年もあれば建設できそうに思える。大幅な迂回で乗り換えが必要とはいえ、東海道新幹線以外に、東京ー大阪間の高速鉄道ができるのは大きい。少子化で人口減が予想される日本とはいえ、東京ー大阪間にリニア中央新幹線、東海道新幹線、北陸新幹線と3ルートあっても需要減に悩むことはないだろうし、経由地の異なるこのルートは新たな需要を掘り起こす可能性がある。
 よって筆者としては4の小浜ー京都ルートを推したい。通過しない滋賀県は不満だろうが、並行在来線の経営移管もなく、すでに東海道新幹線のあるし、リニア中央新幹線ができれば、おそらく米原-京都間に新駅が建設されるはずだ。滋賀県としてはそちらの方が経済効果が高いだろう。

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北海道新幹線新函館北斗開業を検証する [鉄道]

 2016年3月26日、北海道新幹線が新函館北斗まで開業する。東北新幹線の新青森から青函トンネルを抜けて、ついに新幹線が北海道に到達する。東京から新函館北斗まで最速4時間2分で結ばれる。道民にとって待望の新幹線だが、過去の新幹線開業に比べてどうも期待感が低いように思われる。まずは筆者が考える理由を列挙していきたい。
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1.新函館北斗駅が函館市中心部から離れている
2.青函トンネルで高速運転ができない
3.函館市の人口が少ない
4.新函館北斗駅の乗り換えが不便
5.JR北海道の運営能力の問題


 第一の問題は新函館北斗駅が函館市中心部から北へ約20km離れた北斗市にあることだ。これは北海道新幹線はもともと札幌への最短距離を目指した路線なので、函館市に寄ると、大きな遠回りになるためだ。この新函館北斗駅にしてもその南側は急曲線でいかにも「ここが限界です」と言いたげである。そこで新函館北斗駅から函館までは在来線を利用することになるが、所要時間は15分ということだ。ちなみに函館空港は市内中心部から10キロと路線バスで20分程度の所要時間である。飛行機とたいして時間が変わらず乗り換えも不便とあっては、飛行機の客の3割ほど転移すれば上出来だろう。
 それでも新函館北斗駅周辺に人口が少なくても知名度の高い観光地があればまだ救われる。ところが駅の周辺には駒ヶ岳とか大沼公園といった観光地があるものの、函館や登別温泉のような知名度に欠けるといわざるを得ない。ここから札幌方面や函館方面への乗り換え需要で9割をまかなうしかないだろう。
 「新函館北斗」という駅名にも疑問を感じる。元々は新函館という仮名称で建設されていた。しかし駅の所在地のある北斗市から「北斗の名を入れて欲しい」という要望があり、このような名称になった。けれども、そうであれば「新」を付ける必要があるだろうか。「函館北斗」の方が語感も字面もいいし、たった一文字でも少ない方が宣伝上何かと便利なはずである。
 第2は青函トンネルで高速運転できない点である。青函トンネルは新幹線を通す規格で作られたが、開業時点では新幹線が盛岡までしか開業していなかったので、暫定的に在来線で利用していた。ところが在来線の貨物利用が当初予想よりも多く、一日20往復が設定されている。近年はトラック運転手が人手不足で鉄道貨物が見直され、増発の声が大きくなっている。しかもフェリーと違って天候に左右されない強みで、荷主の信頼も高い。それに対して旅客輸送は北東北と函館あるいは札幌間の地域輸送が中心で顕著な需要はない。寝台特急カシオペアは数少ない東京ー札幌間の長距離需要であるが、これは青函トンネル内の機関車の問題もあって廃止が決まっている。つまり旅客輸送は新幹線、在来線はほんの一部の回送列車、臨時列車を除いて貨物列車が中心という構図になる。
 貨物列車はコンテナを積載して運行される。高速運転する新幹線とすれ違ったとき、コンテナが脱落しないかという懸念がある。この懸念は民主党政権時に突然出されたもので、何やら政治的な意図が感じられるが、確かに実験すらしていない。
 さらに貨物列車は夜間にも運行される。首都圏対札幌圏の貨物輸送を考えた場合、青函トンネルを深夜に通過するのが最も効率がいい。現にそのように運行されている。ところが新幹線は0時から6時までは列車の運行を止め、その間は保守時間に当てることで、安全性が担保されている。貨物列車を今まで通り運行しながら、高速運転に必要な保守工事ができるのか。まして青函トンネルは車輪の幅が異なる新幹線と在来線を共用するため3線軌道となっている。共用部分の片側のレールが偏磨耗することによる、高速運転の安定性の確保できるかは未検証だ。さらに新幹線の常用速度は260km/h、貨物列車は100km/hだ。待避設備のない青函トンネルで追突事故が起きないようにするには今までの信号システムでは対応できない。よって当面の解決策としては在来線の最高速度である140km/hの基準で保守し、その速度で新幹線を走らせるしかない。そして運行しながらコンテナ落下対策としてトンネル中央に遮風壁を設け、追突を避けるための信号システムの開発、さらに高速運転の保守ノウハウを蓄積して、新幹線を200Km/h程度まで速度を向上させるしかないだろう。
 第3に函館市の人口が30万人弱と少ないことだ。観光都市としては日本有数の実力を持つこの都市も、北海道の玄関が函館港から千歳空港に移ってからは経済都市としての地位が低下している。昨年開業した北陸新幹線の場合は人口40万人を越える金沢市と富山市が控えており、かなりの需要が期待できるのと対照的である。
 第4の問題は新函館北斗駅の乗り換えである。前述したように、新函館北斗駅周辺には大して見るべきものはなく、函館あるいは札幌への乗り換えを便利にするのは、重要な課題といえ、JR北海道は九州新幹線の新八代駅のような同一ホームで乗り換えられるような構造にすると発表していた。ところがJR北海道は東京方面から到着した新幹線は同一ホーム側へ転線せず、最終列車を除いてすべて階段を使っての乗り換えになると発表した。東京方面行きは在来線の長万部方面からも函館方面からも同一ホーム乗り換えが可能とはいえ、東京から来た客をがっかりさせるような設備にするのか理解に苦しむ。しかもこのホームの配列では、新幹線が札幌まで開業して場合も、東京方面は同一ホームで乗り換えできないことになる。東京や札幌から函館への需要は間違いなくあるのだから、2面4線の新幹線ホームの真ん中に中線の在来線を設置する形態にするべきだろう。冬季の積雪での混乱を最小限に抑えるためにできる限り、お互いの影響をなくす形態にしたのだろうが、このあたり、JR九州とJR北海道のセンスの違いを感じさせる。
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 この新函館北斗駅の中途半端な構造のために、勝機が見えてきたのが道南いさりび鉄道だ。道南いさりび鉄道は北海道新幹線が開業に伴い、経営分離させる木古内-五稜郭間の第3セクター鉄道だ。現在木古内-函館間は特急で45分弱。各停でも60分の所要時間だ。もしこの特急の速度で運転できる快速を設定すれば、新函館北斗まで行かず、木古内で降りて、道南いさりび鉄道に乗り換えた方が、15分ほど時間はかかるものの、新函館北斗経由よりも安く函館に移動できる。しかも沿線の上磯駅と清川口駅は北斗市の実際の中心地であり、その需要も取り込める。北斗市としては辺境で将来性もはっきりしない新函館北斗駅よりも、道南いさりび鉄道を快速運転する方が大多数の市民が便利になると考えるだろう。導入予定の気動車はJR北海道から譲渡された旧式な低性能な車両らしいが、ここは高速気動車を導入すれば、かなりの利用者がいるはずだ。地域輸送だけに甘んじるはずだった道南いさりび鉄道は都市間輸送という安定需要を得ることになるだろう。
 第5の不安は、JR北海道の鉄道運営能力の問題である。車両火災や保守点検不備による脱線事故など、経営陣の再三の再発防止宣言にも関わらず、JR北海道のトラブル続きは目を覆いたくなるほどだ。厳しい経営状態と気象条件があるとはいえ、これは言い訳にするべきではない。在来線ならともかく、新幹線は運行側の責任による死亡事故ゼロという記録を1964年以来継続中だ。もしJR北海道が事故を起こすことになれば、金看板に大きくキズをつけることになる。しかも青函トンネルは新幹線と貨物列車の混合交通という初めての試みだ。例え死亡事故がなくても、たびたび停まるようであれば、世間の非難は集中することになるだろう。
 北海道新幹線は函館暫定開業では、JR北海道にとっては赤字を生み出す存在でしかない。その埋め合わせのために、辺境の不精算路線は廃止を余儀なくされると予想される。しかしそのような犠牲を払ってでもその間に高速運転のノウハウを蓄積し、札幌開業に生かさないと、全通すれば長期間で見れば黒字になるはずの北海道新幹線が赤字となってしまうだろう。JR北海道の奮起に期待したい。


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